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そして「神が死んだ」  作者: ぼん
第一部

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第5話:「喉を狙う」

 先頭のガイルが出しかけた足を引き戻した。横を歩いていたミュカが遅れて踏みとどまり、二人の背に続いていたアルもそこで歩みを止める。後ろでカリムとリリアの足音が一つずつ追いついて、ふつりと途切れた。


 ガイルの視線の先、道の脇に馬の骨が散らばっていた。肋は半ばから砕かれて内側を晒し、折れ口がまだ赤い。骨に残った肉は筋ばかりで、牙の痕が細い溝になって並んでいる。背骨は節ごとに外れて土の上に点々と落ち、蹄のついた脚が一本だけ、岩の根元まで引きずられていた。まわりの土は湿って黒い。束になった毛が泥に張りつき、爪を立てて踏ん張った窪みが重なり合い、荒らされた跡は道の中ほどまで続いている。


 背後に退いた丘は低い背を見せるだけになり、坂を抜けた道は両側が開けていた。轍の脇には岩が転がり、腰の高さのものも背丈を越えるものも、道の縁へ不揃いに寄っている。角は鋭く立ち、轍の底には欠けた小石が噛んでいる。そのあいだを抜けてくる空気は坂の上よりも冷たい。足元の石が靴底の下で小さく割れた。道は先で岩の並びに沿ってもう一度折れ、曲がり角の向こうは見えなかった。荷の匂いはもう鼻から抜けて、乾いた土と石の匂いに、血の匂いが薄く混じっている。


 アルは骨の前まで行って膝をつき、折れ口を覗き込んだ。肉の繊維がまだ縮んでいなかった。膝の下で、湿った土が布越しに染みてくる。立ち上がっても、誰も口を開かなかった。ガイルが肩越しに背の大盾へ手を回し、革帯を引いて張りを見る。縁が鎧の背に当たって鳴り、位置が定まった。リリアは骨から目を離さないまま、アルのすぐ後ろまで寄ってくる。袖口を握った指が布を巻き込んでいた。砂利を踏み替える音がして、カリムが道の中央へ寄る気配がある。アルも左手で鞘を握り、剣の収まりを確かめた。


 ミュカだけは骨を見ていなかった。ガイルの横で、道の折れる先へ顔を向けたまま鼻を上げている。小刻みに空気を嗅いでいた鼻先が、途中で固まった。そのまま肩が落ち、膝が曲がり、背丈が目に見えて低くなっていく。


「……囲まれてる」


 声は低く、息に近かった。傷の走るガイルの顔で、顎の筋が浮き上がる。


 鎧の留め具がひとつ擦れ、その音が岩肌に弾かれて戻ってくる。自分の息が頭の内側でやけに大きく響いた。唾を呑み込むと、喉の鳴る音がはっきり聞こえる。岩の平らな頂から継ぎ目の陰、道の曲がる際まで、アルは順に目で追った。靴の中で足の指が縮み、革の底越しに地面の冷たさが上がってくる。どこにも何も見えない。それなのに背中の皮が、肩甲骨のあいだから首筋へ向けて粟立っていく。


 ミュカの首が道の先から右の岩へ、右の岩から来た道のほうへ回っていく。アルも後ろを振り向きかけて、やめた。


「前に三、右の岩陰に二、後ろは……四」


 最後の数だけ、声がかすれた。


「後ろが一番多い。追い立てる役が前だよ」


 振り向きかけたときに目に入った道は、さっき歩いてきたままの姿で丘のほうへ戻っている。ガイルの爪先も、ミュカの爪先も、道の先を指している。来た道へ向いているのは、五人の背中だけだった。


 ガイルが舌打ちし、革帯の留め具を弾いて背の大盾を外した。取っ手を握って前へ構えると、縁が土を擦って低く鳴る。盾の陰で、ガイルが声を押し殺して唸った。


「兵士の壁だぞ、これ。訓練された連中と同じ動きをする」


 アルは剣を抜いた。鞘から離れる音が細く長く響く。柄の巻き革が掌に貼りつく。踵を地面へ沈め、重心を腰の下へ落とした。


「背中合わせだ。ミュカは俺の右、カリムは後ろを頼む」


 ミュカが右へ回り込み、腰から短刀を抜く。


「任せて」


 ガイルがアルの前に立ち、膝を沈めて盾の面を前へ向ける。右ではミュカが低く構え、肘が触れる近さで短刀を腰の前に据えた。背中にはカリムの肩が当たっている。リリアは輪の内側に入り、アルの左に身を寄せた。衣擦れが短く鳴って止んだ。アルは柄を胸の前に引き寄せ、切っ先を盾の上端の先へ合わせる。


 曲がり角の手前、岩の切れ目からワイルドウルフが姿を現した。次々に道へ出て、三頭が横に並んで道を塞ぐ。頭を下げ、肩を落とし、めくれた唇の下の牙のあいだから涎が糸を引いた。喉の底から湧く唸りが三つ重なり、腹に低く響く。三頭の目は盾の上端より上、人の喉の高さにそろっている。前脚が同じ拍で土を踏むたびに、肩の骨が皮の下で盛り上がる。


 間合いは縮んでくるのに、盾の縁にはまだ届かない。三頭は進んでは足を止め、首を傾けて、また前脚を出してくる。爪が土を掻く音が、間を置かずに刻まれる。


 右の岩陰に動くものはない。ミュカの短刀の切っ先だけがそちらを向いたまま、ぶれなかった。その向こうで小石がひとつ転がり、爪が岩を擦った。


 後ろは見えないまま、砂利が一粒ずつ踏まれる音が背中のほうから詰まってくる。獣の脂じみた匂いが、うなじのあたりまで来ていた。背を合わせた肩が一度だけ硬くなり、それきり動かなくなった。アルの肩口に、リリアの浅い息がかかる。


 ガイルの盾の陰で肩が上下し、アルの顎の下で汗が玉になって落ちた。柄を握る指が巻き革に食い込んでいる。前の三頭はその場に留まったまま、こちらの足の置き場を見ていた。喉の奥が張りついて、息を吸うこともできなかった。


 いちばん前の一頭が胸を沈め、地面を蹴った。


 盾の面にワイルドウルフの胸が叩きつけられ、牙が縁を噛んだ。硬いものを削る甲高い音がアルの奥歯まで届き、受けた重さが盾からガイルの腕へ、鎧の肩へと抜けていく。盾の裏で、拳が白く締まった。足元の土が低く沈んで、ガイルの踵が地面を削り、半歩だけ退いた。後ろ脚が宙を蹴り、飛んだ涎が盾の面を叩く。土を伝って、アルの靴底にまで震えが来た。ガイルが体ごと押し出すと牙は縁から外れ、一頭は土の上へ落ちて転がった。その奥で、残る二頭が首を低く振り、身を沈めていた。


 盾が前へ伸びた、その一拍だった。前の二頭が盾へ踏み出し、アルの目もそちらへ引かれる。右の岩陰で小石の弾ける音が立ち、目をやったときには、体が二つ走り出ていた。盾の右の端とミュカの肩のあいだにできた隙を抜け、左右に開いたままアルの喉元へ跳んだ。


 二つの口が開き、生臭い息が顔へ吹きつけた。左の牙が喉へ降り、右の一頭がそれを追って高みからかぶさってくる。剣を上へ返せば左は止まる、だが塞がったその腕の外から右が来る――畳まれた脚の下で、二つの腹が剥き出しになっていた。喉を庇う腕は上げずに、剣を斜め下から払った。


 手応えが肘まで上がり、骨と筋の重さが掌に残った。一頭の腹が裂け、鉄の匂いが鼻を打った。牙は届いていない。振り抜いた剣を引き寄せる間に二頭目が落ちてくる。牙の打ち合う音が肩口のすぐ外で鳴った。晒された腹を、返す剣で切り上げた。二頭がアルの足元へ倒れ込み、生温かいものが靴の甲を濡らした。同じ間に、背後で水の跳ねる音が上がっていた。続けて、爪が足場を探して滑るきしみと、重い胴が濡れた土へ沈む低い音がいくつも起きる。背に当たるカリムの体が縮こまり、口の中でこもる震えが背骨を伝って届いた。言葉の形までは分からない。寄りかかる重みが一段増した。


 首をひねると、来た道に向き合ったカリムの横顔が見えた。唇は休みなく動いているのに、声は一つも聞こえない。来た道の側にいたワイルドウルフたちが、道の真ん中で足を取られていた。踏み固まっていた轍が水を含んで黒い泥に変わり、脚の付け根まで呑み込んでいた。沈みきれない脚が叩くたびに、重い波が体のまわりへ広がる。引き抜こうとするほど体が傾いで、胸まで黒く染まっていった。沈んだ口から短い鳴き声が漏れ、泥の上で潰れた。掻き回された泥の匂いが立ちのぼってきた。


 その縁へ、ミュカが走った。アルの右から低く、泥にならなかった道の端を選んで踏み、小石を弾いて沈んだ体の横腹へ短刀を送る。抜くより先に身が回り、横倒しになる体を残して、すぐ先で首を上げた別の一頭へ迫る。暴れる脚をかいくぐって前脚の脇へ潜り、短刀が斜めに抜ける。


 正面では、盾が前へ出たぶん、ワイルドウルフたちが一歩ずつ下がった。縁に肩を打たれた一頭が、口を開けたまま横へ弾かれる。押すごとに、ガイルの息が歯の隙間から漏れる。その息と同じ拍で、アルの踵も前へ送られていく。後ろが沈み、右から来た体が足元で起き上がらず、正面の群れが左右へ目を泳がせた。盾の下端が一頭の前脚をすくう。アルは盾の陰から出て、脚の揃わなくなったその腹へ剣を突き入れた。肉の奥で骨に当たる感触が掌に返り、引き抜くと同時にその体が横へ崩れた。


 群れの輪が割れた。


 残ったワイルドウルフたちは、岩のあいだへ駆け込んだ。盾に押された最後の一頭が首を振って跳びすさり、後ろ脚を引きずる一頭が、泥から抜けた脚で半ば這って続く。爪が石を叩く音が岩の上へ、道の先へと散って遠ざかり、どこで止まったのかは聞き取れなかった。ミュカが体を前へ倒し、土を蹴りかけた。


「追うな」


 アルが言うと、ミュカの足が止まった。


 盾の脇に出たその場で、アルは足元へ視線を下ろした。息絶えたワイルドウルフの体が道に転がっている。轍は爪と靴に踏み荒らされて浅く波打ち、泥の中で脚だけがまだ引きつっている。半ば埋まった一頭は、むき出した牙を泥に浸していた。道の脇の岩には跳ねた泥がこびりつき、継ぎ目に抜けた毛が引っかかっている。靴の甲に染みた血は、もう黒ずみはじめていた。盾の面では、涎の跡が白い筋になって乾きかけている。


 岩陰の先で、低く地を這う遠吠えが一声上がった。間を置いて、別の方角から高い声が返り、さらに遠い岩の奥でもう一つが応える。声は細く伸びて岩に当たり、方々へ散って戻ってこない。


 ミュカは短刀を収めもせず、声の上がったほうへ体を向けている。切っ先も爪先も、岩の奥を指して動かない。背後を見やると、輪の組まれていたところからリリアは一歩も出ていなかった。その後ろに、カリムの背が見える。


 ガイルが長く息を吐き、盾を足元に立てた。肩が大きく上下して、鎧の継ぎ目が鳴った。盾を支えていた腕がまだ細かく震えていた。縁には牙の幅に並んだ窪みが刻まれ、削れた面がざらついている。親指で窪みをなぞり、口の端を持ち上げた。目だけが一度岩のほうへ流れた。


「アイアン級か。級が一つ上がるだけで、こうも違うか」


 アルは外套の裾を剣に当て、根元から先へ引いた。裾が重く湿り、血と脂が茶色く伸びた。右手の指は強張って、柄からなかなか緩まない。空いた左手が喉へ上がりかけ、途中で下りる。この先に出てくるものは、これだけではない。遠くで、また声が上がった。


 曲がり角の岩陰から、荷を背負った者たちが顔を出した。肩に縄を食い込ませたまま、転がるワイルドウルフと五人とを見比べている。先頭の男が一歩ごとに足をためらわせながら近づいてきた。後ろの者たちは岩に半身を隠し、先頭の背に目を据えている。男の目が盾の縁の窪みを捉えた。盾の手前まで来て、男は立ち止まった。乾いた唇が開きかけて閉じ、喉が一度上下した。


「……通れるのか」


 ガイルが盾の縁から親指を離した。


「今はな」


 男は後ろへ手を挙げた。岩の後ろにいた人影が次々に出てきて、五人の横を過ぎていく。背の荷がアルの外套の端をかすめた。骨の散った道の脇まで来ると、どの靴も血の染みた土の手前で大きく弧を描き、反対側の岩の根元へ寄っていく。泥に沈んだ轍も避け、肩で岩をこすりながら、一列になって通っていった。


 弧の内側には、血の染みた土と馬の骨が残された。



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