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今日も俺は異世界人を◯す  作者: あさきすと
〜魔物の国編〜
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49/72

ドラゴンを〇す

右手を握る。


骨は折れていない。皮膚にも傷一つなく、指も問題なく動いた。


レンは一度だけ手を開き、もう一度握った。


「まだ感覚残ってる?」


正面から、明るい声が飛んできた。


女神はいつもの笑顔で、何もない白い空間に浮かんでいる。


「少しな」


「そっか」


それ以上、女神は聞かなかった。


代わりに片手を持ち上げると、光の粒が集まり、一冊の依頼書へ変わった。


「それじゃあ、次のお仕事です」


「少しは休ませろ」


「休んだでしょ?」


「いつだ」


「報告書を書き終わってから今まで」


「一分も経ってない」


「君の報告書が短すぎるんだよ。もっと丁寧に書けば、そのぶん長く休めたのに」


「次も一行で終わらせる」


「今度こそ書き直させるからね」


女神が依頼書を放る。


レンは左手で受け取った。


前回よりも厚い。


表紙には、赤黒い文字で一つの名が記されていた。


黒竜王グラウゼン。


表紙をめくる。


---


【対象名】グラウゼン

【通称】黒竜王

【異世界種別】異種転生者

【種族】黒竜種

【危険度】A+

【世界影響度】A+

【推定固有能力】《昇華》

【処分範囲】対象本人および異世界由来の影響――要調査


「推定か」


レンは最初の頁へ目を戻した。


レンは頁をめくる。


最初に記されていたのは、グラウゼンが異世界人と疑われる理由だった。


黒竜そのものは、その世界に以前から存在している。


人間より長く生き、高い知性と膨大な魔力を持つ個体も珍しくない。ただし、その多くは群れず、山岳や森林、火山などに縄張りを持ち、他種族の争いには積極的に関わらない。


グラウゼンは違った。


三十年ほど前に姿を現して以降、獣人、亜人、魔族を集め、さらに本来は言葉を持たない魔物まで自らの勢力へ加え始めた。


それだけならば、異常に強い竜が他種族を従えただけとも考えられる。


問題は、その方法だった。


グラウゼンは異なる言語、習性、身体構造を持つ種族を、短期間で一つの軍として編成した。


十進法による物資管理。


武器や防具の規格統一。


工程を分けた大量生産。


前線と後方を結ぶ補給路と備蓄庫。


負傷者を戦場から運び出す専門部隊。


煮沸、隔離、汚物処理を含めた集団衛生。


命令系統を明確に分けた軍制。


さらに、複数種族へ共通の文字を教え、命令書、地図、在庫、負傷者数まで記録させている。


その世界にも似た知識は存在していた。


だが、それらを一つの仕組みとして組み合わせ、種族の異なる大集団へ導入した例はない。


グラウゼンが現れるまでは。


「異世界の知識に似ているだけの可能性は」


「一つずつならね」


女神が人差し指を立てた。


「でも、対象が使っている記号、計算方法、軍事用語の一部は、地球に存在するものと高い割合で一致してる。それに、捕虜になった兵士が妙な言葉を聞いてる」


依頼書の文字が淡く光る。


証言として残されていたのは、戦場でグラウゼンと対面し、生き延びた人間の言葉だった。


«あの竜は、自分が人間を知っていると言った。

生まれたときからではない。

人間として生き、人間として死んだから知っているのだと。»


「本人がそう言った証拠は」


「この一件だけ。証言した兵士も、遠くから聞いただけみたい」


「弱いな」


「だから推定なの。依頼書に名前があったからって、すぐ殺さないでね?」


レンは依頼書から目を上げた。


「言われなくても調べる」


「成長したねぇ」


「誰かが間違えるからだ」


「まだ言うんだ……」


女神が視線を逸らした。


レンは次の頁を開く。


そこには、グラウゼンの固有能力について記されていた。


《昇華》。


対象の血、あるいは魔力を与えられた人外種に、恒久的な変化を起こす能力。


身体能力の上昇。


魔力量の増大。


知性を持たなかった魔物が、命令を理解するようになった例。


下位種とされていた魔物が、通常は長い年月を必要とする上位種へ、数日で変化した例も確認されている。


どの変化が起きるか、対象が選べるのか。


一度に何体まで使えるのか。


変化した者が、グラウゼンの死後も力を保つのか。


いずれも分かっていない。


「意志まで支配する能力か?」


「それも不明。敗れて従った種族もいれば、自分からグラウゼンのもとへ集まった種族もいるみたい」


「解除方法は」


「分からない」


「本人を殺した場合は」


「分からない」


レンは頁を閉じかけた。


「何が分かっている」


「すごく危ないってこと」


女神は笑顔で答えた。


レンは無言で頁をめくった。


グラウゼン自身も、《昇華》の影響を受けている可能性がある。


通常、竜が古竜と呼ばれる領域へ達するには、数百年を要する。


しかしグラウゼンは、確認されてから三十年足らずで、既存の古竜を上回る力を得ていた。


城壁を一撃で崩す吐息。


複数の宮廷魔導師による攻撃を防ぐ鱗。


都市全体を覆う結界を、上空から力ずくで破壊した記録。


対竜兵器を用いた討伐隊と交戦し、損傷が確認されないまま全滅させた記録。


単独で国家の防衛戦力に匹敵する。


そのうえ、グラウゼンの背後には、彼によって強化された異種族と魔物の軍勢がいる。


すでに複数の人間国家が滅びていた。


「影響度A+」


レンが呟いた。


「そこ、気になる?」


「Sではないのか」


「Sは、放っておけば世界そのものを壊しかねない対象。グラウゼンが今のまま勢力を広げても、滅びるのは人間だけだから」


女神の声は軽いままだった。


レンは依頼書から目を上げる。


「だけ、か」


「世界から見ればね。人間がいなくなっても、他の種族と生き物が残れば世界は続くよ」


その世界では、グラウゼンが現れるよりはるか以前から、人間と異種族の争いが続いていた。


どちらが先に攻めたのか。


どちらがより多く奪ったのか。


今となっては、誰にも分からない。


少なくとも、グラウゼンが戦争を始めたわけではなかった。


彼が変えたのは、勝敗だった。


それまで人間側へ傾いていた力の差を覆し、散らばっていた異種族と魔物を一つの勢力へ変えた。


「対象を殺しても、戦争は終わらない」


「うん」


「教えた知識も残る」


「残るだろうね」


「強化された種族が元へ戻るとも限らない」


「そのとおり」


女神は新しい紙を一枚だけ出現させた。


そこへ光の文字が並んでいく。


---


【任務内容】


一、グラウゼンが異世界からの転生者であるか確認する。

二、異世界由来の知識が及ぼした範囲を調査する。

三、固有能力《昇華》の条件、継承性、解除の可否を確認する。

四、対象を源として現在も続いている影響を特定する。

五、必要と判断した対象および影響を処分する。


---


「国ごと消せ、とは書いていないんだな」


「中で何が起きているか分からないからね」


「人間を救え、とも書いていない」


「それを決めるのは、あの世界の人たちだよ」


女神は笑顔へ戻った。


「君の仕事は、どちらが正しいか決めることじゃない。外から持ち込まれ、今もグラウゼンを源として続いているものを見つけること」


レンは依頼書を閉じた。


「見つけたあとは」


「いつもどおり」


「殺すのか」


「もちろん」


軽い返事だった。


レンはもう一度、依頼書の厚さを確かめる。


頁の大半は、戦場の外から観測できた事実で埋められている。


だが、グラウゼンが築いた勢力の内部については、ほとんど何も記されていなかった。


種族同士がどのように暮らしているのか。


本当に全員がグラウゼンへ従っているのか。


《昇華》を受けた者が、何を失い、何を得たのか。


人間を滅ぼしたあと、グラウゼンが何をするつもりなのか。


すべて空白だった。


「情報が足りない」


「だから君が行くんだよ」


「便利な言葉だな」


「現地調査って、そういうものでしょ?」


白い空間に、一枚の扉が現れた。


女神が指を鳴らす。


レンの服装が、暗色の上着と革靴へ変わった。腰には短剣。内側の隠し場所には細い刃が二本。懐には、当面の食事と宿へ困らない程度の硬貨が入っている。


「今回の身分は、流れの冒険者。特定の国や組織には所属していない。言葉はいつもどおり通じるようにしてあるよ」


「グラウゼンの勢力内でもか」


「言語として存在しているものならね。魔物の唸り声までは保証できないけど」


「十分だ」


レンは扉へ手をかけた。


「最初に何を調べるの?」


「グラウゼンのもとへ行く方法だ」


「正面から国境を越える?」


「国をいくつも滅ぼした軍勢へ、一人で正面から近づく気はない」


「よかった。君、たまに危ないことを平然とやるから」


「お前に言われたくない」


扉を開く。


向こう側には、石造りの建物に挟まれた細い路地が見えた。


遠くから鐘の音が響いている。


それに混じり、何人もの怒鳴り声と、何かが割れる音が聞こえた。


レンが一歩を踏み出す。


「レンくん」


背後から呼び止められた。


振り返らずに待つ。


「前回より危険度高いからね。気をつけて」


「分かっている」


「国ごと敵に回したりしないでよ?」


レンは少しだけ考えた。


「調べてから決める」


「そこは否定してほしかったなぁ」


扉が閉じる。


白い空間も、女神の声も消えた。


残ったのは、知らない街の空気と、酒の匂い。


そして通りの先から聞こえる、酔客たちの大声だった。


情報を集める場所としては、悪くない。


レンは声のする方角へ歩き始めた。

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