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8.アリシアとの散歩

フランクさんはそれだけ言って、壁から背中を離した。足音が遠ざかっていく。

俺は洗面台の前にしばらく立ち尽くしていた。

克服なんて出来ない。

宿屋の廊下をあてもなく歩いていると、ヤリスさんが向こうから来た。


「ヒイラギ。もう大丈夫か?」

「・・・はい。すみません、迷惑かけて」

「別にお前が謝ることじゃねえよ」


ヤリスさんは軽い調子でそう言って、すれ違いざまに付け加えた。


「あー、アリシアがまだ浜辺にいたぞ」


俺は足を止めた。


「一人で?」

「着替えてのんびりしてた。暇そうだったな」


それだけ言って、ヤリスさんは仮宿の方へ歩いていった。

俺はしばらくその場に立っていたが、水着の上からパーカーを羽織って、砂浜へと走った。

浜辺に降りると、アリシアさんが波打ち際に立っていた。

肩出しの白いワンピースを着て、水平線を眺めている。

足元の裾は、夕方の風に揺れていた。


「あ、ヒイラギ!」


アリシアさんがこちらに気づいて手を上げた。

急いで駆け寄ると、俺達は自然と二人で波打ち際を歩き始めた。

足首を洗う波は冷たかった。でも、ここなら立っていられる。

ふと、アリシアさんがしゃがんだ。


「あ!ヤドカリだ!見ろ、ちっちゃいのがいるぞ!」


小さな巻貝が砂の上をゆっくり横切っていた。俺も膝をついて覗き込む。


「こっちにも。2匹・・・3匹。結構いるんですね、ここ」

「だろ? このへんは潮溜まりが多いからな」


アリシアさんがもう少し先の磯のほうへ歩いていくと、俺は小走りでついていった。

しばらく2人で磯を歩き回った。

ウニを見つけた。名前のわからない貝を見つけた。

俺は一つ一つが気になっては手を伸ばして、時々指を引っ込めた。

やがて興奮が落ち着いて、二人の間に穏やかな沈黙が降りた。

西日が海面を渡って、アリシアさんの赤い髪の毛を照らしていた。

風に揺れるたびに、夕日の色と混じって燃えるように光る。

綺麗だ。

そう思っていると、アリシアさんがこちらに視線を向ける気配を感じたので、慌てて目を逸らした。


「さっきは、ゴメンな」


アリシアさんが前を向いたまま、さらっと言った。


「え?」

「泳ぐの、あそこまで嫌がるとは思わなかったからさ」

「い、いえ、アリシアさんは何も悪くないです。俺が──」

「はいはい。俺が悪いって言うの禁止」


軽く遮って、アリシアさんはまた歩き出した。

磯の岩場に差しかかった時だった。

アリシアさんが次の一歩を踏み出そうとした瞬間、俺はアリシアさんの肩をつかんで、強く引いた。


「っ!? いきなり何するんだ!」

「それ、岩じゃないです!」


俺は足元の岩の隙間を指さした。

落ちていた枝でそっと突くと、岩だと思っていたものがゆっくりと体を起こした。

背中にコブ状の突起がびっしりと並んだ、扁平な生物。

今のアリシアさんが履いているのはいつものブーツじゃなくて底の薄いサンダルだ。

もし踏んでいたら、毒針に刺されていたりしたかもしれない。

アリシアさんが目を丸くした。


「よく気づいたな。でもこいつはただのカエルモドキだ!ここは遊び場なんだから、ヤバい生き物なんているわけないだろ!」

「た、確かに・・・いきなり引っ張ってすみません」


アリシアさんはカエルモドキを手のひらに乗せると、「可愛いじゃないか」と微笑みながら優しく撫でた。


「君さ」

「はい」

「ずっとピリピリしてるだろ。さっきから生き物見てる時も、半分くらいの時間は足元とか周りばかり見てた。心から楽しめてない感じがする」

「・・・すみません」


楽しもうとしているのに、気づくと周りを警戒している。

元から自分にそういう自意識過剰なところがあることはわかっていたが、最近は特に誰かに狙われているかもしれないとばかり考えてしまっていた。


「・・・アリシアさん」

「なんだ?」

「男なのに水が怖いって、それでも無理矢理潜って失禁とか嘔吐とかしたら、恥ずかしいってバカにしますか?」


アリシアさんは少し俺の顔を見てから、海のほうに目を向けた。


「そんなこと言ったら、私は恥ずかしくて街も歩けないな」


アリシアさんの返答が婉曲すぎて、俺は一瞬意味を理解できなかった。


「それって・・・・・・」

「人間なんだから、そういう恥ずかしい経験なんて誰にでもあるだろ!むしろ周りからよく思われることばっかり考えて、他人の揚げ足を取るヤツの方が、よっぽど恥ずかしいに決まってる!私は、自分の恐怖に立ち向かっていく奴はどんなに泥臭くてもカッコいいって思うな!」

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