↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日も俺は異世界人を◯す  作者: あさきすと
〜魔物の国編〜
PR
51/73

猫を○す


翌朝。


東の兵舎の前には、夜明け直後だというのに長い列ができていた。


並んでいるのは兵士だけではない。


槍を持った農夫。


自前の弓を背負った猟師。


身体に合わない革鎧を着た若者。


片腕を失いながら、残った手で剣を握る男までいる。


兵士が一人ずつ名前と出身地を聞き、木札へ書き込んでいた。


入隊希望者というより、戦える人間を片端から拾い上げているように見える。


レンは列を横切り、門の前に立つ兵士へ真鍮の札を見せた。


「酒場のマルタからか」


兵士の顔つきが変わる。


札を裏返し、軍の紋章と刻印を確かめた。


「昨日の夜に、四人まとめて伸した奴だな?」


「話が早い」


「その四人の治療費まで請求されてる。随分と派手にやったらしいな」


「殺していない」


「それで褒めてもらえると思ってるのか…お前」


兵士は呆れたように言い、門の内側へ合図を送った。


すぐに別の兵士が現れ、レンを小さな部屋へ案内する。


中には机と椅子。


壁際には、取り上げた武器を置くための棚が並んでいた。


「身体を調べる。武器を全部ここへ出せ」


レンは腰の短剣を外し、机へ置いた。


続けて上着の内側から細い刃を二本。


靴底から針。


袖口から短い鋼線を取り出す。


兵士の眉間に皺が寄った。


「ほかには?」


「ある」


襟の裏に隠した薄刃と、硬貨に似せた小さな刃も机へ並べる。


「……お前は何と戦うつもりなんだ」


「必要になった相手だ」


兵士は返事を諦め、レンの服と靴を入念に調べた。


それでも見つけられなかった刃が一本残っている。


調査を終えると、武器はその場で返された。


「没収しないのか」


「向こうへ送る奴を丸腰にしてどうする。数と形を記録しただけだ」


兵士は机の上の記録へ、最後の一本まで書き込んだ。


それから兵舎の奥へ進み、厚い扉の前で立ち止まる。


「入れ」


部屋には二人いた。


一人は軍服姿の男。


五十前後。短く刈った髪には白いものが混じり、右手の指を二本失っている。


もう一人は、濃紺の外套をまとった女だった。


机の上に魔石や測定器具を広げ、目の下には濃い隈が浮かんでいる。


軍服の男が真鍮の札を受け取った。


「東部軍で情報を預かっている、ガルバンだ。こちらは魔導技師のセシア」


女は顔も上げず、小さく片手を振った。


「レン・クロード」


「冒険者ギルドへの登録は?」


「ない」


「所属していた国は?」


「ない」


「身元を証明できる者は?」


「この街にはいない」


答えるたび、ガルバンの表情が険しくなっていく。


「ないものばかりだな」


「だから来た」


「どういう意味だ?」


「所属と家族がある者は、帰れない場所へ行きたがらない」


ガルバンが黙る。


それを否定できる者は、この兵舎にはいないらしい。


「マルタの見立てでは、少なくともレベル七相当。対人戦に限れば、それ以上の可能性もあるそうだ」


「酒場の女主人が決めるのか」


「マルタは引退したレベル八だ。人を見る目に関しては、軍の試験官より信用している」


肉切り包丁を握った姿を思い出す。


ただの酒場の女主人ではないと思っていたが、元冒険者だったらしい。


「なぜ、異種族の国へ行きたい?」


ガルバンが尋ねる。


「黒竜王へ近づくためだ」


「会ってどうする?」


「殺せるなら殺す」


セシアの手が止まった。


初めて顔を上げ、レンをじっと見つめる。


ガルバンは表情を変えなかった。


「正気か?」


「その質問に意味はあるのか」


「正気であれば行かせる。死にたがりなら追い返す」


「死ぬつもりはない」


「黒竜王を殺せると思っている?」


「近づいてから考える」


ガルバンは長く息を吐き、椅子の背へ身体を預けた。


「こちらが求めているのは暗殺者ではない。内部の情報だ」


異種族の国の正確な領土。


主要な街と軍事拠点。


種族ごとの兵力。


物資が運ばれる道。


そして、黒竜王グラウゼンの居場所。


判明した情報を伝言具で送り、可能ならば帰還経路を探す。


それが軍から提示された任務だった。


「暗殺はするなと言うのか」


「機会があるなら止めはしない。ただし、何も送らないまま死なれては困る」


「順番の問題か」


「そうだ」


ガルバンは机の引き出しを開け、小さな革袋を取り出した。


中から出てきたのは、親指ほどの細い水晶だった。


中央には赤い文字が一つ刻まれている。


「伝言晶だ。一度だけ、こちらに短い文章を送れる。イーヴァンが使った伝言符と仕組みは同じだ」


「受け取ったあとは?」


「文字を確認した時点で水晶は砕ける。返事は送れない」


「帰還手段は」


「ない」


迷いのない返答だった。


「少なくとも、我々は知らない」


「イーヴァンを送ったときも?」


「あれは送ったのではない。事故だ」


ガルバンの失われた指が、机の上を二度叩く。


「今回は違う。起こることを知ったうえで、人間を一人向こうへ送る。だから事実を隠すつもりはない」


「死ぬ可能性は?」


「ある」


「異種族の国へ着かない可能性は?」


「ある」


「イーヴァンの伝言が罠だった可能性は?」


「高いと考えている」


そこまで答えるとは思っていなかった。


ガルバンは、レンの反応を確かめるように片目を細める。


「それでも見るか?」


「見なければ判断できない」


「なら来い」


ガルバンが立ち上がった。


兵舎の地下へ続く階段を下りていく。


石壁には一定の間隔で魔石灯が埋め込まれていた。地下へ進むほど空気が冷たくなり、兵士の数も増えていく。


最初の鉄扉に二人。


次の扉には四人。


最下層の前では、全身鎧を着た八人の兵士が通路を塞いでいた。


ガルバンが証文を見せ、セシアが封印へ手をかざす。


青白い線が壁を走り、三重の鉄扉が順番に開いていった。


その先に、黒い石があった。


部屋の中央。


腰ほどの高さの台座へ載せられ、その周囲を鉄柵と魔法陣が取り囲んでいる。


大きさは握り拳ほど。


表面に凹凸はなく、磨き上げた黒曜石にも見えた。


しかし内部では、細い赤色の光が絶えず動いている。


一定の間隔で集まり、散らばり、また集まる。


光というより、血管の中を巡る血に近い。


レンが部屋へ入ると、その動きがわずかに速くなった。


「反応した」


セシアが測定器具を確認する。


「やはり人間の魔力を見分けているようね」


「動物には使えないのか」


レンが尋ねる。


「犬、鼠、馬で試したけれど、何も起きなかった。魔石を近づけても同じ。反応するのは人間の血か、生きた人間の魔力だけ」


「魔法を使えない人間でも?」


「魔法が使えなくても、身体には微量の魔力が流れている。石はそれを勝手に吸い上げるみたい」


セシアは黒い石へ近づかず、離れた場所から器具を操作していた。


「空間魔法の反応は?」


「見つかっていない」


「転移石なのに?」


「だから私自身は、転移石という呼び名に反対してる」


セシアが不機嫌そうに答える。


「行方不明になった人間から、向こうへ着いたという伝言が届いた。それだけを根拠に、周りが勝手にそう呼び始めたのよ」


「石を念入りに調べられないのか」


「術式そのものが見当たらない。文字も刻印もない。なのに内部だけで魔力が循環している。こんな魔道具は見たことがない」


レンは鉄柵の外から石を観察した。


赤い光の動きに規則性はある。


だが、魔法陣というより、生き物の脈動に見えた。


「どこで見つけた」


「四日前、国境近くの監視塔だ」


ガルバンが答える。


その監視塔は、数日前まで異種族の部隊が占拠していた。


人間側が奪還したとき、敵はすでに撤退したあとだったという。


「瓦礫の中か?」


「違う」


ガルバンの声が低くなる。


「塔の最上階。部屋の中央に置かれた机の上だ。白い布に包まれていた」


隠されていたのではない。


見つけさせるために置かれていた。


「罠だな」


「ああ」


ガルバンは否定しなかった。


「これを使った人間が異種族の国へ行くことも、向こうは分かっている」


「そう考えるべきだ」


「なら、潜入にはならない」


「最初から気づかれている可能性は高い。ただし、罠の出口が敵国の内側にあるなら、そこは我々が見つけられなかった唯一の入口でもある」


罠だと分かっていても、その先に情報がある。


人間側は、そこまで追い詰められていた。


「思ったより正直だな」


レンが言うと、ガルバンは顔をしかめた。


「嘘をついて触らせても、向こうへ着いた瞬間に裏切られるだけだ」


酒場の女主人と、よく似た答えだった。


「最後に確認する」


ガルバンがレンの正面へ立つ。


「一度触れれば止められない。装備ごと消えることは確認されているが、同じ場所へ着く保証も、生きて着く保証もない」


「十分だ」


「考え直すなら今だ」


レンは鉄柵の向こうにある黒い石を見る。


異種族の国へ入る。


グラウゼンが転生者である証拠を探す。


《昇華》の条件と、残された異世界由来の影響を特定する。


そのための道が、今はこれしかない。


危険であることは、使わない理由にならなかった。


「開けろ」


セシアが小さく息を吐き、鉄柵の封印を解除した。


ガルバンから伝言晶と携行食、水の入った革袋を受け取る。


武器はすべて元の場所へ戻した。


「イーヴァンの特徴は?」


「茶色い髪。左耳の下に、矢傷がある。背丈はお前より頭一つ高い」


レンは台座の前へ立った。


近くで見ると、石の内部を巡る赤い光はさらに生々しい。表面のすぐ下を這い回り、触れてくる人間を待っているようにも見える。


「手を置けばいいのか」


「ええ」


セシアは測定器具を握りしめた。


「魔力を流す必要はない。石の方から吸い上げる。抵抗しないで」


「抵抗した場合は?」


「分からない」


「そうか」


レンは右手を伸ばした。


指先が黒い石へ触れる。


冷たくはなかった。


人肌に近い温度。


その感触を認識した直後、石の中にあった赤い光が、すべてレンの掌へ集まった。


皮膚の下へ入り込む。


「っ……」


赤い線が手首を通り、腕を駆け上がった。


魔法を受けた感覚ではない。


異物が血管の中へ潜り込み、身体の内側を探っている。


咄嗟に手を離そうとしたが、掌が石へ貼りついて動かない。


「始まった!」


セシアの声が響く。


床の魔法陣ではなく、レンの足元から黒い影が広がっていった。


足首。


膝。


腰。


身体が下から順番に、光の中へ沈んでいく。


これまでにも、女神の力で何度も世界を渡ってきた。


転移に痛みはない。


扉を一枚くぐるように、立っていた場所と空気が変わるだけだった。


これは違う。


骨が軋む。


関節が外れ、別の位置へ組み直されていく。


耳の奥で、何かが裂ける音がした。


視界が赤く染まり、心臓が一度、大きく跳ねる。


そして――止まった。


ガルバンが何かを叫んでいる。


声は聞こえているのに、意味だけが遠ざかっていく。


暗闇の中で、再び心臓が動き始めた。


先ほどまでとは異なる、速く強い鼓動だった。


次の瞬間、床が消えた。


          ◇


最初に戻ってきたのは、嗅覚だった。


湿った石。


鉄。


水。


知らない獣の匂い。


あまりにも多くの情報が一度に押し寄せ、レンは反射的に息を止めた。


次に音が届く。


壁の向こうを歩く二人分の足音。


さらに遠くから聞こえる金属音。


水滴が落ちる場所まで、目を開けずに分かった。


身体の下には、冷たい石床がある。


服も靴も残っていた。


腰の短剣。


内側の細い刃。


首から下げた伝言晶も失われていない。


それでも、何かが違う。


レンはゆっくりと目を開いた。


薄暗い石造りの部屋。


扉には鉄格子がはまり、外側から鍵がかけられている。


部屋の隅には水を張った浅い器が置かれていた。


身体を起こし、右手を見る。


形は人間のものとほとんど変わらない。


ただし指先の爪は黒く、わずかに鋭く尖っていた。


水の器へ近づく。


揺れる水面に、知らない顔が映った。


黒い髪。


金色の瞳。


顔立ちには以前の面影が残っている。


だが頭の上には、黒い三角形の耳が二つ生えていた。


片手を伸ばして触れる。


柔らかな毛の感触。


耳は指先を避けるように動き、同時に、腰の後ろで何かが床を擦った。


振り返る。


黒く長い尾が、自分の意思とは関係なく左右へ揺れていた。


酒場の女主人の言葉が蘇る。


――国は猫の手でも借りたい有様だ。


レンは水面に映った獣耳を見つめた。


「……本当に猫にする奴があるか」


人間だった身体は、どこにも残っていない。


石は、レンを人間のまま向こう側へ運んだのではなかった。


一度壊し、異種族の身体へ作り替えてから送り込んだ。


あれは《転移石》ではない。


《転生石》だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。