10.怯える2人
どれくらい潜っただろうか。
アリシアさんの右手と、ヤリスさんの左手。
その二つの感触だけを頼りに、俺はずっと目を閉じていた。
鎮静薬は飲んでも尚、体の芯が細かく震えている。
俺はきっと今、二人に引かれて、海の底へと潜っている。
目を閉じていれば恐怖が薄れることはわかっていたが、それでも周りが気になって、薄目を開けた。
海底が、巨大な崖のように切り立っていた。
光の届かない深さに、岩壁が垂直に落ちている。
その崖の中腹に、洞窟の入口が黒い口を開けていた。
入口にはフランクさんが先に着いて、こちらに手を振っている。あそこが目的地か。
洞窟の中に泳ぎ込むと、不思議なことに、空洞の上半分が空気で満たされていた。
皆で水面から這い上がると、岩棚に膝をついたところでようやく手を離せた。
アリシアさんがヘルメットを脱ぐと、押し込めていた赤い髪が跳ねた。
「ぷはーっ!やっと着いた!」
フランクさんが頷きながら、人数を確かめる。
「全員いるな?」
無個性なヘルメットを外していくと、無事な皆の顔が、暗がりの中にぼんやりと浮かび上がってくる。
ヤリスさんが周囲を見回しながら眉を寄せた。
「ここが、港長の言ってた問題の洞窟か・・・・・・」
水中から陸に上がれる空洞になっているが、天井が低く、壁が近い。
足元は濡れた岩で、奥に行くほど暗くなっていく。
観光地などとはかけ離れた、足場の安定しない洞窟。
ここは海の底だ。狭く閉ざされた、逃げ場のない場所。
「うっ・・・・・・!」
そう認識した瞬間、強烈に鼓動が高鳴った。
胃の奥から熱いものが逆流してくる感覚。
俺は足が震えて、思わず壁に手をついた。
「ヒイラギ?どうした?気分悪いか?」
アリシアさんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「だ、大丈夫です・・・気圧のせいかも・・・・・・」
原因はもちろん、自分の頭のせいだ。
周囲の環境を意識させられた途端、海に潜っていた時より遥かに強い恐怖感が襲ってきたのだ。
「リーダー!一応ここ、有毒ガスとか大丈夫なんだよな?」
ヤリスさんが慎重に空気を嗅ぎながら確認する。
「ああ。珍しい事例だが、地上の大気とほとんど変わらん」
ここで吐いたら。ここで足を引っ張ったら。
というか現在進行形で、皆に心配をかけさせてしまっている。
自分を責める思考が、際限なく回り始める。
フランクさんが立ち上がった。
「ミア。先に俺達で進路を開拓するぞ。三人は、ヒイラギが落ち着いたら後から付いてこい」
「わかったわ」
ミアさんが軽く杖を握り直す。二人の足音が、洞窟の奥へと吸い込まれていった。
無愛想ではあるが、フランクさんは俺に気を遣ってくれたのだろう。
早く仕事を終わらせて、俺が一刻でも早くここから離れられるように。
その気遣いがまた罪悪感が加速して、余計に気分が悪くなる。
残ったアリシアさんが、握っていた手の力をほんの少しだけ強めた。
「頑張れヒイラギ!帰ったら君の大好きなケーキ、いっぱい食べような!」
ヤリスさんが顔を引きつらせる。
「アリシア!吐きそうな奴に食いモンの話するのは・・・・・・!」
この奥に、海流を引き起こしている原因がある。
それさえ解決すれば、すぐにここを離れられる。
「はい・・・・・・」
俺は次の行動を、恐怖感を塗りつぶすように強く意識して、足を踏み出した。
しばらく歩いて、深呼吸を繰り返したら、少しだけ呼吸が落ち着いてきた。
「もう大丈夫なのか?」
「はい・・・ちょっとだけ慣れてきました・・・・・・」
顔を上げて周りを見られるようにはなった。
岩肌が松明の光に照らされて、湿った濃い影を作っている。
ある程度進んだところで突然、洞窟に女の子の悲鳴が響いた。
「ひっ!?」
今の声がアリシアさんのものだと認識するまで、少し時間がかかった。
「どうした?アリシア」
ヤリスさんが振り返ると、アリシアさんは胸の前で短剣を握っていた。
「いや、何でもない!先を急ぐぞ!」
何やらアリシアさんの目が泳いでいる。
その時、足元の影がぐにゃりと動いたように見えた。
気のせいかもしれない。だが、今度は俺でも気づいた。
「影が・・・動いた・・・・・・・?」
「な、なんだ今の・・・・・・」
アリシアさんが小さく息を整えている。
胸を握りしめて、何かを必死に押し殺すように。




