火を〇す
覇王祭本戦、準々決勝の朝。
レンがガルド工房の裏口を開けると、金属同士がぶつかる音が聞こえた。
炉には火が入っている。
作業台の周囲には、切り落とされた鋼板と折れた板ばねが散らばっていた。
その中央で、ミレアが小さな金属筒を万力へ固定している。
目の下には薄い隈があった。
「寝ていないのか」
「少しは寝たわよ」
「どれくらい」
「鐘が一回鳴るくらい」
「それは寝たとは言わない」
「誰のせいだと思ってるのよ」
ミレアは金属筒を指差した。
レンの前腕より、わずかに短い。
筒の後部には薄い板ばねが何枚も重ねられ、金属枠の内側へ押し込まれている。
中には、四角錐に近い太い杭。
刃で切るのではなく、狭い一点を押し裂く形だった。
「これは試験機」
ミレアが先に言った。
「撃てたとしても、あんたの腕にはつけない。枠のどこが壊れるかを見るためのものよ」
「分かった」
「本当に分かってる?」
「これは使わない」
「珍しく話が早いわね」
筒の正面には、古い胸当てが置かれていた。
その後ろには厚い革と樫の板。
ミレアは長い鉄棒を持ち、留め具へ先端を当てた。
「作業台の陰へ」
レンが移動する。
ミレアも正面から外れる。
鉄棒を押した。
鋭い金属音。
杭が筒口から射出された。
胸当てへ小さな穴が開く。
杭は鉄板を抜き、背後の革へ食い込んだ。
同時に、金属筒の後部が弾けた。
枠が割れ、板ばねの一枚が工房の壁へ突き刺さる。
万力が大きく傾いた。
ミレアはしばらく動かなかった。
やがて息を吐く。
「威力だけなら足りる」
レンは胸当てへ近づいた。
穴の周囲が、内側へ鋭くめくれている。
「距離は」
「今ので四歩。これ以上離れたら、杭がぶれる。三歩以内で使ったほうがいい」
「十分だ」
「枠が壊れたのを見てた?」
「見ていた」
「これを腕につけてたら、板ばねが骨まで入ってたのよ」
「次は外へ逃がせばいい」
「簡単に言わないで」
ミレアは割れた筒を万力から外した。
「今日の試合には間に合わない。そもそも、これは本番用じゃない」
「使うつもりはない」
レンは工房の隅へ向かう。
素焼きの水壺が積まれている。
その中から四つを選んだ。
「何するの?」
「借りる」
「見れば分かる。何に使うのよ」
「火が本物か確かめる」
ミレアが手を止める。
今日の相手が誰かは知っている。
金級闘士セラ。
本物の炎へ、熱のない偽炎を混ぜる魔法使い。
「水をかけるの?」
「水は騙されない」
「四つで足りる?」
「足りなければ、その前に近づく」
レンは壁へ掛けられた厚い革の前掛けを見る。
鍛冶場で火花を防ぐためのものだった。
「それも借りる」
「駄目」
「なぜ」
「一番新しいやつだから」
「古いほうでいい」
「古いほうは焦げてる」
「問題ない」
「あるわよ」
「なら新しいほうを借りる」
ミレアはしばらくレンを睨んだ。
やがて、古い前掛けを壁から外す。
「燃やしたら弁償して」
「勝てば払う」
「負けたら?」
「払えない」
「借りる側の態度じゃないわね」
中央大闘技場の参加者用通路では、装備の確認が行われた。
係員が水壺の蓋を一つずつ開ける。
中身を銀の棒で混ぜ、匂いを嗅いだ。
「水だけだな」
「ああ」
革の前掛けにも魔法の仕掛けはない。
刃も毒も隠されていなかった。
「使用を認める」
反対側では、セラの杖が調べられている。
赤い長衣。
腰には金色の札。
先端へ赤い石をはめた、セラの身長ほどもある杖。
検査を終えたセラが、レンの水壺を見る。
「火事でも消すつもり?」
「近い」
「私の火を、水壺四つで?」
「試してみる」
セラが笑った。
「好きにしなさい」
鉄格子が上がる。
二人が試合場へ入った。
前回よりも、四百十二番を笑う声は少ない。
偶然に見えても、本戦で一勝した。
それでも、セラの名が呼ばれる声のほうが圧倒的に大きい。
レンは四つの水壺を、開始位置の後ろへ並べた。
革の前掛けは背中へ巻いている。
セラが杖を構えた。
「降参するなら、焼く前にしてね」
「始まっていない」
「始まったら遅いって言ってるの」
鐘が鳴った。
セラが杖を振る。
五つの火球が現れた。
同じ大きさ。
同じ色。
同じ揺れ方。
五つが弧を描き、別々の方向からレンへ迫る。
レンは水壺を一つ持ち上げた。
中央の火球へ投げる。
火球は壺をすり抜けた。
壺が地面で割れる。
水は冷たいまま砂へ広がった。
偽物。
レンは左へ走る。
二つ目の火球が進路を塞ぐ。
二つ目の壺を転がした。
壺が火へ触れた瞬間、表面へ亀裂が走る。
中の水が白い蒸気へ変わった。
本物。
レンは足を止め、反対へ切り返した。
残る三つが追ってくる。
「それで全部見分けられると思った?」
セラが杖を回す。
五つの炎が交差した。
本物と偽物の位置が入れ替わる。
さらに新しい火球が三つ増えた。
観客席から歓声が上がる。
レンは三つ目の壺を拾った。
縁を石へ打ちつけ、小さな穴を開ける。
壺を抱えたまま走った。
穴から細い水の線が伸びる。
最初の火を通過する。
変化はない。
二つ目。
水の線が途切れ、蒸気が上がる。
三つ目。
何も起こらない。
熱を持つ場所だけが、白い蒸気で形を現した。
セラの表情が変わる。
「小賢しい!」
杖の先端が赤く光った。
試合場の中央へ、炎の壁が立ち上がる。
今度はすべて本物だった。
左右へ広がり、レンの逃げ道を塞ぐ。
後方からも火球が迫っている。
レンは最後の壺を割った。
水を革の前掛けへ浴びせる。
頭から肩へ被った。
「馬鹿! 蒸し焼きになるわよ!」
職人席から、ミレアの声が聞こえた。
レンも知っている。
濡れた革は、火を消す道具ではない。
熱を防げるのは、ごく短い間だけ。
長く留まれば、染み込んだ水が蒸気となり、皮膚を焼く。
必要なのは、その短い間だった。
レンは炎の壁へ走った。
前掛けを前へ広げる。
炎が革を包む。
水が一斉に蒸発した。
熱が腕と頬へ刺さる。
息を止める。
三歩。
四歩。
革から煙が上がる。
五歩目で、炎の壁を抜けた。
セラとの距離は、もう杖一本分しかない。
「な――」
大きな術を維持した直後。
セラの杖は、まだ次の火を作れない。
レンは燃え始めた前掛けを投げた。
セラの杖と両腕へ巻きつく。
反射的に手を放した。
杖が地面へ落ちる。
レンは足を払った。
セラの背中が砂地へ落ちる。
同時に、割れた水壺の破片を拾った。
鋭い縁を、その喉へ当てる。
「降参しろ」
セラは動かなかった。
杖は手の届かない位置にある。
炎の壁も消えていた。
「……参った」
終了の鐘が鳴る。
『決着! 勝者、四百十二番!』
観客席が大きく揺れた。
レンは壺の破片を捨てる。
腕の皮膚が赤く腫れている。
頬にも浅い火傷。
だが、指は動く。
まだ問題はなかった。
貴賓席で、ザグナが立ち上がっている。
笑いながら手を叩いていた。
「水は騙せねぇか!」
レンは返事をしなかった。
試合後。
火傷へ薬を塗られたレンが地下通路を歩いていると、前方の壁へザグナが寄りかかっていた。
護衛はいない。
待っていたらしい。
「金級まで食いやがったな」
「見ていたんだろう」
「ああ。だから聞きに来た」
ザグナが壁から離れる。
「お前、俺を殺すために順調に勝ち上がってるじゃないか?」
「…」
ザグナの笑みが深くなる。
「一つ確認する」
「何だ」
「地球を知っているか」
ザグナの笑みが、一瞬だけ止まった。
「……知ってるぜ」
「そこから来たのか」
「ああ。気づいたときには、こっちでガキになってた」
答えを聞き、レンはザグナを見る。
依頼書に書かれていた疑いは、事実へ変わった。
「次は、俺から聞く番だ」
ザグナが言う。
「お前は何者だ」
「お前を殺す者だ」
「ははっ」
短い笑い声が通路へ響く。
「いいな。じゃあ、先に教えてやる」
ザグナが自分の胸を指で叩いた。
「俺の身体は、一度食らって生き残ったものを覚える」
「覚える?」
「刃で斬られりゃ、次から同じ刃は通らねぇ。毒を飲んで生き残りゃ、同じ毒じゃ倒れねぇ。火で焼かれても、次にはその熱へ耐える」
「傷も治るのか」
「すぐには治らねぇ」
ザグナは笑ったまま答える。
「折れた骨は折れたまま。焼けた肉もその場じゃ戻らねぇ。ただ、数呼吸もすりゃ、同じものではそれ以上壊せなくなる」
「最初なら効く」
「効くぜ」
ザグナが両腕を広げた。
身体に残る無数の傷跡を見せる。
「剣で腹を割られたこともある。毒で1日眠ったこともある。骨なんざ何度折れたか覚えてねぇ」
「それでも生きた」
「最初から、頑丈だったからな」
能力で無傷なのではない。
一度目を、生まれ持った異常な生命力で耐える。
生き残ったあと、同じ攻撃を通さない身体へ変わる。
「普通は、一度目でお前を殺せない、だが二度目はもっと殺せない」
「そういうことだ」
「なら、一度目で殺す」
短い沈黙。
ザグナの目が細くなる。
「言うじゃねぇか」
「事実だ」
「だから今、殺さねぇ」
ザグナがレンの横を通り過ぎる。
「お前が何を持ってくるか、見てみたい」
「途中で死ぬなよ、四百十二番」
「レンだ」
ザグナの足が止まる。
だが、振り返らなかった。
「俺の前まで来たら、もう一度聞く」
そのまま通路の奥へ消えた。
レンは反対側へ歩き出す。
対象は確認した。
能力も聞いた。
同じものは二度通じない。
ならば、試すための一撃と、殺すための一撃を分けてはならない。
必要なのは、一度目から急所へ届くものだった。
準決勝まで、あと三日。




