5.密航の条件
俺が口を開くよりも先に、アリシアさんが動いた。
「だったらなんだ」
俺の前に出て、港長と正面から向き合う。
港長はアリシアさんを一瞥し、それから薄く笑った。
「まあ座れ。別に突き出そうってんじゃない」
港長が机の引き出しから、一枚の海図を取り出した。
通常のものとは違い、沿岸部の一区画だけが拡大して描かれている。
その中央に、赤い印が付けられていた。
「条件がある。あんたらに1つ、クエストを振りたい」
海図の赤い印を指で叩きながら、港長が説明を始めた。
「この港から南東に半日ほど行ったところに、岩礁地帯がある。この辺りの海流なんだが、半年ほど前から様子がおかしくなった」
港長が椅子に深く腰を据え直した。
「調べたところ、岩礁の奥に海蝕洞があることが判明した。魔素に関する何らかの異常現象が発生しているようだ。先月、商船が一隻沈んだ。乗員は全員救助できたが、二隻目はないとは限らない」
「どうしてご自分で対処されないんですか?」
ヤリスさんが訝しつつも丁寧に問いかける。
「やったさ。チームを編成して突入した。だが原因があると思われる洞窟の奥に行くほど、魔素の濃度が跳ね上がる。人間が耐えられる限界を超えてるんだ。うちの連中は三回挑んで、三回とも途中で引き返すしかなかった」
港長の声に、僅かに苦いものが滲んだ。
「帝国に頼む手もあるにはある。だが、あいつらに頼めば法外な金を取られるか、対価として漁業権を召し上げられるかだ。この港は漁業で生きてる。航路だけじゃない、漁場を失えば町ごと死ぬ」
港長が俺に視線を戻す。
「だが、魔族なら話は別だ。高濃度の魔素の中でも活動できる。お前がいるなら、洞窟の奥まで行ける可能性がある」
「取引しろってことかよ」
ヤリスさんが低い声で言った。
淡々としているが、その奥に苛立ちのようなものが透けている。
「言い方は好きにしろ。だが事実だ。海流の異常を止めてくれるなら、お前たちの乗船を全面的に保証する。偽名の書類も、航路上の安全も、すべてこっちで面倒を見よう。だが断るなら、悪いが船には乗せられんな」
***
港長の部屋を出た後、俺たちは宿の一室に集まっていた。
窓の外から港の喧騒が聞こえてくる。
船の汽笛、荷運びの怒号、カモメの鳴き声。
それらが混ざり合って、くぐもった音になって壁越しに届いていた。
重い沈黙の中、最初に空気を破ったのは俺だった。
「あの、皆さえ良ければ・・・俺は、やります」
自分の声が思ったよりも小さかった。
喉の奥が乾いているが、言わなければならないと思った。
ヤリスさんが眉をひそめた。
「お前、そう簡単にやるって言ったって・・・潜水のプロが諦めてるような話だぞ。高濃度の魔素だけじゃない、海蝕洞ってことは潮の流れも読めない。一歩間違えば死ぬ」
「でも、魔族なら耐えられるだろうって、港長も・・・・・・」
「可能性だ。保証じゃない」
フランクさんが腕を組んだまま、壁に背中を預けて口を開いた。
「ステュクス川の航路を利用する人間は多い。その中に魔族が全くいないわけじゃない。それでもこれまで協力者が見つからなかったってことは、それだけ嫌な仕事ってことだ。リスクに見合わない。断って別のルートを探すって手もある」
「別のルートって、あるんですか」
「ないことはない。だが時間はかかる。陸路で大きく迂回するか、別の港まで移動してそこから乗るか。どちらにしても数週間は余計にかかるし、その間ずっと追っ手に見つかるリスクを抱えることになる」
フランクさんの説明は淡々としていた。
選択肢を並べているだけで、どちらを選べとは言わない。
判断は俺に委ねるということか。
「・・・でも、俺のせいだから。やらなきゃいけないです」
俺が裏ギルドに狙われなければ。
魔族だと港長に気づかれなければ、こんな条件を突きつけられることもなかった。
偽名の書類も問題なく通って、明日には船に乗れていたはずだ。
皆に迷惑をかけているのは俺だ。
だったら、俺が動くべきだ。
フランクさんが数秒の沈黙の後、小さく頷いた。
「わかった。ただし無茶はするな。撤退の判断は俺がする」
「・・・はい」
「ところでヒイラギって、泳げるのか?」
アリシアさんが、ふと口を挟んだ。
「もう長いこと泳いでないですけど・・・でも、水に入ったら感覚は思い出せると思います」
「思い出せると思います、って、なんだその頼りない返事は」
「いや、泳げないわけじゃないですけど。たぶん・・・体が覚えてるかなって・・・・・・」
アリシアさんが話を聞いているような聞いていないような顔で、大げさに頷いた。
「じゃあ今から練習するか!」
「え?」
「本番前に水に慣れとかなきゃまずいだろ!仕方ないよな、フランク!」
アリシアさんが目を輝かせて、フランクさんの方を向いた。
「好きにしろ」
「じゃあ皆で水着持ってビーチに集合だ!」
「水着なんて持ってねえよ!」
「買えばいいだろ!港町なんだから売ってるって!」
アリシアさんはもう部屋を飛び出していた。
ヤリスさんがその後姿を見送りながら、ぽつりと呟いた。
「あいつ、遊ぶことしか考えてないだろ」
誰も否定しなかった。




