9.任務決行の日
真っ直ぐな目だ。
嘘だとか、方便を言っている目じゃない。
この人はきっと本心から、無様に努力する俺を認めてくれる。
恥ずかしい奴だと見限って、捨てることはないはずだ。
だったらどんなに怖くても、汚物を垂れ流してでも、俺は依頼をこなさなきゃいけない。
波が足元を洗った。夕日が二人を赤く染めている。
願うなら、アリシアさんにもう少しだけ、俺のわがままに付き合ってもらうことも・・・・・・
次に俺が言葉を発する前に、アリシアさんはハッと何かに気づいた。
「あ、これって今から練習したいって事だよな!?じゃあまた水着持ってこないと!」
アリシアさんは俺がやる気を見せたことに目を輝かせ、更衣室の方へ走り出そうとする。
「え? でも疲れてませんか?」
「私がやりたいからやるんだ! 文句があるのか?」
「い、いえ!」
「あ、でもヤバいと思ったら言えよ? 無理はよくないからな」
俺は断られなかったことが嬉しくて、少し間を置いて、小さく頷いた。
「大丈夫です!先に嘔吐は済ませてきたので、中は空っぽですから」
吐くものがなければ、アリシアさんのお目汚しになることもない。
アリシアさんの顔が一瞬固まった。
「大丈夫なわけあるかバカ!終わったら飯たらふく食わせてやるからな!」
アリシアさんは水着に着替えて戻ってくると、俺の手首を掴んだ。
「ヒイラギ!水の中にいる間は、何があってもこの手は離さないからな!パニックになって溺れても、必ず水面まで連れてってやる!それなら安心だろ?」
「あ・・・はい!」
俺はつかまれた手首の温度を感じながら、足元の水を見た。
まだ怖い。でも、この手が離れない限り、もう少しだけ先に行ける気がした。
***
翌朝。
仮宿の食堂で、探索の最終確認が行われていた。
フランクさんがパンを齧りながら聞いた。
「で、昨日はどうだったんだ」
アリシアさんとヤリスさんが報告する。
「一応、ヤリスがあの後合流して、3人で夜まで練習したぞ。頭まで全身浸かることはできた。ただ、深いところまで潜るのはまだ試してないな」
「全身浸かれたんなら上出来じゃないか」
フランクさんは少し驚いたように目を見開いた。
「むしろヒイラギが無茶するから、俺が止めてたんだ! あいつ何度もハァハァ言いながら嘔吐反射しまくってたんだぞ! 吐くものがないから海は汚さなくて済むなんて言ってて!アリシアも全然止めねえし!」
でも、水に入れない俺が悪いんだし、これくらいの苦痛は罰みたいなものだ。
「どうする?隊長さん」
ミアさんが紅茶を飲みながら、方針を尋ねた。
フランクさんは机に両手を置いて宣言した。
「予定通りにしよう。俺達は海底洞窟へ行く」
アリシアさんとヤリスさんが笑みを浮かべてハイタッチした。
俺もフランクさんに少しは信用されたみたいで、なんだか心が暖かくなった。
***
探索当日。海蝕洞の入り口。
「指定された座標はここだな」
海上で小船を停めると、フランクさんは海図を出して確認した。
潜水スーツに着替えたスズランの面々が、装備の最終確認をしていた。
空気補給用の瓶を背負い、腰にロープを巻く。
俺は眼前に広がる暗い海面を見つめていた。
昨日、全身浸かることはできた。
でもあの時は浅瀬で、足がつく場所だった。
ここは違う。水深百メートル近い洞窟。
暗くて、深くて、出口が見えない。
体の奥が、またあの感覚を思い出そうとしている。
「レイジくん、これ」
その時、ミアさんが近づいてきた。
手には小さな瓶を持っている。
「え?」
「鎮静薬。楽になるわよ」
瓶を受け取って表示を見ていると、アリシアさんが横から覗き込んできた。
「ええ!? 買ってきたのか!? 高かったんじゃないのかそれ!」
ミアさんの眉がぴくりと動いた。
ジトッとアリシアさんを見つめると、アリシアさんはしまった、という顔で口を押さえた。
俺は二人のやりとりをぼんやり見てから、手の中の小さな瓶に目を落とした。
「あの・・・すみません。俺のために、こんなにお金使わせちゃって」
「私じゃないわ。フランクに命令されたの」
ミアさんが横を向くと、フランクさんは俺に話を振るなと言いたげに呟いた。
「純正品を買えと言った覚えはないんだがな」
「安物は効きが悪いのよ」
「俺が先行してスリムラインを張る。引っ張って合図を送ったら、付いてこい」
フランクさんは会話から逃げるように先に飛び込んだ。
俺は鎮静薬の瓶を握りしめた。
ミアさんが自分で判断して高い薬を選んだこと。
フランクさんが黙って費用を出したこと。
二人とも、そのことを大したことじゃないという顔をしていること。
瓶の蓋を開けて、一息に飲んだ。
苦いけど、体の震えが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
ロープが2回引っ張られた。飛び込んでいいという合図だ。
アリシアさんが俺の隣に立って、右手を差し出してきた。
「大丈夫だ、ヒイラギ。何があってもこの手は絶対離さないからな」
「俺もだ。お前にパニクられると困る」
ヤリスさんも、左手を差し出してきた。
俺は2人の手を見た。それから海面を見た。
まだ怖い。喉の奥が締まる。体の芯が拒否している。
でも。この人達の手なら、信じられる。
右手を伸ばして、アリシアさんとヤリスさんの手を握った。
「それじゃあ、行くか!」
俺は2人に引き込まれるように、海に飛び込んだ。




