反乱組織に◯す
ニナがレンの手首を離したのは、村の物音が完全に聞こえなくなってからだった。
「いつまでつかんでいる」
「あ、ごめん。忘れてた」
「忘れるな」
ニナは悪びれずに笑い、林の奥へ進んでいく。
獣道にも見えない細い隙間を迷わず選び、枝を避けながら軽い足取りで歩いていた。
レンは少し距離を空け、その背中を追う。
「どこへ向かっている」
「安全な場所」
「具体的には?」
「教えたら、安全じゃなくなるかもしれない」
「俺を連れていく時点で同じだろ」
「確かに」
ニナが立ち止まる。
少し考えたあと、振り返った。
「最後に残った反乱組織の拠点」
依頼書に記載されていた四つの反乱組織。
三つは、行動を起こす前に壊滅している。
残る一つも、レオルドによって泳がされている可能性が高い。
「兵士に追われながら、拠点へ戻るのか」
「追われてないよ」
「今も探されている」
「それは村の中だけ。私たちが森へ入ったことには、まだ気づいてない」
「なぜ分かる」
「気づいてたら、もっと静かに追ってくるから」
ニナは当然のことのように答え、再び歩き始めた。
「大声で捜してる間は、まだ私たちが近くにいると思ってる。森へ逃げたと分かれば、出口へ先回りするはずだよ」
「その出口へ向かっているように見えるが」
「大丈夫。王国兵が使ってる道は避けてるから」
迷いのない返事だった。
レンは周囲へ視線を動かす。
木々の間隔。
地面に積もった落ち葉。
折れた枝。
ニナの選んだ経路から少し離れた場所に、蹄の跡が残っている。
土がまだ湿っていた。
それほど時間は経っていない。
「止まれ」
レンが言った。
「え?」
ニナが足を止める。
レンは彼女の肩をつかみ、近くの斜面へ引き寄せた。
「ちょっ――」
「伏せろ」
落ち葉の積もった窪みへ、二人で身体を沈める。
レンはニナの口を手で塞ぎ、もう一方の手を短剣へ添えた。
ニナは驚いたように目を開いたが、すぐに抵抗をやめた。
数秒後。
複数の蹄が地面を打つ音が聞こえた。
木々の向こうを、五人の騎兵が通過していく。
全員が王国軍の外套を羽織っていた。
先頭の兵士が周囲を確認し、後ろの一人が小さな魔道具を掲げている。
青い光が木々の間をなぞる。
探索用の魔道具らしい。
レンとニナが隠れている斜面の上を、光が通過した。
窪みまでは届かない。
騎兵たちは速度を落とさず、そのまま北へ消えていった。
音が遠ざかってから、レンはニナの口を塞いでいた手を離した。
「追われてないんじゃなかったのか」
「……予定では、この道を通らないはずだったんだけど」
「予定を盗んだから変えられたんだろ」
兵士たちは命令書が奪われたと知っている。
記載された経路を、そのまま使うはずがない。
むしろニナが予定を読んで動くと考え、外していた経路へ兵を回した可能性が高い。
「なるほど」
ニナは斜面の上を見ながら、何度かうなずいた。
「盗んだ情報が正しいとは限らないんじゃなくて、盗んだことで正しくなくなるんだ」
「感心している場合か」
「次から気をつけるよ」
叱られた子供のような返事だった。
だが、その目には怯えも動揺もない。
自分の判断のどこが間違っていたのか、既に整理し終えているようだった。
「どうして騎兵が来ると分かったの?」
「蹄の跡があった」
「私は気づかなかった」
「枝も折れている。馬で通ったなら、あの高さになる」
レンが指した枝を、ニナが見る。
「温かい糞もあった」
「最後の情報はいらなかったなあ」
「次は踏むなよ」
ニナが足元を見る。
靴の先が、馬糞のすぐ横にあった。
無言で半歩移動する。
レンは斜面から立ち上がった。
「別の道を使う」
「この辺り、詳しいの?」
「初めて来た」
「なのに私より迷いがないね」
「安全な道を知らないなら、危険の痕跡を避ければいい」
「簡単に言うなあ」
ニナは衣服についた落ち葉を払い、レンのあとへ続いた。
今度は先を歩こうとしなかった。
◇
二人は街道から離れ、森の中を西へ進んだ。
途中で一度、浅い川を渡る。
川底を歩いて足跡を消し、下流から対岸へ上がった。
ニナは濡れた靴を気にしながらも、文句は言わなかった。
「さっきはありがとう」
しばらく歩いたあと、ニナが言った。
「何の話だ」
「騎兵。レンが止めてくれなかったら、普通に鉢合わせしてた」
「案内役に死なれると困る」
「そういうことにしておくね」
「ほかに何がある」
「ないかもしれない」
ニナが小さく笑う。
少し進んだ場所で、彼女は倒木の根元へしゃがみ込んだ。
落ち葉を払い、土の中から油紙に包まれた荷物を取り出す。
中には乾燥させた肉、固いパン、水筒、方角を確認するための道具が入っていた。
「準備がいいな」
「追われるのには慣れてるからね」
ニナはパンを二つに割り、片方をレンへ投げる。
レンは受け取ったが、すぐには口へ運ばなかった。
「毒は入ってないよ」
「聞いていない」
「顔に書いてあった」
「入っていたら、お前も食べられないだろ」
「私のほうだけ入ってないかもしれない」
「俺を殺すなら、さっき兵士へ渡したほうが早い」
「正解」
ニナは自分のパンをかじった。
レンも一口食べる。
水分のほとんど抜けた、ひどく固いパンだった。
「固い」
「保存食に味を求めないで」
「味の話はしていない」
「歯が弱いの?」
「違う」
「じゃあ大丈夫だね」
会話になっていない。
レンはパンを水で流し込んだ。
ニナが鼻を少し動かす。
「レンって、煙草を吸うんだ」
「なぜ分かる」
「近くにいると匂う」
自分の外套へ鼻を近づける。
白い部屋で吸っていた煙が、まだ残っているらしい。
「嫌いか」
「別に」
ニナは首を横へ振った。
「王都にも煙草屋はあるよ。税金のせいで、すごく高いけど」
「この国も煙草に税をかけるのか」
「反応するの、そこなんだ」
「重要だ」
ニナが声を上げて笑った。
「覚えておくね」
「何をだ」
「レンは煙草の値段にうるさい」
「そうは言ってない」
「違うの?」
「高いよりは安いほうがいい」
「やっぱりうるさいじゃん」
ニナは楽しそうに言い、残ったパンを口へ入れた。
食事を終えると、二人は再び森を進んだ。
◇
日が傾き始めた頃。
森の奥に、使われなくなった水車小屋が見えてきた。
水路は枯れ、木製の水車も半分が崩れている。
人が住んでいるようには見えない。
「着いたよ」
ニナが言った。
レンは水車小屋ではなく、周囲の茂みを見た。
正面に一人。
右手の斜面に一人。
姿は見えないが、視線だけは感じる。
小屋の入口へ続く道には、細い糸が張られていた。
踏めば、地面の下に仕込まれた何かが作動する。
「動かないで」
ニナが言った。
「分かっている」
「あ、本当だ」
彼女は道を外れ、左側の茂みへ入った。
少し進んだところで、枯れ枝を三回踏む。
間を空けて、もう二回。
斜面から鳥の鳴き声が返ってきた。
茂みの中から、弓を持った男が姿を現す。
「ニナ」
「ただいま」
「兵士に追われていたと連絡が入った」
「もう伝わってるの?」
「村の協力者からだ」
男の視線がレンへ向く。
弓を下ろさない。
「そいつは誰だ」
「森で拾った傭兵」
「捨ててこい」
「役に立つよ」
「お前は前にも同じことを言って、野犬を連れてきた」
「あの子も役に立ったでしょ?」
「食料を半分食われた」
「今回は人間だから大丈夫」
「余計に悪い」
男が弓を構え直す。
レンは両手を見える位置へ出した。
攻撃の意思がないことを示す。
「話だけでも聞いてあげてよ」
ニナが盗んだ命令書を取り出した。
「明日の夜、ベルカ村の人たちが連れていかれる」
男の表情が変わる。
「徴用は三日後のはずだ」
「そう思わせてるだけ。迎えは明日の夜に来るよ」
ニナが命令書を渡す。
男は内容へ目を通し、舌打ちした。
「ダリオに見せる。二人とも来い」
男は弓を下ろし、水車小屋へ向かった。
ニナがレンへ小さく手招きする。
「入っていいって」
「歓迎されているようには見えない」
「弓を射たれなかったから、かなり歓迎されてるよ」
◇
水車小屋の内部には、十人ほどの男女がいた。
外から見えないよう、窓は板で塞がれている。
壁には王都周辺の地図。
机の上には、王国軍の配置や、各地で処刑された者の名前が並んでいた。
依頼書に記載されていた、最後の反乱組織。
ほかの三つが壊滅する中で、生き残った者たち。
その中心にいたのは、四十代ほどの男だった。
短く切った灰色の髪。
左の頬に、深い傷がある。
「ダリオ。連れてきたよ」
ニナが明るく言う。
「見れば分かる」
ダリオはレンの装備を一通り確認した。
「名前は」
「レン・クロード」
「所属は」
「ない」
「目的は」
「王都へ入ることだ」
「何をするために?」
「仕事だ」
ダリオの眉が動く。
「その仕事は、国王に雇われたものか?」
「違う」
「証明できるか」
「できない」
水車小屋の空気が張りつめる。
周囲にいた者たちが、それぞれの武器へ手を伸ばした。
「レンは、レオルドを殺しに来たみたいだよ」
ニナが言った。
レンは彼女を見る。
「断定するな」
「違うの?」
「お前に答える必要はない」
「否定もしないね」
ニナがダリオへ向き直る。
「少なくとも、王様の味方ではないと思う」
「根拠は」
「私を兵士に渡さなかった。それに、騎兵から助けてくれた」
「それだけで信用したのか」
「信用はしてないよ」
ニナは即答した。
「でも、使えるものは使ったほうがいいでしょ?」
ダリオが黙る。
レンは机の上へ置かれた命令書を見る。
「ベルカ村の人間を助けるつもりか」
「ああ」
ダリオが答える。
「だが、迎えの兵は二十人以上。宮廷魔導師も同行する。今の人数では、正面から奪うのは難しい」
「正面から奪う必要はない」
レンは命令書を手に取り、移動経路を確認した。
村から王都へ向かうには、北の石橋を通る。
兵士たちが村へ到着する前。
まだ荷馬車が空の状態なら、戦う必要のある人数は変わらない。
だが、守らなければならない村人はいない。
「村へ着く前に、兵士を止める」
「どうやって?」
ニナが隣から地図をのぞき込む。
レンは石橋の手前を指した。
「ここは道幅が狭い。先頭の馬車を止めれば、後ろは動けない」
「魔導師は?」
「最初に無力化する」
「二十人以上いる兵士は?」
「逃げられないように閉じ込める」
ダリオが腕を組む。
「簡単に言う」
「簡単ではない。だが、王城へ入るよりは楽だ」
「俺たちに手を貸す理由は?」
「王都までの経路と、城内の情報が欲しい」
レンはダリオを見る。
「ニナが、お前たちなら知っていると言った」
ダリオの視線がニナへ移る。
ニナは笑顔で小さく手を振った。
「勝手なことを」
「知らないの?」
「……知っている」
ダリオがため息をつく。
「明日の徴兵部隊を止めるのに協力しろ。村人を逃がしたあと、お前を王都へ入れる方法を用意する」
「分かった」
「決まりだね!」
ニナが、レンの肩を軽くたたく。
「会って一日目で、一緒に王国兵を襲うことになるとは思わなかったなあ」
「俺は一人でもやる」
「でも、私がいたほうが楽でしょ?」
「まだ役に立っていない」
「村まで案内した」
「騎兵へ案内しかけた」
「あれは忘れて」
「都合がいいな」
「そういう性格なの」
ニナが笑う。
机の上の地図へ身を乗り出し、石橋の周辺を指でなぞった。
「それじゃあ、どうやって二十人を閉じ込めるか考えよう」
レンは彼女の隣へ立った。
ダリオたちも机を囲む。
互いに信用はしていない。
目的も、明かしていない。
それでも、同じ地図を見ながら一つの作戦を考える程度には、二人の利害は重なっていた。




