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今日も俺は異世界人を◯す  作者: あさきすと
〜闘技場編〜
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45/72

ルールを〇す


三日後。


覇王祭本戦、準決勝。


開始を告げる鐘が鳴った。


ガウルが地面を蹴る。


背中に、斧はない。


代わりに両腕を覆っているのは、黒い鉄籠手だった。


厚い鉄板を腕の形へ曲げただけのもの。


魔法の仕掛けも、刃もない。


それでも、ガウルが拳を振り下ろすと砂地が弾けた。


レンは横へ跳ぶ。


鉄籠手が地面へ突き刺さり、浅い穴が開く。


「逃げるだけか!」


ガウルが拳を引き抜いた。


左右の鉄籠手を打ち合わせる。


鈍い金属音が、闘技場へ響いた。


「今度は、てめぇに使われる柄も刃もねぇぞ!」


レンは答えない。


腰に武器はない。


黒い服と革の仮面。


それ以外は何も身につけていなかった。


ガウルが再び踏み込む。


右拳。


レンは後方へ下がる。


左拳。


身体をひねって避ける。


鉄籠手が肩先をかすめ、黒い服が裂けた。


観客席から歓声が上がる。


レンは一度も反撃しない。


三度。


四度。


五度。


ガウルの拳が、地面と空気を打つ。


一撃でもまともに受ければ、それで終わる。


それでもレンは離れすぎなかった。


逃げ切れる距離ではなく、次の拳を振らせられる位置へ立ち続ける。


「いつまで逃げられる!」


ガウルが右腕を大きく引いた。


鉄籠手の中で、指がわずかに震える。


踏み出した左脚が、途中で止まった。


ガウルの表情が変わる。


それでも拳は振り抜かれた。


レンは頭を下げる。


鉄籠手が仮面の上を通過した。


ガウルの身体が、そのまま前へ流れる。


右膝が砂地へ落ちた。


「な……」


立ち上がろうとする。


左脚にも力が入らない。


効き始めるまで、予想より少し長かった。


三日前。


セラとの準々決勝を控えた朝。


闘技場の雑役たちが使う休憩室で、レンは革袋を机へ置いた。


向かいに座ったドルグが、中身を確かめる。


本戦一回戦の払戻金。


勝ち上がりの報奨金。


大会前に雑役として貯めた賃金。


「本当に全部、セラ戦のお前へ入れるのか?」


「ああ」


「相手は金級だぞ」


「知っている」


「水壺四つで勝てると思ってる奴なんか、賭場には一人もいねぇ」


「だから増える」


ドルグは銀貨を数え直した。


「俺の一割は忘れるなよ」


「先に抜いていい」


「負けたときだけ気前がよくなるな」


「負ければ必要ない」


「その言い方、聞き飽きた」


ドルグは革袋を懐へ収めた。


その日の夕方。


火傷の治療を終えたレンが工房へ戻る途中、ドルグが路地で待っていた。


手には、朝よりも大きな革袋がある。


「払戻金だ。俺の取り分は抜いた」


レンが受け取る。


セラは金級闘士。


対するレンは、銅級を偶然倒したようにしか見えない無名の参加者。


賭け金は何十倍にも増えていた。


「次はガウルだな」


ドルグが言う。


「あいつは予選で、お前に斧を利用されてる。また同じ手は食わねぇぞ」


「同じ手を使う必要はない」


レンは革袋から銀貨を三枚取り出す。


残った金の半分を、ドルグへ渡した。


「準決勝の俺へ賭けろ」


「今度の相手はガウルだぞ」


「知っている」


「セラを倒したせいで、前ほど倍率はつかねぇ」


「増えるなら十分だ」


ドルグは受け取った金を、別の袋へ分けた。


「残りはどうする」


「準備に使う」


「噂を流せ」


「どんな」


「四百十二番が、斧を奪う道具を作らせている」


ドルグが眉を寄せた。


「あの筒のことか?」


「違う」


「じゃあ嘘じゃねぇか」


「噂は本当である必要がない」


予選で、ガウルは斧を柱へ食い込ませた。


レンは、その隙を利用して逃げている。


同じ失敗を繰り返すことを、ガウルは何より嫌う。


「一人には、鉤付きの鎖を用意していると言え」


レンは続ける。


「別の一人には、斧の柄を折る仕掛けを作っていると言え。細部は揃えなくていい」


「話が違ったら、怪しまれるだろ」


「違う場所から、斧を狙っているという話だけが届けばいい」


作られた噂は、同じ言葉で広がる。


少しずつ違う話のほうが、人から人へ渡ったものに見える。


ドルグは銀貨を指で弾いた。


「それだけか」


「いや、これはあくまで保険だ、ガウルの食生活を調べろ」


「毒でも盛る気か?」


「調べてから決める」


「否定しろよ」


「まだ決めていない」


翌日。


ドルグから、ガウルが斧を捨てたと聞いた。


武具庫から借りたのは、石割り作業に使われる鉄籠手。


ガウルは闘士になる前、採石場で岩を砕いていた。


斧がなくても、自分の腕力を最も生かせる武器だった。


「そこまで読んでたのか?」


ドルグが聞いた。


「斧を捨てても、力は捨てない」


「それで籠手か」


「選んだのはガウルだ」


「選ばせたのはお前だろうが」


もう一つの調べ物も判明した。


長年重い斧を振り続けたことで、ガウルの肩と腰には古い痛みがある。


試合前には、西門裏の薬屋で作らせた強い薬湯を飲んでいた。


闘技場の薬師が用意したものではない。


検査も受けていない。


若い雑役へ金を渡し、裏通路から控え室へ運ばせていた。


「あいつ自身が、先に規則を破ってる」


ドルグが言う。


「見つかれば、過去の試合まで調べられるだろうな」


レンは西門近くの狩猟道具店へ向かった。


そこで買ったのは、小さな薬包一つ。


大型の獣を生け捕りにするための痺れ薬。


飲んですぐには効かない。


身体を激しく動かし、血が巡るほど手足から力が抜けていく。


数刻が過ぎれば効果は薄れ、命までは奪わない。


準決勝の朝。


レンは灰色の作業着を身につけ、裏通路で待っていた。


髪には灰を擦り込み、口元を布で覆っている。


薬湯を運んできた若い雑役へ、銀貨を一枚見せた。


「最後の角から先は代わる」


「何でだよ」


「今日の灰運びを二回引き受ける。これもつける」


若い雑役は銀貨と盆を見比べた。


自分が運んでいる薬湯も、規則に触れている。


仕事を別の雑役へ渡したことを、わざわざ係員へ話す理由はない。


「こぼすなよ。ガウルに殴られるのは俺なんだからな」


盆をレンへ渡した。


レンは角を曲がる。


人の目がないことを確かめ、紙包みの中身を薬湯へ入れた。


粉は、強い苦味と匂いの中へ溶けていく。


控え室では、ガウルが鉄籠手の革紐を締めていた。


灰色の作業着を着た雑役など、顔も見ない。


薬湯を受け取ると、一息で飲み干した。


「下げろ」


レンは空の器を盆へ戻した。


声を出さず、控え室を出る。


そのあと作業着を脱ぎ、黒い服へ着替えた。


革の仮面をつけ、参加者用の入口へ回る。


装備確認では、何も見つからなかった。


試合場へは何も持ち込んでいない。


現在。


ガウルは片膝をついたまま、立ち上がろうとしていた。


鉄籠手を地面へつく。


腕にも力が入らない。


「てめぇ……くす……」


舌まで痺れている。


言葉にならない声は、観客席まで届かなかった。


レンだけが聞いていた。


「試合は、鐘が鳴る前から始まっていた」


ガウルが顔を上げる。


怒りに任せ、右拳を振り上げた。


立ち上がる力は残っていない。


それでも上半身だけで、レンへ殴りかかる。


レンは正面から踏み込んだ。


拳の内側へ身体を入れる。


ガウルの肘へ左手を添え、軌道を外へ逸らした。


同時に、右の掌底を顎へ突き上げる。


ガウル自身の勢いが、一撃へ重なった。


巨体が後方へ倒れる。


後頭部が砂地へぶつかった。


ガウルは起き上がらない。


係員が駆け寄る。


呼吸と脈を確かめ、腕を上げた。


終了を告げる鐘が鳴る。


『決着! 勝者、四百十二番! 決勝進出!』


観客席が揺れた。


最後に見えたのは、ガウルの拳へ正面から踏み込み、一撃で倒した姿だった。


それまで逃げ続けていたことも。


ガウルの脚が先に崩れていたことも。


歓声の中へ消えていく。


職人席で、ミレアだけが立ち上がらなかった。


倒れたガウルと、レンの右手を交互に見ている。


貴賓席では、ザグナが身を乗り出していた。


すぐには笑わない。


ガウルが膝をついた場所を見ている。


やがて口元が吊り上がった。


「何でもやるんだなぁ!」


その声は、歓声にかき消された。


試合後。


治療室の前を通ったレンは、中から呼び止められた。


「待て」


寝台の上で、ガウルが身体を起こしている。


「てめぇ、薬湯に何を入れた」


「何の話だ」


「あれを運んだのは――」


「検査を受けた薬湯だったのか?」


ガウルの言葉が止まる。


レンは壁に下がる呼び鈴を見る。


「係員を呼べばいい。薬を売った店も、運んだ雑役も調べられる」


「俺は毒を盛られたんだぞ」


「証明できればな」


「てめぇがやった!」


「薬湯を受け取ったとき、運んだ人間の顔を見たのか」


ガウルは答えなかった。


「騒げば敗北の理由は調べられる。それと一緒に、これまで無検査の薬を持ち込んでいたことも分かる」


銀級の札。


過去の試合。


薬がなければ戦えなかったという評判。


ガウルが失うものは、今日の勝敗だけではない。


「殺すぞ」


「次は、検査されたものだけ飲め」


レンは治療室を出た。


背後で呼び鈴が鳴ることはなかった。


資材置き場では、ドルグが待っていた。


足元へ大きな革袋を置いている。


「準決勝の払戻金だ。前ほどじゃねぇが、それでも増えた」


レンは中身を確かめず、袋をドルグへ戻した。


「預かっておけ」


「今度は何を買う」


「まだ買わない。先に値段を調べろ」


「何の値段だ」


「闘王戦の装備検査をする者。試合を裁く審判。客席の案内人。柵の補修をする者」


ドルグの表情が変わった。


「闘技場を丸ごと買う気か?」


「一試合分でいい」


「客席まで、何に使う」


「必要になれば話す」


「……調べるだけだ。それ以上は、話を聞いてから決める」


「それでいい」


ドルグは革袋を腰へ結びつけた。


「本当に気に食わねぇな、お前」


「知っている」


ガルド工房へ戻ると、ミレアがレンの全身を見た。


「今日は怪我してないの?」


「肩をかすめた」


「それだけ?」


「ああ」


「ガウル、途中から脚まで動いてなかったけど」


「疲れたんだろう」


「その前まで、元気に地面を殴ってたわよ」


「急に疲れたらしい」


ミレアが目を細める。


「何かした?」


「何かしたように見えたのか」


「そうやって聞き返すときは、だいたい何かしてるのよ」


追及は続けなかった。


工房の奥へ入り、別の金属筒を持って戻ってくる。


二日前に壊れた試験機と、形はほとんど変わらない。


だが、外側の枠が二重になっている。


後部には幅広の金属板。


腕へ固定するための革帯も、三本へ増えていた。


「二号試験機よ」


ミレアが言った。


「これも試したら捨てる。本番用には使わない」


「分かっている」


「何度も言わないと、あんたは壊れたものまで使いそうだから」


金属筒を万力へ固定する。


正面に古い胸当てを置いた。


「威力は落ちたか」


「少し。でも杭を重くして補ってる」


ミレアが長い鉄棒を留め具へ当てる。


二人が正面から外れた。


鉄棒を押す。


鋭い金属音。


杭が筒口から飛び出した。


古い胸当てへ、小さな穴が開く。


杭は鉄板を抜き、その後ろの革と木材へ深く食い込んだ。


万力が大きく揺れる。


金属筒は破裂しなかった。


だが、外側の枠が歪み、後部の金属板も曲がっている。


ミレアは留め具へ指をかけた。


動かない。


「これで終わり」


二号試験機を万力から外す。


「寸法は取れた。本番用は新しい鋼から作る」


「三歩で鎧を抜ける」


「これを、あいつに使うつもり?」


「ああ」


「本気でザグナを殺すの?」


「そのために来た」


ミレアの指に力が入る。


「仲がいいわけじゃない」


低い声だった。


「顔を合わせれば喧嘩になる。街をこんなふうにしたあいつを、許してるわけでもない」


レンは何も言わない。


「でも、殺されてもいいとは思ってない」


「そうか」


「それだけ?」


「ほかに何を言えばいい」


「やめるって言えばいいのよ」


「言わない」


ミレアは二号試験機を作業台へ置いた。


「本番用は作らない」


「分かった」


「別の方法を使うの?」


「ああ」


「腕が折れるより危ない方法?」


「おそらく」


「……本当に嫌な奴」


「否定はしない」


ミレアは曲がった筒を引き出しへ入れた。


鍵を回す。


だが、設計に使った薄い金属板だけは、作業台の上へ残っていた。


レンはそれを見たが、何も言わなかった。


決勝まで、あと三日。


次の相手は、金級槍士ベルグだった。

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