欠陥を〇す
ディランとの模擬戦から、三日が過ぎた。
肩の痛みは薄れ始めていた。
一方で、学院内に広がった話は、まだ消えていない。
魔力を持たないのに、編入試験で優秀な成績を収めた学生。
学力試験では、エレノアに次ぐ二位。
その評価へ、新しく一つの事実が加わった。
ディラン・ヴァルハルトに、手も足も出ず敗れた。
実際には剣を一度届かせているが、勝敗に比べれば些細なことだった。
廊下を歩けば、何人かがレンの姿を見て声を潜める。
「やっぱり、筆記だけなんじゃないか?」
「普通の相手には勝ってただろ」
「ヴァルハルトが本気じゃなかっただけだ」
「身体強化しか使ってなかったらしいぞ」
聞こえていることを、わざわざ知らせる必要はない。
レンは普段と変わらない笑みを浮かべ、話していた学生たちへ挨拶をした。
相手は気まずそうに口を閉じる。
その日の午前の講義を終え、レンが教科書を片づけていると、机の前で誰かが足を止めた。
顔を上げる。
エレノアが、一枚の書類を手に立っていた。
「今日の放課後、時間はある?」
周囲の学生たちが、一斉にこちらを見る。
「エレノア嬢からのお誘いであれば、予定の方を空けましょう」
「まだ内容を言っていないけど」
「聞いてから返事を変えると、打算的に見えてしまいますので」
エレノアはレンの笑顔を見る。
「今の返事も、十分打算的に聞こえるよ」
「これは困りました」
困ったようには見えない顔で、レンは答えた。
エレノアは書類を机へ置く。
表紙には、学院模擬競技会――防護設備点検記録と記されていた。
「昨年の競技会で、訓練場の防護魔石が三回壊れてる。今年は同じことが起きないよう、原因を調べることになったの」
「なぜ、エレノア嬢が?」
「壊れるたびに交換するのは無駄だと言ったら、先生から記録を渡された」
「発言には責任を持てと」
「たぶん、そういうこと」
エレノアは否定しなかった。
「魔術塔からも一人来る。ただ、向こうは術式しか見ないと思う」
「そこで私ですか」
「試験の輸送問題を、魔術だけで解こうとしなかったから。違うところを見てもらった方が、何か分かるかもしれない」
先日の答案を見て、声をかけたらしい。
レンにとっても、競技会で使われる防護術式を知る機会は無駄にならない。
「承知しました。微力ながら、お手伝いいたします」
「そこまで畏まらなくてもいいよ。壊れた理由を考えるだけだから」
「エレノア嬢と放課後を過ごすのです。相応の心構えは必要でしょう」
「仕事の話だけど」
「それでも、私にとっては光栄です」
エレノアは数秒黙った。
「……その話し方には、本当に慣れないね」
「気長にお待ちしております」
「慣れる前提なんだ」
エレノアは書類を持ち上げた。
「放課後、第三訓練場で」
「かしこまりました」
エレノアが教室を出ていく。
姿が見えなくなった直後、近くにいた男子生徒が椅子ごとレンへ寄ってきた。
「お前、いつの間にエレノア嬢とそんな話をするようになったんだ?」
「先ほど、なったばかりですが」
「そういう話じゃない」
「では、どういう話でしょう」
「……もういい」
男子生徒は諦めたように、自分の席へ戻っていった。
放課後。
レンが第三訓練場へ向かうと、エレノアはすでに到着していた。
その隣には、一人の青年が立っている。
青みを帯びた黒髪。
細身の身体。
手には、魔術式が細かく記された数枚の紙を持っている。
セドリック・ヴァイス。
王立魔術塔の後継者。
魔術理論と術式構築において、すでに学院の教師を上回るとも評されている。
対象の周囲にいる五人のうちの一人だった。
セドリックが、レンへ視線を向ける。
「なぜ、彼がいるんだ」
挨拶よりも先に、エレノアへ尋ねた。
「私が呼んだの」
「それは見れば分かる。何をさせるつもりかと聞いている」
「記録を見てもらう」
「彼には魔力がない」
「数字を読むのに魔力は必要?」
「読むだけならね」
セドリックの視線が、レンの胸元へ移る。
アーヴィング家の徽章を一度見てから、顔へ戻った。
「意味を理解できるかは別の話だ」
レンは右手を胸へ添えた。
「お初にお目にかかります。レン・アーヴィングと申します」
「名前は知っている」
セドリックは淡々と答えた。
「先日の学力試験で二位。魔術理論では、設問の不備を考慮すれば最高点」
「覚えていただけたとは光栄です」
「それから、三日前にディランへ敗北した」
「そちらまでご存じでしたか」
「学院中が知っている」
事実を並べているだけの口調だった。
侮蔑を露わにするディランとは違う。
だが、レンを対等に見ていないことは伝わってくる。
エレノアが記録を石造りの台へ広げた。
「戦闘と設備点検は関係ないと思うけど」
「実際に魔術を受けた経験は、多少関係する」
セドリックも書類を置く。
「魔力の動きを感じ取れない者が、何を見ていたのかには興味がある」
歓迎されているわけではないらしい。
レンは二人の間に広げられた記録へ目を落とした。
第三訓練場には、競技用の広い石床がある。
その周囲へ、六つの防護魔石が等間隔に設置されていた。
競技中は魔石同士を術式で繋ぎ、観覧席まで覆う防護壁を作る。
昨年度、そのうち一つが三度にわたって破損していた。
いずれも南西側に設置された魔石だった。
「記録上、魔力の許容量は超えていない」
セドリックが説明する。
「競技中に加わった最大出力も、防護壁の限界より二割ほど低い。術式にも欠損は見つからなかった」
「三回とも、同じ魔石を使用していたのですか?」
レンが尋ねる。
「まさか。破損するたびに新品へ交換している。製造元も別だ」
「術式を構築した方は」
「最初の一度は教師。二度目以降は僕だ」
セドリックの目が僅かに細くなる。
「構築者の技量を疑っているなら、先に言っておく。出力の偏りも、接続の遅延もなかった」
「疑ってはおりません」
「魔力を感じられない君に、疑う材料もないだろう」
「そのとおりです」
レンは笑みを崩さず、記録をめくった。
競技が行われた時刻。
参加者。
使用された武器と魔術。
防護壁へ加わった衝撃。
魔石を交換した時刻。
必要な情報は細かく残されている。
三度の破損に共通しているのは、同じ場所だけではなかった。
「競技場の床を張り替えたのは、昨年ですか?」
レンが尋ねる。
エレノアが別の書類を確かめる。
「競技会の三カ月前になってる」
「以前にも、防護魔石が壊れたことは?」
「記録が残っている五年間では、一度もないよ」
セドリックがレンを見る。
「床と術式に接続はない」
「魔術ではなく、魔石の固定方法が変わっている可能性はありませんか」
「固定具は規格品だ。以前と同じものを使っている」
「確認してもよろしいでしょうか」
セドリックは答えず、訓練場の端を指した。
南西側の防護魔石は、腰ほどの高さがある石柱へ収められていた。
レンは石柱の周囲へ屈み込む。
魔石そのものに、目立った異常はない。
下部の金属板は、四本の留め具で床へ固定されている。
指で押しても動かなかった。
レンは腰から硬貨を一枚取り出し、金属板を軽く叩いた。
短い音が鳴る。
別の箇所を叩く。
先ほどよりも低い。
「何をしているの?」
エレノアが横から覗き込む。
「固定具の下に空間があるようです」
床へ目を近づける。
金属板の端が、石床の継ぎ目と僅かに重なっていた。
張り替えられた床石は、以前よりも一枚ごとの幅が狭い。
石柱の位置は変えず、床だけを張り替えたことで、固定具の片側が二枚の床石へ跨がっている。
「だから何だ」
セドリックが尋ねる。
「こちらを叩いていただけますか」
レンは訓練場の中央を示した。
「どの程度で?」
「防護術式を使わず、床へ傷を残さない程度でお願いします」
セドリックが片手を上げる。
指先に青白い魔力が集まった。
小さな光弾が飛び、訓練場の中央へ落ちる。
鈍い音が響いた。
その瞬間。
レンの前にある金属板が、僅かに震えた。
二枚の床石が別々に揺れ、その上へ固定された金属板へ歪みが生じている。
エレノアも気づいたらしい。
「魔石へ、直接振動が伝わってる?」
「恐らくは」
「それだけで魔石が割れるはずがない」
セドリックが否定する。
「防護魔石は、外部からの衝撃にも耐えられるよう加工されている」
「一度の衝撃であれば、そうなのでしょう」
レンは記録へ目を落とした。
破損が起きた試合は、すべて長時間に及んでいる。
そのうち二試合には、ディランの名があった。
身体強化を用いた踏み込みと、重量のある剣による連撃。
訓練場へ加わった衝撃は、一度ではない。
「試合中、この場所だけ異なる方向から振動を受け続けていたとすれば?」
セドリックは答えなかった。
自分で金属板へ手を置く。
もう一度、光弾を床へ落とした。
目を閉じ、伝わってくる魔力と振動を確かめる。
「……内部の魔力が僅かに乱れている」
「許容量を超えるほど?」
エレノアが尋ねる。
「一度では超えない。だが、この状態で防護壁への衝撃が重なれば、魔石の内部と外側で負荷の方向がずれる」
セドリックは立ち上がった。
「三回とも傷の入り方が違った理由にはなる」
原因は一つではない。
術式から加わる負荷。
床から伝わる振動。
二つが重なり、魔石が耐えきれなくなった。
「固定位置をずらすだけで直る?」
エレノアが尋ねる。
「試してみよう」
セドリックは即座に答えた。
三人で固定具を外す。
石柱そのものを動かすことはできないため、金属板の向きを変え、床石の継ぎ目を跨がない位置で留め直した。
倉庫に残っていた古い革材を、金属板の下へ挟む。
以前も固定具の緩衝材として使われていたものだ。
作業を終えると、セドリックが六つの防護魔石へ魔力を流した。
青白い光が訓練場を囲む。
半透明の壁が立ち上がった。
「先ほどと同じ場所を叩きます」
レンは訓練用の大槌を借り、訓練場の中央へ立った。
左肩にはまだ痛みがある。
右手だけで持ち上げ、床へ振り下ろす。
防護壁が僅かに揺れた。
南西の魔石は動かない。
二度。
三度。
セドリックが出力を上げる。
防護壁の色が濃くなった。
「もう一度」
レンは足へ力を込め、槌を振り下ろした。
重い音が訓練場へ響く。
それでも、固定具から先ほどのような異音は聞こえなかった。
セドリックが魔術を解除する。
「完全とは言えない」
最初に出てきたのは、成功を認める言葉ではなかった。
「術式そのものにも、南西側へ負荷が偏る瞬間がある。固定具を直しても、長時間の試合では蓄積する」
「では、そちらはセドリックが直して」
エレノアが記録用紙へ原因を書き込む。
「固定具については、全訓練場を点検するよう申請を出す」
「簡単に言ってくれるな」
「直せないの?」
「誰に言っている」
セドリックが不機嫌そうに書類を取った。
それから、レンを見る。
「固定具の異常を見つけたことは認める」
「ありがとうございます」
「だが、これは魔術を理解したという意味ではない」
セドリックは防護魔石へ手を置いた。
「君が見たのは、あくまで術式の外側だ。魔力の流れも、石の内部で起きている変化も感じ取れていない」
「おっしゃるとおりです」
「なら、分かっているような顔をしないでもらいたい」
「そのような顔をしていたでしょうか」
「最初からずっとしている」
レンは微笑んだまま、自分の頬へ手を添えた。
「これは生まれつきですので、直すのは難しいかもしれません」
「君と話していると、無駄に疲れるな」
セドリックは書類をまとめる。
「次からは、魔力を扱える者を呼んでくれ」
エレノアが顔を上げる。
「魔力を扱える人たちだけで、一年間原因が分からなかったからレンを呼んだんだけど」
セドリックの手が止まった。
反論はしなかった。
「……今回は、役に立った」
「そうだね」
「ただし、術式設計へ関わる資格があるわけではない」
セドリックがレンへ向き直る。
「この先は僕がやる。君は固定具の点検結果だけをまとめてくれ」
「承知しました」
「随分と素直だな」
「専門家の指示には従います」
「その言葉を、ディランにも言ってやれば喜ぶだろう」
「彼は指示ではなく、退学を勧めてくださいましたので」
セドリックは僅かに眉を動かした。
笑いかけたようにも見えたが、すぐに表情を戻す。
「では、僕は魔術塔へ報告してくる」
エレノアへ一言告げ、訓練場を出ていった。
その背中が見えなくなってから、レンは尋ねた。
「厳しい方ですね」
「自分の専門へ入ってこられるのが嫌なんだと思う」
「随分と広い領地をお持ちのようで」
「魔術塔全体を、自分の机くらいに考えてるから」
エレノアは淡々と答えた。
僅かに口元が緩んでいる。
「でも、間違っていれば直すし、役に立ったものは使う。話が通じない人ではないよ」
「信頼していらっしゃるのですね」
「魔術に関しては」
答えに迷いはなかった。
セドリックがエレノアへ惹かれた理由も、少しだけ分かった。
彼女は魔術塔の後継者という肩書に遠慮しない。
分からないことは尋ね、間違っていると思えば指摘する。
そのうえ、セドリックの能力自体は正しく評価している。
それだけでも、周囲から持ち上げられることに慣れた人間には特別に映るのだろう。
少なくとも、今のやり取りから精神干渉の形跡は見つからなかった。
「これをお願いしてもいい?」
エレノアが、別の記録を差し出した。
過去三年間に行われた競技会の記録だった。
防護壁へ加わった負荷を確認するため、各試合で使用された魔術と発動時刻が記されている。
「参加者なら、競技の内容も知っておいた方が整理しやすいと思う」
「拝見しても?」
「そのために渡したから」
レンは記録を受け取った。
昨年度の上級部門。
第一試合。
第二試合。
準決勝。
決勝。
頁をめくるたび、同じ名前が現れる。
ディラン・ヴァルハルト。
使用した身体強化の種類。
攻撃魔術。
防御へ回した魔力量。
試合が長引くにつれ、どの術式を多く使うようになるのか。
防護設備の記録である以上、すべてが詳細に残されていた。
「三日ほどで返却してもらえればいいよ」
「十分です」
レンは記録を閉じた。
魔術の内側へ入る資格はない。
セドリックの言葉は正しい。
だが、外側から見えるものまで消えるわけではない。
二カ月後に向けて必要なものが、また一つ増えた。




