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鬼人伝  作者: 牧原のどか
木霊の託宣
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裏路地のたくらみ

 路地に佇むのは長身の若者だった。笠をつけて顔を隠してはいるが、立ち姿や雰囲気だけでも美貌だと知れる。

 路地に隠れた男達は舌打ちする。

「くそう、ここもだめか」

「まったく忌々しい」

 男達は荷物──蓋をした桶を抱えていた。

「こう人目があっては、捨てられん」

「いったい、どうしてあんなものが、こんなところにいるんだ?」

 顔を隠してはいるが、男達は路地にいる若者が小角の者だと確信している。その前を横切りこの桶をそこいらへんに捨てる度胸は男達にはなかった。

「仕方ない。戻ろう」

「しかし、これをどうする? いい加減溜まってきたぞ」

 一人が泣き言を言う。

「仕方なかろう、庭に穴でも掘って埋めておくしかない」

 桶を抱えたまま男達は立ち去った。

 そのあとを黒い(もや)のようなものがついていくのを誰も気づかなかった。


 小角の端くれである若者は、なにか異様なものを感じて振り返ったが、不審なものはなかった。

 霊眼に長けたものではあったが、その彼であっても気づかない微細なものであったのだ──その時は。


 最近増築したばかりだという道場は、まだ木の香りがするようであった。たっぷりと金を使って丁寧に仕事をさせたようであり、新しいながらも重厚な雰囲気を漂わせた建物である。

 編み笠をかぶった武士の出で立ちをした男──鬼成十衛である──と信之助は問題の道場の門前に来ていた。

 鬼成は道場を眺めて目を眇めた。

「妙なもんがわだかってやがる」

 鬼成の霊眼()にはその道場に漂うどす黒いものが見えていた。

 しかしそれは彼の桜の下にあった妖物の残り香とも違う。二つの違いを尋ねられればしかとは言えぬが、それ(・・)が視えるものにとってはあきらかな違いだ。

 今鬼成に視えているものは生き物が非業の死を遂げたとき発する思念の残留のようなものである。これを発したものはそうとう酷い死に様を晒したのだろう。

 それもひとつ、ふたつではない。いったい何匹の犬猫が犠牲になったものか。

「……胸糞悪い……」

 鬼成は顔をしかめて言い捨てた。

「帰りましょう。ここはあれとは関係ないようじゃないですか。なんか……ここにいると気分が悪くなります」

 信之助が鬼成の袖を引いた。

「まあ、待て。腕のほどを見てやろうぜ」

 懐手のまま鬼成は道場の中がのぞける窓に近寄った。

「柳でも蒲でもねえらしいからな。どんなもんか興味はある」

 太平の世では武士といえど剣術の腕での出世は見込めない。合戦のない世の中なのだ、そんなものはいらない。

 お題目に過ぎない。

 指南役にでもなれれば身を立てられるが、そんな幸運なものはほんのわずかだ。

 残された道はせいぜい門下生を集めることだ。

 柳庄も蒲生も大名や皇家の指南役として召し抱えられたが故の繁栄だ。

 そうでない道場がどれほどのものか確かめてみたかった。


 件の道場の中では門下生が修練の真っ最中であった。声を張り上げ、竹刀を振るう。

 格上らしい男が扱いているのだが──鬼成は早々に興味をなくした。

「この程度かよ」

 たいして期待はしていなかったが、さらにそれを裏切られた気分だった。

「かなり激しい稽古みたいですが?」

 きょとんとした信之助が訊いた。

「あ? そう見えるか? まあ、見かけはな」

 鬼成の目にははっきりと道場の格が分かった。格好だけで大したことがないと──太刀裁きだけでなく、足の運び、目の動き、身のこなしからある程度の予想はつく。実力を隠しているという可能性もないではないが、鬼成の目を欺けるほどのものではない。

「行くぞ」

「あ、はい」

 踵を返した鬼成に、信之助がついていこうとして、ふらっと体が泳いだ。鬼成はそれを受け止める。

あてられた(・・・・・)か」

「す、すみません。なんだか気分が……」

「仕方ねえ、これじゃあなぁ」

 ひとつひとつは小さくても、数がそろえば人に影響をもたらすのだ。

 鬼成はもう一度それを視た。

 それは道場の奥、建物の裏庭のあたりに集中していた。

 この時、もしもう少し早く引き上げていたら──編み笠をかぶった鬼成はともかく、信之助はもう少し考えるべきであった。


 彼らが立ち去るのを、桶を抱えた門弟が見ていたのである。

 桶を抱えた門弟は鬼成達と入れ違いに道場に帰ってきた。そのまま裏庭に行くと穴を掘り、そこに桶の中身(・・)を捨てて再び埋め戻した。

 いつものように。

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