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完売を◯す


潮迎え祭までのひと月は、レンが考えていたより短かった。


翌朝。


フィーネは厨房の作業台へ、帳簿と二枚の紙を広げた。


一枚には、祭りで使える食材と値段。


もう一枚には、去年の売上と、時間ごとの客数が書かれている。


「まず、条件を決めます」


「料理を決めるんじゃないのか」


「売り物ですから、味だけでは決められませんっ」


フィーネは指を一本立てる。


「歩きながら、片手で食べられること」


二本目。


「注文を受けてから、長く待たせないこと」


三本目。


「銅貨二枚で売っても、赤字にならないこと」


四本目。


「二百人分を用意できること」


「多いな」


「去年、《渡り鳥亭》の屋台へ来たお客様は六百人を超えています。今年は店主の料理もありますので、レンさんの分は二百で十分です」


「二百人へ同じものを、同じ時間に出す」


「正確には、別々の時間へ来る二百人です」


「面倒だな」


「料理に向いていない人の感想ですねぇ」


フィーネは食材の一覧をレンへ向けた。


白身魚。


小魚。


黄色根。


玉葱。


赤実。


卵。


黒パン。


薄焼きパン。


店で日常的に使っているものばかりだった。


「高い白身魚は使えません。昨日の賄いと同じものを出したら、銅貨三枚でも足りませんから」


「魚を小さくする」


「見た目も味も寂しくなります」


「黄色根を増やす」


「増やしすぎると、魚料理ではなく黄色根料理になります」


「先に答えを持ってるなら、お前が決めろ」


「レンさんの試験ですよ?」


「お前も面倒を見ると言っただろ」


「面倒を見ることと、答えを渡すことは違いますっ」


少し離れた作業台で魚を捌いていた佐伯が口を挟む。


「安い小魚を使え」


レンとフィーネが同時に佐伯を見る。


「骨を取って身を叩けば、大きさは関係ねえ。黄色根と合わせれば量も増やせる」


「店主」


フィーネの目が細くなる。


「答えを教えないでください」


「全部は教えてない」


「十分教えていますっ」


「なら、今のは聞かなかったことにしろ」


「できるか」


レンが言う。


最初の試作は、その日の賄いになった。


小魚を開き、骨を抜く。


身を細かく叩き、茹でて潰した黄色根と混ぜる。


炒めた玉葱。


卵。


塩。


乾燥した香草。


形を平たく整え、細かく砕いた黒パンを表面へまぶす。


油を引いた鍋で、両面を焼いた。


見た目は悪くない。


表面には均等な焼き色がついている。


薄焼きパンへ挟めば、片手でも持てる。


フィーネが一つ取り、両手で割ろうとした。


割れない。


少し力を入れる。


ようやく二つに割れた。


断面は隙間なく詰まり、魚と黄色根が一つの塊になっていた。


「硬いです」


「崩れないように固めた」


「祭りで使うのは食べ物ですよ?」


「食べ物だ」


フィーネは作業台から少し持ち上げ、手を離した。


揚げ焼いた塊が、木の台へ鈍い音を立てて落ちる。


形は崩れなかった。


「武器にもなりますねっ」


「食べ物で遊ぶな」


「食べ物を武器にしたのはレンさんです」


佐伯も一つ食べた。


しばらく噛み続ける。


「保存には向いてそうだな」


「祭りは一日だぞ」


「歯の方が先に駄目になる」


二度目は、固める力を弱くした。


黄色根を減らし、魚の身を粗く残す。


今度は鍋へ入れた直後に割れた。


卵と黄色根が油へ流れ、砕いた黒パンが鍋の中へ広がっていく。


「極端ですねぇ」


フィーネが網で欠片を拾う。


「硬いと言っただろ」


「石から泥へ変えろとは言っていません」


三度目。


魚の半分は細かく叩き、残りは小さな角切りにした。


潰した黄色根をつなぎに使う。


玉葱は水分が飛ぶまで炒め、卵は量を減らした。


形を整えるときも、外側だけを軽く押さえる。


鍋へ置く。


油の音が立つ。


黒パンの粉が色づき、表面へ薄い殻を作っていく。


返しても崩れなかった。


焼き上がったものを、フィーネが割る。


外側は乾いた音を立てた。


中には白い魚の身が残り、その隙間を黄色根が埋めている。


湯気とともに、魚と炒めた玉葱の香りが広がった。


フィーネが一口食べる。


表面は細かな歯触りを残し、中は柔らかい。


粗く切った魚を噛むと、身の甘みが出る。


黄色根は全体をまとめているが、魚の味を消してはいない。


「よくなりました」


「うまいとは言わないのか」


「まだ味が単調です」


「塩を増やす」


「そうやって、すぐ塩へ逃げないでくださいっ」


赤実を潰し、果実酢と少量の塩を加えて煮詰めた。


酸味のある赤いソースをかける。


薄焼きパンへ包み、立ったまま食べてみる。


味はよかった。


だが、一口目でソースが下から流れ、フィーネの指へ落ちた。


「失敗ですね」


「味は悪くない」


「お客様の服を汚す料理は売れません」


「少なくすればいい」


「途中から味がなくなります」


ソースへ炒めた玉葱を加え、さらに煮詰めた。


水分が減り、魚の上へ留まるようになる。


今度は流れなかった。


だが、冷めると赤実の酸味が強くなった。


果実酢を減らす。


塩を調整する。


黄色根の甘みと合わせる。


二人は毎日の賄いへ、少しずつ形の違う料理を出した。


最初の十日間で、ほかの料理人たちは同じ料理を十四回食べた。


「またこれか」


若い料理人が皿を見る。


「昨日とは違いますっ」


フィーネが答える。


「どこが?」


「魚と黄色根の割合を変えました」


「昨日より魚が一割多い」


レンが付け加える。


料理人は一口食べた。


「分からん」


「ほら、変えても意味がないでしょう?」


「一人の舌で決めるな」


「では、全員へ聞きますっ」


味だけではない。


薄焼きパンが破れない厚さ。


冷めても硬くなりすぎない配合。


作り置きできる時間。


一度に鍋へ入れられる数。


注文を受けてから渡すまでの手順。


フィーネは、すべてを帳簿へ記録した。


レンは魚の重さと、黄色根の量を正確に揃えた。


「一個ずつ量るつもりですか?」


「同じ値段で売るなら、同じ量にする」


「二百個ありますよ」


「なら、二百回量る」


「祭りが終わります」


フィーネは大きな塊を均等な太さへ伸ばし、印をつけて切り分ける方法を教えた。


多少の差は出る。


その差を見ながら、最後に手で調整する。


「正確であることと、遅いことは別です」


「同じ形へ揃えろと言っただろ」


「目で揃えられるようになってください」


「目は秤じゃない」


「料理人の目は秤ですっ」


半月が過ぎた。


閉店後、フィーネはレンを夜の市場へ連れ出した。


祭りが近づき、港へ入る船は増えている。


昼間とは違う露店が通りへ並び、吊るされた油灯が風に揺れていた。


焼いた貝。


串へ刺した肉。


薄い生地へ香草と豆を包んだもの。


蜜を塗った焼き菓子。


酒と香辛料を温めた飲み物。


仕事帰りの人間や船乗りが、立ったまま食べている。


「食べてください」


フィーネが焼いた貝の串を差し出した。


「夕食は食べた」


「調査ですっ」


「経費か?」


「自分で払ってください」


「なら、いらない」


「ほぁ~。銅貨一枚を惜しむ人が、二百人へ料理を売るんですねぇ」


フィーネは串から貝を一つ食べた。


表面についた香草油が灯りを反射する。


「味を見るだけではありません。どんな人が買っているか、どこで足を止めるか、何を見ているかも確認してください」


レンは露店の並びを見る。


人が集まっている店。


空いている店。


同じような肉を焼いていても、客の数は違う。


「煙の向きか」


「それもあります」


「通りの風上にある店へ客が集まってる。匂いが先に届く」


「はい」


「灯りの数も違う」


「暗い店は、料理の色が分かりませんから」


店主の声。


値段を書いた板。


鍋から立つ湯気。


受け取ってすぐに食べられるか。


客が足を止める理由は、味を知る前から始まっていた。


「料理を作るだけじゃ足りないんだな」


「ようやく気づきました?」


「お前の仕事が多い理由は分かった」


フィーネがレンを見る。


「店主が何も考えずに予定を増やすからですっ」


「それもあるな」


「そこは否定してください」


人の流れが急に変わった。


船乗りの集団が通りへ入り、狭い場所へ客が押し寄せる。


後ろから肩をぶつけられ、フィーネの身体が露店の火へ寄った。


レンが腕を掴む。


自分の方へ引いた。


同時に、空いた手で倒れかけた串の籠を押さえる。


熱い油が跳ねたが、フィーネへは届かなかった。


「大丈夫か」


「…はい」


レンは周囲を確認する。


ぶつかってきた男は気づかず、人混みへ消えていた。


追う必要はない。


フィーネの腕から手を離す。


「ありがとうございます」


「珍しく素直だな」


「お礼くらい言えますよぉ」


「最初なら、触るなと言ってた」


「最初なら、そもそも隣を歩いていません」


フィーネは再び歩き出す。


今度は、人が少ない側を選んだ。


レンもその隣へ並ぶ。


通りの端で、温かい魚の汁物を売っている店があった。


大鍋から白い湯気が上がっている。


フィーネが足を止めた。


「七年前の潮迎え祭でも、店主は汁物を売っていました」


「飢饉の年か」


「その翌年です」


フィーネは鍋を見る。


「飢饉の間、祭りは中止されていました。船も来ませんでしたから」


店の前には、両手で器を持つ子供がいる。


一口飲むたび、白い湯気が顔を隠した。


「父の仕事は、港の荷運びでした。船が来なければ、賃金も出ません。家に残っていた豆と麦を、母と三人で少しずつ食べていました」


「佐伯から食料をもらったのか」


「はい。最初は店へ並ぶのが嫌でした。食べ物を恵んでもらうのが、恥ずかしかったので」


フィーネは小さく笑った。


「店主は、手伝った分の賄いだと言いました。空の鍋を洗っただけなのに」


「佐伯らしいな」


「翌年、祭りが戻りました。私は自分で稼いだ銅貨を持って、店主の屋台へ行きました」


「何を食べた」


「白身魚の汁物です。魚より黄色根の方が多くて、味も薄かったです」


「まずかったのか」


「おいしかったですよ」


フィーネの声は穏やかだった。


「祭りが戻ったことも、船が戻ったことも、温かいものを自分のお金で買えたことも。全部含めて、おいしかったんです」


「それで、店で働き始めた?」


「店主が何をしてきたか、私はずっと見ています」


フィーネはレンを見る。


「助けてもらったから、何をしても許すわけではありません。実際、異世界の食材については確かに…と思う部分もあります」


「それでも守るのか」


「間違えた人を殺せば、間違いまで消えるんですか?」


レンは答えなかった。


「私は、店主を信じているというより、見てきたんです」


「同じじゃないのか」


「違います。信じるだけなら、見なくてもできますから」


フィーネは歩き出す。


「レンさんは、女神を信じているんですか?」


「信じる必要はない」


「命令どおりに人を殺しているのに?」


「正しいかは、自分で確認する」


「今回も?」


「…ああ」


「だから、まだ店主は生きている」


レンは返事をしなかった。


フィーネが少しだけ歩調を緩める。


「似ていますね、私たち」


「どこが」


「自分の目で見ないと納得しないところですっ」


「一緒にするな」


「私は人を殺しませんけどねぇ」


「なら、違う」


「そこ以外です」


市場の出口へ向かう途中、フィーネは蜜を塗った小さな焼き菓子を二つ買った。


一つをレンへ渡す。


「何だ」


「調査です」


「さっき夕食を食べたと言った」


「甘いものは別ですっ」


レンは一口食べた。


表面は薄く焼け、中には潰した木の実が入っている。


蜜の甘さが強い。


「甘すぎる」


「そうですか?」


フィーネは自分の分を食べる。


「私は好きです」


「知ってる」


「どうしてです?」


「賄いの焼き菓子が出る日は、残りを数えてる」


フィーネの足が止まる。


「……また見ていたんですか」


「お前が分かりやすい」


「監視対象に言われたくありませんっ」


そのひと月、《異界厨房》の扉は一度も開かなかった。


閉店後。


レンとフィーネは地下へ下り、扉の前へ張った細い糸を確認した。


糸は切れていない。


床へ薄く撒いた灰にも、新しい足跡はなかった。


フィーネが油灯を持ち、レンが扉と周囲を見る。


確認が終わると、帳簿へ日付と時刻を書く。


最初のころは、地下へ下りる順番で毎晩揉めた。


フィーネはレンを先へ行かせたがった。


レンは背後へ立たれることを嫌った。


今では、どちらが先でも気にしなくなっていた。


祭りまで十日となった日。


《渡り鳥亭》の昼の客へ、試作品を無料で配った。


酒を頼んだ者へ、一口大に切ったものを一つずつ渡す。


船乗り。


商人。


荷運び人。


近所の職人。


子供を連れた家族。


反応は同じではなかった。


酒を飲む船乗りは、もっと塩気が欲しいと言った。


子供は赤実のソースが酸っぱいと言った。


年老いた商人は、薄焼きパンが噛み切りにくいと言った。


若い職人は、二つ食べたいと言った。


「全員に合わせるのは無理だ」


閉店後、集めた意見を見ながらレンが言う。


「はい」


フィーネが答える。


「意外だな。全部直せと言うかと思った」


「一人ずつ別のものを作っていたら、二百人へ出せませんから」


基本の味は変えない。


船乗りには、塩と乾燥香草を混ぜたものを追加できるようにする。


子供には、赤実のソースを少なめにする。


薄焼きパンは、焼く時間を短くして柔らかさを残す。


量は一つのまま。


「二つ食べたい人には?」


レンが尋ねる。


「二つ買っていただきますっ」


祭りの三日前。


二百個を作る手順の確認をした。


実際に使う量の半分を仕込む。


フィーネが注文役を務め、レンが焼く。


「三つ、ソース多めですっ」


レンが鍋へ三つ入れる。


「追加で二つ。片方は香草塩です」


二つ加える。


「最初の三つを返してください」


「まだ早い」


「では、先に包みを用意します」


フィーネが薄焼きパンを広げる。


レンが焼き上がったものを置く。


フィーネがソースをかけ、包む。


次の注文。


さらに次。


最初は言葉で確認していた。


何度も繰り返すうち、フィーネが手を出せば、レンは必要な数を渡すようになった。


レンが鍋を見れば、フィーネは次の包みを開いた。


声をかけなくても、互いが次に何をするか分かる。


最後の一つを包み終えたとき、決めていた時間を少しだけ上回っていた。


「もう一度だな」


レンが言う。


「今日はここまでです」


フィーネが答える。


「まだできる」


「明日の仕込みもあります。疲れた状態で続けても、手順が崩れます」


「祭りの日は、もっと長いだろ」


「だから休む練習もしてください」


「休むのに練習がいるのか」


「レンさんには必要ですっ」


潮迎え祭の朝。


港湾都市リューネは、日の出前から起きていた。


大通りには青と白の布が渡され、家々の窓には船を模した飾りが下がっている。


港へ続く道の両側には、隙間なく屋台が並んでいた。


焼いた肉の煙。


魚介を煮る湯気。


蜜と香辛料。


酒。


潮風が、いくつもの匂いを街中へ運んでいる。


沖には春の船団が見えた。


大小の帆が朝日を受け、ゆっくりと港へ近づいてくる。


船鐘が鳴った。


それに答えるように、港の鐘が鳴る。


通りから歓声が上がった。


《渡り鳥亭》の店先にも、大きな屋台が組まれていた。


佐伯は魚介と黄色根を煮込んだ汁物を担当する。


もう一つの炉と作業台が、レンとフィーネへ渡された。


屋台の正面には、フィーネが書いた板が掲げられている。


《潮魚の揚げ包み 銅貨二枚》


「名前が大げさじゃないか」


レンが板を見る。


「小魚と黄色根の包み、では売れませんっ」


「嘘ではないのか」


「海で獲れた魚ですから、潮魚です」


「ほとんどの魚がそうだろ」


「名前は私の担当です」


祭りが始まる。


最初の客が来るまで、少し時間がかかった。


佐伯の汁物を知っている客は、迷わずそちらへ並ぶ。


レンの料理を見る者はいる。


だが、何が入っているか分からず、そのまま通り過ぎていく。


「焼きたての潮魚包みですよぉ!」


フィーネが通りへ声を出す。


「白身魚と黄色根を香ばしく焼いています! 片手で食べられますので、港を見ながらどうぞっ!」


数人が足を止める。


最初に屋台へ来たのは、父親に手を引かれた小さな女の子だった。


「一つください」


父親が銅貨を置く。


「ソースは普通でよろしいですか?」


「この子が食べる」


「では、少しだけにしますねっ」


フィーネがレンを見る。


レンは鍋から一つ取り出す。


薄焼きパンへ置く。


フィーネが赤実のソースを少量かけ、包んだ。


それをレンへ戻す。


「渡してください」


「お前が渡せばいい」


「レンさんの料理です」


女の子が、屋台の前で待っている。


レンは包みを差し出した。


「熱い。気をつけろ」


「怖い言い方をしないでください」


フィーネが横から言う。


女の子は両手で受け取った。


父親が代金を置く。


少し離れた場所で、女の子が包みへかじりついた。


焼けた黒パンの粉が、小さく音を立てる。


中から白い湯気が出た。


女の子は何度か噛む。


父親が尋ねる。


「どうだ?」


「おいしい」


レンの手が止まる。


フィーネが横で笑った。


「一人目ですっ」


「まだ百九十九人いる」


「そういう数え方をするんですねぇ」


一人が食べている姿を見れば、ほかの客も買いやすくなる。


二人。


五人。


十人。


船団が港へ着くころには、屋台の前へ列ができていた。


「三つです!」


「次は二つ、片方はソース少なめ!」


「香草塩を一つ追加ですっ!」


レンは鍋を見る。


音。


色。


表面へ浮く油。


返す順番。


取り出す順番。


以前なら、同じ時間だけ火を入れていただろう。


今は、一つずつ違う焼け方を見ていた。


黄色根の水分。


魚の身の厚さ。


鍋へ入れたときの温度。


表面が自然に油から離れる瞬間。


条件が違えば、返す時期も変わる。


昼前。


仕込んでいた魚がなくなり、二度目の分が運ばれてきた。


朝とは別の漁船から買った小魚だった。


レンは身を開き、指で触れる。


「脂が少ない」


「朝のものより小さいですね」


フィーネが答える。


試作と同じ割合で黄色根を混ぜれば、魚の味が弱くなる。


火を入れれば、水分も抜けやすい。


レンは黄色根を減らした。


代わりに、炒めた玉葱を少し増やす。


卵もわずかに足した。


「配合を変えるんですか?」


「ああ」


「量は?」


「魚を食べれば分かる」


フィーネが目を丸くする。


「秤は使わないんですか?」


「料理人の目は秤なんだろ」


「都合のいいところだけ覚えますねぇ」


試しに一つ焼く。


レンが半分に割り、フィーネへ渡した。


彼女が食べる。


少し考え、頷く。


「これでいけます」


「塩は?」


「香草塩を使うお客様が多いので、基本はこのままで」


二人目の客へ料理を出すころには、新しい配合へ切り替わっていた。


午後。


港から戻った人間が一気に通りへ流れ込み、列がさらに長くなった。


フィーネは声を出し続ける。


注文。


代金。


包み。


ソース。


香草塩。


レンは焼く。


鍋へ入れる。


返す。


取り出す。


客の子供が屋台へ手を伸ばした。


熱い鍋に触れる直前、レンが手首を掴む。


「そこは触るな」


子供が固まる。


「火傷しますよぉ」


フィーネが包みを一つ見せる。


「こちらで待ってくださいねっ」


子供は素直に手を引いた。


レンは次の料理を鍋へ入れる。


「よく見えましたね」


フィーネが小声で言う。


「近かったからな」


「私は気づきませんでした」


「お前は客を見てる。俺は周囲を見てる」


「では、役割分担ですねっ」


祭りが終わる前に、二百個すべてが売れた。


最後の一つを買ったのは、朝の女の子だった。


今度は、自分で銅貨を二枚握っている。


「もう一つください」


「気に入ったのか」


レンが尋ねる。


女の子が頷く。


「お父さんが半分食べたから」


少し離れた場所で、父親が気まずそうに目を逸らしていた。


レンは最後の一つを包む。


赤実のソースは少なめ。


女の子へ渡す。


「今度は取られるな」


「はい」


「子供へ教えることではありませんっ」


フィーネが言った。


それでも、女の子が去ると笑った。


「完売ですね」


「ああ」


「銅貨四百枚ですっ」


「先に金を数えるのか」


「売り物ですから」


フィーネは代金箱を両手で持ち上げる。


一日中声を出していたため、少し掠れていた。


レンは屋台の奥に置いていた水を器へ注ぐ。


フィーネの前へ置いた。


「飲め」


「何か入っていませんか?」


「今さら疑うのか」


「念のためですっ」


言いながら、フィーネは器を取った。


一度も匂いを確かめず、そのまま飲む。


祭りの終わり。


沖へ沈む夕日が、港の水面を赤く染めていた。


屋台を片づけたあと、レンとフィーネは桟橋の端へ座った。


遠くでは、まだ音楽が鳴っている。


海へ浮かべる小さな灯りが配られ、次々と水面へ流されていた。


フィーネが紙包みを一つ差し出す。


中には、潮魚の揚げ包みが二つ入っていた。


「売り切れたんじゃなかったのか」


「形が悪くて、売り物へ回さなかった分です」


「俺が作った中に、形が悪いものはなかった」


「私が味見用に残しましたっ」


「最初からそう言え」


一つずつ取る。


作ってから時間が経っている。


表面の香ばしさは弱くなっていた。


それでも、薄焼きパンは柔らかさを残している。


魚の身と黄色根も、冷えて硬くなりすぎてはいなかった。


レンの分には香草塩。


フィーネの分には、赤実のソースが少なめに入っている。


「酸味を減らしたのか」


フィーネが尋ねる。


「午後は、その方がよく売れた」


「私のためではないんですね?」


「客のためだ」


「そうですか」


フィーネは包みを一口食べる。


「でも、私が好きな味です」


「なら同じだ」


海へ流された灯りが、波に揺れている。


「今日は、いくつ出口を数えました?」


フィーネが尋ねた。


「三つ」


「やっぱり数えていたんですか」


「屋台を組んだ時点でな」


「お客様より先に?」


「火が出たときに必要だ」


「今は料理人らしい理由ですねぇ」


しばらく、二人とも海を見ていた。


「レンさん」


「何だ」


「今日は楽しかったですか?」


レンは答えなかった。


祭りへ来たことは、これまでにもある。


人混みへ紛れた相手を追った。


祭りの音へ足音を隠した。


花火が上がる瞬間に刃を入れたこともある。


どの世界でも、祭りは任務の一部だった。


朝から料理を作り、客へ渡し、最後まで残ったのは初めてだった。


「分からない」


レンが答える。


「そこは、楽しかったと言うところですよぉ」


「嘘をつくなと言っただろ」


「では、嫌でした?」


「嫌なら、最後までやってない」


フィーネは少し考える。


「合格にしておきますっ」


「何の試験だ」


「祭りを楽しめるかどうかです」


「勝手に試すな」


フィーネは小さく笑った。


肩が触れるほどではない。


それでも、ひと月前より近い場所へ座っている。


「来年は、もっと売れるものを作りましょう」


「来年?」


「潮迎え祭は、毎年ありますから」


「俺がいるとは限らない」


「店主が約束を守る限り、監視するのでしょう?」


「ああ」


「では、来年まで守ってもらいます」


「佐伯に言え」


「レンさんにも言っています」


フィーネは残っていた揚げ包みを食べ終えた。


指についた赤実のソースを布で拭き、立ち上がる。


「戻りましょう。売上の計算が残っています」


「それはお前の仕事だろ」


「この料理の売上です。半分はレンさんの仕事ですよぉ」


「半分はお前の料理だと言ってなかったか」


「では、半分ずつ計算しましょう」


「余計に面倒だ」


フィーネが手を差し出す。


「何だ」


「座ったまま帰るつもりですか?」


「一人で立てる」


「知っています。早くしてくださいっ」


レンは差し出された手を見る。


二か月前。


同じ手が、佐伯を殺そうとしたレンの傷へ包帯を巻いた。


理由は店の衛生を守るためだと言っていた。


ひと月前。


その手が、魚を返そうとしたレンの手首を止めた。


今は、ただ桟橋から立ち上がらせるために伸ばされている。


レンはフィーネの手を取った。


立ち上がっても、フィーネはすぐには離さなかった。


レンが見ると、ようやく指を解く。


「何ですか?」


「いや」


「では、戻りますよぉ」


二人が《渡り鳥亭》へ戻ると、佐伯は閉めた屋台の前で待っていた。


空になった鍋と、積み重ねられた器。


その横には、自分の売上を数え終えたらしい銅貨の山がある。


「遅かったな」


「休憩していましたっ」


フィーネが答える。


「片づけを残してか?」


「一日中働いたんです。少しくらいいいでしょう」


佐伯はフィーネが抱えている代金箱を見る。


「売れたのか」


「二百個、完売ですっ」


「そうか」


佐伯はレンを見る。


「客の反応は?」


「同じ女の子が二回買った」


「一回目は父親に半分取られたそうです」


フィーネが付け加える。


「なら、一人半か」


「そこを数えるのか」


「料理人は客の数を覚えとけ」


佐伯は空になった材料箱を覗く。


残りがないことを確かめ、頷いた。


「とりあえず、客へ出せる料理が一つできたな」


「見習いは終わりか」


「一品作れただけで料理人を名乗る気か?」


「客へ食わせられるものを作れたら終わりだと言っただろ」


「終わるとは言ってねえ。客へ食わせられるものを作れたら、その先へ進めるだけだ」


「話が違う」


「料理人見習いってのは、そういうもんだ」


「またそれか」


佐伯は空の鍋を一つ持ち上げ、レンへ押しつけた。


「明後日から、昼の料理を一品任せる」


「明日は?」


「休め」


「仕込みは?」


「祭りの翌日くらい店を閉める」


フィーネが驚いた顔をする。


「店主が、前もって休業を決めた……?」


「何だ、その顔は」


「成長しましたねっ」


「お前ら、揃って俺を何だと思ってる」


レンは鍋を持ったまま、厨房へ向かう。


フィーネが代金箱を抱え、その隣へ並んだ。


「明後日の料理も、私が見ますからね」


「また監視か」


「指導ですっ」


「祭りの料理は売れた」


「一品だけです」


「佐伯と同じことを言うな」


「店主の弟子ですので」


厨房へ入る。


炉の火は落ちていた。


営業中なら絶えず聞こえる包丁と鍋の音もない。


それでも、祭りで使った魚と油、赤実のソースの匂いが残っている。


レンは一日中、刃物を握っていた。


切ったのは、小魚と玉葱だけだった。


二百人分の料理を作った。


そのうち一人は、もう一度食べたいと言って戻ってきた。


佐伯宗一郎を殺すために、この街へ来た。


二か月が過ぎても、任務は終わっていない。


佐伯は約束を守っている。


《異界厨房》から、新しいものは一つも持ち出されていない。


その一方で、レン自身が作った料理は、今日初めて二百人の手へ渡った。


あの女の子は、来年も同じ料理を探すかもしれない。


フィーネも、来年の話をした。


「何してるんですか?」


前を歩いていたフィーネが振り返る。


「早く鍋を洗ってくださいっ」


「明日は休みだろ」


「汚れたまま置いておく気ですか?」


「お前も手伝え」


「半分はレンさんの料理でしょう?」


「さっきは半分がお前の料理だと言った」


フィーネは少し考える。


「では、半分だけ洗いますっ」


「どうやってだ」


「外側を洗いますので、内側をお願いします」


「面倒な分け方をするな」


二人は水場へ並んだ。


フィーネが水を汲む。


レンが鍋へ流す。


どちらからともなく、祭りで繰り返した手順と同じように動いていた。


来年も、この街にいるかは分からない。


それでもレンは、フィーネの言葉を否定しなかった。

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