第7話:「戦争の残った街」
見上げる城壁は、灰色の石を隙間なく積んで門の左右へ延び、上端の縁は首を反らしてようやく見えた。その縁を、槍を担いだ兵が一人横切っていく。厚い木に鉄の帯を打った門扉は左右に開かれ、先に着いた荷車が車輪を軋ませて内側へ引き込まれていった。
ガイルが縄を引き、列は門をくぐった。石壁の厚みのあいだで、足音が頭の上に反響する。
抜けたとたん、槌の音が耳を打った。
鉄を叩く音があちこちで拍をずらして鳴り、その合間を縫ってふいごの風が低く唸る。炭の焦げた匂いと熱い鉄の匂いが鼻の奥まで入ってきて、舌が乾いた。
通りの両側は店が軒を詰めて続いている。開け放った間口の奥に赤い火床が見え、前掛け姿の男が腕を振り下ろすたびに火花が散った。焼けた刃が水桶に沈められ、白い湯気が軒先まで昇る。隣の店は盾を壁一面に立てかけ、兵が縁を拳で叩いて音を確かめていた。
その先では革の胴着が軒からずらりと下がり、矢を籠に盛った店の前で、兵が束を数えさせている。その向かいには、干し肉の束と塩漬けの樽ばかりが積まれていた。穂先を台に並べた店では、鎧を着けた兵が一本を取って、尖りに親指の腹を押しつけている。店主は相手が頷く前に、その一本を布で包みはじめていた。石畳の目地は炭の粉で黒く埋まり、靴底がざらついた。
軒下の客が引かれていく三人に一度だけ目を向け、また品へ戻した。研ぎ師の店からは砥石を擦る水っぽい音が聞こえる。荷車がもう一台、車軸を鳴らして脇を過ぎた。荷台に載っているのは炭の袋と、削りかけの槍の柄だった。土のついた野菜を並べた店は、通りの先まで目で追っても一軒もない。
ミュカが後ろで鼻を鳴らした。ガイルが干し肉へ首を向けかけ、前へ戻して縄を引き直す。
門から幾らも進まないうちに、兵の一団が道を空けて並んだ。守備隊の隊長が列の前に出て、アルの前で足を止める。
「勇者様」
隊長が腰を折ると、並んだ兵の槍の石突が一斉に石畳を打った。乾いた一音が通りの槌の響きをひととき押しのける。胴着の継ぎはどれも色が揃っていない。
アルは三人を目で示した。
「街道を通る人を襲っていた」
「助かります。街道で人が襲われていると、報告は来ていたのですが。こちらの手が回りませんでした」
隊長は言い終えると、門の外へ顔を向け、すぐに戻した。
「礼に、宿と食事を出させてください」
「そりゃありがたい」
ガイルは握っていた縄の端を兵の一人に差し出し、結び目を指で叩いて示した。受け取った兵が三人の脇に付き、別の二人が肘を取る。
縛られた三人が、兵に挟まれて歩きだした。門からアルの隣を歩いてきた男は、三人の真ん中にいた。後ろ手の肩を左右に傾けながら、通りを奥へ進んでいく。顔は上がらず、振り返りもしない。縄の余りが石畳に擦れて、乾いた音を立てた。店の並びの先で道が曲がり、先頭の一人から順に石壁の陰へ入っていく。男の背がそこに消え、最後の一人が続いた。隣に並んだミュカの尾が、一度だけ下がった。
「神教会に寄るね。控えを届けないと」
リリアは鞄から、紐で綴じた控えを取り出し、胸に抱えた。通りの奥へ歩きだすその隣に、アルが並ぶ。行き交う者の多くは武具を身に着けている。前掛けの職人たちは、鎧の肩をよけながら荷を運んでいた。
武具屋と研ぎ屋のあいだに、石造りの低い建物が挟まっていた。両隣の軒より屋根が低く、扉は二人並べば塞がる幅しかない。石段は一段きりで、中央が踏まれて浅く凹んでいる。扉の鉄の取っ手は、握る位置だけが擦れて光る。壁の石には細い筋が幾本も走っている。穂先や盾の縁が擦った跡で、どれも腰から肩の高さに集まっていた。
ガイルは扉の脇の壁に背を預けて腕を組み、カリムはその隣で通りを向いた。ミュカは石の筋に指を当て、一本ずつなぞっている。リリアが扉を押し、アルも続いた。
扉が閉まると、槌の音は壁の向こうでくぐもった。石の床の冷えが、靴底に貼りつく。灯りの油の匂いが、湿った空気に重く沈んでいた。梁が低く、堂は狭い。扉の前に立てば、正面の偶像まで見渡せた。
偶像の足元には皿が据えられ、小さな灯りが揺れている。胸のあたりまで、油煙の黒い筋が這っていた。その前に、祈る者が数人いる。鎧姿の兵が一人、床に片膝をついて金具を鳴らし、短く祈ると立ち上がって脇を抜けていく。壁際で膝を折っていた男も、続いて出ていった。最前列の床には、年配の女が座り込んでいる。髪はほとんど白く、後ろで一つに束ねてあった。膝の前には、兵が腰に締める革帯が一本置かれていた。古く、縫い目がほつれている。女は偶像を見上げず、革帯に目を据えたまま動かない。
リリアは奥の壁際に控える神官のところへ進んだ。抱えた控えを差し出すと、神官は両手で受け取り、綴じ紐を指で確かめてから頭を下げる。リリアが顔を寄せて何か言い、神官が頷いて短く返した。二人の声は低く、堂の壁に吸われてアルのところまで届かない。
アルは偶像の前まで進んだ。膝はつかない。ローエンで受けたばかりだ。ここで受ける用はない。
戻る途中で、女の脇を通る。背は丸く、肩の位置は入ったときから変わっていない。
扉を押すと、通りの音が戻り、荷車の軋みがそこに混じった。外では、ミュカが石の筋から指を離したところだった。少し遅れて、リリアも出てくる。
「リリアって、どこ行っても仕事あるんだね」
「そういう職だから」
◇◇◇
食堂の灯りは、壁の高いところに二つと、卓の真上に一つ点いている。窓の板戸は閉めてある。その隙間から風が入るたび、真上の灯りが横へ揺れては戻って、皿の影が卓の上で伸び縮みした。隣の卓の話し声と皿の触れ合う音が、食堂の端までよく通った。
壁際の席では、兵が外した肩当てを足元に置き、粥を掻き込んでいる。剣帯だけは誰も解いていない。その向こうでは別の兵たちが、誰かの冗談に声を揃えて笑っていた。
長椅子にはガイル、アル、ミュカの順に並ぶ。向かいにカリムとリリアが座り、卓の端には守備隊の隊長がいて、匙を持ったまま五人の手もとを順に眺めている。自分の粥はまだほとんど減っていない。ガイルの大盾は、長椅子の後ろの壁に立てかけてある。アルの席からは、入口の戸がよく見えた。
卓には炙った肉の皿と、木の椀に盛った麦の粥が人数分並んでいた。香ばしい匂いが卓の上に低く溜まっている。肉は厚く切ってあり、焦げ目の縁ではまだ脂が爆ぜていた。アルは肉をつかんでかじった。焦げの苦みのあとで繊維がほぐれ、閉じ込められていた熱が舌の上で崩れる。粥は椀を口もとへ寄せると湯気で睫毛が湿った。向かいでは、カリムが一口ごとに間を置いて噛み、リリアが肉を指で小さく裂いている。
「この粥、噛むと麦の粒がぷちっと弾ける」
ミュカが頬を動かしながら、椀の底をかき回している。
「ぷち……よく煮てあるな」
アルが答えると、ミュカは尾を振って、また椀に顔を寄せた。
ガイルが粥をひと口すすり、椀を見下ろした。
「塩が足りないな」
「ガイルは何にでもそれ言う」
「麦の味が分かるので、私はこの薄さがいいです」
リリアが椀を両手で包んだ。
ガイルは椀を傾けて粥を流し込み、空にした椀を卓へ置いた。肉を指で大きくちぎり、口へ放り込む。噛みながらアルの皿を顎で示した。
「肉が減ってないぞ」
アルは皿の肉を一切れつまみ上げてみせた。
「食ってる」
「じゃあ、もらう」
横からミュカの手が伸び、アルの皿から一切れをさらっていった。
「ミュカ、人のを取らない」
リリアが眉を寄せる。ミュカは肉を口に入れたまま椀の陰に顔を隠した。口の端に粥の粒がついている。
「余ってたもん」
アルは皿をミュカのほうへ半分ずらした。隊長が目を細め、粥を一口含む。
「ミュカ、俺のも食うか」
ガイルが脂のついた指で、自分の皿をつまんで押しやる。
「ガイルのは指の味がする」
ミュカが皿を押し返した。ガイルは指を舐めてみせ、ミュカが顔をしかめる。
ミュカの耳がぴくりと板戸のほうへ向いた。
「叩く音がしないと、耳が変な感じ」
遠くの通りを靴音が過ぎ、角を曲がって聞こえなくなる。
「あれだけ鳴っていたから」
リリアが顔を上げて応じた。
板戸を向いていた耳が戻り、ミュカの目は自分の椀へ移った。底が見えている。
「これ、おかわりある?」
ミュカがその椀を持ち上げて、隊長のほうへ振った。
「言っていただければ、出させます」
「やった」
ミュカの尾が長椅子の脚を二度叩いた。
隊長が匙を椀に預けた。
「皆様のおかげで、街道が通れます」
ガイルが噛んでいた肉を飲み込み、背筋を伸ばした。口元から笑いが抜ける。
「神託が国境を指した。だから俺たちが来て、道が通った。順当です」
隊長は口を半端に開けたまま、返す言葉を探している。
「ガイルって、神託の話になるとおかしな喋り方するよね」
ミュカが匙の先をガイルへ向けた。
「事実を言っているだけです」
ガイルは顔を崩して笑った。古い傷が頬で引きつれ、腹から出る声が梁にぶつかる。卓の皿が鳴って、近くの兵が振り返った。ミュカが卓を叩いて笑いだし、アルの口元もゆるんだ。リリアは口もとを手で押さえている。
カリムが匙を置いた。椀の縁に当たって、短く鳴る。
「事実であることと、疑わないことは別ですが」
急がない声が笑いの残る卓の上に置かれた。
ガイルの笑いは声から先に引いた。頬だけがまだ緩んでいる。
「疑う理由がないものを疑うのは、怠慢です」
ミュカの笑いは途中で切れ、体ごと止まった。匙の先から粥が椀へ落ちる。カリムは返さない。ガイルも言い足さない。脂に濡れたガイルの拳が卓の上で握られ、カリムは両手を卓の縁に揃えたまま、その顔を見ていた。
疑う理由がないのは、アルも同じだ。
アルの目は、二人の手のあいだを一度往復した。口へ運びかけていた匙を、粥に戻す。周りのざわめきがやけに遠く聞こえた。
皿の脂が白く固まりはじめている。椀の湯気は細くなり、途切れた。
入口の戸が板壁を打って開いた。外の風が食堂へ流れ込み、灯りが強く煽られる。開いたままの戸口に、黒い通りが見えた。
兵が一人、肩で息をしながら卓へ来た。胴着の胸が激しく上下し、額から汗が一筋、顎まで伝っている。五人には目もくれず、隊長の椅子の脇で足を止め、食堂の端まで届く声を張った。
「隊長!」
隊長が顔を上げる。
「周辺の村に、害獣が出ました」
ミュカの耳が前へ立ち、尾の付け根がこわばった。
「村の者二人が……亡くなりました」
隊長の喉が動いた。卓の向かいで、リリアの匙が椀に沈む手前で止まる。
兵の声がかすれた。
「そいつには、刃が通りません」
カリムの手が腰の帳面に掛かった。隣の卓の話し声がやんでいた。壁際の兵が粥を掻き込む手を止めている。隊長の手もとで匙が倒れ、粥が椀の縁に跳ねた。
隊長が椅子を引く。脚が床を擦った。その音に重なって、長椅子の端でガイルはもう立っていた。拳はほどけ、手が大盾の縁に掛かっている。カリムには顔を向けず、隣で座ったままのアルを見下ろしている。
アルは匙を置いて立ち上がった。
「行く」




