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そして「神が死んだ」  作者: ぼん
第一部

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11/26

第11話:「軍と戦う」

 目が合った、と分かった。高みの上で首を巡らせた魔族の見張りの目が、草の隙間を抜けてアルを捉えた。西日を受けた角の下で、顔はこちらへ据わったまま動かない。鳥の声が途絶えていた。刈られていない草の青い匂いが鼻の奥に詰まり、腹の下の土の冷たさが背骨を一息に駆け上がって、喉が鳴りかけたのを唾ごと飲み込んだ。


 見張りの腕が上がった。槍を握らない側の腕が、一度振り下ろされる。街道の脇に立つ兵たちの頭がこちらへ向き、角の影が白い土の上で揺れた。草を分けていたアルの指は、いつの間にか草の束を握り込んでいる。


 号令の声はなかった。槍を持つ者が前へ出て、剣の者がその両脇を埋め、足音だけで列が組み上がっていく。具足の触れ合う音が街道の土を伝い、草の斜面まで届いた。


「見つかった」


 右でミュカが言い、短刀の柄に手をかけた。尾が草を一度打つ。


 待てば、あの列は完成する。組み上がる途中で当たるしかない。アルは草の束を離し、指の土を払った。吸い込んだ息が、胸の奥で熱く膨らむ。


「叩く。ガイル、前」


「おう」


 ガイルが背負っていた大盾の革帯を肩から外し、腕に通して立ち上がった。傷だらけの盾の面が、低くなった日を鈍く跳ね返す。アルも膝を立てた。腹の下から土が離れ、胸に貼りついていた草の切れ端がはらりと落ちる。立ち上がりざまに剣を引き抜くと、鞘の口が短く鳴った。


 斜面を駆け下りる脛を、草が次々に打つ。先頭で盾を構えたガイルの背が揺れ、ミュカは背後を抜けて左の外へ大きく膨らみ、草の中へ沈んだ。背後で、リリアの鞄の中身が走る拍子にぶつかり合う。下り坂に任せて足が速くなり、止まれない勢いで体が運ばれていく。


「左、回る」


 草の中からミュカの声だけが飛んだ。


「正面は俺が持つ。アル、右を頼む」


「分かった」


 斜面の下で足が止まった。ガイルが大盾の下端を土へ突き立てて腰を落とし、アルはその右で剣を肩の高さに構える。カリムは盾の真後ろで片膝をつき、その後ろにリリアが立ち、鞄の紐を握り直した。


 間に合わなかった。アルの目の前で、街道の槍の列が穂先を一斉に低く下げる。剣の者たちが両脇で肩を並べ、揃った間隔のまま草の際までせり出してくる。


 列の端から、魔族の兵が一人前へ出てきた。振り上げた剣が頂点に届く前に、アルが飛び込んで脇腹へ斬りつける。骨に当たって止まり、押すと通った。掌に重い手応えが残って、兵が崩れる。剣先を伝った血が草へ落ちて細い筋を引き、息が腹の底まで入った。いける。口の端が勝手に持ち上がる。


 その横から別の兵の剣が来た。受け止めた瞬間に硬い音が弾け、鉄と鉄の衝撃が掌から肘へ抜ける。押し合う顔が、息のかかる近さまで迫る。兵の目が金色だった。その目はアルの顔から外れない。アルは剣を捻って押し返し、兵を街道のほうへ突き放した。


「ガイル。足元に段を作ります」


 背後でカリムの声がした。この最中でも、少し遅い。


 盾の陰で、ガイルが前を向いたまま顎を引いた。


「頼む」


 ガイルの盾が敵の槍をまとめて受け、その足元で土がせり上がる。盛られた段に敵の踏み出した足がかかり、体が前へ傾いた。そこへミュカが左から滑り込んで膝の裏を裂き、崩れた肩口へアルの剣が落ちる。


 倒れた兵の跡へ、次の一人が踏み込んできた。同じ構え、同じ間合いで、穴は一歩で埋まる。二度三度と同じことが起き、アルが斬った数だけ後ろから詰められて、列の厚みは最初に見たときから変わらなかった。斬り伏せた体を、後ろの兵が踏み越えてくる。靴底で土が沈み、倒れた者の剣が膝を打って転がる。振り上げる腕は肩から重くなり、肉を断つたびに掌の痺れが手首まで広がる。柄の革は汗で濡れ、指を開き直す暇もない。吸った息が胸の途中で止まった。


「減らない」


 喉の奥で、自分の声が低く唸った。奥歯が軋む。


「何人いるの、これ」


 ミュカの叫びが左から届いた。


「アル、右が……」


 ガイルの言葉を待たず、右から敵の槍が突き出た。アルは肩で柄を払い、そのまま剣を返して兵の手首を斬り上げる。槍が落ち、手首を押さえた相手が下がる。その空きにはもう次の兵が立っていた。


 列の奥から、敵が魔法を放ちはじめていた。斜面の草の先が、あちこちで焦げる。その中で角の大きい兵が片手を突き出すと、草が根元から一直線に弾け飛び、黒く焦げた筋が斜面を割った。あの兵は手強い、とアルは頭の隅に置き、目を前の槍へ戻した。自分の息遣いが耳の内側にこもっている。


 その兵の手がもう一度前へ伸びた。放たれた魔法がガイルの大盾の真ん中を叩き、盾が沈んで、ガイルの喉から息が漏れる。受け切った、と思った直後、盾の縁と肩のあいだへ敵の槍が滑り込んだ。


 革の裂ける音がして、ガイルの左腕から血が散った。盾の内側へ赤い筋が走り、肘から先が力を失って下がる。ガイルの足が土を削って一歩押し込まれ、肩がアルの肩を打った。血の匂いが焦げた草の匂いに混ざって鼻へ流れ込み、アルの目が盾の陰へ飛ぶ。


「ガイル!」


 返事の代わりに、荒い息だけが聞こえた。盾の縁が下がり、上から敵の剣先が覗く。アルの右で別の槍が空を切り、風が頬を掠めたが、目は土を噛むガイルの靴から離れない。靴が滑り、アルの掌から熱が引いた。ガイルの膝が沈む。正面の線が曲がった。――破られる。アルの前に立つ兵が詰め、ガイルの前の敵も詰めて、二つの切っ先が同じ瞬間に迫ってくる。


 右の持ち場を蹴って離れ、アルは曲がった線の真ん中へ身を入れた。迫っていた切っ先の一つを剣で払い上げ、もう一つが外套の脇を裂いて抜ける。背後で土を掻く音がして、喘ぎが耳のすぐ後ろまで来た。


 穴は塞いだ。だが、そこから一歩も前へ出られない。槍が正面と左右から続けざまに突き出され、一本を払っても、すぐ後ろにもう一本が見える。剣は穂先を弾くためだけに振るわれ、崩しにいく一振りが出せない。靴底が土の上を滑って後ずさる。敵の槍の柄が肩を打ち、受けた剣が弾かれて手の内で回りかけた。指を握り直す間に、次の穂先が胸の高さへ来る。踵が盾の縁に当たった。


 アルの抜けた右が空いていた。そこへ兵の列が斜めに流れ込み、盾の右脇を抜けた敵の一人の剣が後ろへ向かう。肩越しに振り返ると、盾の後ろにリリアが立ったままでいた。位置は変わらない。剣の者との間に、遮るものは何もない。アルの足は盾の前に縫い止められている。


 カリムの外套がガイルの背後から前へ出た。足元の草が根ごと立ち上がり、互いに絡み合って編まれ、盾の右脇からリリアの前までを緑の壁で埋める。突っ込んだ敵の剣が、編み目に取られて止まった。


 額の汗が目に落ちた。拭う手がない。ガイルの息が背中の右側で途切れ、また続いた。押され続ければ、盾も草の壁も、後ろに立つ者もまとめて潰される。喉が貼りついて、唾も出ない。


 左で、列の端が乱れた。左の外から敵の脇腹へ食い込み、尾が兵の腰の高さで跳ねている。短刀が槍を持つ手の下へ潜るたびに、肩と肩の間隔が揃わなくなり、列の継ぎ目が一か所ほつれた。その向こうで、ミュカが振り返った。


「アル、ほどけた! 今!」


 背後で盾が土を叩いた。ガイルが右手だけで縁を掴んで引き上げ、膝を伸ばす。左腕は垂れたままだが、盾の面がアルの背に届く位置まで戻った。


 その盾を背に置いて、ミュカの開けた継ぎ目へ斬り込む。肩を落として槍の下へ潜り、手首を返して柄を握る手を断った。兵がうずくまり、その体を越えて後ろの剣が振り上がる前に、鍔元を叩いて逸らす。崩した場所に、次の兵がすぐには入らない。隣の兵が足を踏み替える間に、胸当ての下へ剣先を入れる。崩れた体を肩で押し退け、横から来た剣を弾き、さらに前へ。踏み込むたびに列が左右へ割れ、後ろへ滑っていた靴底が土を捉えて前へ出た。


 列の奥に、角の大きい一人がいた。槍の穂先を下げ、兵の肩越しにこちらを見ている。距離が詰まる。剣先がその胸の前の空気を切る。あと少しで届く。


 その槍が、真上に上がった。


 足音が揃った。目の前の兵が剣を引いて足を後ろへ送り、両脇の兵も同じ間で続く。列の端から端まで、足が同じ向きに動いた。倒れた仲間の腕を肩に回して抱え起こす者がいる。抱えられた者の足が草を引きずり、その後ろへ、退く者たちの背を守って槍を構えた兵が残る。


 その中の一人だけが、退かなかった。仲間の足音が薄れても、立った場所から動かない。アルの打ち込みを受けて押され、また受け、肩口を裂かれても踏んだ土から靴を離さない。アルが胸を斬り割ると、兵は前へのめり、その場へ膝を折った。


 残った足音が草の向こうへ消えた。押し切った。


 退いたのは、あの槍が上がったからだ。柄を握る指が開かなかった。


 鳥の声は戻らない。草を渡る風の音だけが、耳に入ってくる。街道の土には折れた槍と剣と、抱え出されなかった体が残っていて、目はその上を通り過ぎた。


 柄から指を一本ずつ剥がし、剣を下げる。肺に入る空気に、血と、踏み潰された草の汁の匂いが混ざっていた。脚が震え始める。口の中に鉄の味がした。


 カリムが膝に手をついて背を丸め、息を整えていた。吐く息が長く、吸う息が浅い。外套の裾が泥と草にまみれている。ミュカは短刀を下げたまま、刃先を見ていた。尾の先だけがゆっくり左右に振れている。


 大盾を土に寝かせて腰を下ろしたガイルの脇に、リリアが屈み込んだ。


「腕を出して」


 ガイルが血に濡れた左腕を差し出す。リリアの手が裂け目に重なると、縁が寄って赤みが薄れ、皮が閉じた。ガイルは肘を一度曲げてから伸ばした。


「よく訓練されてる」


「そうだな」


 退いた方角へ顔を向けたまま、アルは答えた。それきり、聞こえるのはカリムの整わない呼吸だけになった。


 追わない、とアルは決めた。向こうは水場を背にしている。こちらの水は、背負ってきたぶんしかない。喉を潤して休める相手を、水袋の底を気にしながら追うことになる。


 日が地平に近づき、街道の土が橙に染まった。風が冷たくなり、草の影が長く伸びて、倒れた者たちの上を覆っていく。ガイルの腕に残る乾きかけた血の跡にも、影が届いた。外套の内側で汗が冷える。


 振り仰ぐと、高みに人影が立っていた。二つ。槍を地面へ立て、こちらを向いたまま動かない。



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