試用期間を◯す
《異界厨房》を出ると、地下室へ続く階段の上に灯りがあった。
フィーネが立っている。
片手には小さな油灯。
もう一方の手には、店内で異常を知らせるための鐘が握られていた。
「起きてたのか」
佐伯が言う。
「店主が、正体の分からない人を残して地下へ行ったんです。眠れると思いますか?」
声は静かだった。
フィーネの視線が、佐伯の切れた唇へ向く。
首に残った赤い痕。
下がった右肩。
続いて、レンを見る。
焼けた上着。
赤く腫れた腕。
血の滲んだ肩。
「何があったんですか」
「少し話し合いをした」
「俺が佐伯を殺そうとした」
レンが答えた。
佐伯が顔をしかめる。
「お前は、余計なところだけ正直だな」
フィーネの指が鐘を握り込む。
そのまま一歩下り、佐伯を庇う位置へ立った。
「近づかないでください」
「もう終わった」
佐伯が言う。
「終わっていません。殺そうとした人が、まだ目の前にいます」
「今夜はもうやらない」
レンが答える。
「今夜は、ですか」
鐘を握る指に力が入る。
「店主。今すぐ、この人を追い出してください」
「その前に話をする」
「殺されかけた直後にですか?」
「だからだ」
佐伯はフィーネの横を通り、階段を上がっていく。
「薬箱を持ってこい。こいつも、このままじゃ明日の仕込みに使えん」
「明日も働かせるつもりなんですか?」
「試用期間が一日残ってる」
「採用基準に殺人未遂はないんですか」
「今まで応募してきたやつにはいなかったからな」
佐伯は先に厨房へ戻っていく。
フィーネはしばらく、その背中を見ていた。
やがて鐘を置き、レンへ冷たい視線を向ける。
「動けますか」
「動ける」
「では、自分で歩いてください。手は貸しません」
「頼んでない」
「そうですか」
フィーネは先に階段を上がった。
最後まで、レンへ背中は向けなかった。
三人は、閉店後の食堂へ集まった。
長い卓の上には、油灯と薬箱だけが置かれている。
フィーネは先に佐伯の唇と首の傷を診た。
冷水で濡らした布を当て、右肩へ薬を塗る。
「骨は?」
「折れてない」
「ご自分で決めないでください」
「動くから大丈夫だ」
「店主の大丈夫は信用できません」
肩を押された佐伯が、わずかに顔を歪める。
フィーネの手が止まった。
「痛いんですね」
「少しな」
「それを大丈夫ではないと言うんです」
佐伯の手当てが終わると、フィーネは薬箱を閉じた。
「こいつの分は?」
佐伯が尋ねる。
「ありません」
「あるだろ」
「薬はあります。手当てする理由がありません」
「このまま放っておいたら、血と膿で厨房が汚れる」
フィーネは少し考えた。
「それは困りますね」
「俺が自分でやる」
レンが薬箱へ手を伸ばす。
フィーネが、その手を叩いた。
「傷だらけの手で薬へ触らないでください。不衛生です」
「どっちなんだ」
「店の衛生を守るために手当てします。感謝は不要です」
フィーネはレンの上着を脱がせた。
焼けた布が傷へ張りついている。
水で湿らせながら剥がし、赤くなった肩へ軟膏を塗っていく。
手つきは丁寧だった。
表情は一度も緩まなかった。
「暴れたら、傷口へ塩を塗ります」
「厨房にあるな」
「たくさんあります」
「フィーネ。その辺にしとけ」
佐伯が言う。
「店主は黙っていてください」
「はい」
フィーネは包帯を結び終えると、レンの正面へ座った。
逃がすつもりはないらしい。
佐伯も向かい側の椅子へ腰を下ろす。
「それで」
佐伯がレンを見る。
「俺を殺す理由を話せ」
「話せと言われて、話すと思うか」
「なら、ここでフィーネに鐘を鳴らさせる。兵士が来れば、お前は殺人未遂で捕まる」
「その前に逃げる」
「逃げられるでしょうね」
フィーネが冷たく言う。
「その場合は、街中にあなたの特徴を知らせます。料理人組合にも、商人にも、門衛にも」
「面倒だな」
「今さら気づきました?」
レンは二人を見る。
正体を隠したまま調査を続けることは、もうできない。
佐伯を殺すことにも失敗した。
《異界厨房》の構造を知るためには、佐伯自身から聞き出す必要がある。
「俺の仕事は、異世界人を殺すことだ」
フィーネの顔から、怒りとは別の表情が消えた。
「異世界人?」
「この世界の外から来た人間だ」
レンは佐伯を見る。
「こいつのような」
食堂が静まり返る。
フィーネはゆっくりと佐伯へ顔を向けた。
佐伯は否定しなかった。
「店主」
「本当だ」
短い答えだった。
「俺は、この世界で生まれた人間じゃない」
フィーネの唇が、わずかに開く。
「遠いところから来たと……」
「ああ。少し遠すぎるところからな」
「十四年前?」
「そうだ」
フィーネは地下への階段がある方角を見る。
「では、あの食材も」
「俺がいた世界のものだ」
「どうして、今まで何も」
「言ってどうする」
佐伯が答える。
「信じるか?」
「信じました」
迷いのない返事だった。
佐伯の目がわずかに動く。
「最初から話してくれていたとしても、私は信じました」
「……そうか」
「はい」
それ以上、フィーネは何も言わなかった。
ただ、膝の上で重ねた指に力が入っている。
佐伯はレンへ向き直った。
「異世界人だから殺すのか」
「そうだ」
「善人でも?」
「関係ない」
「悪人でも?」
「同じだ」
フィーネの視線が鋭くなる。
「店主が何をしてきたか、知っていますか」
「知ってる」
「飢饉のとき、何人を救ったかも?」
「知ってる」
「それでも殺すんですか」
「佐伯が何人を救ったかと、赤実が岸留め草を押しのけていることは別だ」
フィーネが言葉を止める。
「善意で持ち込んでも、生態系は善意を理解しない。料理を教えた先で何が変わるかも、佐伯には選べない」
レンは続けた。
「異世界の知識や能力は、その世界にない変化を起こす。小さいうちは止められる。広がりきる前なら、持ち込んだ人間を殺して、残ったものを処分できる」
「今回は、もう広がっています」
「だから回収は諦めた」
フィーネの眉が寄る。
「諦めた?」
「全部を元に戻す方が被害が大きい。畑を潰せば村が死ぬ。作り方を消しても、覚えた人間の頭までは消せない」
レンは佐伯を見る。
「それでも、新しいものが入り続けるのは止めなければならない。入口はこいつだ」
「だから殺す」
「そうだ」
佐伯はしばらく黙っていた。
怒りは見えない。
弁解する様子もなかった。
「誰に命じられた」
「世界の外にいる、女神を名乗る者だ」
「女神ねえ」
佐伯は椅子の背へ身体を預けた。
「俺をここへ連れてきたやつとは別か?」
「知らない」
「お前も異世界人なのか」
「違う」
レンは一度言葉を切った。
「世界を渡ってはいる」
フィーネがレンを見る。
「今までにも、店主のような人を?」
「殺した」
「何人ですか」
「数えてない」
その答えに、フィーネの顔が強張る。
佐伯だけは、静かにレンを見ていた。
「全員、抵抗したか」
「しなかった奴もいる」
「命乞いは?」
「あった」
「それでも殺した」
「仕事だからな」
「そうか」
佐伯は短く息を吐いた。
「なら、俺だけ見逃せと言っても無駄だな」
「初めから聞く気はない」
「言う気もねえよ」
佐伯は卓の上に両腕を置いた。
「俺がここへ来たとき、持ってたのは着ていた服だけだった。言葉も通じない。金もない。腹が減って、路地裏で倒れた」
視線が、地下へ続く扉へ向く。
「そのとき、初めて《異界厨房》が開いた」
「お前が名づけたのか」
「いや。名前なんて知らん。俺はずっと、裏の厨房と呼んでた」
佐伯は苦笑した。
「中に人はいない。元の世界そのものへ戻れるわけでもない。俺が知っている食材や道具を思い浮かべると、棚や保管庫に現れる。それだけの場所だ」
「量に限界は?」
「ある。最初は一日に一食分だった。店を始めて、料理を作るほど広くなった」
「生きたものも出せるようになった」
「ああ」
佐伯の顔から笑みが消える。
「最初の数年は、店で使う分だけだった。調味料と、少しの食材。それが、七年前の飢饉で変わった」
フィーネも、その飢饉を知っているらしい。
視線を伏せた。
「港に魚が来なくなった。畑もやられた。食うものがなくて、毎日人が死んだ」
佐伯は続ける。
「俺は裏の厨房から食材を出した。出せるだけ出した。それでも足りなくて、種を持ち出した。成長が早くて、痩せた土地でも育つものを選んだ」
赤実。
黄色根。
この街の市場へ並ぶ、見慣れない食材。
「間違いだったと言うのか」
レンが尋ねる。
「分からん」
佐伯は答えた。
「出さなければ、もっと死んでいた。それは間違いない。だから、あのときと同じ状況になれば、俺はまた出すかもしれん」
フィーネが顔を上げる。
「店主……」
「だが、そのあとも増やし続けたのは俺だ」
佐伯は自分の手を見る。
「飢饉が終わったあとも、うまいと言われるのが嬉しくて、新しいものを出した。農家が喜べば種を渡した。弟子が欲しがれば、作り方を教えた」
返ってくる言葉はない。
「俺が見ていたのは、皿と、それを食う人間だけだった。畑の外で何が増えているかまでは見ていなかった」
佐伯はレンへ目を向けた。
「知らなかったでは済まんのだろうな」
「…」
佐伯は頷いた。
フィーネが何かを言おうとした。
だが、佐伯が手で止める。
「俺が助けた人間がいることと、俺が問題を起こしたことは別だ。こいつが言ってることは間違ってない」
「だからといって、殺される必要はありません」
「それも間違ってない」
「店主は、どちらの味方なんですか」
「俺の味方だよ」
佐伯は即答した。
「死にたくはない。だが、何もなかったことにするつもりもない」
佐伯は卓の上の油灯を見る。
「レン。取引をしよう」
「断る」
「まだ何も言ってない」
「大体分かる」
「なら話が早い」
佐伯は指を一本立てた。
「今日から、《異界厨房》から新しい食材を持ち出さない」
「種も、生き物も、調味料もだ」
「ああ。すでにこの世界で作られているものだけで店を回す」
「信用できない」
「だから、お前が見張れ」
佐伯はレンをまっすぐ見る。
「お前は、俺がやったことを問題として見た。街の連中は料理を見る。農家は作物を見る。商人は売り物を見る。俺も、食った人間の顔しか見てなかった」
「拒否したら」
「また俺を殺そうとするんだろ」
「ああ」
「なら、俺は厨房から出ない」
「店はどうする」
「厨房にいれば料理はできる」
レンは黙った。
佐伯は《異界厨房》を消すことはできない。
だが、自分の意思で開かないことはできる。
今すぐ殺したところで、扉がどうなるかは分からない。
殺す判断は、そのあとでもできる。
「なぜ俺を生かした」
レンは尋ねた。
「取引に使うためか」
「それもある」
佐伯は隠さなかった。
「お前を殺しても、お前に依頼を出したやつは残る。次の人間を送ってくるかもしれん。なら、ここで何が起きてるのか知っているお前を残した方がいい」
「それだけか」
「フィーネや店の連中を殺さなかった」
「対象じゃない」
「俺にとっては十分だ」
佐伯は傷の残る首を撫でる。
「俺を殺しに来たことは許さん。だが、今すぐお前を殺す理由もない」
「店主にはなくても、私にはあります」
フィーネが言う。
「お前も、別にこいつを殺したいわけじゃないだろ」
「店からは追い出したいです」
「それだと監視できなくなる」
フィーネは黙った。
佐伯の言葉が正しいことは理解している。
納得はしていない。
「条件が一つあります」
フィーネがレンを見る。
「店主だけでなく、他の従業員や村の方々へ手を出さないこと」
「元からそのつもりはない」
「店主へも手を出さないこと」
「それは約束できない」
「では、取引は成立しません」
「そこは無理だろ。こいつは俺を殺しに来たんだから」
「店主は少し黙ってください」
再び佐伯が口を閉じる。
フィーネは深く息を吸った。
「調査が終わるまでは、店主へ手を出さないでください」
「佐伯が約束を守る限りはな」
「店主」
「守る」
佐伯が答えた。
「新しいものは出さない。隠しもしない」
フィーネはまだ不満そうだった。
それでも、鐘へ手を伸ばすことはなかった。
「話は決まりだな」
佐伯が立ち上がる。
「まだです」
フィーネが言う。
「何がだ」
「試用期間の判断が残っています」
「そこは続けるのか」
レンが尋ねる。
「店で働くなら当然です」
フィーネは卓上の小さな時計を見る。
夜明けまで、あと一時間ほど。
「店主が、朝四時に一皿作るよう命じたのでしょう?」
「ああ」
「殺人未遂で免除する気はありません」
「普通は逆じゃないか」
「不採用にできないのであれば、せめて試験くらいは受けていただきます」
佐伯が笑う。
唇の傷が開き、すぐに顔をしかめた。
「笑わないでください」
「悪い」
「レンさんも、立ってください」
「怪我人だぞ」
「店主もです」
「扱いが同じなのか」
「どちらも厨房で暴れた人です」
空が白み始める前に、三人は厨房へ移った。
作業台の上へ、佐伯が食材を並べる。
黄色根。
小さな玉葱。
卵。
白身魚から取った出汁。
塩。
乾燥した香草。
固い黒パン。
「ここにあるものを使え」
佐伯が言う。
「全部使う必要はない。俺とフィーネに食わせる一皿を作れ」
「毒見はどうします?」
フィーネが尋ねる。
「入れようとしても厨房が止める」
「便利ですね」
「俺も今、初めて毒見に使えると気づいた」
フィーネが不安そうにレンを見る。
「能力が止める前提で、味見をするのは私なんですね」
「嫌なら俺だけで食う」
佐伯が答える。
「店主一人に食べさせる方が不安です」
「なら食え」
レンは二人の会話を無視し、材料を見る。
肉はない。
昨日作った煮込みと、似た材料だった。
生きるために必要なものを入れるだけなら難しくない。
だが、今回は食べる人間が決まっている。
佐伯は唇を切っている。
首にも革紐の痕が残っている。
固い黒パンや、刺激の強い香草は避けた方がいい。
フィーネは怪我をしていないが、夜通し起きている。
腹へ重いものを入れるより、温かく、消化しやすいものがいい。
レンは黒パンと香草を脇へ除けた。
黄色根の皮を剥く。
昨日よりも小さく切り揃え、玉葱は薄く刻んだ。
鍋へ出汁を入れる。
火にかける。
沸騰する前に黄色根を加え、表面へ浮いた泡を丁寧に取った。
玉葱を入れ、火を弱める。
黄色根が匙の背で潰れるほど柔らかくなるまで待つ。
卵を器へ割り、箸で混ぜる。
鍋の中へ細く流し込むと、白と黄色が薄い布のように広がった。
最後に塩。
一度、匙で汁をすくう。
息を吹きかけ、味を見る。
出汁の塩気だけが先に来る。
黄色根の甘みはあるが、少し弱い。
塩を足すのではなく、火を弱めてもう少し煮た。
玉葱の甘い匂いが湯気へ混ざる。
三つの器へ、均等によそう。
淡い金色の汁。
柔らかく煮えた黄色根。
卵は細く広がり、表面にはわずかな油が浮いている。
香辛料を使っていないため、香りは弱い。
その代わり、魚の出汁と玉葱の甘さが静かに残った。
「できた」
レンが二人の前へ器を置く。
フィーネが匙を取る。
湯気を避けるように息を吹き、一口飲んだ。
最初に魚の出汁。
そのあとから、煮崩れた黄色根の甘みが来る。
卵が舌触りを柔らかくしている。
ただ、玉葱にはわずかに辛みが残り、全体の味も薄い。
フィーネは黄色根を一つ食べた。
力を入れなくても、口の中で崩れる。
「昨日よりは、かなりましですね」
「褒めてるのか」
「食材への謝罪は保留にしてもいい程度ですっ」
いつもの調子が、少しだけ戻っていた。
「ただ、味が薄いです。玉葱にも辛みが残っています。卵も、もう少し早く火を止めた方が柔らかく仕上がります」
佐伯も匙を取った。
切れた唇へ触れないよう、ゆっくりと汁を口へ運ぶ。
飲み込むとき、首の痛みでわずかに顔が歪んだ。
それでも二口目を食べる。
「なぜ、これにした」
「口が切れてる。喉も痛めてるだろ」
レンは佐伯を見る。
「固いものと香辛料は避けた。熱すぎても飲めない。フィーネも寝てないから、腹に重いものは入れない方がいい」
佐伯は器の中を見る。
「昨日は、生きるために必要なものを入れただけだったな」
「ああ」
「今日は?」
「食う人間に合わせた」
佐伯は柔らかくなった黄色根を匙で崩す。
それから、汁と一緒に食べた。
「味はまだ駄目だ」
「そうか」
「だが、料理人見習いとしては合格だ」
フィーネが佐伯を見る。
「合格にするんですか?」
「誰に食わせるかは考えた。あとは味を覚えればいい」
「店主を殺しかけた直後に、店主の喉を気遣った料理を出す人ですよ?」
「変なやつだな」
「店主が言わないでください」
佐伯は器に残った汁を飲み干した。
「というわけで、今日から正式採用だ」
「待て」
今度はレンが止めた。
「俺は取引の間、ここに残るだけだ」
「寝床と飯を使うなら働け」
「皿洗いでもいい」
フィーネが目を細める。
「料理から逃げるんですか?」
「逃げてない」
「では、料理人見習いで問題ありませんねっ」
「何が、ではだ」
「店主。私からも条件があります」
フィーネは指を一本立てた。
「厨房内での殺人、暗殺、毒物の混入は禁止です」
「普通の店にもある決まりか?」
「今作りました」
二本目。
「無断で地下へ入らないこと」
「調査に必要なら入る」
「その際は、店主か私へ声をかけてください」
三本目。
「店主を殺そうとするときは、事前に私へ報告すること」
「報告するわけないだろ」
「では、常に監視します」
「好きにしろ」
フィーネは佐伯へ向き直った。
「店主にも条件があります」
「俺もか?」
「当然です。《異界厨房》から何か持ち出すときは、必ず私とレンさんへ報告してください。今後は一つ残らず帳簿へ記録します」
「ああ」
「新しい予定は、前日までに共有してください」
「それは今回と関係ないだろ」
「重要です」
「分かったよ」
「本当に?」
「善処する」
「守る気がない人の言葉ですねっ」
佐伯とフィーネのやり取りを聞きながら、レンは自分の作った汁物を口へ運んだ。
昨日より薄い。
玉葱の辛みも残っている。
卵は少し固い。
それでも、昨日の煮込みとは違った。
何が違うのかは分かる。
自分が食べるためではなく、目の前にいる二人へ出すことを考えて作った。
それだけだった。
「レン」
佐伯が呼ぶ。
「今日から仕込みも教える。まずは、その玉葱の切り方からやり直しだ」
「さっき合格と言っただろ」
「見習いとしてだ。料理人としては不合格だ」
「話が違う」
「料理人見習いってのは、そういうもんだ」
「ほぁ~。よかったですね、レンさんっ」
フィーネが笑う。
「殺人者から、正式に料理人見習いへ昇格ですよぉ」
「昇格なのか」
「少なくとも、お客様へ料理を出せない点は変わりません」
「何も変わってないな」
三日間の試用期間は、それで終わった。
佐伯宗一郎を殺すために《渡り鳥亭》へ入ったレンは、その佐伯本人の判断によって、正式な料理人見習いとなった。




