街を○す
「王城は無理ニャ」
ルルカが即答した。
「なら、なぜ行きたい場所を聞いた」
「希望を聞いただけで、どこへでも連れていくとは言ってないニャン」
両手を腰に当て、縞模様の尾を左右へ振る。
「お前はまだ今日生まれたばかりの新生者ニャ。王城どころか、この街から出る許可もないニャン」
「許可が出るまで何日かかる?」
「問題を起こさなければ三日。暮らす場所を決めるなら、もう少しかかるニャ」
「三日か」
「短い方ニャ。まずは新しい身体に慣れてもらわないと困るニャン」
ルルカはレンの黒い尾を指差した。
「さっきから、通行人の足に三回当たりそうになってるニャ」
「避けている」
「相手がニャ!」
通りを歩く者たちは、レンの耳や尾を一瞥しても足を止めなかった。
代わりに、胸元へ留められた青い布へ目を向けている。
新生者。
元人間であることを示す印だと、ルルカから説明された。
好奇心を向ける者。
哀れむように見る者。
露骨に顔をしかめる者もいる。
誰もが転生者を歓迎しているわけではないらしい。
それでも石を投げる者も、武器を抜く者もいなかった。
レンは歩きながら、街の構造へ目を向ける。
通りは荷車が二台並んでも余裕があるほど広い。
交差点ごとに行き先を示す看板が立ち、文字を読めない者のために色と図形が併記されていた。
赤は軍事施設。
青は水場。
黄色は市場。
種族ごとに異なっていた文字を統一し、短期間で読み書きを広める。
依頼書に記されていた内容と一致する。
建物の造りも、人間の街とは違っていた。
巨人族が利用する店は天井と入口が高い。
小柄な種族の住居には、通常の扉の横へ小さな扉が設けられている。
翼を持つ者のため、屋上にも出入口がある。
すべてが綺麗に整っているわけではない。
大きな角を持つ男が軒へ引っかかり、店主と口論している。
荷車を引く魔物が立ち止まり、後ろに長い列を作っていた。
猫人の子供が魚を盗み、鱗の生えた店主に首根っこをつかまれている。
違う種族が集まれば、当然問題も起こる。
それでも、争いを収めるための決まりがある。
ここは理想郷ではない。
だが、国として機能していた。
「お前、さっきから屋根と路地ばっかり見てるニャ」
隣を歩いていたルルカが、疑うように目を細めた。
「癖だ」
「何の癖ニャ?」
「知らない街を歩くときの癖だ」
「普通は店とか食べ物を見るニャン」
「必要になれば見る」
そのとき、黒い尾が勝手に右へ伸びた。
通りの脇にある屋台。
鉄板の上では、香草をまぶした川魚が焼かれている。
脂が火へ落ちるたび、香ばしい匂いが立ち上った。
ルルカが尾の先と屋台を交互に見る。
「食べたいって言ってるニャ」
「言っていない」
「お前の口はな。尻尾は正直だニャン」
「身体が匂いに反応しただけだ」
「それを食べたいって言うのニャー」
ルルカは屋台へ駆け寄り、焼き魚を二本買った。
一本をレンへ差し出す。
「食べるニャ」
「金は?」
「新生者の最初の食事は国が出すニャン」
「魚を選んだのはお前だろ」
「猫人に転生した奴へ、最初に野菜を渡すほど意地悪じゃないニャ」
レンは焼き魚を受け取った。
一口食べる。
表面は香ばしく焼かれ、中の身は柔らかい。使われている香草が魚の臭みを消し、塩も強すぎない。
猫人の身体になった影響なのか、以前より味と匂いを強く感じた。
「美味しい?」
「悪くない」
「尻尾は美味しいって言ってるニャン」
見ると、黒い尾が緩やかに揺れていた。
「切れないのか、これ」
「怖いことを言うなニャ!」
ルルカが自分の尾を抱え、レンから遠ざかる。
「大事な身体の一部ニャン! 慣れれば高いところでも釣り合いを取れるし、寝るときは暖かいニャ!」
「感情を隠せない」
「お前は隠しすぎだから、ちょうどいいニャン」
言い返す前に、ルルカは残りの魚を口へ入れた。
屋台の先には、大きな工房が並んでいる。
一つの工房で、何十人もの職人が同じ形の槍を作っていた。
刃を打つ者。
柄を削る者。
部品を組み合わせる者。
完成した槍の長さを測り、不揃いな物を取り除く者。
一人の職人が最初から最後まで作るのではなく、作業を細かく分けている。
別の建物から運ばれてきた木箱にも、すべて同じ記号と数字が刻まれていた。
中身。
数量。
送り先。
依頼書に記されていた、工程を分けた大量生産と物資管理。
人間側では異世界の知識だと疑われていたものが、この国では当たり前の景色へ変わっている。
グラウゼン一人を殺したところで、工房で働く者たちが知識を失うわけではない。
知識そのものを消すなら、国に住む者すべてを排除するしかない。
任務の範囲を見誤れば、カナタの研究所を処分したときとは比較にならない犠牲が出る。
女神が、国ごと消せと書かなかった理由も分かる。
「気になるニャ?」
ルルカが工房を見上げた。
「昔は、種族ごとに武器の形も長さも違ったらしいニャン。壊れても直せる職人がいなくて、戦場へ持っていったら使い捨てだったって」
「グラウゼンが変えたのか」
「陛下が形と作り方を揃えたニャ。最初は職人同士で大喧嘩だったらしいけど、今は前より早く、たくさん作れるニャン」
「戦争のために」
「それだけじゃないニャ」
工房の反対側では、同じ規格で作られた車輪が荷車へ取りつけられている。
壊れた車輪を外し、別の工房で作られた物と交換する。
寸法が統一されているため、その場で削り直す必要がない。
「食料も薬も運ぶニャン。戦争に使える物は、暮らしにも使えるニャ」
利益を受ける者にとって、知識の出所は重要ではない。
異世界から持ち込まれたかどうかを気にしているのは、レンと女神だけだった。
「ところで、どこへ向かっている」
「中央測量隊の西部詰所ニャ」
「イーヴァンのところか」
「今はヴァンだニャン」
ルルカが人差し指を立てる。
「本人が捨てた名前を、何度も呼ぶのは失礼ニャ」
「まだ本人から聞いていない」
「それはそうだけどニャ……」
ルルカは少し考え、腕を組んだ。
「じゃあ、会って自分で確かめるニャン」
測量隊の詰所は、街の中央に近い三階建ての建物だった。
入口の横には、この国の領土を描いた大きな地図が掲げられている。
人間側で見た地図より、異種族側の領土が広い。
数年前まで人間の国だった場所にも、新しい街道と集落の印が書き込まれていた。
建物の中では、様々な種族が机へ向かっている。
測量記録を地図へ写す者。
長さを測るための縄を修理する者。
遠征隊から届いた報告書を、共通文字へ書き直す者。
ルルカは受付の猫人へ声をかけ、迷うことなく階段を上がった。
「ヴァーン! いるかニャー!」
静かな建物に、声が響き渡る。
何人もの職員が迷惑そうに顔を上げた。
「静かにしろ」
「元気に挨拶しただけニャン」
「叫んだだけだ」
二階の奥から、一人の男が出てきた。
背丈はレンより頭一つ高い。
灰色の髪。
同じ色をした狼の耳。
鍛えられた身体を革の上着で包み、片手には何枚もの地図を抱えている。
「ルルカ。ここは新生院じゃない。もう少し静かに――」
男の目が、レンの胸元にある青い布へ向いた。
「新入りか?」
「今日来たレンだニャン。ヴァンに聞きたいことがあるらしいニャ」
灰狼人の視線が、レンの顔へ移る。
「俺に?」
「お前がイーヴァンか」
男の表情が消えた。
狼の耳が、ゆっくりと後ろへ倒れる。
「その名前を、どこで聞いた」
「ハーゲンだ」
「ハーゲンは生きてるのか?」
「ああ」
ヴァンが一歩、レンへ近づいた。
「お前は、あいつの仲間か?」
「違う。昨日会った」
「どうして、お前に俺の話をした?」
「殴って聞いた」
ルルカの耳が勢いよく立った。
「殴ったのかニャ!?」
「売られた喧嘩を買っただけだ」
ヴァンの口元がわずかに緩んだ。
「ハーゲンが先に絡んだんだろ」
「知っているのか」
「あいつは昔からそうだ」
「鼻は折っていない」
「なら大丈夫だ」
「安心するところじゃないニャ!」
ヴァンは地図を近くの机へ置き、二人を奥の小部屋へ招いた。
扉を閉める。
部屋にあるのは、小さな卓と椅子が四つ。
壁には、周辺の山と川を細かく記した地図が貼られていた。
「それで、ハーゲンは何て?」
ヴァンが尋ねる。
「伝言が、お前の意思で書かれたものなのか聞いてくれと」
狼の耳がわずかに下がる。
ヴァンは椅子へ腰を下ろし、長く息を吐いた。
「あれを書いたのは俺だ」
「脅されたか?」
「いや」
「命令された?」
「それも違う」
「なら、異種族の国へ転移したというのは?」
「嘘だ」
認めるまでに迷いはなかった。
「俺も、お前と同じように身体を作り替えられた」
ヴァンは自分の手を見る。
指先には鋭い爪。
手の甲から腕にかけて、灰色の毛が生えている。
「目が覚めたときには、この姿だった。人間として持っていた傷も消えた。左耳の下にあった矢傷もな」
ハーゲンから教えられた特徴が見つからなかったのは、そのためだった。
「なぜ、本当のことを書かなかった」
「異種族に変えられたと書けば、人間側は石を壊す」
「壊されて困るのか」
「あのときは、困ると思った」
ヴァンが視線を落とす。
「俺はここへ来るまで、この国を魔物の巣だと思っていた。捕まれば食われるか、拷問されるか、どちらかだと」
実際にあったのは、清潔な部屋と食事。
新しい身体の使い方を教える者。
ここで生きるか、外へ出るかを選ぶ時間だった。
「罠で身体を奪った相手だぞ」
「分かってる」
「選択肢を与えたことにはならない」
「それも分かってる」
ヴァンの声が低くなる。
「だが、この姿で人間の国へ戻ったらどうなる?」
「話を聞かれる前に殺される」
「ああ」
ヴァンは乾いた笑みを浮かべた。
「人間へ戻る方法はない。元の国へも帰れない。だったら、残った場所で生きるしかないだろ」
「それを選んだと言うのか」
「最初は、それしかなかった」
ヴァンが顔を上げる。
「だが半年暮らした今は、自分の意思でここにいる」
壁の地図へ視線を移した。
「俺は人間だった頃も斥候だった。道を探し、地形を調べ、地図へ記す。それしかできない。ここでは、その経験を必要としてくれた」
「人間側を攻めるために使われている」
「ああ」
否定しない。
「俺が描いた道を、軍が使うこともある。同じ道を、食料や薬を運ぶ者も使う。言い訳をするつもりはない」
「人間を裏切った自覚は?」
「ある」
「ハーゲンも?」
その名を出すと、ヴァンの尾がわずかに動きを止めた。
「……あいつには悪いと思ってる」
「なら、なぜ賭けの話を書いた」
「俺だと信じてもらうためだ」
「嘘を信じさせるために?」
「そうだ」
静かな答えだった。
ヴァンは後悔している。
それでも、伝言を撤回するつもりはないらしい。
「二度目の連絡をしなかった理由は?」
「手段がなかったのもある。だが、見つかったとしても送らなかった」
「なぜ?」
「人間側へ、この国の戦力や出入口を知らせたくなかった」
ハーゲンが待ち続けた二度目の伝言は、最初から送られることのないものだった。
「石を使わせるために、最初の伝言だけ送ったのか」
「そうだ」
「次に来る人間も、何も知らずに身体を変えられる」
ヴァンの耳が伏せられる。
「それでも、ここを自分の目で見てほしいと思った」
「随分と勝手だな」
「分かってるよ」
答えたのはヴァンではない。
ルルカだった。
先ほどまで揺れていた縞模様の尾が、力なく床へ垂れている。
「石のやり方を嫌う人がいるのも知ってるニャ。元へ戻りたいって、毎日泣いてる人もいる」
「なら、なぜ続けている」
「それでも、ここへ来てよかったって言う人もいるからニャン」
ルルカがレンを見る。
「人間の国で居場所がなかった人。戦争で家族を失った人。異種族を殺したくなくて逃げてきた人。この国で、初めて必要とされた人もいるニャ」
「だから、知らない人間を同じ目に遭わせるのか」
「……それは、あたしが決めたことじゃないニャン」
声から、普段の明るさが薄れていた。
レンはそれ以上追及しなかった。
ルルカを責めても、石は消えない。
必要なのは、誰が作り、どこで増やし、グラウゼンが死んだあとも動き続けるのか。
その範囲を確認することだった。
ヴァンの視線が、レンの首元へ向く。
「伝言晶を持ってるな」
「ああ」
「明日には、ここから人間側へ伝言を送るよう言われる」
「内容も指定されるのか」
「軍事情報は書けない。だが、それ以外は自分で決められる」
「お前は自分で嘘を選んだ」
「ああ」
ヴァンは、真っ直ぐレンを見た。
「お前は何を書く?」
「まだ決めていない」
「本当のことを書けば、人間側は残った石を壊すだろう」
「嘘を書けば、次が来る」
「そうだ」
二つに一つ。
だが、どちらを選ぶかはレンの任務とは直接関係がない。
人間を救うことも、異種族の国を守ることも、目的ではなかった。
「もう一つ聞きたい」
「何だ?」
「グラウゼンへ会う方法は」
ヴァンの目が細くなる。
「何のために会いたい?」
「身体を変えた相手の顔を見たい。それでは足りないか」
「新生者なら、誰でも一度はそう思うか」
警戒が消えたわけではない。
それでも、不自然な理由ではないらしい。
「六日後、王都で新生者の謁見がある」
「謁見?」
「各地の新生院へ来た元人間を集め、黒竜王陛下が直接会う。ノアで暮らす者には、陛下自身がこの国の決まりを伝えるんだ」
「全員に?」
「少なくとも、元人間にはな。陛下は、人間だった者の言葉を自分で聞きたがる」
グラウゼン自身も、地球では人間だったと疑われている。
人間から異種族になった者へ、特別な関心を持つ理由はある。
「王都までは?」
「明後日、新生院から馬車が出る。二日で着く」
ルルカも同行する。
案内役は、担当する新生者が行き先を決めるまで付き添う決まりだという。
「王城に近づけるのか」
「謁見の広間までだ。武器は持ち込めない。近衛兵と《昇華》を受けた上位種が周囲を固めている」
ヴァンの声が低くなる。
「変なことは考えるな。人間の軍が何度攻めても、陛下の鱗には傷一つつかなかった」
「分かっている」
「分かっている顔には見えないニャ」
ルルカが横から口を挟む。
「お前、王城の話を聞いてから、尻尾が全然動いてないニャン」
レンは自分の尾へ目を向けた。
先ほどまで勝手に動いていた黒い尾が、完全に静止している。
感情を隠そうと意識した結果らしい。
「止め方を覚えた」
「覚えるの早すぎニャ!」
ルルカが目を見開く。
「普通は何日もかかるニャン! 猫人になって半日だぞ、お前!」
「必要だった」
「何に必要なんだニャ……」
呆れながらも、ルルカの声には少しだけ元の明るさが戻っていた。
謁見まで六日。
明日は、人間側へ送る伝言の確認。
明後日には王都へ向かう。
対象へ近づく道はできた。
レンが立ち上がると、ヴァンが背後から呼び止めた。
「レン」
振り返る。
「もし、もう一度ハーゲンに会うことがあれば伝えてくれ」
ヴァンは迷った末、続けた。
「俺は生きている。あの伝言は俺の意思で書いた。だが、帰るつもりはない――それだけでいい」
「自分で伝えろ」
「できないから頼んでる」
「俺が戻る保証もない」
ヴァンは苦く笑った。
「ハーゲンと同じことを言うんだな」
レンは返事をせず、扉を開けた。
廊下へ出ると、ルルカが隣へ並ぶ。
「次はどこへ行くニャ?」
「新生院へ戻る」
「珍しく素直ニャン」
「伝言を考える」
ルルカが首元の水晶を見る。
「あたしは、嘘を書けとは言わないニャ」
「本当のことを書けとも言わないのか」
「どっちを選んでも、誰かが困るからニャン」
ルルカの耳がわずかに伏せられる。
「だから、それはお前が決めることニャ」
人間側は、異種族の国へ潜入したという報告を待っている。
ノアは、次の人間が石へ触れるための報告を待っている。
どちらも欲しがっているのは、都合のいい言葉だった。
レンは胸元の伝言晶を握る。
一度しか送れない。
そして、どちらへ送るにしても――真実だけでは足りなかった。※第4話の終盤に「橙色の髪」が一か所残っているので、設定どおり「ピンク色の髪」へ統一でいいね。




