実力を〇す
学力試験の答案が返却されてから、一週間が過ぎた。
第三学年の学生たちは、学院北側の屋外訓練場へ集められていた。
円形の石床を囲むように、低い観覧席が設けられている。
その中央で、担当教師が今日の授業について説明していた。
「今回は二人一組で模擬戦を行う。勝敗は降参、場外、武器の喪失、あるいは私が続行不能と判断した時点で決する」
訓練場の周囲には、防護術式が張られている。
制服にも衝撃を弱める魔術が施されているが、怪我を完全に防ぐものではない。
「攻撃魔術は中級まで。殺傷力の高い術式と、制御できない広域魔術は禁止する。相手を壊すための授業ではない。そこを忘れるな」
学生たちが、それぞれ指定された相手と訓練場へ入っていく。
レンは列の端で、自分の名が呼ばれるのを待っていた。
魔力を持たないレンにとって、こうした授業は座学よりも目立ちやすい。
魔術を使えない。
それだけで、戦い方は大きく制限される。
それでも編入から一月のあいだ、同じ学生を相手に遅れを取ることはなかった。
攻撃術式の予兆を見る。
相手の詠唱時間を測る。
魔術が完成する前に間合いを詰める。
一度見た術式には、二度目から対処する。
その積み重ねによって、少なくとも授業の中では十分に戦えていた。
「アーヴィング」
教師が名を呼ぶ。
レンが前へ出ると、教師は名簿を確認して眉を寄せた。
「お前の相手だが、今朝になって医務室へ運ばれたらしい。今日は見学に回れ」
「承知しました」
レンが下がろうとしたとき、観覧席から声が上がった。
「俺がやる」
学生たちが、一斉に声の主を見る。
赤みがかった茶色の髪。
鍛えられた長身。
腰には、訓練用としては重い幅広の剣を下げている。
ディラン・ヴァルハルト。
王国軍を束ねる将軍家の嫡男。
昨年度の学院模擬競技会において、上級部門を制した学生でもある。
そして、エレノアの周囲にいる五人の一人だった。
教師が顔をしかめる。
「ヴァルハルト。お前は先ほど終えただろう」
「あんなのは準備運動にもならねえ。まだやれます」
「言葉を慎め」
「事実でしょう」
先ほどの試合で、ディランは開始から十秒もかからず相手を場外へ出していた。
息一つ乱れていない。
「実力差がありすぎる」
「だからいいんじゃないですか」
ディランがレンを睨む。
敵意を隠すつもりはないらしい。
「魔力もねえ奴が、何食わぬ顔で第三学年に混ざってる。そいつが本当にここに立つ資格を持ってんのか、俺が確かめてやる」
周囲が静かになった。
教師の表情が険しくなる。
「編入審査を通過した以上、アーヴィングには受講資格がある」
「紙の上で点を取って、決められた動きしかできねえ人形を転がしただけだろうが」
「ヴァルハルト」
「知識で魔術を語るのと、魔術師を相手にするのは別物だ」
ディランは教師の制止にも構わず続けた。
「戦場で魔力のねえ奴が前へ出りゃ、真っ先に死ぬ。それだけなら勝手だが、そいつを守るために周りまで死ぬんだよ」
声は荒い。
だが、レンをからかっているわけではない。
ディランは本気でそう考えている。
魔力を持たない者は、戦う側には立てない。
誰かに守られるだけの存在だと。
観覧席から、カイルの声が飛んだ。
「ディラン。魔力だけで他人の資格を決めるな」
ディランが皇太子へ顔を向ける。
「殿下。戦場じゃ、魔力のねえ奴から死ぬんです」
「ここは戦場ではない」
「だから今のうちに思い知らせるんでしょうが」
ディランは親指でレンを示した。
「こいつは戦う側じゃねえ。守られる側だってな」
カイルが何かを言う前に、教師が片手を上げた。
「決めるのはアーヴィングだ」
教師がレンを見る。
「断っても評価には影響しない。どうする」
レンへ視線が集まった。
ここで断れば、ディランは自分の主張が認められたと考えるだろう。
それ以上に、学院内へ同じ見方が広がる。
レンは穏やかな笑みを作った。
「せっかくのお申し出です。お願いできますか」
ディランが鼻で笑う。
「あとで泣き言を吐くなよ、魔力なし」
「お気遣い、ありがとうございます」
「誰が気遣ってんだ」
教師が二人の間へ入る。
「ヴァルハルトは攻撃魔術を使うな。身体強化のみ許可する」
「それで十分だ」
条件を制限されたことへ、不満を示す様子もない。
それでも勝てると疑っていないのだろう。
レンは武器台から細身の訓練剣を取った。
ディランも幅広の剣を抜き、石床の中央へ立つ。
観覧席の前列には、カイルとエレノアがいた。
エレノアは何も言わない。
普段より僅かに目を細め、訓練場を見ていた。
「双方、準備はいいな」
レンとディランが剣を構える。
「始め」
合図と同時に、ディランの全身を橙色の光が走った。
床石が鳴る。
一歩で間合いが消えた。
横薙ぎに振るわれた剣を、レンは自分の剣で受け流す。
完全には流しきれない。
腕へ重い衝撃が伝わり、靴底が石床を滑った。
正面から受ければ、それだけで武器を落としかねない。
「どうした!」
ディランが追う。
「逃げるだけか、魔力なし!」
振り上げ。
袈裟斬り。
肩からの体当たり。
一つずつは単純な動きだが、身体強化によって速度と威力が引き上げられている。
レンは剣を合わせなかった。
半歩ずれる。
身体を捻る。
剣先が制服を掠める距離で、攻撃をかわしていく。
橙色の光は、常に全身を覆っているわけではない。
踏み込む直前には脚。
剣を振るう前には腰と肩。
必要な部位へ、順番に魔力が集中している。
光の移動を見れば、次の動きは読める。
五撃目。
ディランの右脚に光が集まった。
レンは踏み込みに合わせて外側へ回る。
幅広の剣が空を切った。
初めて、ディランの横が空く。
レンは訓練剣を返し、その右手首を打った。
硬い音が鳴った。
剣は確かに届いた。
だが、ディランの手首を覆った魔力の膜に阻まれ、武器を落とすまでには至らない。
ディランが僅かに目を見開く。
「チッ」
すぐに身体を回し、肘を振るった。
レンは頭を下げてかわし、距離を取る。
観覧席からどよめきが起こった。
「今、ヴァルハルトに当てたぞ」
「防がれたけどな」
「動きが見えているのか?」
ディランは右手首を一度動かした。
レンが何を見ているのか、理解したらしい。
「目だけは動くらしいな」
ディランの口元が歪む。
「だったら、そいつも潰してやるよ」
再び踏み込む。
今度は右脚に光が集まっても、すぐには動かなかった。
一拍遅れて、左脚が石床を蹴る。
レンの回避方向へ、剣が振り下ろされた。
訓練剣で受ける。
衝撃が両腕を突き抜けた。
そのまま押し負け、レンの片膝が床へつく。
「見えても動けなきゃ意味ねえだろうが!」
ディランは止まらない。
剣を引くと同時に、橙色の光が肩へ移る。
レンは横へ転がった。
直後、ディランの剣が床を打つ。
石床へ細い亀裂が走った。
光る部位と、実際に動かす部位をずらしている。
先ほどまでの順序は、もう使えない。
レンは立ち上がる。
ディランが迫る。
今度は予兆が短い。
脚へ光が走った直後には、すでに剣の間合いへ入っていた。
レンは後ろへ下がりながら剣先を逸らす。
二撃目をかわす。
三撃目を受け流す。
四撃目。
ディランの剣が、レンの左肩を捉えた。
防護術式が白く光る。
衝撃を殺しきれず、レンの身体が横へ弾かれた。
肩から石床へ落ちる。
肺から息が押し出された。
視界の端に、場外線が見えた。
まだ内側にいる。
レンは右手だけで剣を握り直した。
左腕は動く。
ただし、先ほどまでと同じようには上がらない。
ディランは追撃せず、正面へ立った。
「立てよ」
幅広の剣を肩へ担ぐ。
「まさか、もう終わりじゃねえだろうな」
レンが立ち上がる瞬間を狙っている。
橙色の光が薄くなった。
右半身が僅かに開く。
攻撃を終えた直後のように見えた。
だが、呼吸は乱れていない。
握っている剣にも、力が残っている。
誘っている。
レンは立ち上がった。
待てば、いずれ押し切られる。
守り続けても状況は変わらない。
ならば、罠であっても入るしかない。
レンが踏み込む。
ディランの右脇へ、剣先を走らせる。
届く直前。
消えていた橙色の光が、ディランの左脚で弾けた。
開いていたはずの右半身が引かれる。
レンの剣が空を切った。
「馬鹿が!」
幅広の剣が、レンの脇腹へ叩き込まれた。
防護術式が強く明滅する。
身体が宙へ浮いた。
場外線を越え、石床の外へ背中から落ちる。
「そこまで!」
教師の声が響いた。
ディランの身体から、橙色の光が消える。
訓練場は静まり返っていた。
やがて、観覧席のあちこちから声が上がる。
「やっぱり、魔力なしじゃ無理だ」
「少し動けるだけで騒がれすぎたんだろ」
「ヴァルハルト相手では仕方ない」
編入審査。
学力試験。
その二つで上がり始めていたレンへの評価が、一度の敗北で揺らいでいく。
ディランは場外に倒れたレンを見下ろした。
「分かったか、魔力なし」
レンは上体を起こした。
左肩と脇腹が痛む。
防護術式がなければ、骨が折れていただろう。
「これが、お前と魔術師の差だ」
「よく分かりました」
レンは右手を床へつき、立ち上がった。
表情には、いつもの笑みが残っている。
ディランの眉が吊り上がる。
「何をヘラヘラ笑ってやがる」
「そのように見えましたか?」
「数手かわしたくらいで、やれたつもりになるなよ。最後に叩き潰されるなら、最初から何もできねえのと同じだ」
「肝に銘じます」
「だったら実戦課程から消えろ。理論課程にでも引っ込んでろ」
ディランが剣先でレンを示す。
「お前が剣を持ったところで、誰かの足を引っ張るだけだ」
「ご忠告、ありがとうございます」
「なら――」
「ですが、まだ入ったばかりですので」
レンは訓練剣を拾った。
「学ぶ前から諦めるには、少し早いかと思います」
「学んだところで、お前の中に魔力が湧くわけじゃねえだろうが」
「そうかもしれません」
「だったら、さっさと引っ込め」
「それはできません」
穏やかな声だった。
反抗的な態度も見せていない。
それでも、はっきりと拒んでいる。
ディランの目が険しくなる。
「次も同じだ。何度やったって、お前は俺に勝てねえ」
「同じ戦い方をすれば、そうなるでしょうね」
レンは剣を武器台へ戻した。
カイルが観覧席から降りてくる。
「ディラン。勝負はもう終わっている。それ以上続けるな」
「侮辱したつもりはねえ。事実を言っただけだ」
「今日示された事実は、お前が勝ったことだけだ」
カイルの声に怒気はなかった。
「魔力を持たない者すべてが劣るという話は、お前の意見にすぎない」
「勝てねえ奴が、戦場で何の役に立つんだ」
「勝敗と人間の価値を混同するな」
「俺は戦力の話をしてる。人間の価値なんて話を持ち出したのは殿下だ」
カイルがディランを見る。
ディランも目を逸らさない。
「……なら、なおさら一度の授業で進路まで決めるな」
「何度やっても同じだ」
ディランは剣を鞘へ収めた。
「魔力のねえ奴は、最後まで魔力なしだ」
そのまま訓練場を出ていく。
カイルもレンへ声をかけることなく、教師の方へ向かった。
肩入れはしない。
ただし、ディランの考えを認めるつもりもないらしい。
「腕は動く?」
背後から声がした。
エレノアが、場外線の内側へ立っていた。
レンは左腕を上げようとした。
肩の高さへ届く前に痛みが走る。
「少々、難しいようです」
「無理に動かさない方がいい。打撲は、あとから腫れるから」
エレノアはレンの肩を確認したが、直接触れはしなかった。
「医務室で冷やしてもらって。骨にも異常がないか診てもらった方がいいと思う」
「ご心配いただき、ありがとうございます」
「怪我をした人に医務室を勧めただけだよ」
否定するでも、照れるでもない。
エレノアは当然のこととして告げていた。
その視線が、武器台へ戻された訓練剣へ向く。
「最後の隙が罠だとは、気づいてた?」
「ええ」
「それでも入ったんだね」
「待っていても、押し切られるだけでしたので」
「それなら、あの判断になるか」
エレノアは訓練場の中央を見る。
「ディランは、一度読まれた動きをそのまま繰り返さない。力が強いだけなら、もっと戦いやすいんだけど」
「よくご存じなのですね」
「一年以上、授業で見てるから」
エレノアの視線が、レンへ戻る。
「最初の型だけなら、ほとんど読めていたね」
「途中からは、まるで見えなくなりました」
「でも、魔力を持たない人がディランの手首まで剣を届かせたのは初めて見た」
それは慰めではない。
エレノアは見たものを、そのまま口にしているだけだった。
「負けたこととは、分けて考えていいと思う」
「それは、光栄です」
レンが微笑む。
エレノアはその顔を数秒見たあと、医務棟の方角を指した。
「医務室は、あの建物の一階。次の講義まで時間はあるから、今のうちに行った方がいいよ」
「そういたします」
「では、またあとで」
エレノアはそれだけ言い、訓練場を離れていった。
呼び止める理由はない。
レンも教師へ断りを入れ、医務室へ向かった。
翌日。
実戦課程の掲示板に、二カ月後の学院模擬競技会について告知が張り出された。
上級部門。
武器と魔術の使用が認められ、学年を問わず参加できる。
昨年度優勝者――ディラン・ヴァルハルト。
受付台には、参加申込書が置かれていた。
レンは一枚を取り、自分の名を書く。
締切箱へ入れようとしたところで、横から手が伸びた。
ディランだった。
「昨日あれだけぶちのめされて、まだ懲りねえのか」
「参加資格に、魔力についての条件はありませんでしたので」
「本戦は昨日の遊びとは違う。攻撃魔術も飛んでくる」
ディランが顔を寄せる。
「次は、場外で寝転がるだけじゃ済まねえぞ」
「承知しています」
「なら好きにしろ。恥をかくのはお前だ」
レンは申込書を箱へ落とした。
「同じ戦い方をすれば、そうなるでしょうね」
立ち去ろうとしていたディランの足が止まる。
「何を変えたところで同じだ」
振り返り、レンの胸元を指す。
「その空っぽの身体に、魔力が湧くわけじゃねえ」
「それを確かめるための競技会でもあるのでしょう」
「二カ月後、もう一度叩き潰してやる」
ディランは吐き捨てるように告げ、踵を返した。
レンはその背中を見送る。
昨日の敗北は、紛れもない事実だった。
魔力によって引き上げられた速度。
武器を通さない防御。
予兆を偽り、途中で切り替えられる強化の順序。
それでも、ディランが魔力を切り替える瞬間は見た。
防御を厚くした部位。
逆に、魔力が薄くなった場所。
動きの順序を変える際に生じた、僅かな遅れ。
肩には、まだ痛みが残っている。
だが、次の対戦までには二カ月あった。




