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今日も俺は異世界人を◯す  作者: あさきすと
〜闘技場編〜
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37/72

工房を〇す

翌朝。


レンが大闘技場へ向かうと、職員用入口の前にドルグが立っていた。


右手の人差し指には、分厚く包帯が巻かれている。


鼻の周囲は赤黒く腫れ、歩くたびに左足を引きずっていた。


一緒にいる闘士たちが、その顔を見て笑っている。


「ずいぶん派手にやられたな」


「酒場で喧嘩になっただけだ」


ドルグは不機嫌そうに答えた。


「お前をそこまでやれる奴が、この辺の酒場にいるのか?」


「四人がかりだったんだよ」


「さっきは三人って言ってなかったか?」


「うるせぇ!」


ドルグが声を荒らげる。


その視線が、近づいてきたレンへ向いた。


一瞬だけ、顔が強張った。


レンは足を止める。


背中を丸め、怯えたように視線を落とした。


「お、おはようございます……」


声が上ずる。


喉が張りつき、うまく声が出ないように、わざと息を混ぜた。


ドルグの喉が動く。


周囲には仲間がいる。


昨日までと同じように振る舞え。


レンに命じられた言葉を思い出したのだろう。


「朝から気持ち悪ぃ面を見せるな、木札」


「す、すみません……」


レンは反射的に肩をすくめた。


「その……昨日のことは、誰にも言ってませんから。どうか、もう……」


「さっさと仕事に行け!」


「は、はいっ!」


レンは慌てて頭を下げ、その横を通り過ぎた。


足をもつれさせるように歩き、数歩進んだところで一度だけ振り返る。


ドルグと目が合うと、すぐに怯えたように視線を逸らした。


背後で、ドルグの仲間たちが笑う。


ドルグだけは笑っていなかった。


用具管理棟へ入ると、管理長のバルドが一枚の紙を差し出してきた。


「東倉庫の確認は終わったな?」


「は、はい。帳簿と合わないものは、こちらにまとめてあります」


レンは両手で書類を差し出した。


バルドが目を通す。


「……もう終わらせたのか」


「すみません。数えるだけでしたので……その、思ったより早く終わってしまいました」


「前の奴は三日かかった」


「ええと……数えている途中で、何本まで確認したか分からなくなったのでは?」


「お前、見た目のわりに容赦がないな」


「も、申し訳ありません。余計なことを言いました」


バルドは書類を机へ置いた。


「なら、今日はこいつを頼む」


渡された紙には、破損した武具の名称が並んでいた。


折れた槍が三本。


ひびの入った盾が二枚。


留め具の外れた胸当てが一つ。


「西の試合場で壊れた分だ。荷車へ積んで、職人区の工房まで運べ」


「闘技場の中では修理しないんですか」


「刃を研ぐ程度ならな。そいつらは炉へ入れ直す必要がある」


バルドが書類の下部を指で叩く。


工房の名前と、職人区の住所が記されていた。


「ガルド工房。先代の頃から、大闘技場の武具を任せている」


「店主へ、この書類を渡せば……よろしいでしょうか」


「ああ。受領証を忘れるなよ。向こうの店主は若いが、腕は確かだ」


「分かりました。失礼のないように、気をつけます」


レンは破損した武具を荷車へ積み、大闘技場を出た。


職人区は、闘技場から東へ伸びる大通りの先にある。


通りの両側には、武器、防具、革製品、薬品を扱う店が並んでいた。


朝から職人たちが声を張り上げ、荷車が絶え間なく行き交っている。


暴行や略奪が見過ごされる街とは思えないほど、商売は活発だった。


一軒の露店で、傷だらけの闘士が焼いた肉を勝手につかんだ。


店主が、無言で軒先を指差す。


そこには、鎖で囲まれた金槌を刻んだ鉄札が下がっていた。


闘士の手が止まる。


舌打ちしながら硬貨を投げ、肉を持って立ち去った。


そのすぐ先では、別の男が道端の物売りから果物を奪っていた。


こちらには鉄札がない。


物売りが抗議すると、男はその胸を押して転ばせた。


周囲の者は誰も止めない。


守られる店と、守られない人間。


その違いは、法律ではなく、軒先に下がる一枚の札で決まっているらしい。


レンは荷車を押し、職人区の外れへ向かった。


目的の工房は、大通りから一本入った場所にあった。


石造りの小さな建物。


軒先には、剣と金槌を組み合わせた木製の看板が下がっている。


その隣には、先ほどの露店にもあった鉄札が打ちつけられていた。


開け放たれた扉の奥から、金属を叩く音が聞こえてくる。


「す、すみません……」


レンが遠慮がちに声をかける。


金属音は止まらない。


「その……ガルド工房さんで、合っていますでしょうか……?」


もう一度呼ぼうとしたところで、奥から声が飛んできた。


「聞こえてる! 荷車なら、入口に寄せておいて!」


若い女の声だった。


「は、はいっ!」


レンは言われたとおり、慌てた様子で荷車を壁際へ寄せた。


ほどなくして、革製の前掛けを身につけた女が姿を現した。


年齢は十六歳ほど。


赤い色の髪を後ろで束ね、頬には黒い煤がついている。


首には細い革紐がかかり、髪には小さな銀の飾りが揺れていた。


細い花を束ねたような意匠が刻まれている。


女は手にしていた金槌を腰へ差し、荷車を覗き込んだ。


「また派手に壊したわね」


折れた槍を持ち上げ、断面を確認する。


「武器を使う側が雑なのよ。壊せば強く見えるとでも思ってるのかしら。ほんと、勘弁してほしいのよね」


「そ、そうですよね……。あの、こちらは修理できますでしょうか」


「できるから、ここへ運ばれてくるの」


「すみません。変なことを聞きました」


女が顔を上げた。


その視線が、レンの頬に残る腫れで止まる。


「あなた、見ない顔ね」


「き、昨日から用具管理棟で働いています。レンと申します。あの、よろしくお願いします」


レンは深々と頭を下げた。


「私はミレア。この工房の店主よ」


ミレアが差し出した手を、レンが恐る恐る握る。


細い指だったが、掌には厚いまめができていた。


「その顔、闘士にやられたの?」


「す、少し絡まれまして……」


「やり返さなかったの?」


「そ、それは……無理でした」


レンは視線を落とし、殴られた頬を庇うように手を添えた。


「俺なんかが逆らったら、もっとひどいことになると思って……」


ミレアはしばらくレンの顔を見つめ、呆れたように息を吐いた。


「その調子だと、あんた……この街じゃ何度でも狙われるわよ」


「は、はい……気をつけます」


「気をつけたって、強くなるわけじゃないけどね」


「分かっています。ですから、その……できるだけ目立たないようにします」


ミレアは槍を肩へ担ぎ、工房の中へ運んでいく。


レンも、ひびの入った盾を二枚重ねて持ち上げた。


「置いていくだけでいいわよ」


「い、いえ。数がありますから。俺も運びます」


「腕、細いけど持てる?」


「こ、これくらいなら……たぶん」


レンは危なげに盾を抱え、足元を確かめながら運んだ。


「重い……いえ、すみません。大丈夫です」


ミレアが少しだけ眉を上げた。


「あら、見た目より力があるのね」


「そ、そうでしょうか。普通だと思いますけど……」


「この街で、その言葉ほど当てにならないものはないわ」


工房の中には、修理を待つ武具が所狭しと並んでいた。


刃の欠けた剣。


潰れた兜。


中央から二つに割れた盾。


壁際には大型の炉があり、その隣に大小さまざまな金槌が整然と並んでいる。


レンは盾を床へ下ろした。


「はぁ……すみません。少し、息を整えてもよろしいでしょうか」


「別にいいけど。そんなに重かった?」


「いえ、重いというより……俺、普段あまり力仕事をしないので」


「一人で、これを全部直すんですか」


「急ぎのものから順番にね」


「弟子は?」


「前は二人いたわ」


ミレアは槍の穂先を作業台へ置いた。


「でも、武器を直すより振るう側になったほうが偉いんだって。二人とも工房を辞めて闘士になった」


「今も闘士を?」


「一人は半年で腕を失った。もう一人は死んだわ」


「……そう、ですか」


レンは言葉を探すように口を閉じた。


「すみません。軽々しく聞いてしまいました」


淡々とした声だった。


何度も口にして、感情を削り落としたような声でもあった。


「それでも、闘士になりたい人間は減らないんですね」


「強ければ、全部手に入るって言われ続けてるからね」


ミレアが鼻で笑う。


「みんな、自分だけは勝つ側になれると思ってるのよ。ほんと、単純なんだから」


「俺には……その、よく分かりません」


レンは困ったように笑った。


「強くなれば全部手に入ると言われても、殴られるのは怖いですし……できれば、誰とも争わずに暮らしたいです」


「それじゃ、この街では何も守れないわよ」


「はい……ですから、余計なことをしないようにしています」


レンは入口の脇に打ちつけられた鉄札を見る。


「その札は?」


「商工連合の保護札」


「保護……ですか?」


「加盟している店で暴れたり、代金を踏み倒したりした奴は、連合に属する店を全部使えなくなるの」


ミレアが指を折りながら数える。


「武具の修理も、薬も、食料も、宿も売ってもらえない。闘技場の指定工房に手を出した場合は、出場資格まで止められるわ」


「闘士が従うんですか」


「従わない奴もいるわよ。でも、そういうときは組合が雇った闘士が来る。相手が強すぎるなら、本人を倒そうとはしない。所属している一団や、金を出している商会ごと締め出すの」


「そ、そういう仕組みなんですね……」


レンは鉄札を見つめた。


「一人では守れなくても、集まれば守れる」


「そういうこと」


ミレアは折れた槍へ印をつけた。


「腕力だけが力じゃないのよ。この街の馬鹿どもだって、飯も食わず、武器も直さずに戦えるわけじゃないから」


「街が商人を守っているわけではないんですね」


「商人と職人が、自分たちで守ってるだけ」


「札を持たない者は?」


「連合に入る金がないか、身元を保証してくれる店がない人ね」


ミレアが入口の外へ目を向ける。


「そういう人は、奪われても誰も助けない。この街は、弱い人間を守るようにはできてないもの」


「……俺みたいな人間は、札がないと何も守れないんですね」


レンは自分の手を見下ろした。


「すみません。変なことを言いました」


個人の力がなければ、集団の力を借りる。


そのどちらも持たない者だけが、何を奪われても泣き寝入りする。


無秩序なのではない。


何を力と認めるかが、ほかの街とは違うだけだった。


レンは残っていた胸当てを作業台へ置いた。


壁には、古い男の肖像画が飾られている。


大柄で厳つい顔をした男だった。


「先代ですか」


「父よ。三年前に死んだけど」


「そ、そうでしたか……。それで、あなたが工房を?」


「組合の親方たちの前で、剣を一本仕上げたわ。それで継ぐことを認められた」


「すごいですね。俺なら、そんな人たちの前に立っただけで手が震えそうです」


ミレアが受領書へ武具の数を書き込んでいく。


「歳だけで追い出されたら、今頃この工房も闘士向けの酒場になってたでしょうね。もう、考えただけで嫌になっちゃう」


「闘王も、そういう街を望んでいるんでしょうか」


ミレアの筆が止まった。


「さあ」


先ほどまでより、声が冷たくなる。


「本人は何も考えてないんじゃない?」


「嫌っているんですか」


「嫌いよ」


ミレアは迷うことなく答えた。


「人の話は聞かない。気に入らなければ殴る。何でも戦いで決めようとする。そのくせ、自分が周りをどう変えたかなんて興味もない」


「よく知っているんですね」


「一応、兄だから」


レンの手が、わずかに止まった。


「ザグナが?」


「義理だけどね」


「す、すみません。立ち入ったことを聞いてしまいました」


ミレアは再び筆を動かす。


「十四年くらい前、父が拾ってきたの。とんでもなく戦いの才能がある子供を見つけたって」


「あなたは覚えているんですか」


「当時二歳よ。覚えてるわけないでしょ」


「そうですよね……失礼しました」


依頼書に記されていた時期と一致する。


「ザグナは、それ以前のことを話しましたか」


「話さない」


「出身地も?」


「聞いても、知らないの一言で終わり」


ミレアが顔を上げた。


「ずいぶん兄のことを聞くのね」


「この街で最も有名な人ですから。あの……俺みたいな者でも、少し気になってしまって」


「近づかないほうがいいわよ」


「危険だからですか」


「話が通じないから」


「それは……はい。できれば、俺も関わりたくありません」


ミレアは完成した受領書をレンへ差し出した。


「兄っていっても、父が勝手にそう決めただけ。昔から何を考えているか分からなかったし、今はもう他人と変わらないわ」


その声に迷いはなかった。


レンは受領書を受け取る。


「修理には、どのくらいかかりますか」


「槍は三日。盾は五日。胸当ては明日には返せる」


「分かりました。あの、急がせてしまってすみません。明日、胸当てだけでも受け取りに来ます」


「明日の昼頃、取りに来て。忘れないでね。こっちは予定を組んでるんだから」


「はい。絶対に忘れません」


レンは空になった荷車を押し、工房を出た。


背後から、再び金属を叩く音が聞こえてくる。


一定の間隔で響く、迷いのない音だった。


大闘技場へ戻る頃には、日が高く昇っていた。


表の通路では、次の試合を待つ観客たちが列を作っている。


レンは人混みを避け、職員専用の裏通路へ入った。


石壁に囲まれた細い道だった。


右手には大闘技場の外壁。


左手には、試合用の猛獣を運び込むための鉄格子が並んでいる。


今は使われていないらしく、人影はなかった。


通路の向こうから、一人の男が歩いてくる。


背丈はレンより、わずかに高い程度。


闘士としては細身だった。


簡素な衣服の上からでも、余分な肉のない身体が分かる。


歩調はゆっくりとしている。


それでも、一歩近づくたびに、石造りの通路が狭くなったように感じられた。


依頼書の映像で見た顔だった。


闘王ザグナ。


レンは荷車を脇へ寄せ、道を空ける。


背中を丸め、小さく頭を下げた。


「ど、どうぞ……お通りください」


ザグナは何も言わず、レンの横を通り過ぎた。


レンは息を止め、視線を地面へ落とす。


足音が遠ざかる。


一歩。


二歩。


三歩。


そこで止まった。


「おい」


レンの肩が跳ねる。


ゆっくりと振り返った。


ザグナもこちらを見ていた。


「な、何でしょうか……」


頼りない声で答える。


「すみません。何か、失礼なことをしましたか?」


ザグナはしばらく、レンの顔を眺めていた。


レンは視線を合わせない。


それでも、相手の足元と肩の動きだけは見ていた。


やがて、その口元がゆっくりと吊り上がる。


「変な奴だな」


「……え?」


「顔は怯えてる。呼吸も、目の動きも、弱ぇ奴そのものだ」


ザグナが一歩、近づいてくる。


レンは反射的に一歩下がった。


「す、すみません……。俺は、本当に弱いので……」


「なのに、そいつだけが嘘をついてる」


太い指が、レンの胸元を指した。


「そこにあるもんが、全然隠せてねぇ」


レンは胸元を押さえた。


「な、何のことでしょうか……。俺には、さっぱり……」


二人の間に、沈黙が落ちる。


周囲には誰もいない。


レンは怯えた表情を崩さない。


だが、指先だけがわずかに強く握り込まれていた。


ザグナの笑みが、さらに深くなる。


「お前……」


歓喜を抑えきれないような声だった。


「俺を殺したいのかぁ?」

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