↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして「神が死んだ」  作者: ぼん
第一部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/26

第14話:「読める石」

「遅い! どこまで行ってたんだ」


 木立の枝が折れる音に、金具の鳴る音が重なった。ガイルが藪を割って街道の脇へ出てくる。背の大盾の縁が低い枝を擦り、落ちた葉が三人の靴の前で止まった。


 ガイルは歩幅を緩めずに詰め寄ってくる。踏まれた草が足の下で潰れ、鎧の胸が目の前に迫った。


「朝からだぞ。朝から木の根っこに座りっぱなしで、日が傾いても戻らないから、あと少しで門まで」


 アルは足を止めずに返した。


「門まで来てたら、台無しだった」


「だから行かなかったろうが! 褒めろよ」


 ガイルの目がアルの顔から肩、腰、膝へと下りた。ミュカの外套の裾を指でつまんで持ち上げ、カリムの袖口を返して中を見る。裂け目も血の染みもない。握っていた拳がほどけた。


「……なんだ、かすり傷もなしかよ」


 ガイルの喉から笑い声がはじけた。厚い手がアルの肩へ落ち、骨に響く重みで膝が沈みかける。二度、三度と叩いて、アルの体ごと揺さぶる。


「人の気も知らないで、のんきな面して戻りやがって」


 肩に手を乗せられたまま、アルは木立のほうへ押しやられた。ミュカとカリムが後ろからついてくる。


 木立の縁に、リリアが立っていた。外套の前を合わせたまま動かない。目だけが三人の足元の砂埃をかぶった裾から腰、顔へと上がっていく。アルがその前を通ると、視線はアルの顔で一度止まり、それから鞄の上へ落ちた。


 木立に足を踏み入れたとき、ガイルの手が最後に一度だけ背を叩き、離れた。ミュカが頭の上まで引き上げていた外套を肩へ落とした。耳が立ち上がり、先を振って葉屑を払う。カリムも襟を下げ、長い耳を夕刻の空気に出した。


 風が冷えてきて、襟の隙間から首筋に入る。アルは背の包みの輪を肩から外し、根の盛り上がったところに腰を下ろした。布を巻いた剣は、解かずに膝の脇へ置く。頭の上で葉がさざめき、根の瘤が腿の裏に食い込んだ。


 日が沈むと、木立の中は輪郭だけになった。火は焚かない。街が近い。


 右でミュカの尾が草を掃く音がする。左のカリムは外套の衣擦れが間遠に聞こえるだけで、頭の位置も定かでない。正面にしゃがみ込んだ黒い塊がガイルの鎧で、その斜め後ろから、鞄の紐が指に擦れる細い音がした。リリアはそこにいる。


「で、見てきたもん、順に話せ」


 ガイルの声が正面から飛ぶ。アルは膝の脇の包みに手を置いた。


「荷の出どころは、門の内側の倉と荷置き場だ。轍が全部、そこで終わってた」


 横からミュカの声が割り込んだ。


「出す日もわかったよ。明後日の夜明け! 倉の前で二人が」


「明後日!? ……いや、待て。こっちも見てたぞ」


 ガイルが身を乗り出し、鎧の継ぎ目が鳴った。


「リリアと二人で街道を見てた。昼前に、拠点のほうから一隊が上ってきて、街へ入った。昼過ぎには、街から一隊が出て、拠点のほうへ下ってった」


「入れ替わりか」


 アルが口にすると、ガイルが鼻を鳴らした。


「そう読んだ。交代の隊は夜のうちに拠点へ入る。入れ替わった隊が夜明けに拠点を出る。交代は拠点で、夜明けに一日一度だ」


 斜め後ろで、紐の擦れる音が止んでいる。


 ガイルの掌が膝を打った。乾いた音が木立に跳ねる。


「これで断てる!」


 外套の内で布が鳴り、ミュカが何かを突き出した気配が来た。甘い匂いが鼻先に寄る。


「話を拾ったのは私。私のおかげでしょ」


 胸を張ったのが、声の高さで分かった。尾が土を叩く。差し出された果実へ、ガイルの腕が伸びた。


「そりゃそうだ。もらうぞ」


 受け取ったものが口へ運ばれる。皺の寄った皮に歯が立つ音がして、湿った咀嚼がそれに続いた。


「甘え! なんだこれ、うめえ」


「一個しかないんだから、味わってよ」


「もう、食っちまった」


 ミュカが吹き出し、ガイルは噛みながら笑った。二人の声が枝を伝って上へ抜けていく。


「おい、声が」


 言いかけたところで、アルの喉からも笑いが漏れた。肩が揺れ、包みに腕が当たる。カリムの息が短く抜ける。


 笑いの輪の端で、カリムの指が腰の帳面に添えてある。暗がりに慣れてきた目に、その指の形が白く浮いていた。


 笑いの尾が引くのを待って、アルは包みから手を離した。果実の匂いが、夜気に薄まっていく。ガイルの口の中では、まだ皮が鳴っている。ミュカの肩の揺れも収まりきっていない。


 倉の前で見たものを、まだ誰にも話していなかった。アルは息を吸った。


「倉の前の兵、箱を片手で荷台に上げてた。あれだけの量を、片手間でやる。あれが荷についてきたら、厄介だ」


 ガイルの噛む音が止まった。喉の奥で唸り、べたついた指を胴当ての脇で拭う。革と鉄の上を指がこする音が、短く響いた。


 左の暗がりで、外套の衣擦れが一つ鳴った。


「魔族は魔力量が多いので、細かく考えて使う必要がありませんからね」


 草の根元から、湿った土の匂いが立ち上ってくる。


 尾が草を掃く音がやんで、ミュカが身を乗り出した。


「じゃあカリムは?」


 返事は遅れた。帳面の表紙に指の触れる音が、一つだけした。


「私たちの種族には時間があります」


 カリムの言葉は、そこで切れた。頭の上で枝が軋み、また静まる。アルは膝の上で掌を握り込み、次の言葉を待った。


「一つの像を数十年かけて磨き、書き残します。次の者がそこから始めます」


 誰も口を挟まなかった。ミュカの外套が、カリムのいる左へ向きを変えた。


 左で、草が一度だけ鳴った。


「私が使っているものは、私が考えたものではありません」


 ガイルがしゃがんだ膝を浮かせた。大盾の縁が土を擦り、鎧の影が輪の中へ前のめりに出てくる。影の奥で、息が大きく吸い込まれた。


「そりゃ騎士団も同じだ。代々、積んだもんを使ってる」


 カリムは間を置かずに答えた。


「規模が違います」


「規模ったって、こっちだって」


 続きは喉の奥で潰れ、唾を飲み下す音だけが鳴った。ガイルの体が、土へ沈む。


 大きな手が膝の上で止まっている。右では、ミュカの尾が土に落ちたまま動かなくなった。


 包みの上へ、アルは掌を戻した。布越しの剣は硬く、重かった。


 冷えた間は、そのまま居座った。誰かが身じろぎするたびに草が鳴り、その音が必要以上に大きく聞こえる。ミュカのいるあたりからは、外套の裾を指に巻き取っては離す音が続いていた。


 先に口火を切ったのは、カリムだった。木立の外で草の擦れ合う音が、言葉の間を埋めていた。


「歩きながら、壁に一度触れました。門の内側の目地です」


 石の話か、とアルは思った。包みの布の目を、強張った指先が探っている。腰の下の土も冷えて、座り直す気にもならなかった。


「詰め方が三度変わっています。古いほうは目が粗く、新しいほうは指の腹が滑りました」


 カリムが自分の指先をなぞったらしく、乾いた皮膚の擦れる音がした。


「千年、同じ場所を直しながら使っています。ここは、広げる国ではありませんね」


 ガイルは膝から手を上げず、ミュカも身じろぎしない。外套の隙間から、夜気が背へ忍び込む。木立の奥は、いつの間にか黒一色になっていた。


 ガイルの掌が膝を打った。さっきの乾いた音より、鈍い。


「城攻めは楽じゃないってことだな」


 ガイルは声を張り、短く笑った。笑いは一人分しかなく、続く声がないぶん、木立の中で大きすぎるほど響いた。


 アルは頷いた。街の壁に隊を当ててみる。狭い門の前で先頭が詰まり、受けに回ったところを上から叩かれる。倒れた味方の背を越えて、次の列が門へ押し出されていく。


 カリムは何も足さなかった。外套が擦れ、声のあった位置から気配がずれる。輪から顔を外し、暗い街の方角へ向けたのが、息の向きでわかった。


 それきり、カリムは輪の中へ戻ってこない。向けられた先に、街の壁の見分けはもうつかなかった。


 アルは膝の前の土に指を立て、線を一本引いた。右の端を押さえる。荷の出る朝。そこから左へ、指を戻していく。湿った土の粒が、爪の間に入り込んだ。


「明日は一日、動かない。この木立に潜む」


 ガイルが手の甲で古傷の走る頬を擦った。ミュカは膝を抱え直したらしく、外套の布が短く鳴る。アルの指が、土の線の右の端へ戻った。


「明後日の夜明け前に、街道脇へ伏せる。輸送の隊列を街道で押さえて、同じ朝に拠点の交代の隙を突く」


 右の端で指が止まった。アルは顔を上げ、ガイルの肩の向こうへ目を向ける。小さな影が、そこにある。


「リリアは」


 言い終える前に、ガイルの声が覆いかぶさった。


「潜むなら、日のあるうちに木立の奥へ寄るぞ。街から見える側は使えない」


 ガイルの靴底が土を擦り、体が奥のほうへ寄っていく。外套の内で、ミュカが荷を探る布の音を立てた。


「暗いうちに動くなら、起きるのはもっと前だよね。荷は寝る前にまとめとく」


 ミュカの声は早口で、ガイルの低い声の上に乗って先へ走る。アルは口を閉じ、土の線の左端を指で押さえ直して、次へ進んだ。


「水は残りを分けて持つ。火は使えない。干したもので凌ぐ」


 段取りの声が途切れると、木立には草の鳴る音だけが戻った。アルは土の線から指を離し、手の甲で払う。粒が膝にこぼれた。


「いいか」


 ガイルが顎を引いた。


「おう」


 右で、ミュカの尾が土を一度叩いた。


「いいよ」


 街の方角を向いたままのカリムの声が、少し遅れて輪の外から届いた。


「……はい」


 鞄の蓋の上に、リリアの手があった。指が蓋の縁にかかったまま、離れない。アルの目の端に、その形だけが入っている。


◇◇◇


 胸の下の土が固い。押しつけた肋に、その固さがそのまま返ってくる。


 外套の背に露が染みて、布を抜けた冷たさが肩甲骨のあいだに届いた。身じろげば草が鳴る。アルは動かなかった。胸の鼓動が、土を内側から叩いている。


 五人は街道脇の草の中に伏せていた。前進拠点のある高みは、草の丈の向こうに黒く盛り上がっている。あそこから見下ろしても、伏せた背は草の陰に沈む。


 吐いた息は草の根元にこもり、湿りになって顔へ戻ってくる。肘の下では小石が骨に当たっている。ずらせば音が立つので、そのままにした。爪先の感覚は、いつからか薄れている。


 声を出す者はいない。草の隙間には、轍の筋が黒い線になって見える。高みのほうから、人の動く気配はまだ降りてこない。左隣では、リリアの外套の裾が露を吸って重くなり、草の上に広がっている。その向こうでカリムが額を腕に伏せ、右ではガイルが大盾を土に寝かせていた。押し殺した息の動きが、地面を伝ってアルの肘に届く。


 東の草の端が、闇の中で灰色を帯びはじめていた。高みから風が下りてきて、草の背を撫でていく。草が傾き、溜まっていた露が落ちた。五人の外套の上で、細かな粒になって弾ける。滴の落ちる音が、あちこちで間遠に続いた。


 剣の布は解いて、腰の裏に押し込んである。脇に寄せた鞘に露が降り、濡れていた。柄に指をかけて握り直すと、革の巻きが掌に食い込んだ。関節が冷えで固くなり、指はなかなか開かない。


 手の甲に、草の先から滴が落ちた。拭わない。前には、先頭のミュカの背が草の間に見えている。耳は倒れ、肩も背も動かない。


 草の揺れがやんだ。倒れていた耳の片方が、ぴくりと起き上がる。


 伏せたまま、ミュカの手が草の上に上がった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。