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今日も俺は異世界人を◯す  作者: あさきすと
〜魔物の国編〜
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56/71

原石を○す


翌朝。


王城へ向かうため新生院の玄関へ下りると、ルルカはすでに待っていた。


目の下には、薄い隈がある。


「眠れなかったのか」


「寝たニャ」


「そうか」


「……もうちょっと疑うところニャン」


「本人が寝たと言っている」


「お前、そういうところだけ素直に信じるニャ……」


声にはいつもの調子が戻っている。


だが、縞模様の尾は床へ垂れたままだった。


昨日集められた三十人の新生者のうち、《原石》を見に来たのは八人。


人間用の結婚指輪を首から下げた鱗人の男もいる。


腕に羽毛の生えた女は来なかった。


見たくない者がいても不思議ではない。


自分の身体を奪った道具を見たところで、元へ戻れるわけではない。


八人は二台の馬車へ分かれて乗り、王城へ向かった。


道中、誰も口を開かなかった。


          ◇


王城では、昨日と同じ検査が行われた。


レンは短剣と細い刃を二本。


針。


鋼線。


薄刃。


すべてを机へ置く。


「今日は隠してないニャ?」


「昨日も隠していない」


「最初から隠す場所に入れてるニャン」


「出せと言われたから出した」


「悪いことをしてないみたいに言うなニャ」


武器を預け、城の中へ入る。


昨日の謁見で使った廊下を途中で曲がり、王城の奥へ進んだ。


窓は少ない。


進むほど壁が厚くなり、外から聞こえていた街の音が消えていく。


三つ目の鉄扉を抜けた先に、地下へ続く階段があった。


巨人族でも通れるほど幅が広い。


天井も高く作られている。


降りるたびに気温が下がり、代わりに湿った石と鉄の匂いが強くなった。


「……今、階段の数を数えてるニャ?」


隣を歩くルルカが、小声で尋ねた。


「暇だからな」


「暇だから二百段以上も数える奴、初めて見たニャン」


「今ので二百三十一段だ」


「本当に数えてたニャ……」


階段は二百五十六段で終わった。


その先には、長い地下通路が続いている。


十五歩ごとに魔石灯。


通路の左右には一定間隔で扉があり、その前には必ず二人以上の兵士が立っていた。


鉄扉を四つ。


魔法による封印を二つ。


最後に、巨人族の背丈を超える黒い扉が現れる。


扉の中央には、円を四つ重ねた紋章が刻まれていた。


魔導技師らしい灰色の外套を着た男が、紋章の中央へ手を置く。


四つの円へ順番に赤い光が走った。


低い音を立て、扉が左右へ開いていく。


先に届いたのは音だった。


ドクン。


ドクン。


一定の間隔で響く、重い音。


巨大な生き物の心臓が、壁の向こうで動いているように聞こえた。


扉が完全に開く。


赤い光が、地下通路へ差し込んだ。


          ◇


王城の地下には、建物一つが収まるほどの空洞が広がっていた。


天井は見えない。


黒い岩壁には無数の魔石灯が埋め込まれ、淡い光が星のように浮かんでいる。


その中央に、《原石》があった。


高さは三メートルを超えている。


人間側で触れた転生石と同じ、光を反射しない黒い表面。


内部には、赤い筋が何百本も走っていた。


集まり。


枝分かれし。


石全体を巡ったあと、再び中央へ戻っていく。


ドクン。


赤い光が脈打つ。


僅かに遅れて、レンの胸の奥でも心臓が跳ねた。


隣にいた鱗人の男が、胸を押さえる。


ほかの新生者も同じだった。


《原石》は、四つの巨大な金属の環に囲まれている。


環は石へ触れていない。


それぞれ異なる高さで浮かび、ゆっくりと回転していた。


環の外側からは太い管が伸び、空洞の四方にある壁の中へ消えている。


石の下には円形の水路があった。


透き通った水が絶えず流れ、赤い光を映している。


水路の先は、岩壁の下に開いた四つの穴へ続いていた。


そのうち西側の穴から、外へ向かう水音が聞こえる。


地上で見た、王城西側へ集まる水路。


ここへつながっていたらしい。


「近づいても構わない」


声が響く。


《原石》の反対側に、グラウゼンが立っていた。


今日も人に近い姿をしている。


黒い服。


額から伸びる二本の角。


首筋と手の甲を覆う鱗。


その隣には、白い角を持つ技師長と、六人の近衛兵が並んでいた。


「ただし、環の内側へは入るな。今は戦いに備えて力を蓄えている」


新生者たちが、ゆっくりと《原石》へ近づく。


レンも周囲に合わせて歩いた。


石の表面へ近づくほど、耳の奥で響く鼓動が大きくなる。


《原石》の赤い筋と、グラウゼンの胸の鼓動。


二つの間隔は完全に一致していた。


「これが、俺たちを変えたのか」


鱗人の男が尋ねる。


「正確には、そこから切り出した石だ」


グラウゼンが《原石》へ手を向ける。


赤い光の一部が集まり、男の掌を追うように動いた。


「《昇華》は、もともと俺自身の力だった。それを俺以外の者でも使えるよう、身体から切り離した」


「どうやって?」


若い角人の男が尋ねる。


「最初に折れた角と、血、それに魔力核の一部を使った」


ルルカが思わず自分の額へ触れる。


「痛そうニャ……」


「二度とやりたくはないな」


グラウゼンが僅かに笑う。


「だったら、お前を殺せば、この石も止まるのか」


鱗人の男が低い声で尋ねた。


近衛兵たちの視線が一斉に集まる。


それでもグラウゼンは表情を変えなかった。


「止まらない」


《原石》の表面へ、黒い爪を立てる。


「一度切り離した時点で、これは俺とは別の魔力核になった。俺が死んでも、蓄えられた力と変化の記録は残る」


「なら、お前を殺しても元には戻らない?」


「戻らない」


男の尾が、床を強く叩いた。


「何でそんなものを作った」


「俺一人の力では、変えられる数に限界があったからだ」


グラウゼンが手を離す。


その瞬間、石の中にあった赤い光が大きく脈打った。


「《原石》は、触れた人間の身体を読み取る。元の身体と、変化したあとの身体。その両方を記録し、次の《昇華》へ使う」


壁際には、何百枚もの薄い石板が並んでいた。


一枚ごとに番号が振られている。


人間だった頃の年齢。


性別。


身体の状態。


変化後の種族。


《昇華》に必要だった魔力。


発生した異常。


そのすべてが記録されているらしい。


幼児。


老人。


病人。


腕や脚を失った者。


石は、兵士だけを変えるために作られたものではない。


あらゆる人間を別の種族へ変えるため、異なる身体の記録が集められていた。


「元の身体も記録されてるのかニャ?」


ルルカが技師長へ尋ねる。


「はい」


「だったら、その記録を使って元へ戻すことはできないのか?」


声から、猫の語尾が消えていた。


技師長はすぐに答えなかった。


並んでいる石板へ目を向ける。


「《昇華》は、身体をより魔力へ適応した形へ作り替える力です。同じ道を逆へ辿る方法は、今のところ見つかっていません」


「今のところ?」


「元の身体の記録が残っている以上、永遠に不可能だとは言い切れません」


ルルカの耳が立つ。


「なら――」


「期待させるような言い方はするな」


グラウゼンが遮った。


技師長が頭を下げる。


「少なくとも、俺には戻せない。今ここにあるのは、可能性ではなく記録だけだ」


ルルカは《原石》を見上げた。


赤い光が、その緑色の瞳へ映り込んでいる。


僅かな可能性。


今は使い道のない記録。


それでも、元の身体へ戻りたい者にとっては、捨てられないものになる。


「壊せばいい」


鱗人の男が言った。


「これ以上、俺たちと同じ目に遭う奴が出ないように」


男が環の内側へ踏み出そうとする。


近衛兵が腕を掴み、その場へ止めた。


「放せ!」


「壊すこと自体は難しくありません」


技師長が静かに言う。


「しかし、今の《原石》には数万人を《昇華》させるだけの力が蓄えられています」


男の動きが止まる。


「この状態で本体を砕けば、蓄えられた力が制御されないまま放出されます。誰が、何へ変わるかも分かりません。身体が変化へ耐えられず、命を落とす者も出るでしょう」


「どこまで届く」


「少なくとも、この王城と周辺の街区は巻き込まれます」


近衛兵が男を環から遠ざける。


グラウゼンは、その様子を黙って見ていた。


「蓄えた力を使い切ったあとなら?」


レンが尋ねる。


技師長の視線が向けられる。


「それでも危険です。《原石》自体が魔力を生み続けるため、先に四つの制御環を停止させる必要があります」


浮かんでいる四つの環。


それぞれの外側に、細長い金属の杭が十二本ずつ差し込まれている。


「一つずつ止めるのか」


「同時です」


「ずれた場合は?」


「石の中で魔力の流れが偏ります。僅かなずれなら、調整できますが――」


技師長が言い終える前に、低い金属音が響いた。


四つある環のうち、西側の一つだけが僅かに遅れる。


赤い光の一部が環の手前で滞り、細い筋となって石の内部を逆流した。


「西環、遅延!」


壁際の技師が声を上げる。


技師長がすぐに制御台へ向かった。


環の外側へ差し込まれた杭の一つを、半回転させる。


別の技師が、水路脇にあるレバーを下げた。


流れる水の量が増える。


数秒後。


遅れていた環が速度を上げ、ほかの三つと動きを揃えた。


「申し訳ありません」


技師長がグラウゼンへ頭を下げる。


「充填量が昨日より増えたため、調律がずれたようです」


「許容範囲だ」


グラウゼンが答える。


「今日中に合わせておけ」


「はい」


レンは西側の環を見る。


異常が起きても、《原石》そのものは止まらなかった。


魔力の流れが偏り、一部だけが遅れた。


調整に使われたのは、金属の杭と水量。


どちらも魔法を使わず動かせるものだった。


「この四つの環は、何のためにあるニャ?」


ルルカが尋ねる。


「《原石》の力を四方向へ分けるためです」


技師長が、空洞の端に置かれた台へ手をかざす。


台の上へ、光で描かれた地図が浮かび上がった。


ノアと人間側の国境。


その中央にある広い平原。


平原を囲むように、四本の黒い柱が描かれている。


「戦場には、原石から力を受け取るための導石が四つ設置されています」


地図の上で、王城と四本の導石が赤い線でつながる。


「黒竜王陛下が中央へ立ち、四つの導石へ同時に魔力を通すことで、その内側にいる人間を《昇華》させます」


「王城から直接できないのか」


角人の男が尋ねた。


「距離が遠すぎます。それに、《昇華》する対象を見分けるためには、陛下自身が近くにいる必要があります」


「つまり、陛下も戦場へ行くニャ?」


「ああ」


答えたのはグラウゼンだった。


「人間軍が平原へ入ったあと、俺が中央で《原石》と導石をつなぐ」


ルルカがグラウゼンを見る。


「その間に攻撃されたら?」


「すべて終わるまで、百を数えるほどだ」


「攻撃されるニャン」


「最初の波が届けば、前列から順に武器を持てなくなる」


「でも、後ろから撃たれるニャ」


グラウゼンは光の地図へ目を向けた。


人間軍の後方には、大型の弩と魔導兵器を示す印が並んでいる。


偵察によって、すでに配置まで把握しているらしい。


「二度目を撃つ前には、後方まで《昇華》が届く」


「一度目は?」


「受ける」


「危ないニャ!」


「これまでにも受けている」


「今回は人間の国が全部集まってるニャン!」


ルルカが詰め寄る。


グラウゼンは困ったように息を吐いた。


「始めたあとも、危険だと判断すれば中断できる」


「本当ニャ?」


「ああ。導石との接続を切ればいい」


ルルカは納得していない顔をしていた。


それでも、それ以上は言わなかった。


レンは地図を見た。


人間軍が持ち込んでいる大型の弩。


竜の身体を地面へ縫い止めるための、鎖つきの杭。


複数の魔術師が同時に扱う攻撃術式。


一つでは、グラウゼンの鱗を破れない。


飛んでいる竜を捉えることも難しい。


だが、《昇華》を使っている間、グラウゼンは平原の中央から動けない。


四つの導石との接続を保つため、魔力も使い続ける。


人間軍が二度目を撃つ前に全員変わる。


グラウゼンは、そう考えている。


ならば、二度目を撃てる者を残せばいい。


三度。


四度。


動けない竜へ、同じ場所から攻撃を続けさせる。


問題は、グラウゼンが途中で《昇華》を止められること。


攻撃に耐えられないと判断すれば、飛び去ればいい。


それを止める方法が必要だった。


「レン」


グラウゼンに名前を呼ばれる。


考えることを止め、顔を上げる。


「何を見ている?」


「仕組みだ」


「壊し方ではなく?」


周囲の視線が集まる。


ルルカの耳が小さく動いた。


レンは《原石》を見る。


「壊したいと思う者へ見せているんだろ」


「ああ」


「なら、そう見る者がいることも分かっているはずだ」


「その通りだ」


グラウゼンは愉快そうに笑った。


近衛兵たちだけは、笑っていない。


「壊せると思うか?」


「形があるものは壊せる」


「俺もか」


「死なない生き物はいない」


広間の空気が僅かに変わる。


近衛兵の一人が、レンへ身体を向けた。


グラウゼンが片手を上げる。


「構わない」


赤金色の瞳が、レンを見つめる。


「人間だった頃、俺も同じように考えていた」


「何をだ」


「どれほど大きなものにも、終わりはある」


一瞬だけ。


グラウゼンの表情から、王としての穏やかさが消えた。


冷たい蛍光灯。


白い壁。


机を挟んで座る、何人もの人間。


差し出した書類を、誰も受け取ろうとしない。


そんな、この世界には存在しない景色を見ているような目だった。


だが、すぐに元へ戻る。


「だから、俺が死んだあとも国が残るようにした。《原石》も、その一つだ」


今の短い沈黙が何だったのか。


誰も尋ねなかった。


          ◇


見学の最後に、《原石》の充填量を確認する作業が始まった。


四つの環が一度止まり、技師たちが金属の杭を順番に調整していく。


東。


北。


西。


南。


一つの環を動かすたび、別の環が僅かに速度を変える。


すべてが独立しているわけではない。


四つで一つの流れを作っている。


西側の環だけを遅らせれば、対応する導石へ力が届く時刻もずれる。


止める必要はない。


ほかの三つと動いているように見せたまま、僅かに遅らせればいい。


先ほど異常が起きたときも、警報が鳴るまで数秒かかった。


戦場までの距離を考えれば、その遅れはさらに大きくなる。


人間軍の一部が《昇華》を免れる時間を作れる。


「充填率、八割七分」


技師の声が響く。


「明日の夜には完了します」


「予定どおりだ」


グラウゼンが答える。


鱗人の男が、《原石》を睨んでいる。


「これを使ったあとも、元の身体の記録は残るのか」


「残る」


「いつか戻せるかもしれない?」


グラウゼンは男を見る。


「約束はできない」


「ゼロじゃないんだな」


「記録がある。それ以上のことは言えない」


男は首から下げた指輪を握った。


先ほどまで《原石》を壊そうとしていた手だった。


今は、壊すことを迷っている。


それだけで、この石を守る理由が一つ増える。


すべての人間を変える道具。


同時に、元の身体へ戻る唯一の手掛かり。


残すにしても、壊すにしても、誰かの望みを踏みにじる。


レンにとっては関係のないことだった。


《原石》は異世界から持ち込まれた力を、グラウゼンから独立して動かし続けている。


処分する理由は、それで十分だった。


見学を終え、新生者たちは地下通路へ戻る。


扉が閉じる直前。


レンは、もう一度《原石》を見た。


四つの制御環。


西側の調律杭。


下を流れる水路。


グラウゼンと同じ間隔で脈打つ赤い光。


必要なものは見た。


          ◇


王城を出ると、街の空気が昨日までとは変わっていた。


軍用の荷車が大通りを埋めている。


工房では槍ではなく、大型弩の矢が作られていた。


翼人が命令書を抱え、王城と各兵舎の間を飛び交っている。


人間軍の侵攻が、住民にも知らされたらしい。


店先では食料を買い込む者が列を作り、広場では避難場所を知らせる札が立てられていた。


それでも、混乱はない。


誰が何を運ぶのか。


どの種族が、どこへ避難するのか。


すでに決められている。


グラウゼンがいなくても動くよう、国全体へ仕組みが作られていた。


「明日の昼、新生支援隊が戦場へ出るニャ」


ルルカが言った。


「お前も行くのか」


「あたしは案内役だからニャン」


「変えられた兵士を案内する?」


「何万人も一度に目を覚ますニャ。何が起きたか説明する奴が必要になる」


ルルカは大通りを進む荷車へ目を向けた。


毛布。


水。


身体の大きさに合わせた何種類もの衣服。


新生者を拘束するための縄も積まれている。


「暴れる人もいる。泣く人もいる。自分の身体を見て、死のうとする人もいるニャン」


「それでも行くのか」


「身体を変えられる人たちが、悪いわけじゃないからニャ」


迷いのない答えだった。


グラウゼンの決断へ納得できなくても、変えられる者を見捨てるつもりはない。


「お前は王都に残るニャン」


「そうか」


「勝手についてきたら駄目ニャ」


「ああ」


「……随分と素直だニャン」


「普段から素直だ」


「それは絶対に嘘ニャ」


ルルカが疑うように顔を覗き込む。


レンの尾は、自然に揺れていた。


止める必要はない。


考えていることを、尾へ流さない方法もすでに覚えている。


人間軍は、グラウゼンを殺すための武器を持ってくる。


足りないのは、それを当てる時間だけ。


《昇華》が人間軍の後方へ届く時刻を遅らせる。


グラウゼンを平原の中央へ留める。


人間の攻撃で鱗を破らせる。


そのあとで、グラウゼンと《原石》を処分する。


レン自身の刃で、黒竜の鱗を貫く必要はない。


人間も、異種族も、互いを殺すための準備を進めている。


その間へ、僅かなずれを作ればいい。


レンは歩きながら、王城西側へ続く水路へ目を向けた。

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