最初の一歩-11
――時は過ぎ、季節が巡り、春を告げる花が咲き始めた頃。ローディはひとり、エイムズの執務室の扉を叩いていた。
「失礼しまーす」
「おう、退院おめでとう。具合はどうだ?」
立派な事務机の向こうに座る局長の笑顔につられて、ローディも相好を崩した。ようやく慣れてきた松葉杖を操り、中へと進む。
「腕は問題なしです。練習なら射撃をしてもいいって、先生に許可をもらいました。で、足なんですけど、こっちはさすがに後遺症が残っちゃいそうです。あはは」
勧めてくれたソファーを丁重に断り、事務机の前で立つ。
「このままリハビリを続ければ、日常生活に支障はない程度まで回復するだろうってことなんですけど、長時間走ったり、急に激しい動きをするのは無理みたいです」
「そうか……」
エイムズの表情が沈んだ。心配事が一気に押し寄せてきたのだろう。
ローディは軽く笑い、首を振った。
「大丈夫ですよ。大丈夫じゃないものを大丈夫にするのが、技術者の仕事です」
下がってしまった視線を上げ、目で問うてきたエイムズに、用意していた台詞を向ける。
「補助器具を作ります。ヴィクスさんに協力してもらって使えそうなアイディアをいくつか絞ったから、次は実際に作ってみて、自分の足で実験ですね。たぶんそんなに時間をかけずに作れると思いますよ」
胸を張って今後のプランを話すと、エイムズの表情から心配が消えた。代わりに疲労がちらりと覗く。
「相変わらず、お前さんの頭の中は摩訶不思議だなぁ。医療は専門外だろうに、よく手を出す気になれたもんだ」
ぼやきはそこまでだった。頬に笑みが戻る。
「そういうことなら、まぁ頑張れ。必要なものがあれば好きに注文していいぞ。ただし事前申請は忘れんようにな」
「はぁい。それじゃあ早速なんですけど、退院祝いってことでひとつ、もらえませんか?」
「ん? 何をだ?」
ローディは、一息置いて姿勢を正した。笑顔を消し、エイムズをまっすぐに見る。
「軍用アンドロイドG10-Rの管理権を全部、僕にください」
数々の修羅場をくぐってきただろう壮年の男の目が見開かれた。
そこから視線を一ミリも逸らさず、続ける。
「ジオのAIには致命的なバグがあります。アンドロイドは僕の専門から少し離れてますし、実際に解析できたわけでもない。それでも、いろんなものをいじり倒してきた経験から断言できます。ジオは間違いなく、爆弾を抱えてます」
ややあって、エイムズが表情を改めてきた。気安いおじさんから、組織の上に立つ者としての顔に変わる。
「ジオラルドが暴走するのは確定なのか?」
「いいえ。暴走するかもしれないし、しないかもしれない。今日かもしれないし、明日かもしれない。時期も確率も未知数です。でも可能性は確実に存在する。だから」
歯を食いしばり、固めた思いを言葉にした。
「だから、もしもジオが理性をなくして錯乱行動を取るようなことになったら、僕に止めさせてください」
局長としてのエイムズは、普段とは桁違いの迫力だ。ひとことも発しなくとも、目が合っているだけで冷や汗が出てくる。膝が震えているのもわかる。逃げ出したい気分だが、これだけは絶対に譲りたくない。
「お願いします」
「……ローディ。それは、他の誰でもなくお前さんがあいつに死刑宣告を下すってことだぞ」
「はい」
「きついぞ。身内なら、なおさらだ」
「わかってます」
つらいのもきついのも覚悟している。何せジオラルドを殺す役目だ。想像しただけで泣きそうになる。それでも、他人にジオラルドを奪われ、破壊され、彼の幸福を無碍にされる苦痛に比べたら百倍ましだ。
それにこれは、ジオラルドという存在にもらっている『幸せ』のお返しに、彼が『人の役に立つ』という幸せを失ったとき、この手で止めてやる。それだけのこと。
大丈夫。自分ならば殺しの痛みに耐えられる。
耐えてみせなければ、嘘だ。
「やれます。……これくらいのことはしないと、あいつに悪いですからね」
微笑んで言い切ると、エイムズから威圧感が引いた。よく見る『気安いおじさん』に戻り、どっさりと椅子の背にもたれて笑いかけてくる。
「リュシエールには話したのか?」
「はい。僕の意志を尊重するそうです」
「わかった。関係各所への連絡は俺から入れておこう」
「ありがとうございます」
松葉杖のせいで首だけになったが頭を下げると、エイムズは困り顔で笑った。手を振って「帰れ」と促してくる。
ローディはもう一度会釈すると、軽くなった足を出口へと向けた。
*
「うっ、寒~っ」
自動ドアが開くなり吹き込んできた冷たい外気に首をすくめ、ローディはその場に固まった。寒さに弱いつもりはなかったが、快適な入院生活のおかげですっかり体の対応力が落ちてしまったらしい。これは真面目に暖房対策を取らないと、風邪を引きそうだ。
(外に出たくないなぁ。でもここまで来ちゃったしなぁ。このままここにいたら、中にいる人たちの迷惑になるしなぁ。出なきゃ家に帰れないしなぁ)
腹から息を吐いて意を決し、ローディは再び松葉杖を動かし始めた。敷地内道路に降りて近くの駐車場へと足を向ける。
と、そちらから見慣れた人影が近寄ってきた。間違えるわけもない。ジオラルドだ。
「許可は取れたのか?」
傍らで足を止めるなり、開口一番に訊いてきたことはそれだった。ローディは歯を見せて笑う。
「ばっちり。きみは? 病室の片付け終わった?」
「問題ない」
こちらは無表情で頷くと、ローディの肩に手を置いた。わずかに力をかけ、歩行を制止してくる。
「車をここまで回してくる。待っていろ」
「あー、いいよ。リハビリがてら、歩くから」
彼の手が離れるのを待って、手と足を動かし、歩き出す。
「ジオってば、前はあんなに運動しろってうるさかったくせに、最近はちょくちょく僕を甘やかすよねぇ」
ジオラルドが右隣に並ぶ。速度はローディに合わせ、平常時に比べてかなりゆっくりだ。
「ローディは怪我人だ。一日も早く復帰するためにも、過度の無理をしないよう注意する必要がある。それはコリンズ医師にも依頼されているため、現在の最優先事項に設定済みだ」
「あはは。僕ってどれだけ信用ないんだろぉ」
「この件に関しては信用の有無が論点ではないと判断している。重要なのは各自の優先すべき事柄が何なのかだ。ローディは右足をサポートする器具の開発に専念し、一日でも早い現場復帰を目指すといい。雑事は自分が担当するのが最も効率的だ。問題ない」
「ありがと。じゃあついでに、上に提出する研究レポートも僕の代わりに書いてくれない?」
「却下する。それはローディ自身がおこなわなければ意味がない。また、ローディが作成するものと同等のクオリティで作成する技能は、自分にはない」
「ちぇー」
頬を膨らませて拗ねた、そのときだった。
「待て」
手と声で強制停止させられた。
何事かと視線で問うと、ジオラルドが同じく視線だけで前方を指し示してきた。口はぴたりと閉じられ、開く気配がない。これは警戒態勢だ。
集中し、前を見る。
異変の発見はすぐだった。駐車場と建物とを繋ぐ車道の途中に、一台の黒い乗用車が停車している。大きさ、形、ヘッドライトの高さに覚えがあった。あの日ローディを尾行し、誘拐するのに使われた車の特徴に酷似している。何より、いつの間に現れたのかわからないところがそっくりだ。
相手の様子を窺っていると、後部座席のスモーク加工をした窓が滑らかに開いた。中から人間の手が姿を見せる。褐色の肌をしたそれは、間違いなく男の手だった。しかも明らかにローディを手招きしている。
――自分の予想が正しければ、ここで無視するのは得策ではない。
腹をくくったローディは、ジオラルドに目配せをしたあと二人揃って問題の車に近づいていった。
「ボクニ、ナニカゴヨウデスカー?」
我ながらわざとらしい声かけだ。しかし――この場合は案の定と言うべきか――車中の人が笑い声を上げた。
「君は本当に面白いね。ことごとく僕の予測を越えられる人間は珍しいよ」
「それはどーもォ」
角度の関係で、車内の様子はほとんど見ることができない。だが聞き覚えのある美声だけで充分だ。ローディはふんと息を噴く。
「駄犬とかいうのに追っかけられてるんじゃないの? こんな所に出張ってくるなんて、どういうつもりなのさ。首領さん」
首領――あのえげつない危険嗜好の持ち主は、悪びれることなくさらりと用件を切り出してきた。
「退院したと聞いてね。改めて正式にスカウトしにきたんだ。どうだい? 君が望むのなら、そこの機械人形を連れてきてもいいよ?」
「やだよ。冗談じゃないよ。世界中の金塊を積まれても断るよ」
あまりにも即答過ぎたのだろう。ジオラルドがこちらの様子を窺ってくるのがわかる。だが、嫌なものは嫌なのだから仕方がない。
今の世の中には多くの不満がある。それは確かだ。左利きであるがゆえに、様々な場所で不便を強いられている。人並み外れた知能を持ったがゆえに、普通の人とはかけ離れた生き方を選ぶしかなかった。それでも、技術者になったのはだからこそでもある。
「僕は、世の中に仕返しするために技術者になったわけじゃない。僕と同じように偏見と闘ってる人たちが暮らしやすい社会を作るためだ。マイノリティがマイノリティのままでも笑っていられる世界にするためだ」
世界を壊したいわけではない。ほんの少し変えたいだけなのだ。
考慮の余地は皆無である。
「僕の技術も、知識も、アイディアも、誰かを差別したり傷つけたり支配したりするための物じゃない。そんなことに使われてたまるか」
すると、
「わかったよ。あきらめよう」
思いのほかあっさりと引き下がった。
正直、食い下がられるより不気味である。
そんなローディの心境を感じ取ったのだろうか。首領がくつくつと喉を鳴らして笑う。
「味方に引き込んだら退屈しなくていいと思ったけど、敵なら敵で、君は弄び甲斐がありそうだ」
やはりこの人は心底えげつない。グレイのむちゃくちゃさが可愛く思えてくる。
もはや言葉もないローディを捨て置いて、首領が膝の上で手をひらりと動かした。
「ここに来たのはただの気まぐれだったけど、たまには寄り道をしてみるものだね。こんな面白い人間と出逢えるとは思わなかった」
「ソレハヨカッタデ――――?」
投げやりな相槌を打つその途中で、ローディは我に返る。
文章が変だ。
直接会ったのはこれが初めてだが、首領は車の中であり顔はまだ見ていない。メイド越しに会話した数ヶ月前の状況と、感覚的には何も変わらない状態である。そして彼が連盟本部に来たのは、ローディを再スカウトするためだと言っていた。つまり意志を持って会いにきているのだ。ならば、ただの気まぐれだっただの、出逢えるとは思わなかっただのという台詞が出ること自体がおかしい。
ローディは相手に見えないのを承知で顔をしかめた。
「いったい何の話?」
「ふふっ、そう。さすがの君でも、僕のことを理解できてるわけじゃないのか」
首領はひとしきり含み笑いをすると、車内で身じろぎした。近づいてきた彼の、口元から下が窓の向こうに現れる。
顔は未だ下半分程度しか見えないため断言はできないが、骨格と肌質はやはり若い。リュシエールと同等の美しさを感じる男である。それゆえに、肩口で切り揃えられた髪の白さに驚く。褐色の肌との強いコントラストで、眩暈がしそうだ。
「楽しませてくれたご褒美だ。ヒントを上げよう」
首領が、唇に人差し指を当て、笑う。
「僕の力をこの世界の常識で計らないことだね。ここの文明力は優れてると言ってあげてもいいけど、根本が違う」
思考は一瞬。
たった一瞬でこの突拍子もない仮説を導き出せたのはおそらく、以前に思いついていたからだ。
使えないはずの強力な属性魔法を扱えた理由。
存在しないはずの毒薬を渡せた理由。
利用した者たちから記憶の一部分だけを奪った理由。
それはセージュの自然法則が通用しない、外世界からの侵入者が起こしたことだから――。
「……冗談でしょ?」
引きつり笑うローディを、『リアル・アウター』が嗤う。
「やっぱり優秀だね。僕が見込んだだけのことはある。……うん。せっかく君みたいな面白い人間もいることだし、しばらくセージュで遊んでいくことにしよう。僕が起こした騒動にぶち当たったときはよろしく。せいぜいあがいてみせてよ」
冗談じゃない!
「さっさと出てけーっ!」
「はははっ。また逢えるのを楽しみにしてるよ。じゃあ、バイバイ」
高笑いまじりの言葉を残し、黒塗りの車はスムーズな動きで走り去っていったのだった。
「――……はあぁぁぁ」
元の静けさが戻ってきたところで、ようやくローディは息を落とした。規則正しい入院生活のおかげで体力は有り余っているはずなのに、数分足らずで疲労困憊である。
「面倒な人に気に入られちゃったなぁ。どうしよう」
「大丈夫だ」
声に振り向くと、うっとうしくも頼もしいアンドロイドが生真面目な顔で頷いた。
「正義の味方は仲間とともに戦えば無敵だと、サニーも言っていた」
「きみは七歳児と同レベルかッ!」
――反射的に飛び出した自分のツッコミに、思わず吹き出す。止めようにも、腹の底から笑いがこみ上げてきて仕方ない。首領に根こそぎ持っていかれたはずの気力が一瞬で復活だ。
一方で、突然大笑いし始めたローディをジオラルドが不思議そうに見つめてくる。もちろん表情筋は動いていない。それでもわかる。彼は一生懸命ローディの言動を認識、理解しようと頑張っている。だがさすがに達成するのは無理だろう。このままほったらかしにするのはかわいそうだ。
肺の底から息を吐いて呼吸を整えるとローディは、背筋を伸ばした。そして、自ら望み、この手で命を握ったアンドロイドを見上げる。
「ほんとにできるのかな……。どんな状況でも、誰が相手でも、一緒に戦えば絶対に負けないなんてこと」
ジオラルドが赤い目に光をともし、大きくはっきりと首肯する。
「愚問だ」
「ぐも――……」
アンドロイドに愚か者扱いされて思わず絶句したローディに対し、ジオラルドは動揺のかけらも見せずに続ける。
「難題ではあるが、自分たちにはそれを可能とする技能が備わっていると断言する。問題ない」
冷静沈着。そして自信満々。
疑いや悩みの余地を、特大バズーカで吹っ飛ばされた気分だ。考えるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。――いや、真実、馬鹿なことなのだろう。きっと。
時間は有限だ。それを効率的に使えるか否かで才能の優劣はつく。わかりきった結論であるにも関わらず悩み、恐れ、怯えて、貴重な時間を浪費するのは愚の骨頂だ。いつまでも現状で足踏みしているのは趣味ではないし、技術開発者として失格であるとすら思う。
そうだ。進まなければ。
立ち止まっている時間が惜しい。一秒でももったいない。何せ、自分が目指す場所は遙か先。この世界に生きるすべての人の幸せという、遙か高みなのだから。
「よしっ」
気合いを入れ直してローディは、つま先を未来へと向ける。
「はた迷惑な犯罪者も、放置され続けてる問題も、いつまで経っても解明されない謎も、ぜーんぶやっつけるよっ」
いつも右隣に立つのは最高のバディだ。だから足を止める必要はない。恐れる理由はない。
「サポートよろしくねっ、相棒!」
「了解」




