最初の一歩-9
「起き抜けに暴れてくれたせいで再縫合することになったけど、表皮に近いところで良かったよ。せっかく繋いだ神経がまた切れてたら、取り返しがつかないことになってたかもしれない」
「あ、はは……」
「…………」
ローディと一緒に担当医の話を聞いているヴィクスが、ベッド脇から痛い視線を向けてくる。一週間前の騒動を耳にしているようだ。文句はもちろん、言い訳もできない。角度を上げたベッドに背中を支えてもらわなければ上体を起こしていられないローディは、力なく苦い笑みを漏らした。そうして白髪が目立ち始めている医師を見上げる。
「コリンズ先生。僕の足、治るんですか?」
「リハビリをしてみないと、どの程度まで回復するかは断言できないな」
ひょいと肩をすくめる仕草はずいぶんとフランクだ。それはコリンズ医師が、ヴィクスが連盟付属病院で働いていた頃の上司だったという土台があるからだろう。親しみを持ってもらえているぶん容赦がない医師は、言葉を濁すことなく現状を教えてくれた。
「きみの場合は、足の前に体力を回復させるところからだよ。確かにひどい怪我で搬送されたけど、五日間も昏睡状態が続いた上に、熱が下がらなくて合併症の危機に陥ったのは、慢性的睡眠不足による体力低下と、足の切断後に無茶をしたせいで出血が進んだせいだからね。基礎体力が一般人レベルに戻るまでは絶対安静、無茶厳禁。全治不明を全治未知にしないように」
これは病状説明ではなく、完全に説教だ。
「うぅぅ、わかりましたぁ」
半分泣きながら頷いたところで、コリンズ医師が時計を見た。そうしてヴィクスへと視線を移す。
「帰るときにでも来い。カルテ見せてやるから」
ヴィクスが椅子に座ったまま、ずるっと滑った。
「いいんすかっ?」
「どうせ最初からそのつもりだったんだろ?」
「……まぁ、そうですけど……」
「変なとこで言わなきゃバレないさ。それにお前が関わってくれれば、こっちもいろいろと助かる」
言うだけ言って笑うと、コリンズ医師は足早に退室していった。あとに残ったのは、呆れ顔のヴィクスと、いまいち状況を飲み込めないローディである。
「えーっと……大丈夫なんですか?」
「昔からあんなノリだから、気にするな。あと、腕前に関しては心配いらねえよ。あの人が駄目なら、たぶんお前の足を治せる医者は世界中探したっていねえだろ」
「はぁ、それはすごいですねぇ」
顔の向きを入り口のドアから戻してきたヴィクスに、ローディは改めて目礼する。
「遅くなりましたけど、ありがとうございました。ヴィクスさんが病院の手配をしてくれたって、リュウさんから聞きました」
するとヴィクスが、口端をシニカルに上げた。
「コネってのは、使えるときに最大限使うもんだ。それに、リュウとグレイに軽い貸しも作れたしな。こっちとしてはプラスだから気にするな」
「貸し?」
「あぁ、さすがに切断状態まで損傷した体を回復させるのは、大魔法レベルになるらしくてな。出血がひどかったから、さらにだ。回復系が苦手なグレイはもちろんだが、魔力を半分失ってるリュウでも難しいらしくて、助けてくれと頭を下げられた」
「うわぁ」
リュシエールはともかく、毛嫌いしている相手に頭を下げたグレイの心境やいかに、だ。これは退院したらお礼とお詫びを奮発したほうが良さそうである。
「誘拐されたのは僕のせいじゃないもーん、って言いたいところですけど、ほんと、いろんな人にいろんな迷惑かけちゃいましたねぇ。どうしよう」
「悪ぃと思ってるんなら、頑張って体力戻してリハビリして、一日でも早く現場復帰しろ。それがいちばんだ」
「はぁい」
「あと、もうひとつ」
ヴィクスの声音が変わった。肩越しに、壁の向こうを親指で指す。
「さっさと仲直りしたら、たぶん全員が喜ぶぞ」
彼が何を指し示したのかは、考えなくともわかる。ジオラルドに決まっている。
ローディは胸の痛みに引きずられて曖昧になった笑みのまま、目を逸らした。しかしヴィクスは、やはり会話の拒絶を許してはくれない。
「ジオが開発課に無理言って借りの手足をつけてもらったのは、お前を警護するためだ。ずっと廊下で番してるのは気づいてるんだろ?」
知っている。ジュネが三日三晩泊まり込んで、動けるところまで修理してくれたことも、左腕だけは接続部の損傷が激しいため借りの腕を付けることすらできなかったことも、彼女が今も移植する体を最優先で組み立ててくれていることも聞いた。
天才どころか馬鹿だ阿呆だと罵るだけ罵って、エイムズが持ってきてくれた見舞いの果物を根こそぎ奪って帰ったジュネは、それでもジオラルドの完治を確約していった。不確定要素のせいで、成功確率が未知数の作業だ。それでも彼女はやり遂げる気でいる。
「物が向けてくる信用ほど、拒否できるものはないわね」
そう言って不敵に笑うジュネは、本当に楽しそうだった――。
「ローディ」
静かな声で、ヴィクスが思考を促してくる。
「お前がやめろって言えば、ジオなら二度とやらねえと思うぞ。リュウも、貴重な戦力が自滅するなとか自己犠牲は美しくないとかいろいろ言って、叱り飛ばしてたしな。動けないお前を護ろうとした意図は酌むが選択ミスだったってことは、あいつもわかったはずだ。そろそろ許してやってもいいんじゃねえか?」
「――…………」
「それとも、一緒にいたくない理由がほかにあるのか?」
どきり、と心臓が跳ねた。
視界の端で、男性が首を傾げる。
「何があった? っつーか、ジオをわざわざ遠ざける理由なんざ、本当にあるのか? 見た限りでは、俺には想像もつかねえぞ」
それはそうだろう。自分だって、ついこの間までは考えもしなかった。
「…………っ」
目頭が熱い。鼻の奥が痛い。しかし懸命にこらえてローディは、先輩研究者に抱え込んだ本音を漏らした。
「ジオは、悪くない。僕が悪いんです。僕がジオの扱い方を間違えたから……、たぶんどっかでジオがアンドロイドだってことを忘れて、人間と同じように扱ってたからっ」
掛け布団を握る。ぎりりと。涙腺が少しでも塞がるよう願いながら。
「ジオが人間のような自我を持ってしまったら……、人工物でしかないはずのAIが、いつか自分を人間と同じものだと思い込んでしまったらっ。全部、僕のせいだっ」
息が続かない。だが無理に吸ったら、きっと泣き声に変わってしまう。
ローディは口を閉じた。そうしてゆっくりと、慎重に、空気を肺に入れた。さらに一度深く呼吸をして、息と感情の震えを抑えてから再び口を動かす。
「僕は、技術者失格です。だからジオに近づかないほうがいいんです。そうすれば不用意に成長させる危険も減る。……もう、これ以上、間違いを犯したくない」
「却下」
――たぶん、我慢することを頑張っていたからだろう。ヴィクスが何と言ったのか、まったくわからなかった。
ローディは顔ごと彼を振り返った。表情と声で疑問を伝える。
「え?」
するとヴィクスはローディの目をまっすぐに見て、はっきりと口を動かした。
「却・下」
今度は言葉を認識できた。が、その言葉をぶつけられた理由がいっさいわからない。
「えぇ?」
再びの疑問と混乱を内包した声は、綺麗さっぱり無視された。ヴィクスが右手の小指を己の耳の穴に突っ込む。
「OWBstのメンバーでアンドロイドの機能を把握した上で最大限有効活用できるのは、どう考えてもお前がトップだ。っつーか、お前以外はど素人以外の何者でもねえ。で、お前のスナイピングを活かすためには前線の動きが重要。意思疎通も含めてな。そう考えると、お前とジオがコンビ組むのが最善だろ。俺にだってわかるぞ」
「でも――」
「だいたいだな。仮にお前らがコンビを解消したら、ジオには普段どこで何をさせる気だ? リュウの傍に置くとか言うなよ? 確実に、二人きりの時間を潰されたってグレイに恨まれるぞ。そうなったら八つ当たり対象は間違いなく俺だ。冗談じゃねえ」
「うっ」
「代替案はあるのか? 具体案を提示しなかったってことは、ねえんだろ。ってことは、つまりあれか? 退院までに案が見つからなけりゃ元の鞘に収まるのか? 収まれるんなら、なんでわざわざ変える必要がある」
「ううぅ……」
「おら、反論があるなら聞くぞ。ないなら出直してこい」
爪の間にたまった耳垢を息で吹き飛ばす。そうして向けられたのは、いつも以上にシニカルな笑み。
「感情だけでプレゼンしてるようじゃ、三流だな」
ローディはクッション代わりの枕に体を深くうずめた。むくれてそっぽを向く。
「僕は冷静ですよっ」
「アホなこと言うな。どこがだよ。思いっきり表情に嫌々だって出てるじゃねーか」
「出てませんー」
「いいや、出てるね。医者を舐めんな、人体観察のプロだぞ」
たたみかけられ、今度こそぐうの音も出ない。
そんなローディを見て、ヴィクスが声を出して笑った。
「人類発展史において、意志と魂の原則は、結論が出ずに長々と背負い込んできたタブーのひとつだ。俺たち医者が生と死の境界線について悩むのと同じだな。だからお前の悩みは理解するし、同情もする」
その口調は説教じみたものではなく、あくまでも気安い。
「タブーへの恐怖を忘れたら、もう研究者じゃねえ。ただの狂信者だ。だがな、タブーを冒すことと奥に踏み込むことは別物だぞ。リュウがいい例だ」
思わぬところで知り合いの名前を出てきた。
ローディが驚いて振り向くとヴィクスが、
「あいつは『特定の誰か一人を愛する』っていう、天使のタブーを犯した。天界では大罪人だ。それでも堂々としたもんだろ? それは、あいつがちゃんと選び取ってるからだよ。自分にとっていちばん大事なものを決めた奴は、迷わねえし、ぶれねえもんだ」
ぴし、とまっすぐに指差してくる。
「それに引き替え、お前はぜんぜん選び切れてねえ。だからこんな簡単に返り討ちに遭う」
「むー」
「要は結論を出すのが早ぇんだよ。先にもっと悩め。で、気が済むまで周囲に頼れ。相談しろ。相談相手としちゃあ、リュウなんてうってつけだぞ。年の功どころじゃねえし、審判と断罪を司る地天使だからな。キツいくらい公正で、泣きたくなることうけあいだ」
ここまで言いたい放題だと、文句のひとつも返したくなる。だが今の自分にぶつけられる不満はない。八つ当たりがせいぜいだ。
「じゃあ、ヴィクスさんはどう思いますか? ジオ、僕といても暴走しないと思いますか?」
さっそく『相談』してやると、ヴィクスが片眉を上げた。
「そんなの知るか。機械工学は専門外もいいところだ」
「うわひどい」
「無責任にアレコレ言う奴に比べたらマシだろ?」
「それは、そうかもしれませんけど……。なんかずるいなぁ」
ローディは、何の気もなく天井を見上げた。
受け入れがたいものがあるのは事実だが、それ以上にヴィクスの話は胸に来た。彼の言う通り、自分はまだ悩み切れていないのだろう。可能性のすべてを模索できたわけではないのだろう。
気が遠くなりそうだ。
精神的な疲れに耐えきれず、ローディはため息を――――
――どんどんどんっ!
突然、大きなノック音が室内に響いた。会話が途切れて静かになっていたぶん、音の大きさに対する驚きはすごい。思わず跳ねた体と心臓を押さえ、入り口を見る。直後、扉が勢いよく開け放たれた。
「あっ、ローディ兄ちゃん、いたーっ! ほんとだーっ! 起きてるーっ!」
殺風景な病室に飛び込んできたのは明るいオレンジ色。サニーだ。
ただ、元気が良すぎて少々うるさい。案の定、ベッドの横にいる保護者が眉を吊り上げた。
「サニー。病院では大きな声を出すな、走るな、って言ったよな?」
途端、駆け出そうとする格好の途中でサニーが固まった。そそくさと回れ右をして扉をそっと閉め、そうしてヴィクスの顔色を窺いながら足早に歩く。そうしてベッドの反対側へと回り込むと、一気にローディの傍へと駆け寄ってきた。
「ローディ兄ちゃん、こんにちはー!」
「こんにちは。ヴィクスさんと一緒じゃないからびっくりしたよ。どこに行ってたの?」
「ジャスティのとこ!」
聞き覚えのない名前が出てきた。ローディは素直に首を傾げる。
「誰?」
「兄ちゃんたちが助けてくれたグリフォンだよっ。リュウ姉ちゃんが、ローディ兄ちゃんを助ける手伝いをしてくれたお礼に仲間にするって言ったんだっ。それで、グレイ兄ちゃんが名前付けたんだよ!」
ローディは思わず、反対側のベッド脇を見やる。
「そんなことになってたんですか」
「ああ」
声量をまったく落とそうとしない子供に苛ついている様子のヴィクスが、渋い顔で頷いた。
「サニーに懐いてるって話をしたあたりから、なぁんか悪巧みをしてる気配はあったんだがな。結局、買い取ったらしい。会話を成立させるのは無理だが、リュウならグリフォンをしつけられるから、偵察や移動の手段として使うんだってよ」
「へぇぇ」
「なぁなぁ兄ちゃん! これ見て! なぁなぁっ!」
上掛けを引っ張られて再びサニーへと顔を戻すと、抱えている大きなプラスチック製玩具を突き出してきた。
「ヴィクスが買ってくれたー!」
色とりどりの玩具は、記憶が間違っていなければ現在放送中の戦隊シリーズものアニメ『英雄戦隊カイザーマン』に登場するロボットだ。サニーはそれをベッドに乗せ、パーツを分離しては乗り物に変形させて、順番に並べていく。
ローディの子供時代からシリーズコンセプトが変わっていなければ、ロボットは五つに分かれるはずである。そして商業戦略を考えると、子供が両手で抱えなければ持てない大きさの、合体および分離するロボットがワンセットで売られているわけもなく。
「ヴィクスさん、奮発しましたねぇ」
振り返ると、大人がものすごく不本意そうな顔で明後日の方向を見ていた。
「全部揃わねえと合体できねえ、悪い奴に負けちまうって、うるさくてよー」
眉の角度が、ひじょうにヴィクスらしくない。
「それに、俺は昼間ずっと仕事で、ほったらかしにするしかねえからなぁ。遊び相手になってくれてる近所の子供は学校行ってていねえし。家でじっとしてるのがつまんねえのもわかるしなぁ」
「で、負けたわけですか」
最初の頃は突然の子育てに戸惑っていたようだったが、なんだかんだで少々甘い、良いお父さんをやっているようだ。
「いちおう忠告しておきますと、この手の玩具は、物語の途中で新しい武器や仲間が登場するのに合わせて増えますよ。それと、一年周期で新しい戦隊シリーズになりますからね」
「わぁってるよっ」
忠告という名の意趣返しで、ヴィクスの肩が落ちた。今まで散々やり込められたぶんは取り戻せたようだ。すっきりした。
ローディは頭を押さえたヴィクスから、嬉しそうに玩具で遊んでいるサニーへと顔を戻す。
「カイザーマン、好き?」
「うん!」
サニーは握り拳を握って目を輝かせ、即答した。
「悪い奴をいっぱいやっつけてくんだっ! ローディ兄ちゃんやジオ兄ちゃんみたいに、すっげー強いんだよっ!」
直後。
サニーの表情から笑みが消えた。神妙な表情でローディを見上げ、玩具の代わりに上掛けを握る。
「兄ちゃん。兄ちゃん、退院ってやつ、いつできる?」
「え?」
なぜそんなことを、こんな不安そうな表情で訊いてくるのだろう。わからず、戸惑っていると、反対側からヴィクスが呆れ声を出した。
「大怪我なんだから、簡単にはできねえって何回も言ってるだろ」
「わかってるよっ」
サニーの大きな反論は、しかしあっという間にしぼんでしまった。
「わかってるけどさぁ……っ」
ぎゅうと奥歯を噛みしめ、うつむいて、上掛けがしわくちゃになりそうなほど強く、両手で握りしめる。
サニーの行動はいつも突発的で驚かされるが、そこには必ず彼なりの理由があった。少なくともローディの知るサニーは、ただの我が儘な子供ではない。
「どうして早く退院してほしいの? 何か、僕にやってもらいたいことでもある?」
すると。
「……ジオ兄ちゃんはすっげー強いけど……、でも、一人だったら負けちゃうよ。危ないよ」
なぜだろう。むしょうに嬉しい。ジオラルドの心配をしてくれる言葉が、本当に嬉しい。なぜなのだろう。
わからないが、気持ちのままにローディは頬を緩めた。
「大丈夫だよ。軍には強い人がいっぱいいるから、心配いらないよ」
「でも仲間じゃないじゃん!」
顔を跳ね上げて、サニーが身を乗り出してくる。
「ジオ兄ちゃんの仲間は、ヴィクスとローディ兄ちゃんとリュウ姉ちゃんとグレイ兄ちゃんだろっ? あいつらは違うじゃんっ!」
怒りか苛立ちの強かった表情が、不安の色を濃くする。
「カイザーマンさ、この前、悪い奴に騙されて仲間がばらばらになっちゃってさ。必殺技が使えなくって、すっげーピンチになったんだ。だからジオ兄ちゃんだって、仲間と一緒じゃなきゃ危ないよ。また怪我しちゃうよ」
サニーはまっすぐにローディの目を見て、まっすぐすぎる言葉を投げつけてくる。
「それにジオ兄ちゃん、ローディ兄ちゃんが怪我してからずっと元気ないんだもん。ローディ兄ちゃんも、笑ってるけどぜんぜん笑ってない。つまんなさそう。……オレ、こんな兄ちゃんたち、やだ」
子供の意見というものは、どうしてこうもストレートに突き刺さるのだろう。ヴィクスの言葉は重いが、サニーの言葉は痛い。急所を撃ち抜かれた気分だ。
ヴィクスがサニーに言い負かされてしまう理由が、なんとなくわかる。
「そっか。つまんなさそうかぁ」
たぶん苦笑になっているだろう。それでも笑ってみせると、サニーの表情が明るくなった。名前通りの笑顔で、胸を張る。
「ローディ兄ちゃんとジオ兄ちゃんは一緒のほうがいいよっ。ばらばらよりずーっとずーっと、強くてかっこいいもんなっ!」




