↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして「神が死んだ」  作者: ぼん
第一部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/21

第3話:「歌の中の勇者」

「あの人たちも国境?」


 ミュカが前へ指を伸ばした。轍の刻まれた土の道の先、声をかければ届くほどの距離を、荷を背負った人影がいくつも揺れながら進んでいる。どの荷からも槍の柄が斜めに突き立ち、括りつけた鍋か何かが一足ごとにがらんと鳴った。


 道の両側には麦畑が続いている。風が渡ると葉の擦れ合う音が左右から寄せてきて、足元から上がる土の匂いに麦の匂いが混じった。前を行く一団は五人と同じく南へ向かっていて、振り返る者は一人もいない。


「ギルドの依頼でしょう」


 答えたのは、いちばん後ろを歩くカリムだった。急ぐ様子もなく、歩調と同じ速さで続ける。


「害獣が出れば、仕事になりますから」


「仕事? 神託じゃなくて?」


 ミュカが振り向いたところへ、先頭のガイルが肩越しに声を返した。


「神託を受けたわけじゃない。あれはあれで動いてる」


 言い終えたときには、ガイルはもう前へ向き直っていた。


 狩人たちの背中を、アルはしばらく目で追った。誰も行き先を確かめ合わないのに、荷を背負った足取りには迷いがない。


 麦畑が途切れ、道の脇に草地がひらけたころには、影が足元に短く縮んでいた。


 一団はその草地で荷を下ろした。少し手前で、アルも足を止めて振り返る。


「ここで昼にしよう」


 ガイルが背の荷を道端に落とした。重い音がして、地面の小石が跳ねる。そのまま荷の横に腰を下ろし、袋の口から干し肉の束を引き出す。草の上に輪になった五人のあいだを、一本ずつ手から手へ回っていった。受け取った一本をミュカは目の前にかざし、鼻の頭に皺を寄せてから歯を立てた。


 草地の向こうでは、狩人の一人が枯れ枝を拾い集めている。足元に小さく組み、その前にしゃがみ込んで顔を寄せた。唇が動く。何を言ったのか、アルのところまでは聞こえない。


 枝の芯から、火が立ち上がった。


 爆ぜる音が続けざまに鳴り、枝の燃える匂いが風に乗ってこちらへ流れてくる。しゃがんでいた狩人はもう火に背を向け、荷から鍋を引き出していた。


 肉をくわえたまま、ミュカが首を伸ばした。


「あの人、魔術師なの?」


「違うでしょう」


 カリムは膝の上で自分の干し肉を裂きながら答えた。


「火をつけるだけなら、誰でもできます」


「私、できないよ」


「思い描けていないからです」


 ミュカの眉が寄った。くわえていた一本を手に移し、空いた手で道端の枯れ草を引き抜く。腕をまっすぐ前へ突き出して、草の先を睨みつけた。


「燃えろ」


 草の先が風に揺れ、また止まる。向こうの草地で、焚き火の枝がひとつ弾けた。


 ミュカは突き出した腕を下ろさない。睨む目にいっそう力がこもっていく。カリムの手が止まった。


「燃えているところを、本当に思い描きましたか」


 まっすぐ伸びていた腕が、肘から少しずつ折れていく。


「……思ってない」


 ガイルの肩が跳ねた。噛みかけの肉を手のひらで押さえ、背を丸めて笑い出す。その声は草地の向こうまで転がっていき、鍋をかき回していた狩人が、怪訝そうな顔をこちらへ向けた。


「その、頭に浮かべるやつな」


 ガイルは息を継ぐ合間に、指でこめかみを叩いてみせた。


「像って言うんだ」


「素質ではありません。訓練です」


 カリムは裂き終えた干し肉の端を口へ入れた。


「笑うな!」


 ミュカが握っていた草をガイルへ投げつけた。草は鎧の胸に当たり、ぱさりと膝の上へ落ちる。ガイルはそれをつまみ上げてひらひらと振り、まだ笑いを噛み殺せずにいる。ミュカが拳を握って詰め寄った。


「ガイル!」


 アルは口元を手で覆った。指の隙間から、こらえきれない息が漏れる。ミュカの目がこちらへ跳んだ。


「アルも笑ってる」


「笑ってない」


「笑ってる!」


 ミュカの尾の毛が、根元からふくらんでいた。


 リリアが手を伸ばし、ガイルの膝から草を拾い上げた。何も言わずに、ミュカの手のひらへ戻す。ミュカはそれをひったくると、そっぽを向いて残りの肉にかぶりついた。


 午後の道でも、ミュカは枯れ草を手放さなかった。


 列から少し遅れて歩きながら、ときどき足を止めては目をきつくつむり、草を額の前に掲げる。そのたびにアルの背中へ、押し殺した声が届いた。


「……燃えろ」


 振り返ると、草はさっきと同じ色のまま揺れている。ミュカは目を開けて鼻から長く息を吐き、土を蹴るようにして足を進めた。


 道の曲がり角で、また後ろから声がした。


「燃えろ」


 何も起きない。前を行くガイルの背が揺れかけ、隣を歩くリリアに肘で小突かれて止まった。


「燃えろってば」


 最後のひと声は、泣き声に近かった。


 後ろへ顔を向けると、ミュカは草を握りしめたままうつむいていた。尾が足のあいだに垂れて、先が土をこすっている。アルは歩幅を落とし、ミュカの横に並んで歩いた。


 ミュカの拳の中で、枯れ草の先が乾いたまま折れ曲がっていた。


◇◇◇


 日が傾くころ、道の脇に一軒の宿が見えてきた。窓の奥に明かりがともり、軒先から煮炊きの煙が細く上がっている。


「当てにするなって言ってたのに、開いてるじゃん」


 ミュカがガイルの背中へ言った。握られたままの枯れ草が、指のあいだから覗いている。


「ここはまだ国境から遠い」


 ガイルは前を向いたまま答え、宿の入り口へ足を向けた。


 戸を押し開けると、脂と湯気の匂いが顔に当たった。背後から差す夕の光が、土間に五人分の長い影を引いている。食堂は人で埋まり、壁の灯りに火が入ったばかりの黄色い明るさのなかを、杯の触れ合う音が卓から卓へ渡っていく。奥の竈では大鍋が低く煮えて、蓋の隙間から立つ白い湯気が梁のほうへ這い上がっていた。


 土間の端で、アルは靴底の土を擦り落とした。ミュカは土をつけたまま、構わず奥へ向かっていく。


 案内された卓は、客のいちばん少ない隅にあった。ガイルが大盾を壁に立てかけ、軋む長椅子へどさりと腰を落とす。カリムとリリアが向かいに並び、アルはガイルの隣へ詰めた。ミュカはアルの隣の、通路側の端に座った。枯れ草をつかんだ拳を膝に置いたまま、卓の木目へ目を落としている。尾の先は椅子の脚に触れたきり動かなかった。


 天板は誰かがこぼした汁でべたついていた。肘を置くと袖が貼りつき、剥がすたびに小さな音が立つ。脛の奥には昼からの道がまだ溜まっていて、座っているだけで脚が重くなる。


 木の椀が五つ、湯気を上げて運ばれてきた。肉の煮込みの脇に、皮の固いパンがちぎられて籠にこんもりと盛られている。手もとに置かれた一つを持ち上げると、底から掌へ熱が染み込む。アルは匙を沈めた。


 一口で、昼の干し肉の塩気が舌から洗い流された。肉は軽く押すだけで崩れるほど柔らかく、脂の甘みが喉の奥まで温かく降りていく。向かいのカリムは目を閉じたまま、黙って顎を動かしていた。ガイルはパンを汁に浸しては大きくかじり取り、リリアは椀を両手で包み、立ちのぼる湯気に鼻先を寄せている。足の裏から、街道の硬さが抜けていく。


 ミュカの拳がようやく開いた。枯れ草を卓の端へ置き、匙を取って食べはじめる。それでも口の端は下がったままだった。


 竈の脇で、弦が鳴った。


 椅子に腰かけた吟遊詩人が、膝に載せた楽器の弦を指で払っている。一音ごとに客の話し声が低くなり、何音か続いたところで、あちこちの卓から手拍子が起こった。


「勇者は街道にただ一人 剣を抜けば夜が明ける」


 打つ手が速くなる。隣の卓では男たちが杯を高く掲げ、歌に合わせて天板を叩いた。ガイルの指も卓の上で拍を取りはじめる。カリムは割りかけたパンを手にしたまま詩人へ顔を向け、リリアも同じほうを見ている。ミュカだけが、まだ顔を上げない。


 アルは籠へ手を伸ばした。パンをちぎって椀に沈め、頬張る。耳の裏が熱い。匙を動かす手だけが少し速くなった。


 詩人の声が一段高くなった。


「燃える街へ 勇者は入り 炎の中を歩いて 民を抱えて出てきた」


 ミュカの手が止まった。頬をふくらませたまま、目だけがアルへ動く。口の中のものが押し上げられ、鼻から息が抜けて、噴き出した。飛沫が卓に散る。ミュカは握り拳で自分の腿を叩き、咳き込みながら言った。


「炎の中歩いた?」


 アルは目を上げずに答えた。


「歩いてない」


 ガイルが卓に拳を落とした。椀の中身が揺れ、パンの籠がずれる。


「勇者様は謙虚だからな」


 その声へ、詩人の繰り返しの句が重なった。


「勇者は行く 勇者は行く」


 客たちの声が揃ってそれを追い、杯と手拍子が上から被さる。ガイルの声はその下に埋もれた。すぐ横の卓の男は声の届く距離にいながら、首も回さない。


 弦が低く鳴り、詩人が顎を上げた。


「竜が空を覆い 勇者は一人 剣のひと振りで 竜を二つに裂いた」


 カリムが腰の帳面に指を添えた。


「三節目の竜は、記録にある災害と一致しませんね」


 ひと呼吸遅れて、卓が沸いた。


 ガイルは額を天板に押しつけたまま、肩で息をしている。リリアは顔を伏せ、背中が細かく揺れていた。ミュカは長椅子から滑り落ちかけてアルの袖をつかみ、握ったまま声を上げ続ける。目尻に涙が浮いていた。アルも匙を置いた。腹の底から突き上げてきたものが、そのまま声になって出ていく。カリムの笑いはいちばん遅れて来て、いちばん長く続いた。


 ひとしきり声を出し尽くして顔を上げると、食堂は変わらず歌の中にいた。隣の卓の男は杯の中身をこぼしながら、拍に乗って首を揺らしている。客の手は同じ速さで鳴り続け、詩人の弦は次の節へ進んでいく。まだ収まりきらないミュカの笑い声だけが、その拍からはずれて跳ねていた。


 袖を引かれたまま、アルは冷めかけた肉を崩して口に入れた。喉に脂がからむ。


◇◇◇


 一夜明けて宿の戸を背にしても、手を打つ音がまだ耳の奥で鳴っていた。


 街道の脇に続く畑が、進むにつれて様子を変えていく。畝の筋は残っているのに、肩の部分が崩れて角が丸くなり、土が低く均されている。畝のあいだには雑草が伸び、背丈の不揃いな草が区画の端から端までを埋めていた。


 歩きながら、アルは畝の崩れ方を目で追った。ローエン近くの農村で育った目には、人の手が離れた畑は一目でわかる。縁に積んであったはずの石の山も崩れて、道の際まで散らばっている。


 区画は途切れがちになり、その先は地面がむき出しの野になった。土は白っぽく乾き、踏むたびに薄く埃が立つ。道の柔らかさは消え、拳ほどの石が頭を出して、靴底を硬く突き上げてくる。


 音が減っていた。昨日は前を行く狩人たちの荷が鳴り、道端のどこかで鳥の声がしていた。今は五人の足音しか聞こえない。見渡しても人影はなく、鍬を振る者も水を汲む者もいない。


「勇者は行く 勇者は……」


 ミュカの口ずさむ声は、二度目の句の途中でしぼんで消えた。


 風が吹くと、乾いた土が舞い上がり、口の中がざらついた。リリアが襟元を引き上げる。奥歯の間で、砂がじゃりと潰れた。


 道の先で、何かが軋んだ。


 軋みは間を置いては繰り返し、こちらへ近づいてくる。土埃の向こうに、荷車の影が浮かんだ。


 荷車は一台。荷台には袋と樽が山と積まれたままだ。車輪が石に乗り上げると荷が大きく傾き、括った紐が引きつった。五人の行く手から現れて、歩いてきた道のほうへ戻っていく。


 御者台の男は手綱を握り、頬のこけた顔を前へ向けたまま動かさない。


 ガイルが一歩前へ出て、手を挙げる。


「おい、この先で何があった?」


 荷車は止まらない。すれ違いざまに、男が口を開いた。


「この先は通れない」


 荷台が脇を抜けた。袋の擦れる音と樽のぶつかる音が、すぐ横を過ぎて背後へ流れていく。


 挙げたままだったガイルの手が、ゆっくりと下りた。


 軋みが遠ざかる。


 荷車の来た方角へ、白い道が細く延びている。その先は、風に巻き上がる砂の向こうで見えなくなる。アルはそちらへ歩き出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。