鍵を◯す2
王城の門が閉じる。
その直後。
東門を守っていた兵士たちが動き始めた。
「全員、その場を動くな!」
門の上から声が飛ぶ。
臨時使用人たちの足が止まった。
荷車を引いていた馬が、不安そうに鼻を鳴らす。
遠くでは、今も警鐘が鳴っている。
人材管理所で異常が起きた。
詳しい内容までは、まだ王城へ伝わっていないはずだった。
それでも、兵士が調べに向かえば時間の問題だ。
レンは周囲を見る。
東門。
外壁の上。
中庭を囲む回廊。
完全武装の兵士が、少なくとも三十人。
レンの剣は、門を通る前にオルガ商会の荷車へ隠してある。
今、持っている武器は外套の内側へ入れた小さな短剣だけだった。
正面から抜け出すことはできない。
隣にいたニナが、小声で言う。
「どうする?」
「まだ動くな」
兵士が臨時使用人の名簿を集め始めた。
認証を受けた者。
まだ受けていない者。
二つの集団へ分けていく。
レンとニナは、既に認証を終えている。
だが、人材管理所が襲われたことまで判明すれば、認証済みの名簿も調べ直される。
「認証済みの者も残せ!」
東門の隊長が命じた。
兵士が、門の内側へ鉄柵を運び始める。
そのとき。
王城の中央棟から、一人の男が走ってきた。
青い上着。
胸元には、王家の紋章が刺繍されている。
「何をしている!」
男が隊長へ怒鳴る。
「北区で警鐘が鳴りました。人材管理所に異常があった可能性が――」
「式典の準備を止めるなと、陛下から命令が出ている!」
「しかし、侵入者が名簿へ紛れている可能性があります」
「認証を終えた者は通せ。まだの者だけ調べろ」
「陛下が、そう仰ったのですか」
「二度言わせるな!」
東門の隊長が歯を食いしばる。
不満を押し殺し、兵士へ手を上げた。
「認証済みの者は、各持ち場へ向かえ!」
止まっていた人の流れが、再び動き出す。
レンとニナも、その中へ紛れた。
「また運がよかったね」
ニナが言った。
「陛下の命令でな」
「日頃の――」
「三度目だ」
「まだ最後まで言ってないよ」
レンは中央棟を見上げる。
王都南門。
青鷺堂。
そして、今。
レオルドの命令は、レンたちを城の内側へ招き入れているように見える。
偶然ではない。
国王は、二人が来ることを知っている。
そのうえで通した。
理由は分からない。
だが、侵入に成功したとは考えないほうがよかった。
◇
臨時使用人たちは、東庭で役割ごとに分けられた。
荷運び。
厨房。
給仕。
清掃。
庭園の整備。
五十人近い人間を、恰幅のいい女が次々に振り分けていく。
名はベルタ。
王城の使用人をまとめているらしい。
「レン・クロード!」
名前を呼ばれる。
レンが前へ出た。
ベルタが、頭から足元までを見る。
「搬入係。東の酒蔵から大広間へ酒を運びな。勝手にほかの階へ入ったら、理由にかかわらず地下牢だよ」
「分かった」
「返事は、はい」
「はい」
「愛想がないねえ」
ベルタが名簿へ印をつける。
「次、ニナ!」
ニナが前へ出た。
「給仕補助。経験は?」
「宿場の食堂で働いてました」
「酒は運べる?」
「飲まなければ」
「飲んだら承知しないよ」
「見つからないようにします」
「正直に言えば許されると思うんじゃないよ」
ベルタは呆れた顔で、中央棟を指した。
「大広間へ行きな。ほかの給仕の真似をして、余計なことはしない」
「はい」
ニナが素直に答える。
二人の持ち場は別になった。
周囲には兵士と使用人がいる。
長く話すことはできない。
「三つ目の鐘」
レンが小声で言った。
ニナがうなずく。
王城南棟の古い倉庫。
見張りの兵士が交代する、三つ目の鐘。
事前に決めていた合流場所と時刻だった。
「遅れたら?」
「百まで待つ」
「それでも来なかったら?」
「先に入る」
「置いていくんだ」
「あとから追え」
ニナが少しだけ笑う。
「分かった」
ベルタが手を叩く。
「いつまで話してる! 早く行きな!」
二人は別々の方向へ歩き出した。
◇
王城の内部は、外から見た以上に広かった。
白い石で造られた回廊。
高い天井。
壁には、歴代国王の肖像が並んでいる。
使用人のための通路は狭く、王族や貴族が使う場所とは完全に分けられていた。
角を曲がるたび、兵士が立っている。
通路の境目には、魔法陣が刻まれた金属板。
許可のない者が踏めば、警報が鳴る仕組みらしい。
レンは酒蔵から木箱を運びながら、兵士の数を数えた。
東棟から中央棟まで、十一人。
階段の前に二人。
大広間の入口に四人。
そのうち二人は宮廷魔導師だった。
使用人の動きにも無駄がない。
荷物には番号が振られている。
誰が。
何を。
どこへ運ぶのか。
すべて紙へ記録されていた。
一人が遅れれば、別の人間がすぐ補う。
依頼書に書かれていた補給制度と、同じ考え方だった。
レオルドが作り上げた仕組みは、軍だけでなく王城の内部にも広がっている。
「そこの新人!」
酒蔵の管理人が怒鳴る。
「何を止まってる! その箱は大広間だ!」
レンは木箱を持ち上げた。
中には、葡萄酒の瓶が十二本。
両腕へ重さが掛かる。
ほかの搬入係とともに、中央棟へ向かった。
途中。
厨房の前を通る。
何十人もの料理人が働いていた。
煮立つ鍋。
焼かれる肉。
香辛料と煙の臭い。
壁には、肉を切るための小さな刃物が並んでいる。
レンは歩く速度を落とさない。
箱を運ぶふりをしたまま、通り過ぎる瞬間に一本抜いた。
袖の内側へ隠す。
短い刃。
これだけでレオルドを殺せるとは思っていない。
それでも、何も持たないよりはましだった。
◇
正午を過ぎた頃。
戦勝式典が始まった。
レンたち搬入係は、大広間の壁際へ酒を並べている。
天井からは、巨大な魔石の照明が下がっていた。
壁には北部戦線の地図。
床には、王家の紋章を織り込んだ赤い絨毯。
大広間を埋める貴族の数は、百人を超えている。
軍人。
宮廷魔導師。
周辺都市の領主。
全員が、中央に置かれた玉座へ身体を向けていた。
給仕の列に、ニナの姿がある。
白い服。
髪を後ろでまとめ、酒杯の載った盆を持っている。
ほかの給仕と同じように頭を下げていた。
初めて入った場所とは思えないほど、動きが自然だった。
「陛下のお出ましである!」
広間の奥にある扉が開く。
全員が膝をついた。
レンも木箱を置き、ほかの搬入係に合わせて頭を下げる。
足音が近づく。
一人。
その後ろに、六人。
黒い鎧を着た近衛兵。
さらに、四人の宮廷魔導師。
空気が変わった。
肌へ、見えない重さが掛かる。
魔力。
意識して放たれているわけではない。
ただ、そこにいるだけで周囲へ漏れている。
レンはわずかに顔を上げた。
レオルド・ヴァルガス。
依頼書の肖像と同じ黒髪。
鋭く細い目。
赤い外套。
年齢は二十八。
広間にいる誰よりも若い。
それでも、彼へ視線を向け続けられる者はいなかった。
レオルドが玉座へ座る。
魔力の重圧が、さらに強くなる。
近くにいた給仕の手が震えた。
盆の上から、一つの杯が傾く。
葡萄酒がこぼれた。
赤い滴が、レオルドの外套へ飛ぶ。
触れる直前。
酒の滴が空中で止まった。
見えない壁。
一滴も衣服へ届かない。
赤い雫は形を崩し、床へ落ちた。
給仕が青ざめる。
「も、申し訳ございません!」
レオルドは見向きもしなかった。
近衛兵が給仕を連れていく。
慈悲を求める声が、扉の向こうへ遠ざかっていった。
レンは、酒が止まった位置を見る。
レオルドの身体から、指四本ほど離れた場所。
防壁は見えない。
魔法陣もない。
発動した様子すらなかった。
依頼書に記されていた、常時展開される魔力防壁。
眠っている間も途切れないとされる守り。
本当に存在している。
袖へ隠した刃を投げても、届かない。
毒をかけても、皮膚へ触れる前に止められる。
首を落とせば死ぬ。
だが、剣を首へ届かせる方法がない。
「皆、顔を上げよ」
レオルドの声が広間へ響く。
貴族たちが立ち上がった。
「北部戦線の勝利により、我が国へ刃を向けた者は退いた」
歓声が上がる。
「勝利した兵士には、相応の報酬を与える。戦死者の家族には、国から補償を出す」
再び歓声。
レオルドが片手を上げる。
声が止まった。
「同時に、兵士へ渡る食料を横流しした者。敵国へ情報を売った者。勝利を利用し、私腹を肥やした者を処罰する」
広間の空気が冷える。
「ガルゼン伯爵」
一人の男が、肩を震わせた。
五十を過ぎた貴族。
青い正装。
玉座から十歩ほど離れた場所に立っている。
「前へ」
「陛下。なぜ、私が」
「聞こえなかったか」
ガルゼン伯爵が、ゆっくり前へ出る。
額から汗が流れていた。
レオルドは、卓上に置かれた杯へ触れない。
「宴が始まれば、お前は余へ酒を勧める」
「もちろんでございます。陛下の勝利を祝うために――」
「その前に、右袖へ縫い込んだ針を抜くつもりだったか?」
伯爵の顔から血の気が引いた。
広間が静まり返る。
近衛兵が、伯爵の両腕をつかんだ。
「お待ちください! 何かの間違いです!」
兵士が右袖を切り裂く。
布の内側から、細い銀色の針が落ちた。
先端には、青黒い液体が付着している。
「月蝕草の毒」
レオルドが言う。
「皮膚へ触れれば、心臓が止まる。王都西区の薬師へ作らせたものだな」
「違います! 私は、そのような――」
「薬師は昨夜、すべて話した」
伯爵が膝から崩れる。
「妻と子供は関係ありません! どうか、私だけを――」
「関係の有無は、余が決める」
「陛下!」
伯爵の指輪が赤く光った。
隠されていた魔法陣が展開する。
炎が噴き出した。
近衛兵が後ろへ跳ぶ。
ガルゼン伯爵は炎をまとった腕を、レオルドへ突き出した。
距離は五歩。
炎が一直線に走る。
玉座をのみ込む直前。
青白い光が広がった。
炎が止まる。
レオルドの前で、壁へぶつかったように左右へ分かれた。
熱風が広間を襲う。
貴族たちの悲鳴。
給仕が伏せる。
レンは腕で顔をかばいながら、玉座を見る。
レオルドは動いていない。
外套の裾すら焦げていなかった。
「それで終わりか」
レオルドが右手を上げる。
指先に、青白い光が集まった。
空気が弾ける。
雷が伯爵の身体を貫いた。
轟音。
白い光が視界を埋め尽くす。
伯爵の身体が床へ叩きつけられた。
髪と服が焼け、煙が上がっている。
それでも死んではいない。
指先が、かすかに動いていた。
「地下へ連れていけ」
レオルドが命じる。
「関係者をすべて捕らえろ。屋敷の使用人も含め、一人ずつ調べる」
伯爵が近衛兵に引きずられていく。
焦げた臭いが広間へ残った。
レオルドは杯を手に取る。
「宴を続けよ」
音楽が再開する。
貴族たちも、何事もなかったように杯を掲げた。
誰も逆らわない。
誰も伯爵のいた場所を見ない。
レンは、レオルドを観察する。
魔法を使った直後。
消耗した様子はない。
防壁も途切れていない。
尽きることのない魔力。
依頼書の内容に、誇張はなかった。
そのとき。
レオルドの視線が動いた。
広間の端。
搬入係が並ぶ場所。
レンと目が合う。
偶然ではない。
レオルドは、明らかにレンを見ていた。
心臓が一度、強く打つ。
レンは目を逸らさない。
国王の目が、わずかに細くなる。
次に。
視線が、給仕の列へ移った。
ニナ。
レオルドの手が、杯を持ったまま止まる。
ほんの一瞬。
それだけだった。
すぐに杯へ口をつけ、何事もなかったように前を向く。
レンはニナを見る。
ニナは頭を下げたまま、表情を見せなかった。
◇
三つ目の鐘が鳴った。
レンは空になった酒箱を運ぶふりをして、大広間を離れた。
使用人用の通路。
階段を下り、南棟へ向かう。
式典の最中であっても、警備は緩んでいない。
角を曲がるたびに兵士がいる。
魔法陣の刻まれた床を避け、洗濯場を抜ける。
古い倉庫が並ぶ区画。
ほかの場所と違い、人の気配が少ない。
目的の扉へ着く。
錠前は錆びていた。
レンは、ニナから預かった真鍮の鍵を差し込む。
少し引っかかったあと、鍵が回った。
倉庫の中は暗い。
壊れた家具。
使われなくなった燭台。
埃をかぶった食器。
レンは扉を閉め、百まで数え始めた。
三十。
五十。
七十。
外から足音が近づく。
一人。
足音は扉の前で止まった。
二度、短く叩かれる。
一度、間を空けて、もう一度。
事前に決めた合図だった。
レンが扉を開ける。
ニナが中へ滑り込んだ。
「遅れた」
「八十三だ」
「数えてたの?」
「百までは待つと言った」
「百を過ぎたら、本当に行った?」
「先に行くと言っただろ」
「あとから追えとも言ったね」
ニナが笑う。
レンは真鍮の鍵を差し出した。
「返す」
「持ってて」
「今は、お前が使う」
「レンが持ってるほうがいいよ」
「なぜだ」
「なくさないでしょ?」
「お前はなくすのか」
「たぶん」
「自分の鍵だろ」
「だから預けるの」
ニナは受け取ろうとしなかった。
レンは鍵を外套へ戻す。
「王を見たか」
「うん」
「防壁は常に動いている。魔法を使っている間も途切れなかった」
「伯爵のことも、最初から知ってたね」
「事前にが知ってるなら、伯爵を広間へ入れる必要がない。毒針を作らせた時点で捕らえればいい」
レンは倉庫の床へ、王城の簡単な見取り図を描いた。
「レオルドは、式典で伯爵を処分する必要があった」
「見せしめ?」
「ああ。だから泳がせた」
「でも、薬師が話したって言ってたよ」
「薬師から聞いたとは限らない」
ニナが床の図をのぞき込む。
「嘘だってこと?」
「伯爵へ、情報源を知らせる必要はない」
レンは玉座の位置へ指を置く。
「レオルドが何でも知っているように見えるのは、必要な情報が動く前に届いているからだ」
「どうやって?」
「分からない。密偵か、魔道具か、別の能力か」
「私たちが入れたのは?」
「分かってるだろ?」
ニナの笑みが消える。
王都南門の検査。
青鷺堂の監視。
東門での再検査。
すべて、レオルドの命令によって避けられた。
「王様は、私たちを入れたかったってこと?」
「その可能性が高い」
「罠だね」
「ああ」
「帰る?」
「今さらか」
「聞いてみただけ」
レンは床の図へ、いくつか点を加えた。
南門。
青鷺堂。
人材管理所。
王城。
「レオルド本人が、すべての場所を見ていたわけじゃない。それでも、こちらの動きを知っていた」
点同士を線で結ぶ。
「なら、どこかで情報が繋がっている」
ニナが、線を見つめる。
「王様がすごいんじゃなくて、繋がりがすごい?」
「レオルドの魔力が強いことは変わらない。だが、情報については別だ」
レンは最後の線を引く。
「何でも知っている人間はいない。知るためには、見る人間か、伝える手段が必要になる」
「なら、それを切ればいい」
「ああ」
「王様を、一人にする」
ニナは小さくうなずいた。
「なるほどね」
「何だ」
「レンの、そういう考え方」
ニナが床に描かれた線を見る。
「嫌いじゃないよ」
「褒めても何も出ないぞ」
「じゃあ、褒めるのやめようかな」
「勝手にしろ」
ニナは少しだけ笑う。
それから、見取り図の西側へ指を置いた。
「一か所だけ、心当たりがある」
「何だ」
「静寂庫」
「聞いたことがない」
「昔、危険な魔道具を保管してた場所。西棟の地下にある」
ニナが床へ四角を描く。
「壁に灰晶石が埋められてる。中と外で、魔力が行き来しないように作られてるんだって」
「防壁も消えるのか」
「中へ持ち込んだ魔力までは消えない。でも、外から補充することはできなくなる」
レオルドの能力は、周囲から魔力を取り込むもの。
静寂庫へ入れば、無限ではなくなる。
本人が持つ魔力を使い切らせる必要はある。
それでも。
初めて見えた、明確な弱点だった。
「今も使えるのか」
「分からない。私がいた頃は、入口が閉じられてた」
「場所は?」
ニナが、真鍮の鍵を指す。
「この倉庫の奥。壁の向こうに、古い搬入路がある」
レンは倉庫の奥を見る。
棚と壊れた家具が積まれている。
それらを退かせば、塞がれた扉があるかもしれない。
「先に確認する」
「今?」
「ああ」
「王様を連れてくる方法は?」
「場所が使えると分かってから考える」
「堅実だね」
「不確かな場所を前提に計画は作れない」
「ふーん」
「またそれか」
「納得したときに出るんだよ」
ニナは棚へ手を掛けた。
レンも反対側を持つ。
二人で動かそうとした、そのとき。
倉庫の外から足音が聞こえた。
複数。
レンが指を唇へ当てる。
ニナがうなずく。
扉の前で、足音が止まった。
鍵が差し込まれる。
二人は同時に、積まれた家具の陰へ移動した。
レンは袖の内側から、厨房で盗んだ刃物を抜く。
錠前が回る。
扉が開いた。
青い上着を着た男が、倉庫へ入ってくる。
東門で兵士を止めた、王家の役人だった。
その後ろに、黒い鎧の近衛兵が二人。
役人は、誰もいないはずの倉庫を見回した。
「レン・クロード」
名前を呼ぶ。
レンは動かなかった。
「ニナ」
今度は、ニナの名前。
「隠れていることは分かっている」
役人は倉庫の中央まで進む。
「陛下がお呼びだ」
家具の陰で、ニナがレンを見る。
驚いたように目を丸くしていた。
少なくとも。
そう見える表情だった。
「お二人とも、玉座の間まで来ていただく」
役人が続ける。
「拒否は認められていない」
レンは刃物を握ったまま、考える。
こちらから、レオルドへ近づく方法を探していた。
だが。
殺すべき対象のほうから、レンとニナを名指しで呼び出した。




