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今日も俺は異世界人を◯す  作者: あさきすと
〜学生研究者編〜
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3/72

少女を◯す

昼休みを告げる鐘が鳴った。


教師が教室を出た途端、それまで静かだった室内が一気に騒がしくなる。


学生たちは弁当を広げ、食堂へ向かい、あるいは別の教室にいる友人を呼びに立ち上がった。


レンはすぐには動かなかった。


机の上へ教科書を並べ直しながら、午前中に得た情報を頭の中で整理する。


授業の水準。


学生たちの座席と交友関係。


教師から評価されている者。


反対に、問題児として扱われている者。


そして、神崎カナタ。


午前中の授業で、カナタは一度だけ教師に当てられた。


答えは正解。


だが、目立つほど優秀ではない。


成績上位者ではあるが、学院一の天才という扱いでもなかった。


少なくとも、表向きは。


「レン」


前の席から、カナタが振り返った。


「約束どおり、学院を案内するよ。食堂も見たいんだったよな?」


「ああ。頼む」


レンは鞄を持って立ち上がった。


二人で教室を出る。


廊下には大勢の学生が行き交っていた。


カナタは歩きながら、学院の施設を順番に説明していく。


「正面の階段を下りたところが食堂。その隣が購買部。教科書とか筆記具はそこで買える」


「食べ物も?」


「一応。でも、昼休みの後半はほとんど残ってない」


「人気なんだな」


「みんな、授業が終わった瞬間に走るからね」


前方を、パンの入った袋を抱えた男子学生が駆け抜けていく。


その直後、廊下の向こうから教師の怒鳴り声が響いた。


「廊下を走るな!」


男子学生の足が、わずかに速くなった。


「止まらないんだな」


「捕まったらパンを取られるから」


「教師が?」


「いや、後ろから追いかけてる連中に」


見ると、数人の学生が同じ方向へ走っていく。


「平和な学院だ」


「今のところはね」


カナタは笑った。


気負った様子のない、ごく普通の笑顔だった。


二人は食堂、講堂、図書館の順に見て回った。


レンはカナタの説明を聞きながら、別の部分を観察していた。


建物同士をつなぐ渡り廊下。


守衛の位置。


使用されていない階段。


窓から外へ降りられそうな場所。


学生が少なくなる時間帯。


カナタに近づくだけなら、難しくはない。


席は前後。


向こうから案内まで申し出ている。


だが、殺すとなれば話は別だった。


カナタが前世の記憶をどこまで周囲へ明かしているのか。


研究成果がどこに保管されているのか。


既に他人へ技術を伝えているのか。


本人だけを殺して終わる仕事なのか。


確認するべきことは多い。


「次が研究棟」


カナタが、中庭の向こうにある建物を指さした。


本校舎よりも古い、三階建ての建物だった。


壁には無数の配管が走り、屋上からは細い煙突が何本も伸びている。


一階の大きな扉には、立入許可証の提示を求める札が掛けられていた。


「普通の学生も入れるのか?」


「許可があればね。僕は応用科学研究会に所属してるから、ある程度は自由に使える」


「へえ」


レンは初めて聞いたような顔をした。


依頼書に、研究会の名前までは記載されていなかった。


『そこで蓄電技術の研究を?』


レンは尋ねかけ、口を閉じた。


危ないところだった。


カナタは、自分の研究内容をまだ話していない。


「何を研究してるんだ?」


言い直す。


「電気を蓄える装置だよ」


カナタは特に疑うことなく答えた。


「今ある蓄電器は大きくて重いだろ? それを、もっと小さくしたいんだ」


「小さくすると、何かいいことがあるのか?」


「電気をどこへでも持っていける」


カナタの目に、わずかな熱が宿った。


午前中には見せなかった顔だった。


「今は発電所から電線を引かなければ、まともに電気を使えない。でも、小さくて長持ちする蓄電器があれば、電線のない場所でも使えるようになる」


「例えば?」


「山奥の診療所。地下の鉱山。航海中の船。それに、一般の家庭でも使えるかもしれない」


カナタは次々と例を挙げた。


その表情に悪意はない。


兵器を作ろうとしている人間の顔でもなかった。


ただ、自分の知識によって人々の生活が便利になると、心から信じている。


依頼書には書かれていなかった部分だ。


だが、善人かどうかは仕事に関係ない。


前回、それを嫌というほど思い知らされた。


「カナタ」


背後から、少女の声がした。


カナタの肩が目に見えて下がる。


「……見つかった」


「何をしたんだ?」


「まだ何もしてない」


「これからする予定だったのか」


「できれば」


足音が近づいてくる。


レンが振り返ると、一人の少女が渡り廊下を歩いてきていた。


年齢はレンより一つか二つ上。


亜麻色の髪を肩口で切りそろえ、学院の制服を隙なく着こなしている。


手には書類の束。


灰青色の瞳は真っすぐカナタへ向けられていた。


整った顔立ちをしている。


だが、柔らかな印象はなかった。


近寄りがたいというより、隙がない。


レンは少女の歩き方を見る。


一定の速度。


背筋は伸びている。


周囲の学生が自然に道を空けていた。


学院内で、それなりの立場にいる人間らしい。


「カナタ。昨日までに提出するよう言った研究棟の使用申請書は?」


少女が尋ねる。


「今、頭の中で書いてる」


「紙に書かなければ申請書とは呼ばないわ」


「新しい定義だね」


「一般的な定義よ」


「今日の放課後までには出す」


「昨日も同じことを言っていたでしょう」


「昨日の僕と今日の僕は、厳密には別人だから」


「では、今日のあなたには昨日のあなたの分まで反省してもらうわ」


少女は持っていた書類をカナタの胸へ押しつけた。


カナタが渋々受け取る。


「相変わらず厳しいな、アリサは」


「あなたが相変わらず適当なのよ」


少女――アリサの視線が、初めてレンへ向いた。


表情がわずかに変わる。


「あなたが、レン・クロード?」


「はい」


「榊アリサよ。宗一郎は私の祖父」


レンは内心で、依頼書の内容を思い返した。


榊宗一郎。


レンの身元保証人。


学院理事。


その孫。


これほど早く、直接の関係者と出会うとは思っていなかった。


「榊先生には、昨夜からお世話になっています」


「聞いているわ。祖父から、あなたの学院生活を手伝ってほしいと頼まれたの」


アリサはレンの顔を見つめる。


敵意はない。


だが、観察するような目だった。


「ご両親のことは……残念だったわね」


「ありがとうございます」


レンは静かに頭を下げた。


悲しそうにしすぎない。


平然としすぎない。


話題に触れられたくない人間の反応を作る。


顔を上げると、アリサはそれ以上追及しなかった。


「学生寮への入居を希望しているそうね」


「はい。いつまでも先生のお宅へご迷惑をかけるわけにはいきませんから」


「申請には保証人の署名が必要だけれど、祖父から預かっているわ。今日の放課後に寮務室へ提出しましょう」


「助かります」


「祖父に頼まれただけよ。お礼なら祖父に言って」


事務的な言葉だった。


それでも、レンにとっては都合がよかった。


榊宗一郎と暮らす期間を短くできる。


存在しない両親について質問される危険も減る。


それだけではない。


アリサは学院の制度に詳しい。


研究棟へ出入りするカナタとも親しい。


そして、身元保証人である榊宗一郎の孫。


今回の仕事に必要な三つの場所を、彼女一人がつないでいる。


利用しない理由がなかった。


「そういえば、カナタ」


アリサがカナタへ向き直る。


「彼を案内していたのでしょう。どうして研究棟へ連れてきたの?」


「まだ中には入れてないよ」


「入れるつもりだった?」


「少しくらいならいいかと思って」


「よくないわ。研究棟は見学者でも許可が必要よ」


「僕が付き添えば問題ないだろ?」


「あなたが一番問題なの」


即答だった。


カナタが不満そうに口を閉じる。


レンは笑いをこらえるように口元へ手を当てた。


アリサが気づく。


「何かおかしい?」


「いや。二人は仲がいいんだなと思って」


「幼なじみなんだ」


カナタが答えた。


「家も近かったし、小等部からずっと一緒なんだよ」


「腐れ縁という言葉が適切ね」


「それ、本人の前で言う?」


「本人へ言うための言葉でしょう」


カナタは肩をすくめた。


アリサは研究棟の扉を確認すると、腰に下げていた鍵束へ手を触れる。


いくつもの鍵の中に、研究棟の紋章が刻まれたものがあった。


「私は応用科学研究会の会長でもあるの。研究棟へ入りたいなら、正式な見学申請を出して」


「分かりました」


レンは素直に答えた。


ここで食い下がる必要はない。


急いで入りたがれば、警戒される。


興味がないふりをすれば、カナタとの距離を縮めにくい。


「研究には少し興味があります。でも、編入したばかりなので、まずは学院に慣れてからにします」


「それが賢明ね」


アリサの返事は淡々としていた。


だが、わずかに警戒が緩んだ。


自分の指示へ素直に従う人間は、扱いやすい。


そう思ったのだろう。


人は、自分が相手を扱いやすいと思った瞬間に、相手から扱われ始める。


「それじゃあ、案内の続きをしよう」


カナタが言った。


「アリサも来る?」


「行かないわ。あなたの代わりに、この申請書を研究主任へ届けるの」


「助かる」


「原因を作った人間が言う台詞ではないわね」


アリサはため息をつき、研究棟へ入っていった。


重い扉が閉じる。


レンは、その扉を見つめた。


鍵を持つ少女。


まずは、彼女からだった。


          ◇


午後の授業が終わる。


レンは何人かの学生から、帝都の街を案内すると誘われた。


初日の人間関係を作るという意味では、悪い誘いではない。


だが、今日は別の予定があった。


「悪い。寮の手続きがあるんだ」


「そっか。じゃあ明日な」


「ああ。また誘ってくれ」


明るく笑って見送る。


教室に残っている学生は少ない。


カナタの姿は、既になかった。


机の中も空になっている。


レンは鞄を持ち、教室を出た。


先に寮務室へ向かう。


書類の記入を済ませ、必要な規則を確認する。


アリサから榊宗一郎の署名入り書類を受け取り、提出した。


これで三日後には学院寮へ入れる。


「手続きは以上よ」


寮務室を出たところで、アリサが言った。


「部屋が決まったら、祖父の家にある荷物を運びましょう」


「そこまでしてもらうのは悪い」


「祖父に頼まれているから」


「何でも祖父のせいにするんだな」


アリサの眉がわずかに動いた。


「何か問題が?」


「いや。面倒見がいいと言うと怒りそうだから、黙っておこうと思った」


「もう言っているでしょう」


「ばれたか」


レンが笑う。


アリサは呆れたように息を吐いた。


「編入初日とは思えないほど余裕があるのね」


「内心では緊張してる」


「そうは見えないわ」


「見えないようにしてるからな」


その答えに、アリサは一瞬だけ黙った。


レンは笑顔を崩さなかった。


嘘ではない。


ただし、緊張している理由が違うだけだ。


「それじゃあ、俺は少し学院の中を見てから帰るよ」


「正門の閉門は六時。研究棟と資料棟は五時までよ」


「覚えておく」


アリサへ軽く手を上げ、その場を離れる。


階段を下り、食堂の前を通り、中庭へ出た。


そのまま正門へは向かわない。


研究棟へ続く渡り廊下へ入る。


カナタは授業が終わる前から、何度も時計を確認していた。


制服の袖には、午前中にはなかった黒い汚れがついていた。


昼休みの間に研究棟へ入り、何かを動かした可能性がある。


そして、放課後になると同時に教室から消えた。


研究を続けていると考えるのが自然だった。


レンは研究棟の前まで来た。


正面扉は閉まっている。


耳を澄ませる。


かすかに機械の動く音が聞こえた。


人の声はない。


レンは扉へ近づかなかった。


周囲を一周する。


西側に資材搬入口。


裏手には地下へ続く通気口。


二階には廊下の窓が並んでいる。


建物の構造を覚えるだけにとどめ、今日は引き返す。


そのつもりだった。


「寮務室は、反対側だけれど」


背後から声をかけられた。


振り返る。


渡り廊下の入口に、アリサが立っていた。


書類は持っていない。


代わりに、先ほどの鍵束を手にしている。


「手続きは終わったよ」


「そのあと、学院を見て帰ると言っていたわね」


「ああ」


「それで、真っ先に立入制限のある研究棟へ?」


疑いの目。


レンは返事を急がなかった。


下手な言い訳を作れば、かえって不自然になる。


「教室を出たとき、カナタがこちらへ向かうのが見えた」


レンは研究棟を見る。


「昼間、面白そうな話を聞いたからな。研究しているところを少し見られないかと思った」


「許可が必要だと言ったでしょう」


「だから中には入ってない」


アリサは閉じた扉を見る。


その向こうから、再び機械音が響いた。


規則的だった音が、途中で一度だけ乱れる。


アリサの表情が変わった。


「カナタ……!」


鍵を差し込み、扉を開ける。


レンは動かなかった。


アリサが振り返る。


「あなたはここで待っていて」


「分かった」


命令に従う。


扉が閉まる直前、レンは靴の先をわずかに挟んだ。


完全には閉まらない。


内部から、アリサの足音が遠ざかっていく。


レンは十秒待った。


次に、十五秒。


建物の奥から声が響く。


「カナタ! 何をしているの!」


「アリサ? どうしてここに」


「それはこちらの台詞よ! 申請書はまだ承認されていないでしょう!」


「装置を動かすだけなら平気だよ」


「前にも同じことを言って、実験台を燃やしたでしょう!」


「今回は燃えない」


「何を根拠に――」


金属が軋む音がした。


二人の会話が止まる。


続いて、低い振動音。


レンは扉を開けた。


声の聞こえた方向へ走る。


廊下を曲がった先に、扉の開いた実験室があった。


室内には、レンの知らない器具が並んでいる。


銅線。


計器。


薬品の入った瓶。


壁際には、この世界で一般的に使われている大型の蓄電器が置かれていた。


その中央。


実験台の上に、金属製の小さな箱がある。


両手で抱えられるほどの大きさ。


箱から伸びた線が、数個の電灯へつながっていた。


電灯は、昼間だというのに目を開けていられないほど明るく輝いている。


カナタは装置の前に立っていた。


アリサが、その腕を引いている。


金属箱から、甲高い音が鳴っていた。


細い蒸気が噴き出している。


箱の側面が、内側から押されるように膨らんでいた。


レンには、装置の仕組みは分からない。


だが、似た音を知っていた。


蒸気機関を使う世界。


圧力鍋のある世界。


火薬を金属筒へ詰める世界。


中身が違っても、限界を迎えた容器が上げる悲鳴はよく似ている。


「伏せろ!」


レンは叫んだ。


壁に掛けられていた厚い防火布をつかむ。


実験台へ駆け寄り、金属箱の上へかぶせた。


次の瞬間。


箱が破裂した。


鈍い爆発音。


防火布が大きく膨らみ、金属片が内側から突き刺さる。


レンの身体が衝撃で床へ倒れた。


耳鳴り。


焦げた臭い。


割れた電灯の破片が、床へ降り注ぐ。


数秒遅れて、警報装置の鐘が鳴り始めた。


「レン!」


誰かが自分の名前を呼んでいる。


レンは床へ手をついた。


右腕に痛みが走る。


見ると、制服の袖が裂け、前腕から血が流れていた。


金属片がかすめたらしい。


致命傷ではない。


指も動く。


「カナタは」


レンが尋ねる。


「無事よ。あなたも動かないで」


アリサが床へ膝をつき、レンの腕を確認する。


カナタは実験台の反対側で尻もちをついていた。


怪我はない。


破裂する直前、アリサに引かれて装置から離れていたようだ。


「どうして入ってきたの」


アリサが言う。


責める口調ではなかった。


声がわずかに震えている。


「嫌な音が聞こえた」


「それだけで、破裂すると分かったの?」


「昔、似た音を聞いたことがある」


「北部で?」


「農村だからって、何も壊れないわけじゃない」


レンは痛みに顔をしかめながら笑った。


アリサは何か言いたそうにしたが、先に傷の処置を始めた。


壁の救急箱から布と消毒液を取り出す。


慣れた手つきだった。


「しみるわよ」


「待て。心の準備を――」


消毒液が傷口へ注がれた。


「痛っ……!」


「先に言ったでしょう」


「言ってから使うまでが早すぎる」


「カナタの実験に付き合っていると、怪我の処置だけは上達するの」


「誇るところじゃないだろ」


「まったくだね」


カナタが口を挟む。


アリサが振り返った。


「あなたは黙っていなさい」


「はい」


カナタが姿勢を正す。


アリサはレンの腕へ包帯を巻き終えると、ゆっくり立ち上がった。


そして、カナタの前まで歩いていく。


「何が、今回は燃えない、よ」


「燃えてはいない」


「爆発したでしょう!」


平手が振り上げられる。


カナタが目を閉じた。


だが、アリサは殴らなかった。


手を握りしめたまま、力なく下ろす。


「あなたが死んだら、研究が成功しても何の意味もないでしょう」


怒りよりも、恐怖の残る声だった。


カナタの表情から、言い訳が消えた。


「……ごめん」


「私に謝る前に、レンへ謝りなさい」


カナタがレンへ向き直る。


「すまない。僕のせいで怪我をさせた」


「たいした傷じゃない」


「でも、君が布をかぶせてくれなかったら、僕たちは――」


カナタの視線が、実験台へ向く。


防火布には何本もの金属片が突き刺さっていた。


あれをまともに浴びていれば、無傷では済まなかっただろう。


「借りができた」


「初日に貸しを作れるとは思わなかったな」


「必ず返すよ」


「それなら、学院で一番うまい昼飯を教えてくれ。それでいい」


「そんなことで?」


「食堂の料理に期待してる」


「分かった。明日は僕がおごる」


カナタが、少しだけ笑った。


警戒している様子はない。


むしろ、命を救われたことで、レンへの信頼を強めている。


意図して起こした事故ではない。


だが、利用できるものは利用する。


事故も。


怪我も。


他人の良心も。


「それより、この装置は何なんだ?」


レンは破裂した金属箱を見る。


純粋に興味を持ったような声を作る。


カナタは一瞬ためらった。


アリサが視線で止めようとする。


しかし、カナタは実験台に残っていた一冊の帳面を手に取った。


「新型の蓄電器だよ」


開かれたページには、細かな数字と図面が書き込まれていた。


レンには、その計算のすべては理解できない。


言葉が読めても、専門知識まで得られるわけではない。


それでも、いくつか分かることはあった。


同じ大きさの既存製品と比較した表。


充電に必要な時間。


放電を繰り返した回数。


蓄えられる電力量。


カナタの試作品には、既存品の十二倍という数字が記されていた。


「まだ完成してない」


カナタは壊れた装置を見つめる。


「小さくすると、内部に熱がこもる。圧力を逃がせば出力が落ちる。そこを解決できれば、実用化できるんだけど」


「十二倍というのは?」


「計算上の数字だよ。今日の実験で、半分までは確認できた」


半分。


つまり、現時点でも既存技術の六倍。


依頼書に書かれていた未来予測は、大げさではない。


カナタは間違いなく、世界の技術を数十年進める知識を持っている。


対象の確認。


研究の進行度。


成果の保管場所。


必要な情報が、一度に三つ手に入った。


「カナタ」


アリサが低い声で呼ぶ。


「あまり簡単に研究内容を話さないで」


「レンなら大丈夫だよ」


「今日会ったばかりでしょう」


「命を助けてもらった」


「それとこれは別の話よ」


二人の間に立つ。


レンは黙って様子を見ていた。


カナタは人を信じやすい。


アリサは、その危うさを理解している。


対象へ近づくうえで、邪魔になるのは間違いなくアリサだった。


同時に、彼女の信頼を得られれば、これほど便利な人間もいない。


「アリサの言うとおりだ」


レンはカナタへ帳面を返した。


「今日会ったばかりの人間を信用しすぎるのはよくない」


カナタが意外そうに目を瞬かせる。


アリサもレンを見る。


「自分で言うのね」


「信用してほしいからこそ、急がないほうがいい」


レンは壊れた装置へ目を向けた。


「ただ、こういうことを何度もやってるなら、人手は増やしたほうがいいんじゃないか?」


「研究会入門の希望者はいるわ」


アリサが答える。


「でも申請が通っていないから僕一人だった」


「私もいたでしょう」


「アリサは止めに来ただけだろ?」


「止める必要があることをしないで」


また言い合いが始まりかける。


レンは二人の間へ言葉を挟んだ。


「俺を研究会に入れてくれないか?」


二人が同時にレンを見た。


「あなたを?」


「正直、研究の知識はほとんどない」


「では、何をするつもり?」


「記録係。掃除。荷物運び。それと――」


レンはカナタを指さした。


「こいつが勝手に危ない装置を動かさないか見張る」


「僕の扱い、もうそれで決まったの?」


「出会って半日で爆発に巻き込まれたからな」


「反論しづらいな……」


アリサは腕を組み、レンを見つめた。


簡単には答えない。


レンがどういう意図で研究会へ入ろうとしているのか、考えている。


当然の警戒だった。


レンは急かさなかった。


断られたとしても、別の方法を探せばいい。


沈黙のあと、アリサが口を開く。


「研究会へ入るには、最低限の安全講習を受けてもらうわ」


「受ける」


「装置には、私か担当教員の許可なく触れないこと」


「分かった」


「研究内容を、外部へ漏らさないこと」


「約束する」


「入会を許可したわけではないわ。仮登録よ。あなたの働きを見てから判断する」


十分だった。


研究室へ出入りできる。


カナタの行動を観察できる。


アリサとの関係も作れる。


「ありがとう。榊先輩」


「アリサでいいわ。同じ研究会で、毎回その呼び方をされると面倒だから」


「分かった、アリサ」


レンは素直に呼び方を変えた。


アリサの眉が再びわずかに動く。


「順応が早いのね」


「早く馴染めるように努力してる」


「そうだったわね」


完全には信じていない。


だが、拒絶もされていない。


今はそれでよかった。


「明日の放課後、研究棟の第二実験室へ来て。安全講習を行うわ」


「昼飯のあとでいいか?」


「昼食?」


「カナタがおごってくれるらしい」


「あのね、カナタ」


アリサの声が低くなる。


「実験器具を壊した弁償について、まだ話が終わっていないのだけれど」


カナタが顔を引きつらせた。


「明日の昼食代くらいは残してくれる?」


「反省の度合いによるわね」


「レン。食堂じゃなくて、水だけになるかもしれない」


「命の恩人への礼が水か」


「水道水なら無料だよ」


「少し後悔してきた」


レンが言うと、カナタが笑った。


アリサも一瞬だけ、口元を緩める。


だが、すぐに真剣な表情へ戻った。


「笑っている場合ではないわ。警報を聞いた教師が来る前に、状況を整理するわよ。隠すという意味ではなく、正確に説明できるようにするの」


「はい、会長」


「カナタ。あなたは壊れた装置の確認」


「分かった」


「レンは座っていて。怪我人まで働かせられないわ」


「片づけくらいできる」


「駄目よ」


「でも――」


「座っていて」


有無を言わせない口調だった。


レンは近くの椅子へ腰を下ろした。


「分かったよ」


アリサは破損した実験台の確認を始める。


割れた器具。


焼けた配線。


飛び散った薬品。


教師へ説明するため、一つずつ紙へ記録していく。


カナタが失敗を隠そうとすれば止め、危険な破片へ近づけば腕を引く。


口では文句を言いながら、彼女は常にカナタの安全を確認していた。


レンは、その姿を静かに眺めた。


榊アリサ。


学院理事の孫。


応用科学研究会の会長。


研究棟の鍵を持ち、カナタの研究内容を知り、本人から信頼されている幼なじみ。


責任感が強い。


規則を重視する。


他人の面倒を放っておけない。


そして、カナタを守るためなら、自分が嫌われる役目も引き受ける。


使いやすい人間だった。


同時に、使い方を間違えれば、誰よりも早く異変へ気づく人間でもある。


近づきすぎれば疑われる。


距離を取れば、カナタへ近づけない。


必要なのは、彼女が自分からレンをそばへ置きたくなる理由だった。


今日の事故で、その最初の一つはできた。


カナタを助けた人間。


危険を前にしても動ける人間。


研究の邪魔をせず、無茶を止めてくれる人間。


そう思わせればいい。


本当にそうである必要はない。


彼女が、そう信じていればいい。


「レン」


アリサが呼んだ。


「何だ?」


「今日は……ありがとう」


先ほどまでの厳しい口調ではなかった。


「あなたが来てくれなければ、カナタは大怪我をしていた」


「気にするな。たまたま間に合っただけだ」


「それでもよ」


アリサはレンの包帯へ視線を落とす。


「その怪我の借りは、私も返すわ」


レンは少し考えるふりをした。


「じゃあ、研究会を追い出されそうになったときに使う」


「規則を破ったら追い出すわよ」


「命の恩人でも?」


「それとこれは別の話」


昼間、カナタへ言ったのと同じ言葉だった。


「手強いな」


「普通よ」


アリサはそう言いながら、今度ははっきりと笑った。


わずかな変化。


だが、レンは見逃さなかった。


「明日からよろしく、アリサ」


「ええ。よろしく、レン」


彼女は、カナタを守るためにレンを研究会へ入れた。


自分一人では止められない幼なじみを、彼と一緒に見張ってもらうために。


その判断が何を招くのか、まだ知らない。


レンがカナタを守る理由など、どこにもないことも。


レンにとって彼女自身が、研究棟の扉を開く鍵でしかないことも。


ただ――鍵は、乱暴に扱えば折れる。


だから大切にする。


信頼されるまで。


必要な情報をすべて引き出すまで。


そして、役目を終えるその瞬間まで。


レンは穏やかな笑顔を浮かべながら、右腕に残る痛みを確かめた。

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