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憲兵を◯す


水車小屋を出てから、五日が経った。


王都へ続く街道の先に、巨大な城壁が見える。


灰色の石を積み上げた壁は、遠くからでも森の木々より高かった。


その向こうには、王城の尖塔が突き出している。


雲の切れ間から差し込んだ光を受け、塔の先端が白く輝いていた。


「あれが王都?」


商隊の荷馬車へ揺られながら、ニナが身を乗り出す。


「初めて見るような言い方だな」


隣を歩いていたレンが言った。


「遠くから見るのは久しぶりだから」


「近くでは見たことがあるのか」


「あるよ。住んでたから」


ニナはあっさり答えた。


レンが荷馬車の横へ視線を向ける。


「初耳だ」


「聞かれなかったからね」


「王城に入ったことがあるとも言っていたな」


「それも本当」


「何をしていた」


「もう少し信用されてからって言ったでしょ?」


「王都まで連れてきた」


「連れてきたんじゃなくて、私がついてきたんだよ」


「同じだ」


「違うよ」


ニナが笑う。


五日間、何度か同じ質問をした。


そのたびに、同じようにはぐらかされている。


無理に聞き出そうとはしなかった。


嘘をつく人間は、追及すれば口を閉ざす。


話さなくても困らないと思わせておいたほうが、余計なことまで話す場合がある。


少なくとも今のところ、ニナの案内に間違いはなかった。


街道沿いにある井戸。


巡回兵が立ち寄る宿場。


夜営に向かない場所。


すべて正確だった。


王都へ近づくにつれ、街道を行き交う人の数が増えている。


農作物を積んだ荷馬車。


羊を連れた商人。


徴兵された男たちの一団。


王国兵に護衛された鉄格子つきの馬車も通り過ぎた。


窓の隙間から、血のついた指がのぞいていた。


ニナの笑みが消える。


「反乱者かな」


「分からない」


「違っても、王様に逆らった人ではあるんだろうね」


馬車の中から、誰かが鉄格子を叩く。


すぐに兵士が槍の柄で扉を殴った。


音が止まる。


商隊を率いるローデンが、振り返らずに言った。


「王都へ入るまで、あまり喋るな」


五十を過ぎた商人だった。


ダリオとは十年以上の付き合いがあるらしい。


二台の荷馬車には、小麦粉と乾燥肉が積まれている。


表向きは、それらを王都の酒場へ運ぶ商隊だった。


「南の巡察隊が一つ、連絡を絶った」


ローデンが声を落とす。


「お前たちがやった連中だろう」


「ああ」


レンが答える。


「昨日から、南門の検査が厳しくなっている。荷物だけじゃない。王都へ入る人間の顔も、一人ずつ確認しているそうだ」


「もう伝わったのか」


「巡察隊は毎晩、魔道具で駐屯地へ報告する。二日続けて連絡がなければ、何かあったと考える」


信号用の魔道具は使わせなかった。


だが、報告が途絶えれば、いずれ異常には気づかれる。


倒した兵士の中に、レンとニナの顔を知る者はいる。


捕虜はダリオたちが連れていった。


王国側が詳しい状況まで把握している可能性は低い。


それでも、南から来た傭兵というだけで警戒される理由にはなる。


「私たちは兄妹ってことになってるからね」


ニナが言った。


「なっていない」


「ローデンさんが、そうしたほうが説明しやすいって」


レンは前を歩くローデンを見る。


「俺は聞いていない」


「今、教えたよ」


「似ていない」


レンの髪は黒い。


ニナの髪は、日の光を受けると赤みのある茶色に見える。


顔立ちにも共通点はない。


「お父さんが違うってことにしよう」


「話を複雑にするな」


「じゃあ、お母さんが違う」


「同じだ」


「生き別れの兄妹」


「黙っていろ」


「はーい、お兄ちゃん」


レンは無視して歩き続けた。


          ◇


王都南門の前には、長い列ができていた。


城壁へ近づくほど、全体の大きさが分かる。


壁の上には、一定の間隔で兵士が立っていた。


大型の弩が、街道へ向けられている。


門の両側には二十人近い兵士。


そのうち三人は、王国軍の制服ではなく灰色の外套を着ていた。


腰には剣。


首元には、翼のある蛇を刻んだ銀の徽章。


「灰蛇だ」


ニナが小声で言った。


「何だ」


「王様直属の監察官。兵士や役人がちゃんと仕事をしてるか見張る人たち」


「密偵か」


「公の場にいるときは、監察官」


「いないときは?」


「密偵」


列の先頭で、商人の怒鳴り声が上がった。


兵士が荷馬車の板を剥がしている。


床下から、小さな木箱がいくつも見つかった。


中に入っていたのは、透明な瓶だった。


「許可証のない薬を隠していたらしいね」


ニナが言う。


商人は地面へ押さえつけられた。


抵抗した腕を兵士が踏みつける。


鈍い音がして、商人の悲鳴が上がった。


周囲の者たちは誰も目を向けない。


レンたちの商隊が、少しずつ門へ近づいていく。


ローデンが用意した通行証に不備はない。


荷物にも、見つかって困るものは入っていなかった。


問題があるとすれば、人間のほうだった。


「次!」


兵士の声が響く。


ローデンが馬を進めた。


二台の荷馬車が、門の手前で止められる。


「荷は?」


「小麦粉と乾燥肉です。西区の《眠り鹿亭》へ」


ローデンが通行証を渡す。


兵士は紙面と荷馬車を交互に確認した。


別の兵士たちが、荷台へ上がる。


袋へ短い鉄棒を突き刺し、内部を調べていく。


灰色の外套を着た監察官が、レンの前へ立った。


年齢は四十前後。


右頬に、古い火傷の跡がある。


「顔を上げろ」


レンは従った。


監察官の目が、頬の傷で止まる。


切り通しで剣がかすめた痕だった。


傷は浅い。


だが、まだ完全には塞がっていない。


「傭兵か」


「ああ」


「どこから来た」


「南部を回っていた」


「傷は?」


「四日前、街道で盗賊に襲われた」


「どこだ」


「カレスの宿場から北へ半日ほどの場所だ」


実際に通った街道。


盗賊が出るという話も、途中の宿で聞いている。


監察官はレンの目を見たまま、質問を続けた。


「何人いた」


「五人」


「殺したか」


「二人。残りは逃げた」


「証人は?」


「妹が見てるよ」


横からニナが答えた。


レンがそちらを見る。


「黙っていろ」


「私の話をしてるのに?」


「お前に聞いていない」


監察官がニナへ視線を移す。


「妹か」


「そうです」


ニナは荷馬車から身を乗り出した。


「兄は愛想が悪いけど、腕はいいんです。盗賊が出たときも、私を荷馬車の下に隠して一人で――」


「余計なことまで話すな」


「本当のことじゃん」


「荷馬車はどこへ行った」


監察官が尋ねる。


ニナは一度だけ瞬きをした。


「何のことですか?」


「盗賊に襲われたとき、お前たちが乗っていた荷馬車だ」


「乗ってませんよ。歩いてましたから」


「南部を回っていたんだろう」


「兄は仕事を探してました。私は宿場の食堂で働いてたけど、閉店しちゃったので、兄についていくことにしたんです」


迷いのない返答だった。


監察官がレンを見る。


「お前とは、ずっと一緒だったのか」


「三日前に合流した」


ニナが話した内容と矛盾しない。


事前に決めていた設定でもなかった。


「通行証を」


レンは外套から紙を取り出した。


監察官が受け取る。


書面を確認したあと、顔を上げた。


「発行所へ照会する。そこへ寄れ」


門の脇に、鉄柵で囲まれた待機場所がある。


既に十人ほどが、中へ入れられていた。


照会されれば、通行証が偽造されたものだと判明する。


ローデンが何か言おうとする。


その前に、門の向こうから馬が駆けてきた。


兵士たちが慌てて道を空ける。


馬に乗った伝令が、南門の隊長へ封書を渡した。


封には、剣へ巻きつく翼蛇の紋章。


王家の印だった。


隊長が紙を開く。


読み終えた顔に、困惑が浮かんだ。


「監察官殿」


「何だ」


「検査を通常段階へ戻せとの命令です」


「誰の命令だ」


隊長は少し間を置いた。


「陛下です」


監察官の表情が険しくなる。


「南部巡察隊が消えた直後だぞ」


「しかし、王印があります」


「理由は」


「書かれていません」


監察官は伝令から封書を奪うように受け取った。


紙面を確認する。


舌打ちしたあと、レンの通行証を返した。


「行け」


「照会は?」


「必要ない。行けと言った」


レンは通行証を受け取った。


ローデンが馬を進める。


二台の荷馬車が、巨大な門の下へ入った。


石壁に囲まれ、周囲の音が低く反響する。


頭上には、矢を射るための穴がいくつも開いていた。


命令一つで門を閉じられれば、逃げ場はない。


だが、何も起きなかった。


日の光が見える。


荷馬車が門を抜け、王都の中へ入った。


「運がよかったね」


ニナが言った。


「陛下の命令で、都合よく検査が緩んだ」


「日頃の行いかな」


「誰のだ」


「私の」


「悪そうにしか見えない」


「失礼だなあ」


ニナは笑った。


          ◇


王都は、レンが想像していたより整っていた。


南門から王城へ向かって、幅の広い大通りが伸びている。


荷馬車が四台並んでも、余裕を持って通れるほどだった。


道の両側には排水溝が設けられ、汚水や雨水が流れている。


一定の間隔で共同井戸があり、住民たちが水を汲んでいた。


建物には区画ごとに番号が振られている。


通りの名前を記した板も掲げられていた。


「きれいでしょ?」


ニナが言った。


「ああ」


「昔は、もっと汚かったんだよ。雨が降るたびに道が泥だらけになって、病気も多かった」


「レオルドが変えたのか」


「王様になってから、一気にね」


国王としての治世が、すべて失敗しているわけではない。


軍の制度を変えた。


農地を管理した。


税の徴収方法を改めた。


依頼書にあった内容は、王都にも目に見える形で現れている。


市場には、地方から運ばれた食料が並んでいた。


痩せ細った人間も少ない。


兵士は多いが、表通りで金を要求している者はいなかった。


「血冠王のおかげで、夜も歩けるようになった」


露店の男が客へ話している。


「盗賊も随分減った。逆らわなければ、悪い王様じゃない」


その直後。


大通りの先にある広場で、鐘が鳴った。


人の流れが止まる。


広場の中央に、三つの絞首台があった。


首へ縄を掛けられた男たちが、兵士に囲まれている。


罪状が読み上げられた。


反逆者への食料供与。


国王に対する侮辱。


徴税記録の改竄。


三人の足元から、同時に床板が外された。


縄が張る。


一人だけ首の骨が折れず、しばらく身体を揺らしていた。


露店の男が、黙って目を逸らす。


「逆らわなければ、か」


レンが言った。


ニナは広場を見たまま答えなかった。


ローデンの商隊とは、市場の入口で別れた。


「ここから先は自分たちで行け」


ローデンが言う。


「帰りは待たんぞ」


「分かっている」


「ダリオへ伝えることは?」


レンが尋ねる。


ローデンは少し考えた。


「生きて会えたら、自分で言う」


それだけ言い残し、荷馬車とともに去っていった。


レンは周囲を見る。


市場は人で溢れている。


商人。


職人。


兵士。


荷物を運ぶ子供。


誰が密偵でも不思議ではなかった。


「ついてきて」


ニナが歩き出す。


「青鷺堂っていう古本屋へ行く。ダリオの通行証に入ってた印が、そこを示してる」


「場所が分かるのか」


「この辺りは庭みたいなものだから」


ニナは迷わず、大通りから細い路地へ入った。


市場の喧騒が、少しずつ遠ざかる。


洗濯物の下をくぐり、職人街を抜ける。


角を三つ曲がったところで、ニナが足を止めた。


露店に並んでいる髪飾りを見る。


「欲しいのか」


「違う」


ニナは銀色の髪飾りを手に取り、表面をのぞき込んだ。


磨かれた金属に、背後の通りが映っている。


灰色の外套。


南門にいた監察官とは別人だった。


男は店先に立ち、何かを選ぶふりをしている。


「いつからだ」


レンが小声で尋ねる。


「市場を出たところから」


「なぜ、すぐ言わなかった」


「一人か確認してた」


「一人か」


「今のところは」


ニナは髪飾りを店へ戻した。


何事もなかったように歩き出す。


「青鷺堂へ連れていくわけにはいかないね」


「あいつを捕らえる」


「王都の真ん中で?」


「騒がせずにやる」


「いなくなったら、別の人が来るだけだよ」


「なら、どうする」


ニナが前方へ目を向ける。


通りの奥で、大きな鐘が鳴った。


工房の扉が一斉に開く。


昼の休憩へ入った職人たちが、狭い道へ溢れ出した。


「走るよ」


ニナがレンの手をつかんだ。


人混みの中へ飛び込む。


肩と肩がぶつかる。


怒鳴り声が上がった。


ニナは振り返らない。


人の隙間を縫うように走る。


レンも、その手を振りほどかずについていった。


背後で、誰かが人を押し退けている。


灰色の外套が、一瞬だけ見えた。


まだ追ってきている。


ニナが脇道へ入る。


軒先から下がる布を払い、染物工房の裏へ抜けた。


鼻を刺す薬品の臭い。


地面には、青い染料が水たまりを作っている。


「右」


ニナが言った。


「左だ」


レンはニナの腕を引いた。


直後、右側の路地から二人の兵士が現れる。


ニナの身体が、レンの胸元へぶつかった。


「見えてたの?」


「足音だ」


レンはニナを連れ、左の路地へ走る。


前方に、野菜を積んだ荷車が止まっていた。


道幅の大半を塞いでいる。


レンは木箱へ片足を掛けた。


荷車の上を飛び越える。


着地すると同時に振り返った。


ニナが後ろで止まっている。


「無理!」


「飛べ」


「簡単に言わないでよ!」


灰色の外套が、路地の角に現れた。


レンは荷車へ戻り、ニナへ手を伸ばす。


ニナがその手をつかむ。


腕を引き、荷台へ上げた。


積まれていた野菜が崩れる。


二人で反対側へ飛び降りる。


「商品だぞ!」


店主の怒鳴り声が背後から飛んできた。


ニナが走りながら銅貨を一枚投げる。


「ごめんなさい!」


「足りるのか」


「知らない!」


路地を抜ける。


その先は、広い洗濯場だった。


白い布が何十枚も、縄へ掛けられている。


ニナが布の間へ飛び込んだ。


レンも続く。


湿った布が顔や腕にまとわりつく。


視界が白く塞がれる。


「こっち」


布の向こうから、ニナの声。


レンが手を伸ばす。


指先が、ニナの手首へ触れた。


つかんだまま、奥へ進む。


二人は洗濯場の裏口から建物へ入った。


狭い廊下。


階段を下り、別の扉を押し開ける。


出た先は、先ほどとは違う大通りだった。


ニナが路地の壁へ背を預ける。


肩で息をしていた。


「追ってくるか」


レンが尋ねる。


「ここまでは来ないよ」


「なぜ分かる」


「あの洗濯場、入口は三つあるから。どこから出たか、外からじゃ分からない」


ニナは息を整えながら笑う。


「王都に住んでたって、本当だったでしょ?」


「少し知っている程度じゃないな」


「庭みたいなものって言ったよ」


レンは通りの向こうを見る。


灰色の外套は現れない。


「もう放していいよ?」


ニナが言った。


見ると、レンはまだ手首をつかんでいた。


すぐに離す。


ニナはつかまれていた部分をさすった。


「痛かったか」


「少し」


「悪かった」


ニナが目を丸くする。


「今日は素直だね」


「次からは置いていく」


「それは困る」


ニナは笑いながら、先に歩き出した。


          ◇


青鷺堂は、裏通りの奥にあった。


看板には、青い鳥の絵だけが描かれている。


扉を開くと、古い紙と埃の臭いがした。


狭い店内には、天井まで本が積まれていた。


カウンターの奥に、白髪の女が座っている。


女は本から顔を上げ、レンとニナを見た。


「本を探している」


レンが言う。


ダリオから教えられていた言葉だった。


「どんな本だい」


「水車の作り方」


「水のない土地で?」


「だから探している」


女はしばらくレンを見つめた。


そのあと、店の扉へ鍵を掛ける。


「奥へ来な」


本棚の一つを動かすと、地下へ続く階段が現れた。


階段を下りた先には、小さな部屋がある。


机。


椅子。


王都と王城の地図。


壁には、処刑された者たちの名前が書かれていた。


「マルタだ」


白髪の女が名乗る。


「ダリオから、何か持ってきたかい」


レンは通行証を渡した。


マルタが紙を灯りへ透かす。


印を確認したあと、火鉢へ入れた。


紙が燃え、黒い灰へ変わっていく。


「南の部隊を潰したのは、あんたか」


「俺だけじゃない」


「王都じゃ、もう噂になってる。二十人以上の兵が、信号一つ上げられずに消えたってね」


マルタはレンの頬の傷を見る。


「派手にやったもんだ」


「王城へ入る方法を知りたい」


「急ぐねえ」


「時間をかければ、見つかる可能性が上がる」


「もう見つかってるんじゃないのかい?」


マルタの視線が、ニナへ移る。


「外まで灰蛇が来ていたよ」


「巻いたつもりだったんだけど」


「裏口から入ったのは見てない。店の前を二回通り過ぎただけだ」


「なら大丈夫」


「相変わらず、よく笑う子だ」


ニナの笑みがわずかに止まる。


「知り合いか」


レンが尋ねる。


「少しね」


マルタが答えた。


「この子が王城から逃げてきたとき、何度か食事を渡した」


レンはニナを見る。


「王城で働いていたのか」


「昔ね」


ニナは観念したように両手を上げた。


「洗濯場と厨房の手伝い。人が足りないときは、客室の掃除もしてたよ」


「なぜ逃げた」


「同じ部屋で寝てた子が、ある日いなくなったから」


ニナは笑っていなかった。


「兵士に聞いたら、王様の悪口を言ったって。私は聞いたことなかったけどね」


「それで反乱組織へ?」


「最初は、生きる場所が欲しかっただけ」


ニナがレンを見る。


「これで少しは信用してくれた?」


「今の話が本当ならな」


「疑い深いなあ」


「そのくらいでいい」


マルタが口を挟む。


「この街じゃ、信用した順に死んでいく」


マルタは王城の地図を机へ広げた。


「以前なら、食料庫から入れた。週に三度、外の商人が荷を運び込んでいたからね」


「今は?」


「三日前、出入りする商人がすべて変えられた。荷車も御者も、王家が管理することになった」


「別の経路は」


「洗濯物の回収。こっちも昨日から兵士が同行している」


「使用人に協力者がいると聞いた」


「いたよ」


マルタの指が、地図の南棟を指す。


「王の寝室を担当していた侍女だ。二日前から連絡が取れない」


「捕まったのか」


「死体は出ていない。まだね」


王都へ来ることを決めるより前から、王城への経路が潰されている。


レオルドがレンたちの行動を知っていたわけではない。


反乱組織が使える侵入経路を、順番に閉じているのだろう。


それだけでも十分に厄介だった。


「今、王城へ入れる部外者はいないのか」


「四日後に、戦勝式典がある」


マルタが地図の中央を指す。


「北部戦線の勝利を祝う宴だ。貴族だけで百人以上が集まる。給仕、料理人、荷運び。臨時で城へ入る人間も多い」


「名簿は?」


「昨日、締め切られた」


「追加する方法は」


マルタがニナを見る。


「お前、オルガ商会の裏口をまだ覚えてるかい?」


「厨房へ続く古い搬入口?」


「ああ」


「壁で塞がれたはずだよ」


「外からはね」


ニナが少し考える。


「内側の倉庫からなら開けられるかも」


「中に入れる人間が必要だ」


レンが言った。


マルタは机から一枚の紙を取り出した。


臨時使用人の名簿。


下のほうに、二つだけ空欄が残されている。


「名前を入れる方法はある。ただし、認証印が必要だ」


「どこにある」


「王都北区の人材管理所。兵士が十二人。夜も二人は残る」


「盗めば、気づかれる」


「使う直前なら問題ない」


ニナが言った。


「式典の前夜に盗んで、名前を追加する。翌朝、確認される前に城へ入る」


「簡単に言うねえ」


マルタが眉を上げる。


「難しく言っても、簡単にはならないでしょ?」


ニナが笑う。


レンは名簿と地図を見る。


王城へ近づくための手段はできた。


同時に、準備を始めた時点でレオルドに知られる可能性もある。


「人材管理所を下見する」


「今日は動かないほうがいい」


マルタが止めた。


「灰蛇が街中を回ってる。あんたたちが市場から消えたせいで、今頃は人数も増えてる」


「ここは安全なのか」


「安全な場所なんて、この王都にはないよ」


マルタは地下室の天井を見上げる。


「壁の中に目がある。井戸の底に耳がある。そんなふうに言われてる」


「迷信か」


「私も、そう思いたいね」


マルタの指が、王城の尖塔が描かれた場所へ触れた。


「この都のどこで何を話しても、血冠王は翌日には知っている。まるで、王都中の人間と繋がっているみたいにね」


          ◇

その夜。


レンとニナは、古本屋の屋根裏に泊まることになった。


部屋には古い寝台が一つ。


床には薄い毛布が敷かれている。


小さな窓から、王城の尖塔だけが見えた。


「見張りは交代でやる」


レンが言った。


「灰蛇が戻ってくるかもしれない。最初は俺が――」


「私がやるよ」


ニナが窓際へ椅子を運ぶ。


「レン、昨日からほとんど寝てないでしょ?」


「問題ない」


「明日も動くんだから、問題あるよ」


「何かあったとき、対処できるのか」


「声を上げるくらいはできる」


「それだけか」


「レンを起こしたら、あとは任せる」


ニナは椅子へ座り、窓の外をのぞいた。


動くつもりはなさそうだった。


レンは少し考えたあと、床へ毛布を敷く。


剣は枕元へ置いた。


「二時間で起こせ」


ニナが振り返る。


「任せていいの?」


「起きていると言い張る奴を、無理に寝かせるほうが面倒だ」


「私が見張りをせずに逃げるかもしれないよ」


「逃げる理由がない」


「寝てる間に、何か盗むかも」


「必要なものは持っていない」


「刺すかも」


レンはニナを見る。


「しないだろ」


迷いのない返答だった。


今度は、ニナが黙る。


「どうして分かるの?」


「今のお前には、俺を王城まで連れていく理由がある。裏切るなら、目的を果たしたあとだ」


「それって、信用してるんじゃなくて、利害を計算してるだけじゃない?」


「俺にとっては同じだ」


レンは毛布へ横になる。


ニナが窓枠へ頬杖をついた。


「レンは、いい人しか信用しないわけじゃないんだ」


「善人かどうかは関係ない」


「悪い人でも?」


「何をする人間か分かっていて、俺を裏切らないなら問題ない」


「ふーん」


ニナは短く答えた。


それ以上は何も尋ねず、窓の外へ視線を戻す。


「二時間後ね」


「ああ」


レンは目を閉じた。


他人へ見張りを任せて眠る。


何度も繰り返してきたことだった。


それでも、世界へ来て間もない人間へ任せることは少ない。


ニナが裏切らないと信じているわけではない。


今は裏切らないと判断しただけだった。


二時間後。


レンは肩を軽く叩かれ、目を開けた。


「交代」


ニナが言った。


時間は正確だった。


窓の外にも異常はない。


「何もなかったか」


「猫が三匹通った」


「それだけか」


「一匹は、すごく太ってたよ」


「寝ろ」


「はーい」


ニナは寝台へ入った。


剣を持つレンへ背中を向け、すぐに目を閉じる。


今度はニナが、レンへ夜番を預けて眠る。


少しして、静かな寝息が聞こえ始めた。


レンは椅子へ座り、窓の外を見る。


夜の王都には、等間隔に街灯が並んでいた。


魔石の光が、大通りを照らしている。


さらに遠く。


王城の最上階だけは、夜になっても明かりが消えていなかった。


同じ頃。


王城の最上階では、レオルド・ヴァルガスが報告を受けていた。


黒い衣服の上から、赤い外套を羽織っている。


玉座には座らず、窓際に立っていた。


眼下には、王都の灯りが広がっている。


「南門で確認した二人を追跡しました」


灰色の外套を着た男が、膝をついている。


「男は黒髪の傭兵。頬に新しい傷。同行していた娘は、十代後半と思われます」


「見失ったのか」


「申し訳ありません。職人街で人混みに入られ、その後の足取りが……」


レオルドは何も言わなかった。


室内の空気が重くなる。


窓の外で風が吹いた。


分厚い硝子を隔てているにもかかわらず、卓上の蝋燭が揺らぐ。


報告をしている男の額から汗が流れた。


「南門の検査を緩める命令について、監察官から確認を求められております」


「余が出した」


「しかし、巡察隊を襲った者たちが、王都へ入った可

能性があります」


「入った」


レオルドは断言した。


男が顔を上げる。


「では、直ちに門を閉鎖し――」


「必要ない」


レオルドの視線が、王都西部へ向いた。

建物の壁と屋根しか見えない。


その先に何があるのか、窓から判別することはできなかった。


それでも。

レオルドは、場所を確かめるように目を細めた。


「青鷺堂だ」


灰色の外套を着た男が息を止める。


「なぜ、その場所を……」


「兵を近づけるな」


「ですが、陛下」


「監視も外せ」


男は命令の意味を理解できず、動けなかった。

レオルドが振り返る。


その瞳に、青白い光が宿っている。

窓枠の一部へ細い亀裂が走った。


「二度、言わせるな」


「はっ」


男が深く頭を下げる。

逃げるように部屋から出ていった。

扉が閉まる。


レオルドは再び、王都の灯りを見下ろした。

右手が、ゆっくりと額へ上がる。

何かを聞き取ろうとするように、そのまま動きを止めた。


数秒後。


レオルドの口元が、わずかに歪む。

笑みではなかった。


怒り。


あるいは、恐れ。


「分かっている」


誰もいない部屋で、レオルドが呟いた。

王の声へ答える者はいなかった。

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