人間達を○す
王都へ到着してから、謁見までの二日間。
レンはルルカに連れられ、王都の街区を一通り見て回った。
市場。
工房街。
新生者が仕事を探すための紹介所。
異なる種族同士の争いを裁く連合庁。
ルルカは案内役らしく、それぞれの場所を丁寧に説明した。
レンも聞いてはいた。
だが、見ていたのは別のものだった。
王城へ物資を運ぶ荷車は、朝の二度目の鐘が鳴ったあと、東側の通用門へ集まる。
荷台と車輪は調べられるが、御者の確認は顔と通行証だけ。
城壁の上には昼夜を問わず見張りが立ち、日が沈む鐘に合わせて二人一組で交代する。
地上を走る水路は王城の西側へ集まっていた。
城壁の手前で鉄格子の下へ潜り、その先は地下へ続いている。入口には術式が刻まれ、水路の上にも兵士が二人配置されていた。
どれも尋ねる必要はない。
荷車の流れを見れば、使われる門は分かる。
交代する兵士の足音を聞けば、巡回の間隔も測れる。
水の流れる向きと、地下から返ってくる音を拾えば、見えない水路のおおよその形まで推測できた。
「こっちは翼人の居住区ニャ!」
ルルカが前方を指差す。
細長い建物の屋上に、色の違う旗が並んでいた。
「風向きと、着陸していい場所を知らせてるニャン。赤い屋根は立入禁止だから、勝手に降りたら怒られるニャ」
「そうか」
返事をしながら、レンは屋根の高さを目で測った。
城へ近づくほど建物は高くなっている。
屋根伝いに進めるのは途中まで。
最後には、翼を持つ種族でなければ越えられない距離が残されていた。
「次は大市場へ行くニャ。王都で一番大きい魚屋が――」
ルルカが途中で足を止めた。
数歩進んでから、レンも止まる。
振り返ると、ルルカが半眼でこちらを見ていた。
「どうした」
「それは、あたしの台詞ニャ」
縞模様の尾が、疑うように左右へ揺れる。
「お前、さっきから店より王城ばっかり見てるニャン」
「珍しい形をしている」
「昨日も見てたニャ」
「昨日とは場所が違う」
「そこまで細かく見比べるものかニャン?」
「人による」
ルルカはレンの顔を覗き込んだ。
続いて、動きを止めている黒い尾へ目を向ける。
「……お前、何か邪なこと考えてないかニャ?」
「考えていない」
「今、一瞬だけ間があったニャン」
「なかった」
「尻尾も止まってるニャ」
レンは意識して、尾を一度だけ動かした。
ルルカの耳が勢いよく立つ。
「今、わざと動かしたニャン!」
「動けと言ったのはお前だ」
「自然に動かせって意味ニャー!」
ルルカの声に、近くを歩いていた者たちが振り返る。
レンは何事もなかったように歩き始めた。
「大市場へ行くんだろ」
「話を終わらせるなニャ!」
追いかけてくる足音を聞きながら、レンは再び王城へ目を向ける。
外壁には、一定の間隔で魔石が埋め込まれていた。
近づいたときだけ、猫人の毛がわずかに逆立つ。
侵入者を感知するための術式だろう。
空からも、屋根からも、水路からも容易には近づけない。
少なくとも、正面以外から一人で入り込める城ではなかった。
◇
謁見の日。
王城の正門前には、新生者を乗せた馬車が各地から集まっていた。
集められた新生者は三十人ほど。
姿も種族も異なるが、全員が胸元へ青い布を留めている。
城内へ入るまでに、三度の検査が行われた。
最初は身元と通行証。
次に武器と荷物。
最後は、魔道具と身体へかけられた術式の確認。
レンは腰の短剣を外した。
上着の内側にある二本の刃。
靴底の針。
袖口の鋼線。
襟の裏へ隠した薄刃まで、すべて机へ並べる。
検査を担当していた犬人の兵士が、無言で数を確認した。
「今日は随分と素直ニャ」
隣にいたルルカが言う。
「城の決まりに従っているだけだ」
「普段からそのくらい素直なら、あたしも苦労しないニャン」
最後の検査を終え、重い門をくぐる。
武器は一つも残っていない。
その状態で、レンは城内の兵士の数と立ち位置を記憶していった。
正門の内側に十二人。
中庭に弓兵が八人。
建物へ入る扉の左右に、全身を銀色の鱗で覆った兵士が一人ずつ。
誰も無駄話をしていない。
目線も動きも統一されている。
人間側の街で見た、数だけを集めた兵士とは違う。
長い廊下を進み、大きな両開きの扉の前で止まる。
「この先が謁見の広間ニャ」
ルルカがレンの胸元にある青い布を直した。
「陛下から聞かれたことには、正直に答えるニャン。無理に頭を下げる必要はないけど、失礼なことを言ったら駄目ニャ」
「失礼かどうかは誰が決める」
「普通に考えれば分かるニャン」
「普通は人によると言っていただろ」
「そういうところニャ!」
扉の前にいた兵士が、わずかに口元を緩めた。
ルルカは恥ずかしそうに耳を伏せる。
「もう喋るなニャン」
「まだ何も言っていない」
「これから言いそうだから止めてるニャ」
扉が開く。
冷たい空気が廊下へ流れ出てきた。
広間は、城の外から想像していたより簡素だった。
床も壁も黒い石。
金や宝石を使った装飾はない。
代わりに、壁の高い位置へ大きな旗が掲げられている。
様々な種族の紋章を、一つの円で囲んだ旗。
多種族連合国ノアの国旗らしい。
部屋の奥には、幅の広い石段がある。
その上に置かれているのは、黒い椅子が一つだけ。
左右へ並ぶ護衛は十二人。
狼に似た頭を持つ者。
四本の腕を持つ巨人。
全身を白い甲殻に覆われた者。
どれも通常の種族より一回り大きく、身体から感じる圧も強い。
《昇華》を受けた上位種。
ヴァンが話していた近衛兵だろう。
新生者たちは広間の中央へ並ばされた。
案内役は、その少し後ろへ立つ。
レンの背後にはルルカがいる。
扉が閉じられた。
しばらくして、広間の奥から重い足音が響く。
近衛兵たちが一斉に胸へ拳を当てた。
現れたのは、巨大な黒竜ではなかった。
人に近い姿をした男。
背丈は二メートルを超えている。
長い黒髪。
額から後方へ伸びる二本の角。
首筋と両腕には、黒い鱗が浮かんでいた。
赤金色の瞳だけは、空で見た黒竜と同じだった。
黒竜王グラウゼン。
男は石段を上ったが、用意された椅子には座らなかった。
新生者たちと同じ高さまで下りてくる。
レンは呼吸を変えず、その身体を見る。
人の姿になっても、すべての鱗が消えるわけではない。
喉。
胸元。
手の甲。
急所となる場所には、薄く鱗が残っている。
服の下までは分からない。
歩き方に隙はある。
だが、それは無防備なのではなく、周囲を警戒する必要がない者の歩き方だった。
今ここで飛びかかっても、近衛兵に届く前に止められる。
仮に通り抜けても、素手で鱗を破る手段がない。
グラウゼンは新生者たちを一人ずつ見た。
怯えて目を逸らす者。
睨み返す者。
深く頭を下げる者。
レンと目が合ったときも、特別な反応は見せなかった。
「よく来た」
低い声が広間へ響く。
大声ではない。
それでも、壁全体が微かに震えたように聞こえた。
「歓迎する、とは言わない。望んでここへ来た者ばかりではないことは分かっている」
グラウゼンが周囲を見渡す。
「この国の決まりを話す前に、先に伝えておくことがある」
短い間を置く。
「俺は、別の世界から来た」
新生者の何人かが顔を上げた。
案内役や近衛兵は反応しない。
ルルカの耳も動かなかった。
ノアでは隠されている話ではないらしい。
「元いた場所では、俺も人間だった」
広間がざわめく。
グラウゼンは構わず続けた。
「世界の名は地球。そこで死に、この世界へ黒竜として生まれ直した」
レンの疑いが、事実へ変わる。
言葉。
街の構造。
統一された規格。
衛生、物流、文字教育。
そして、ノアという国名。
偶然ではなかった。
「ノアという名も、地球にあった物語から取った」
若い角人の男が、恐る恐る手を上げた。
「どんな物語ですか?」
「あらゆる生き物を、大洪水から守るために作られた方舟の話だ」
「それで、いろんな種族を……?」
「ああ」
グラウゼンは短く頷いた。
「もっとも、俺の方舟は水に浮かない。敵も多い。物語ほど綺麗なものではないがな」
誰も笑わなかった。
グラウゼン自身も、冗談として言ったわけではないらしい。
鱗に覆われた手を持つ男が、一歩前へ出た。
首から下げた革紐には、人間用の結婚指輪が通されている。
「だったら、俺たちがどう思うかも分かるはずだ」
声が震えていた。
恐怖ではない。
怒りを抑えている。
「人間だったなら、こんな姿へ勝手に変えられることが、どういうことか分かるだろ」
「ああ」
「なら、なぜ何も知らせなかった」
「知らせれば、石へ触れる者がいなくなるからだ」
迷いのない返答だった。
男の顔が歪む。
「騙したと認めるのか」
「認める」
グラウゼンが男を真っ直ぐ見る。
「同意を得たとは思っていない。お前の身体を、俺が意思に反して変えた」
広間から音が消えた。
ルルカが以前口にした言葉を、グラウゼン自身が否定した。
石に触れたことは、姿を変えることへ同意した証明にはならない。
「元に戻せ」
男が言う。
「できない」
「お前の力なんだろ」
「俺自身にも戻せない。一度《昇華》した身体は、それが新しい身体になる」
男が拳を握る。
鋭く伸びた爪が、手のひらへ食い込んでいた。
近衛兵は動かない。
グラウゼンも止めなかった。
「俺には妻がいる」
男が首から下げた指輪を握る。
「人間の街で、俺が帰るのを待っている。こんな姿で帰って、信じてもらえると思うか?」
「思わない」
「なら、どうしろっていうんだ」
「俺に答えを決める権利はない」
「身体は勝手に決めたくせにか?」
「ああ」
乾いた音が響く。
男が床を殴っていた。
近衛兵の一人が僅かに動いたが、グラウゼンは片手で制した。
男はそれ以上何も言わず、俯いたまま元の場所へ戻る。
次に、腕へ羽毛の生えた女が口を開いた。
「私たちは、自由だと聞きました」
「ノアへ残るか、出ていくかは選べる。軍へ入る義務もない」
「でも、人間には戻れない」
「ああ」
「それを自由って呼ぶんですか?」
グラウゼンはすぐには答えなかった。
「呼ばない」
静かな声だった。
「俺が与えたのは、身体を奪ったあとの選択肢だ。最初から自由であったとは言えない」
謝罪はしない。
許しも求めない。
ただ、自分がしたことを言葉だけで正当化するつもりもないらしい。
「《昇華》は、身体だけを変えるのか」
レンが尋ねた。
グラウゼンの赤金色の瞳が向けられる。
「身体と魔力だ」
「記憶や意思は?」
「変わらない」
「人間だった者の憎しみも?」
「消えない」
「なら、姿を変えたところで、お前へ従うとは限らない」
「従わせるための力ではない」
グラウゼンの答えに迷いはなかった。
「記憶も、考えも、怒りも残る。俺を憎み、この国を出ていく者もいる。人間側へ戻ろうとする者も、武器を向ける者もいる」
「それでも続けるのか」
「続ける」
グラウゼンは石段の前へ立った。
「俺がこの世界へ来た当初、人間を滅ぼそうとは考えていなかった」
黒い鱗に覆われた指が、ゆっくりと握られる。
「作物の育て方を教えた。井戸を清潔に保つ方法を伝えた。物資を早く運ぶための道と荷車を作った。暮らしに余裕ができれば、他種族から奪う必要もなくなると思っていた」
レンが人間側の街で見た景色とは、正反対のものだった。
「実際に、飢える者は減った。病で死ぬ子供も減った」
「成功したんじゃないのかニャ?」
背後から、ルルカの声が聞こえた。
グラウゼンが彼女を見る。
「成功した。だから人間の国は、以前より多くの兵士を養えるようになった」
ルルカの耳が横へ倒れる。
「余った作物は軍へ送られた。整えた道で、武器と兵士が運ばれた。衛生を広めた街では人口が増え、その分だけ徴兵される者も増えた」
「知識を教えたせいで、人間が強くなった?」
「ああ。薬を運ぶために作った荷車で、奴隷にされた獣人が運ばれてきたこともある」
グラウゼンの声は変わらない。
怒鳴りもしない。
過去の事実を、一つずつ並べているだけだった。
「一度、人間と異種族が同じ法の下で暮らす街を作った。土地を持つ権利も、商売をする権利も、種族に関係なく認めた」
「その街は?」
レンが尋ねる。
「人間の連合軍に焼かれた」
広間の空気が重くなる。
「異種族へ協力した人間は、裏切り者として処刑された。生き残った異種族は、報復として近くの人間の村を襲った」
グラウゼンが目を伏せる。
「人間だけが約束を破ったとは言わない。異種族も、憎しみに任せて何度も人間を殺した」
十二回の使節。
七度の停戦。
種族の違う子供を同じ場所で育てる試み。
捕虜の交換。
互いの街へ監視役を置く取り決め。
続いたものは一つもなかった。
人間側が先に破った約束もある。
異種族側が報復を止められず、崩れた停戦もある。
「それでも、人間の国には共通するものがあった」
グラウゼンが顔を上げる。
「土地を持てるのは人間だけ。爵位を継げるのも人間だけ。人間以外との契約は、法の保護を受けない。異種族を殺しても、同じ罪には問われない」
「すべての人間が、そう考えているわけじゃない」
羽毛の女が言った。
「分かっている」
「なら――」
「だが、そう考えない人間から先に排除された」
異種族と交易した商人。
共存を説いた聖職者。
混血の子供を守ろうとした役人。
彼らは国を変える前に、裏切り者として人間側から消された。
「人間の国は、人間だけが人であるという前提で作られている。その前提を守る者ほど、上へ行く仕組みになっていた」
「法を変えればいい」
レンが言う。
「そのために王を代え、法も変えた」
「戻されたのか」
「ああ。王が死ぬたび、戦争が起こるたびにな」
グラウゼンは、ほんの僅かに目を細めた。
「だから、人間を説得することをやめた」
その一言に、広間の温度が下がったように感じた。
「人間の国を、元へ戻せない形で終わらせることにした」
「人間を皆殺しにするのか?」
誰かが尋ねる。
「違う」
グラウゼンは首を振った。
「人間を、別の種族へ変える」
数人の新生者が息を呑む。
レンの背後で、ルルカの尾が止まった。
「恐らく2カ月後、人間の連合軍がノアへ侵攻する」
グラウゼンは、隠す様子もなく告げた。
「残っている人間国家の主力が、一つの平原へ集まる。俺はそこで《原石》を使う」
「原石?」
「お前たちが触れた転生石。その元になった石だ」
王城の地下。
そこに、《昇華》の力を蓄えた一つの石がある。
人間側へ置かれていた小さな石は、すべてその原石から切り分けられたものだった。
「一つの石で変えられるのは、一人だけじゃないのか」
「お前たちが使ったものは、そのための試作だ」
グラウゼンの言葉に、ルルカが顔を上げる。
「試作……?」
「種族。年齢。身体の状態。持っている魔力。それぞれの違いに合わせ、安全に《昇華》させるための記録が必要だった」
小さな転生石は、使われると消える。
だが、そこで起きた変化の記録は、原石へ戻っていた。
どの身体が、どの種族へ適応するのか。
どれほどの魔力を使えば、記憶を傷つけずに変化させられるのか。
繰り返すたび、原石は変化の精度を高めていった。
「俺たちを使って試したのか」
鱗の男が、低い声で尋ねる。
「ああ」
グラウゼンは否定しなかった。
「今の原石なら、広い範囲にいる人間を同時に《昇華》させられる」
「連合軍を全員、異種族に変えるつもりか」
レンが言う。
「そうだ」
変化には、短い時間だが意識を失う瞬間がある。
身体の大きさ。
腕や脚の形。
視界。
聴覚。
魔力の性質。
そのすべてが一斉に変われば、軍は軍として機能しなくなる。
鎧は身体に合わなくなる。
武器を握る感覚も変わる。
同じ歩幅で組まれた隊列は崩れ、指揮官の声を聞き分けることすらできない者も出る。
ノアの軍は、その間に武器を回収する。
指揮官を捕らえ、国ごとの命令系統を切断する。
人間側の主力を、殺さずに戦えない集団へ変えるつもりだった。
「そのあとは?」
「残った街へ進む」
「そこにいる人間も変えるのか」
「ああ」
グラウゼンが答える。
「ノアから出る者には道を与える。だが、人間として残る場所は、いずれなくなる」
ルルカの耳が、ゆっくりと伏せられた。
「人間の姿を消せば、憎しみまで消えると思っているのか」
「思っていない」
「元人間だけで集まり、新しい国を作るかもしれない」
「作ればいい」
「お前を殺すための軍も作る」
「それも自由だ」
グラウゼンの答えは変わらない。
「姿が変わっても、自分は人間だと名乗る者はいるだろう。人間の法を守り、人間の国を作り直そうとする者もいる」
「なら、何が変わる」
「その子供は、もう人間として生まれない」
誰も声を出さなかった。
「親が狼人なら、子供も狼人として生まれる。角人なら角人。鱗人なら鱗人だ」
グラウゼンは新生者たちを見る。
「人間以外を魔物と呼び、権利を認めない国を作り直すなら、自分の身体と、自分の子供を魔物だと言わなければならない」
人間だけが土地を持てるという法。
人間だけが爵位を継げるという決まり。
人間以外は神に見放された存在だという教え。
それを守り続ければ、変えられた者自身が国から排除される。
自分と子供を守るために法を書き換えれば、その時点で人間だけの国ではなくなる。
「姿を変えれば憎しみまで消えるとは思っていない」
グラウゼンが言う。
「戦いも終わらないだろう」
「なら、これは平和のためじゃない」
「ああ」
赤金色の瞳が、細くなる。
「勝つためだ」
静かな声だった。
「俺は、すべての争いをなくそうとは思っていない。そんなことはできない」
種族が変わっても、領土を巡って争う。
食料を奪い合う。
信仰の違いで敵対する。
新しい国が生まれれば、別の理由で戦争も起こる。
「それでも、人間と、それ以外のすべてが殺し合うこの戦争は終わらせる」
グラウゼンは、胸元にある黒い鱗へ手を置いた。
「この戦争を、次の世代へ渡さないためだ」
「身体を変えることを拒む者は?」
羽毛の女が尋ねる。
「変える」
「子供も?」
「変える」
「それは、殺していないだけじゃないですか」
グラウゼンは否定しなかった。
「そうかもしれない」
謝罪も、言い訳もなかった。
自分が行おうとしていることを、救済と呼ぶつもりもないらしい。
「陛下」
ルルカが一歩前へ出た。
いつもの明るさは、声から消えていた。
「途中の村にいた人たちも、全員ですか」
「猶予期間が終われば、そうなる」
「出ていく場所がない人もいます」
「ああ」
「子供は、自分で選べません」
「分かっている」
「それでもやるんですか」
「やる」
ルルカの手が、胸元で強く握られる。
「お前の村を救ったときも、俺は同じことを考えていた」
グラウゼンが言う。
「子供を、親から引き継いだ理由で死なせたくない。道を作り、薬を運んだのも、そのためだ」
ルルカが顔を上げる。
「同じじゃないです」
猫の語尾はなかった。
「村のみんなは、道を作ってほしいって願ってました。薬が届いて嫌だって言う人もいなかった」
グラウゼンは黙って聞いている。
「身体を変えてほしいなんて、あの村の人たちは言ってません」
「そうだな」
意外なほど、答えは早かった。
「理由が同じでも、していることは同じではない」
「だったら――」
「それでも、俺は止めない」
ルルカの言葉が途切れる。
「だから覚えておけ」
グラウゼンは彼女から目を逸らさなかった。
「俺がどこで間違えたのかを」
「陛下……?」
「変えられた者は、目を覚ましたときに自分の身体を失っている。これから、その数は今までとは比べものにならなくなる」
グラウゼンの視線が、ルルカの胸元にある新生院の印へ向く。
「その者たちの隣には、お前たちのような案内役が必要になる」
ルルカは答えなかった。
尾は床へ垂れたまま、動かない。
「レン・クロード」
不意に名前を呼ばれた。
レンがグラウゼンを見る。
「お前は、人間側へ伝言を送ったそうだな」
「送った」
「黒竜王の国へ到達した。敵対行為は受けていない。状況は想定と異なる。次の判断は待て」
送った文章が、そのまま読み上げられる。
通信室に職員が立ち会っていた。
王へ内容が報告されても不思議ではない。
「自分が猫人へ変わったことは書かなかった」
「ああ」
「なぜだ」
「石の正体だけを知らせれば、人間側は手元の石を壊す」
「壊されて困るのか?」
「作った者と、残っている数を確認できなくなる」
「次に使う者が現れる可能性もあった」
「だから、次の判断を待てと書いた」
グラウゼンの口元が、僅かに動いた。
笑ったわけではない。
「必要な結果を得るために、伝える情報を選んだ」
「ああ」
「相手が知れば判断を変える事実を、意図して伏せた」
ルルカが、レンとグラウゼンを交互に見る。
「俺が転生石へ、本当の用途を書かなかったことと似ていると思わないか?」
「規模が違う」
「違うな」
「目的も違う」
「ああ」
「理解はできる」
レンはグラウゼンを見たまま答える。
「同意はしない」
広間へ短い沈黙が落ちた。
「それでいい」
グラウゼンが言う。
「理解されることと、許されることは別だ」
石段へ向かいかけたグラウゼンが、途中で足を止める。
「原石は、この王城の地下にある」
再び、新生者たちへ向き直った。
「お前たちには、自分の身体を変えたものを見る権利がある」
「見せるのか?」
レンが尋ねる。
「ああ。望む者は、明日の朝ここへ来い」
軍事に関わる物であるにもかかわらず、隠すつもりはないらしい。
「なぜ、そこまで話す」
鱗の男が疑うように尋ねた。
「お前たちが人間側へ戻ったとしても、三日では情報を届けられない」
グラウゼンは淡々と答える。
「それに、俺はお前たちを騙して石へ触れさせた。そのあとまで、都合のいい嘘だけを聞かせるつもりはない」
正直であることと、正しいことは違う。
すべてを話したうえで、拒否を無視する者もいる。
グラウゼンは、まさにそれだった。
「今日の話を聞いて、この国へ残りたいと思う者は少ないだろう」
グラウゼンが石段を上る。
「それでも構わない。出ていく者は止めない。俺へ復讐したい者も、力を得てから来ればいい」
黒い椅子の前で振り返る。
「ただし、2カ月後までは王都にいてもらう。計画を外へ伝えられては困るからな」
自由を語りながら、必要な場所では迷わず奪う。
そこにも矛盾を隠す様子はなかった。
「話は以上だ」
近衛兵たちが扉を開く。
誰もすぐには動かなかった。
やがて一人ずつ、重い足取りで広間を出ていく。
レンも扉へ向かった。
背後からグラウゼンの視線を感じる。
振り返りはしなかった。
◇
城を出るまで、ルルカは一言も喋らなかった。
正門を抜け、預けていた武器を受け取る。
短剣。
細い刃。
針。
鋼線。
すべて揃っている。
レンが最後の薄刃を袖へ戻したところで、ルルカがようやく口を開いた。
「気づいてたのか?」
「何をだ」
「人間を全部、別の種族に変えようとしてることニャ」
「可能性は考えていた」
街道沿いの村。
人間のままでは市民になれない決まり。
各国へ置かれた転生石。
いずれも、同じ結論へつながっていた。
「教えてくれればよかったニャン」
「お前の国だろ」
「それ言われたら…立つ瀬ないニャン…」
ルルカが唇を噛む。
反論しかけたが、言葉は出てこなかった。
レンも、それ以上説明しなかった。
人間が滅びるか。
ノアが滅びるか。
どちらの国が正しいか。
どちらの種族が先に約束を破ったか。
レンの任務には関係ない。
確認すべきものは、二つ。
地球の記憶と知識を持ち、この世界の人間を消そうとしているグラウゼン。
その力を蓄え、今も人間を別の生物へ作り替え続ける《原石》。
対象と、その影響の源。
どちらも処分する必要がある。
レンは袖口を整え、目の前にそびえる王城を見上げた。
明日、その地下へ入る。
発動まで、あと2カ月。




