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今日も俺は異世界人を◯す  作者: あさきすと
〜魔物の国編〜
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55/73

人間達を○す


王都へ到着してから、謁見までの二日間。


レンはルルカに連れられ、王都の街区を一通り見て回った。


市場。


工房街。


新生者が仕事を探すための紹介所。


異なる種族同士の争いを裁く連合庁。


ルルカは案内役らしく、それぞれの場所を丁寧に説明した。


レンも聞いてはいた。


だが、見ていたのは別のものだった。


王城へ物資を運ぶ荷車は、朝の二度目の鐘が鳴ったあと、東側の通用門へ集まる。


荷台と車輪は調べられるが、御者の確認は顔と通行証だけ。


城壁の上には昼夜を問わず見張りが立ち、日が沈む鐘に合わせて二人一組で交代する。


地上を走る水路は王城の西側へ集まっていた。


城壁の手前で鉄格子の下へ潜り、その先は地下へ続いている。入口には術式が刻まれ、水路の上にも兵士が二人配置されていた。


どれも尋ねる必要はない。


荷車の流れを見れば、使われる門は分かる。


交代する兵士の足音を聞けば、巡回の間隔も測れる。


水の流れる向きと、地下から返ってくる音を拾えば、見えない水路のおおよその形まで推測できた。


「こっちは翼人の居住区ニャ!」


ルルカが前方を指差す。


細長い建物の屋上に、色の違う旗が並んでいた。


「風向きと、着陸していい場所を知らせてるニャン。赤い屋根は立入禁止だから、勝手に降りたら怒られるニャ」


「そうか」


返事をしながら、レンは屋根の高さを目で測った。


城へ近づくほど建物は高くなっている。


屋根伝いに進めるのは途中まで。


最後には、翼を持つ種族でなければ越えられない距離が残されていた。


「次は大市場へ行くニャ。王都で一番大きい魚屋が――」


ルルカが途中で足を止めた。


数歩進んでから、レンも止まる。


振り返ると、ルルカが半眼でこちらを見ていた。


「どうした」


「それは、あたしの台詞ニャ」


縞模様の尾が、疑うように左右へ揺れる。


「お前、さっきから店より王城ばっかり見てるニャン」


「珍しい形をしている」


「昨日も見てたニャ」


「昨日とは場所が違う」


「そこまで細かく見比べるものかニャン?」


「人による」


ルルカはレンの顔を覗き込んだ。


続いて、動きを止めている黒い尾へ目を向ける。


「……お前、何か邪なこと考えてないかニャ?」


「考えていない」


「今、一瞬だけ間があったニャン」


「なかった」


「尻尾も止まってるニャ」


レンは意識して、尾を一度だけ動かした。


ルルカの耳が勢いよく立つ。


「今、わざと動かしたニャン!」


「動けと言ったのはお前だ」


「自然に動かせって意味ニャー!」


ルルカの声に、近くを歩いていた者たちが振り返る。


レンは何事もなかったように歩き始めた。


「大市場へ行くんだろ」


「話を終わらせるなニャ!」


追いかけてくる足音を聞きながら、レンは再び王城へ目を向ける。


外壁には、一定の間隔で魔石が埋め込まれていた。


近づいたときだけ、猫人の毛がわずかに逆立つ。


侵入者を感知するための術式だろう。


空からも、屋根からも、水路からも容易には近づけない。


少なくとも、正面以外から一人で入り込める城ではなかった。


          ◇


謁見の日。


王城の正門前には、新生者を乗せた馬車が各地から集まっていた。


集められた新生者は三十人ほど。


姿も種族も異なるが、全員が胸元へ青い布を留めている。


城内へ入るまでに、三度の検査が行われた。


最初は身元と通行証。


次に武器と荷物。


最後は、魔道具と身体へかけられた術式の確認。


レンは腰の短剣を外した。


上着の内側にある二本の刃。


靴底の針。


袖口の鋼線。


襟の裏へ隠した薄刃まで、すべて机へ並べる。


検査を担当していた犬人の兵士が、無言で数を確認した。


「今日は随分と素直ニャ」


隣にいたルルカが言う。


「城の決まりに従っているだけだ」


「普段からそのくらい素直なら、あたしも苦労しないニャン」


最後の検査を終え、重い門をくぐる。


武器は一つも残っていない。


その状態で、レンは城内の兵士の数と立ち位置を記憶していった。


正門の内側に十二人。


中庭に弓兵が八人。


建物へ入る扉の左右に、全身を銀色の鱗で覆った兵士が一人ずつ。


誰も無駄話をしていない。


目線も動きも統一されている。


人間側の街で見た、数だけを集めた兵士とは違う。


長い廊下を進み、大きな両開きの扉の前で止まる。


「この先が謁見の広間ニャ」


ルルカがレンの胸元にある青い布を直した。


「陛下から聞かれたことには、正直に答えるニャン。無理に頭を下げる必要はないけど、失礼なことを言ったら駄目ニャ」


「失礼かどうかは誰が決める」


「普通に考えれば分かるニャン」


「普通は人によると言っていただろ」


「そういうところニャ!」


扉の前にいた兵士が、わずかに口元を緩めた。


ルルカは恥ずかしそうに耳を伏せる。


「もう喋るなニャン」


「まだ何も言っていない」


「これから言いそうだから止めてるニャ」


扉が開く。


冷たい空気が廊下へ流れ出てきた。


広間は、城の外から想像していたより簡素だった。


床も壁も黒い石。


金や宝石を使った装飾はない。


代わりに、壁の高い位置へ大きな旗が掲げられている。


様々な種族の紋章を、一つの円で囲んだ旗。


多種族連合国ノアの国旗らしい。


部屋の奥には、幅の広い石段がある。


その上に置かれているのは、黒い椅子が一つだけ。


左右へ並ぶ護衛は十二人。


狼に似た頭を持つ者。


四本の腕を持つ巨人。


全身を白い甲殻に覆われた者。


どれも通常の種族より一回り大きく、身体から感じる圧も強い。


《昇華》を受けた上位種。


ヴァンが話していた近衛兵だろう。


新生者たちは広間の中央へ並ばされた。


案内役は、その少し後ろへ立つ。


レンの背後にはルルカがいる。


扉が閉じられた。


しばらくして、広間の奥から重い足音が響く。


近衛兵たちが一斉に胸へ拳を当てた。


現れたのは、巨大な黒竜ではなかった。


人に近い姿をした男。


背丈は二メートルを超えている。


長い黒髪。


額から後方へ伸びる二本の角。


首筋と両腕には、黒い鱗が浮かんでいた。


赤金色の瞳だけは、空で見た黒竜と同じだった。


黒竜王グラウゼン。


男は石段を上ったが、用意された椅子には座らなかった。


新生者たちと同じ高さまで下りてくる。


レンは呼吸を変えず、その身体を見る。


人の姿になっても、すべての鱗が消えるわけではない。


喉。


胸元。


手の甲。


急所となる場所には、薄く鱗が残っている。


服の下までは分からない。


歩き方に隙はある。


だが、それは無防備なのではなく、周囲を警戒する必要がない者の歩き方だった。


今ここで飛びかかっても、近衛兵に届く前に止められる。


仮に通り抜けても、素手で鱗を破る手段がない。


グラウゼンは新生者たちを一人ずつ見た。


怯えて目を逸らす者。


睨み返す者。


深く頭を下げる者。


レンと目が合ったときも、特別な反応は見せなかった。


「よく来た」


低い声が広間へ響く。


大声ではない。


それでも、壁全体が微かに震えたように聞こえた。


「歓迎する、とは言わない。望んでここへ来た者ばかりではないことは分かっている」


グラウゼンが周囲を見渡す。


「この国の決まりを話す前に、先に伝えておくことがある」


短い間を置く。


「俺は、別の世界から来た」


新生者の何人かが顔を上げた。


案内役や近衛兵は反応しない。


ルルカの耳も動かなかった。


ノアでは隠されている話ではないらしい。


「元いた場所では、俺も人間だった」


広間がざわめく。


グラウゼンは構わず続けた。


「世界の名は地球。そこで死に、この世界へ黒竜として生まれ直した」


レンの疑いが、事実へ変わる。


言葉。


街の構造。


統一された規格。


衛生、物流、文字教育。


そして、ノアという国名。


偶然ではなかった。


「ノアという名も、地球にあった物語から取った」


若い角人の男が、恐る恐る手を上げた。


「どんな物語ですか?」


「あらゆる生き物を、大洪水から守るために作られた方舟の話だ」


「それで、いろんな種族を……?」


「ああ」


グラウゼンは短く頷いた。


「もっとも、俺の方舟は水に浮かない。敵も多い。物語ほど綺麗なものではないがな」


誰も笑わなかった。


グラウゼン自身も、冗談として言ったわけではないらしい。


鱗に覆われた手を持つ男が、一歩前へ出た。


首から下げた革紐には、人間用の結婚指輪が通されている。


「だったら、俺たちがどう思うかも分かるはずだ」


声が震えていた。


恐怖ではない。


怒りを抑えている。


「人間だったなら、こんな姿へ勝手に変えられることが、どういうことか分かるだろ」


「ああ」


「なら、なぜ何も知らせなかった」


「知らせれば、石へ触れる者がいなくなるからだ」


迷いのない返答だった。


男の顔が歪む。


「騙したと認めるのか」


「認める」


グラウゼンが男を真っ直ぐ見る。


「同意を得たとは思っていない。お前の身体を、俺が意思に反して変えた」


広間から音が消えた。


ルルカが以前口にした言葉を、グラウゼン自身が否定した。


石に触れたことは、姿を変えることへ同意した証明にはならない。


「元に戻せ」


男が言う。


「できない」


「お前の力なんだろ」


「俺自身にも戻せない。一度《昇華》した身体は、それが新しい身体になる」


男が拳を握る。


鋭く伸びた爪が、手のひらへ食い込んでいた。


近衛兵は動かない。


グラウゼンも止めなかった。


「俺には妻がいる」


男が首から下げた指輪を握る。


「人間の街で、俺が帰るのを待っている。こんな姿で帰って、信じてもらえると思うか?」


「思わない」


「なら、どうしろっていうんだ」


「俺に答えを決める権利はない」


「身体は勝手に決めたくせにか?」


「ああ」


乾いた音が響く。


男が床を殴っていた。


近衛兵の一人が僅かに動いたが、グラウゼンは片手で制した。


男はそれ以上何も言わず、俯いたまま元の場所へ戻る。


次に、腕へ羽毛の生えた女が口を開いた。


「私たちは、自由だと聞きました」


「ノアへ残るか、出ていくかは選べる。軍へ入る義務もない」


「でも、人間には戻れない」


「ああ」


「それを自由って呼ぶんですか?」


グラウゼンはすぐには答えなかった。


「呼ばない」


静かな声だった。


「俺が与えたのは、身体を奪ったあとの選択肢だ。最初から自由であったとは言えない」


謝罪はしない。


許しも求めない。


ただ、自分がしたことを言葉だけで正当化するつもりもないらしい。


「《昇華》は、身体だけを変えるのか」


レンが尋ねた。


グラウゼンの赤金色の瞳が向けられる。


「身体と魔力だ」


「記憶や意思は?」


「変わらない」


「人間だった者の憎しみも?」


「消えない」


「なら、姿を変えたところで、お前へ従うとは限らない」


「従わせるための力ではない」


グラウゼンの答えに迷いはなかった。


「記憶も、考えも、怒りも残る。俺を憎み、この国を出ていく者もいる。人間側へ戻ろうとする者も、武器を向ける者もいる」


「それでも続けるのか」


「続ける」


グラウゼンは石段の前へ立った。


「俺がこの世界へ来た当初、人間を滅ぼそうとは考えていなかった」


黒い鱗に覆われた指が、ゆっくりと握られる。


「作物の育て方を教えた。井戸を清潔に保つ方法を伝えた。物資を早く運ぶための道と荷車を作った。暮らしに余裕ができれば、他種族から奪う必要もなくなると思っていた」


レンが人間側の街で見た景色とは、正反対のものだった。


「実際に、飢える者は減った。病で死ぬ子供も減った」


「成功したんじゃないのかニャ?」


背後から、ルルカの声が聞こえた。


グラウゼンが彼女を見る。


「成功した。だから人間の国は、以前より多くの兵士を養えるようになった」


ルルカの耳が横へ倒れる。


「余った作物は軍へ送られた。整えた道で、武器と兵士が運ばれた。衛生を広めた街では人口が増え、その分だけ徴兵される者も増えた」


「知識を教えたせいで、人間が強くなった?」


「ああ。薬を運ぶために作った荷車で、奴隷にされた獣人が運ばれてきたこともある」


グラウゼンの声は変わらない。


怒鳴りもしない。


過去の事実を、一つずつ並べているだけだった。


「一度、人間と異種族が同じ法の下で暮らす街を作った。土地を持つ権利も、商売をする権利も、種族に関係なく認めた」


「その街は?」


レンが尋ねる。


「人間の連合軍に焼かれた」


広間の空気が重くなる。


「異種族へ協力した人間は、裏切り者として処刑された。生き残った異種族は、報復として近くの人間の村を襲った」


グラウゼンが目を伏せる。


「人間だけが約束を破ったとは言わない。異種族も、憎しみに任せて何度も人間を殺した」


十二回の使節。


七度の停戦。


種族の違う子供を同じ場所で育てる試み。


捕虜の交換。


互いの街へ監視役を置く取り決め。


続いたものは一つもなかった。


人間側が先に破った約束もある。


異種族側が報復を止められず、崩れた停戦もある。


「それでも、人間の国には共通するものがあった」


グラウゼンが顔を上げる。


「土地を持てるのは人間だけ。爵位を継げるのも人間だけ。人間以外との契約は、法の保護を受けない。異種族を殺しても、同じ罪には問われない」


「すべての人間が、そう考えているわけじゃない」


羽毛の女が言った。


「分かっている」


「なら――」


「だが、そう考えない人間から先に排除された」


異種族と交易した商人。


共存を説いた聖職者。


混血の子供を守ろうとした役人。


彼らは国を変える前に、裏切り者として人間側から消された。


「人間の国は、人間だけが人であるという前提で作られている。その前提を守る者ほど、上へ行く仕組みになっていた」


「法を変えればいい」


レンが言う。


「そのために王を代え、法も変えた」


「戻されたのか」


「ああ。王が死ぬたび、戦争が起こるたびにな」


グラウゼンは、ほんの僅かに目を細めた。


「だから、人間を説得することをやめた」


その一言に、広間の温度が下がったように感じた。


「人間の国を、元へ戻せない形で終わらせることにした」


「人間を皆殺しにするのか?」


誰かが尋ねる。


「違う」


グラウゼンは首を振った。


「人間を、別の種族へ変える」


数人の新生者が息を呑む。


レンの背後で、ルルカの尾が止まった。


「恐らく2カ月後、人間の連合軍がノアへ侵攻する」


グラウゼンは、隠す様子もなく告げた。


「残っている人間国家の主力が、一つの平原へ集まる。俺はそこで《原石》を使う」


「原石?」


「お前たちが触れた転生石。その元になった石だ」


王城の地下。


そこに、《昇華》の力を蓄えた一つの石がある。


人間側へ置かれていた小さな石は、すべてその原石から切り分けられたものだった。


「一つの石で変えられるのは、一人だけじゃないのか」


「お前たちが使ったものは、そのための試作だ」


グラウゼンの言葉に、ルルカが顔を上げる。


「試作……?」


「種族。年齢。身体の状態。持っている魔力。それぞれの違いに合わせ、安全に《昇華》させるための記録が必要だった」


小さな転生石は、使われると消える。


だが、そこで起きた変化の記録は、原石へ戻っていた。


どの身体が、どの種族へ適応するのか。


どれほどの魔力を使えば、記憶を傷つけずに変化させられるのか。


繰り返すたび、原石は変化の精度を高めていった。


「俺たちを使って試したのか」


鱗の男が、低い声で尋ねる。


「ああ」


グラウゼンは否定しなかった。


「今の原石なら、広い範囲にいる人間を同時に《昇華》させられる」


「連合軍を全員、異種族に変えるつもりか」


レンが言う。


「そうだ」


変化には、短い時間だが意識を失う瞬間がある。


身体の大きさ。


腕や脚の形。


視界。


聴覚。


魔力の性質。


そのすべてが一斉に変われば、軍は軍として機能しなくなる。


鎧は身体に合わなくなる。


武器を握る感覚も変わる。


同じ歩幅で組まれた隊列は崩れ、指揮官の声を聞き分けることすらできない者も出る。


ノアの軍は、その間に武器を回収する。


指揮官を捕らえ、国ごとの命令系統を切断する。


人間側の主力を、殺さずに戦えない集団へ変えるつもりだった。


「そのあとは?」


「残った街へ進む」


「そこにいる人間も変えるのか」


「ああ」


グラウゼンが答える。


「ノアから出る者には道を与える。だが、人間として残る場所は、いずれなくなる」


ルルカの耳が、ゆっくりと伏せられた。


「人間の姿を消せば、憎しみまで消えると思っているのか」


「思っていない」


「元人間だけで集まり、新しい国を作るかもしれない」


「作ればいい」


「お前を殺すための軍も作る」


「それも自由だ」


グラウゼンの答えは変わらない。


「姿が変わっても、自分は人間だと名乗る者はいるだろう。人間の法を守り、人間の国を作り直そうとする者もいる」


「なら、何が変わる」


「その子供は、もう人間として生まれない」


誰も声を出さなかった。


「親が狼人なら、子供も狼人として生まれる。角人なら角人。鱗人なら鱗人だ」


グラウゼンは新生者たちを見る。


「人間以外を魔物と呼び、権利を認めない国を作り直すなら、自分の身体と、自分の子供を魔物だと言わなければならない」


人間だけが土地を持てるという法。


人間だけが爵位を継げるという決まり。


人間以外は神に見放された存在だという教え。


それを守り続ければ、変えられた者自身が国から排除される。


自分と子供を守るために法を書き換えれば、その時点で人間だけの国ではなくなる。


「姿を変えれば憎しみまで消えるとは思っていない」


グラウゼンが言う。


「戦いも終わらないだろう」


「なら、これは平和のためじゃない」


「ああ」


赤金色の瞳が、細くなる。


「勝つためだ」


静かな声だった。


「俺は、すべての争いをなくそうとは思っていない。そんなことはできない」


種族が変わっても、領土を巡って争う。


食料を奪い合う。


信仰の違いで敵対する。


新しい国が生まれれば、別の理由で戦争も起こる。


「それでも、人間と、それ以外のすべてが殺し合うこの戦争は終わらせる」


グラウゼンは、胸元にある黒い鱗へ手を置いた。


「この戦争を、次の世代へ渡さないためだ」


「身体を変えることを拒む者は?」


羽毛の女が尋ねる。


「変える」


「子供も?」


「変える」


「それは、殺していないだけじゃないですか」


グラウゼンは否定しなかった。


「そうかもしれない」


謝罪も、言い訳もなかった。


自分が行おうとしていることを、救済と呼ぶつもりもないらしい。


「陛下」


ルルカが一歩前へ出た。


いつもの明るさは、声から消えていた。


「途中の村にいた人たちも、全員ですか」


「猶予期間が終われば、そうなる」


「出ていく場所がない人もいます」


「ああ」


「子供は、自分で選べません」


「分かっている」


「それでもやるんですか」


「やる」


ルルカの手が、胸元で強く握られる。


「お前の村を救ったときも、俺は同じことを考えていた」


グラウゼンが言う。


「子供を、親から引き継いだ理由で死なせたくない。道を作り、薬を運んだのも、そのためだ」


ルルカが顔を上げる。


「同じじゃないです」


猫の語尾はなかった。


「村のみんなは、道を作ってほしいって願ってました。薬が届いて嫌だって言う人もいなかった」


グラウゼンは黙って聞いている。


「身体を変えてほしいなんて、あの村の人たちは言ってません」


「そうだな」


意外なほど、答えは早かった。


「理由が同じでも、していることは同じではない」


「だったら――」


「それでも、俺は止めない」


ルルカの言葉が途切れる。


「だから覚えておけ」


グラウゼンは彼女から目を逸らさなかった。


「俺がどこで間違えたのかを」


「陛下……?」


「変えられた者は、目を覚ましたときに自分の身体を失っている。これから、その数は今までとは比べものにならなくなる」


グラウゼンの視線が、ルルカの胸元にある新生院の印へ向く。


「その者たちの隣には、お前たちのような案内役が必要になる」


ルルカは答えなかった。


尾は床へ垂れたまま、動かない。


「レン・クロード」


不意に名前を呼ばれた。


レンがグラウゼンを見る。


「お前は、人間側へ伝言を送ったそうだな」


「送った」


「黒竜王の国へ到達した。敵対行為は受けていない。状況は想定と異なる。次の判断は待て」


送った文章が、そのまま読み上げられる。


通信室に職員が立ち会っていた。


王へ内容が報告されても不思議ではない。


「自分が猫人へ変わったことは書かなかった」


「ああ」


「なぜだ」


「石の正体だけを知らせれば、人間側は手元の石を壊す」


「壊されて困るのか?」


「作った者と、残っている数を確認できなくなる」


「次に使う者が現れる可能性もあった」


「だから、次の判断を待てと書いた」


グラウゼンの口元が、僅かに動いた。


笑ったわけではない。


「必要な結果を得るために、伝える情報を選んだ」


「ああ」


「相手が知れば判断を変える事実を、意図して伏せた」


ルルカが、レンとグラウゼンを交互に見る。


「俺が転生石へ、本当の用途を書かなかったことと似ていると思わないか?」


「規模が違う」


「違うな」


「目的も違う」


「ああ」


「理解はできる」


レンはグラウゼンを見たまま答える。


「同意はしない」


広間へ短い沈黙が落ちた。


「それでいい」


グラウゼンが言う。


「理解されることと、許されることは別だ」


石段へ向かいかけたグラウゼンが、途中で足を止める。


「原石は、この王城の地下にある」


再び、新生者たちへ向き直った。


「お前たちには、自分の身体を変えたものを見る権利がある」


「見せるのか?」


レンが尋ねる。


「ああ。望む者は、明日の朝ここへ来い」


軍事に関わる物であるにもかかわらず、隠すつもりはないらしい。


「なぜ、そこまで話す」


鱗の男が疑うように尋ねた。


「お前たちが人間側へ戻ったとしても、三日では情報を届けられない」


グラウゼンは淡々と答える。


「それに、俺はお前たちを騙して石へ触れさせた。そのあとまで、都合のいい嘘だけを聞かせるつもりはない」


正直であることと、正しいことは違う。


すべてを話したうえで、拒否を無視する者もいる。


グラウゼンは、まさにそれだった。


「今日の話を聞いて、この国へ残りたいと思う者は少ないだろう」


グラウゼンが石段を上る。


「それでも構わない。出ていく者は止めない。俺へ復讐したい者も、力を得てから来ればいい」


黒い椅子の前で振り返る。


「ただし、2カ月後までは王都にいてもらう。計画を外へ伝えられては困るからな」


自由を語りながら、必要な場所では迷わず奪う。


そこにも矛盾を隠す様子はなかった。


「話は以上だ」


近衛兵たちが扉を開く。


誰もすぐには動かなかった。


やがて一人ずつ、重い足取りで広間を出ていく。


レンも扉へ向かった。


背後からグラウゼンの視線を感じる。


振り返りはしなかった。


          ◇


城を出るまで、ルルカは一言も喋らなかった。


正門を抜け、預けていた武器を受け取る。


短剣。


細い刃。


針。


鋼線。


すべて揃っている。


レンが最後の薄刃を袖へ戻したところで、ルルカがようやく口を開いた。


「気づいてたのか?」


「何をだ」


「人間を全部、別の種族に変えようとしてることニャ」


「可能性は考えていた」


街道沿いの村。


人間のままでは市民になれない決まり。


各国へ置かれた転生石。


いずれも、同じ結論へつながっていた。


「教えてくれればよかったニャン」


「お前の国だろ」


「それ言われたら…立つ瀬ないニャン…」


ルルカが唇を噛む。


反論しかけたが、言葉は出てこなかった。


レンも、それ以上説明しなかった。


人間が滅びるか。


ノアが滅びるか。


どちらの国が正しいか。


どちらの種族が先に約束を破ったか。


レンの任務には関係ない。


確認すべきものは、二つ。


地球の記憶と知識を持ち、この世界の人間を消そうとしているグラウゼン。


その力を蓄え、今も人間を別の生物へ作り替え続ける《原石》。


対象と、その影響の源。


どちらも処分する必要がある。


レンは袖口を整え、目の前にそびえる王城を見上げた。


明日、その地下へ入る。


発動まで、あと2カ月。

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