最初の一歩-7
ローディは全力で体を弾き出した。部屋に存在する唯一の出入り口、その反対側。窓際に立つ男の腰めがけてタックルする。
窓枠に追突した衝撃が肩に響く。その背後で、もうひとつの激突音が鳴った。続けて空気を震わせたのは二発の銃声。
歓喜に頬を緩ませ、ローディは振り返った。右肩と左足から血を流して倒れかけながらも拳銃を拾おうとしている男の背後、大きく開いたドアの向こうに赤い目を見つける。
「ジオぉ!」
「ローディ、離れろ!」
そうだった。悠長に助けを喜んでいる場合ではない。
腰にしがみついたままの相手が取り押さえようとしてくるのに気づき、ローディは慌てて手を離した。胸中で謝りつつ敵の鼻をおもいきり殴り、ひるんだ隙に走り出す。
残り二つの銃口がこちらを向いた。
足を止めず、叫ぶ。
「男!」
瞬間、ジオラルドがターゲットを決めた。先ほどまでローディを背後から狙っていた男の手から拳銃が弾き跳ぶ。メイドが撃った銃弾はまったく関係ない場所をえぐったようだ。視界の端に、発射の衝撃に腕を取られて銃口をあらぬ方へ向けているのが見える。右手一本、しかも正規の射撃姿勢を無視した構え方をしていたからもしやと思ったが、やはり銃を撃ったことがないのだ。
(ざまーみろー!)
悪態をつくとローディは、一気に出口へと飛び込んだ。半ば転がりながら部屋側の壁を背にし、出口を挟んだ反対側で同じようにして立つジオラルドを見上げる。
「どうしてここがわかったのっ?」
「サニーの協力によって野ねずみという目撃者が見つかった」
「野……」
「そして彼らの情報ネットワークにより、追跡に成功した」
繰り返される銃撃の中、ジオラルドが牽制を一発。そうしてまた壁に隠れると、ローディを見ないまま続ける。
「監禁場所にたどり着くことができたのは、サニーの功績だ」
「じゃあサニーは?」
「自分を先導したのち、現在は上空でグリフォンとともに待機している」
話を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、窓際にいた小動物である。
「もしかして、あのコウモリって……」
ジオラルドが頷く。
「コウモリがひじょうに有能なレーダー役になることを、初めて知った」
「あはは、そっかぁ。それじゃあ、サニーにいっぱいお礼をしなくちゃだねぇ」
「なお、サニーの協力を取り付ける際、ヴィクスから伝言を預かっている。『ちびを深夜に働かせるやつがあるか。たっぷり説教してやるから無事戻ってこい』だそうだ」
「うわぁい」
話には出てきていないが、ジオラルドが武装してここにいるということはリュシエールとグレイ、さらにはエイムズも動いてくれているのだろう。
自分は本当に恵まれている。OWBstに入って良かったと、心から言える。やはり首領の手を取るわけにはいかないし、脳を勝手に利用されるなどごめんだ。
「うん。みんなのとこに、帰らなきゃね」
再度威嚇射撃を三発おこなったジオラルドが、壁から背中を離した。ジオラルド側の奥を指差す。
「リュウとグレイがもうすぐ到着すると連絡があった。合流する。下へ急げ」
(――今の、もしかしてメイドにも聞こえた……っ?)
グレイに居場所を知られるのを嫌い、魔法を使うことを避けていたメイド。ならば、もしもすでにグレイが場所を特定していたら?
次の瞬間、背筋を悪寒が駆け抜けた。直感も警告を発している。それによる焦りが手足を絡ませる。しかし止まるわけにはいかない。ローディは転びそうになりながら立ち上がった。
「ジオも急いでっ!」
急かすも、ローディが先行しなければジオラルドはこの場を退避しないだろう。わかるゆえの歯がゆさに唇を噛むとローディは、彼の向こうに見える階段に向かって走り出した。
建物自体が大きくないのか、階段までの距離は近い。はっきりとは見ていないが、窓から見えた景色からして高い場所でもなさそうだ。階下にもすぐ行けるに違いない。とにかく、ジオラルドも逃がすためには、早く安全に降りなければ。
(射撃場所……角度……タイミング……。よし、階段の内周を、できる限りショートカットして――――)
窓が目に入ったのは、不意のこと。
磨りガラス製のそれが薄く開いている。細い隙間だ。その向こうに景色が見える。濃紺のブロックが並んでいるかのような雑居ビル群の奥に建つ、ひときわ高い建物が目立つ。意識が引きつけられてしまえば、記憶と結びつけるのはたやすかった。
(ここ、OWBstに入って初めてライフルを撃った……)
恐怖と懐かしさ。――現実逃避。
思考が不適切な方向に流れたことを気づかせたのは、背後から迫ってくる、建物内にはおおよそ生じるはずのない冷気。
(やばい!)
急く気持ちが、ローディの体をつき動かす。たどり着いた階段へと、大きく一歩。
前へ踏み出した右足に、どん、と何かがぶつかった。
そして。
足場が消えた。
疑問に思う間もない。進路を変える間もない。
傾ぐ体。
迫る段差。
ひっくり返る視界。
落ちる!
「――――ッ!!」
最初に叩きつけられたのは右半身だ。立て続けに、頭を背中を腰を肩を胸を打撃が襲う。どちらが上でどちらが下かもわからない。混乱する平衡感覚に、なすすべがないまま翻弄される。
「ローディ!」
ジオラルドの声が聞こえた。
認識して、ローディは落下が止まったことを知った。そして体の芯を貫く激痛に絶叫した。体が本能的に、叫びながら転がり、痛みを散らそうとする。だが動かない。動けない。右半身が完全に正常な感覚を失っている。それでも、状況は忘れていない。立ち止まっているわけにはいかないのだ。逃げなければ。動かなければ。
ローディは、荒れる息をひとかたまり吐いた。ゆっくりと目を開ける。最初に見えたのは、視界の右側半分を占める床だった。次に、正面に階段を見つける。登りと下り、両方が見えるということは、ここは踊り場なのだ。ならば背中に感じる硬い物は踊り場の壁であり、落下が停止したのは壁にぶつかったためか。
そのとき、窓から差し込む薄明かりに照らされた階段とその壁に、黒い飛沫と線を見つけたのは偶然に近い。駆け下りようとしたときにはなかったはずの模様に疑問が湧く。かすみ、安定しない視界の中、黒い線を目で追った。そして、
――どくん、と心臓が鳴った。呼応するように頭痛が脈打つ。
(あれは、何?)
階段の中ほどに、棒が落ちている。片側の先端が微妙に折れ曲がった、片手で掴める程度の太さがある棒だ。円筒形のデニム生地をまとい、見慣れたスニーカーに曲がっている側の端を突っ込んだ棒。
息が、荒れる。震える。それでも目は、欲は、事実を求めて止まらない。黒い線を逆向きにたどって視線を動かしたローディは、踊り場の上で横向きに倒れ込んだ己の体を見た。
右足の、膝から先が、なくなっていた。
体の一部がない。さっきまであったはずのものがない。見慣れない、『普通』ではない状況を受け入れられず、生理的な嫌悪感と恐怖心がわき起こる。そこに理性を挟む余地はない。ただただ涙が溢れてくる。
さらに見れば、右腕がありえない方向にねじれ曲がっていた。完全に骨が折れている。これでは動けない。移動できない。逃げられない。
(ここで、死ぬの?)
目がかすむ。横になっているのに眩暈が止まらない。どくどくと力が抜けていく。
(僕はもう……)
――ガギャンッ!
目を閉じようとしていたそのとき、鼓膜に響いたのは嫌な音だった。続いて聞こえたのは、細かいものが階段を跳ねながら落ちてくる金属音。そして、ローディの前に黒いL字型の物体が降ってきた。
転がり、滑り、視線の先で止まったそれは、大振りのオートマティック拳銃、ガレッド25。世界平和連盟公安軍の標準装備品。――ジオラルドの、銃だ。
「ッ!」
ローディは目を見開き、銃が落ちてきた先を見上げた。
こちらに背中を向けて男と対峙するジオラルドの、その左腕は、まるで無数の棘に覆われているかのようだった。あるいは、左手で押さえ込んだ銃口からあふれ出た棘の固まりが、ジオラルドの腕を飲み込んでいるような。
立て続けに銃声が鳴る。
腕がまた棘を増やし、細かい金属音が階段で跳ねる。
銃声が響くたびに棘が増え、幾筋もの線が溢れ、腕が砕けていく。なのにジオラルドは微動だにしない。その場から一歩も動こうとしない。なぜか。そんなものは簡単だ。ローディが動けないからだ。ローディに銃口が向けられているからだ。ジオラルドは、人間よりも頑丈な己の体を盾にしているのだ。
「……や……め……っ」
銃声が止んだ刹那、ジオラルドが体をひねった。敵の手から銃をもぎ取り、肩を打ち抜くと、蹴撃で壁に叩きつけ昏倒させる。
安心したのもつかの間、またも冷気が。何もない空中に青く光る三日月が生じる。
ジオラルドが動く。月とローディの間へと。
また自分を犠牲にする気か!
「やめろぉーッ!」
ローディの絶叫は本当に絶叫になったのか。言葉は、懇願は、声になったのか。しかし届くことはなく、冷気を放つ月がためらいなくジオラルドを斜めに斬り裂いた。
「手を煩わせてくれたものです」
右肩から左腰にかけてふたつに裂かれ、崩れ落ちたジオラルドの傍らに、女のシルエットが現れた。音もなく立ち、無造作にジオラルドの髪を掴み、持ち上げる。
「機械人形の分際でご主人様の邪魔をするとは。身の程を知らないのですね」
「問題ない」
ジオラルドの声だ。まだ生きている。だが、音声にはノイズが乗っていた。ダメージを負ったのが音声出力だけならばいいが、あれだけの大きな損傷だ。AIが完全に無事でいるという保証はどこにもない。
否、無事でなければならないのだ。ジオラルドは普通のアンドロイドとは違う。ジオラルドが『暴走』した原因がわかっていない以上、彼の人格を再構築するのはおそらく不可能だ。
彼はわかっていないのだろう。そのことが。他のアンドロイドたちとは違い、AIが壊れたら死ぬのだということが。だから口を止めようとしない。
「じきにリュウとグレイが到着する。優秀な医者であるヴィクスも同行している。ならば自分は、それまで持ちこたえればいい」
「下半身を失い、腕も残ったのは壊れた左腕だけ。この状態でどう持ちこたえるというのですか」
「お前がここに現れてから三十二秒が経過した。現時点において、ローディに一歩も近づいておらず、視線も向けていない。よって、会話行動を続ける限り盾の役割を果たせると判断した」
メイドの口が止まった。横顔が、すぅ、と鋭くなる。
駄目だ。あれは絶対に攻撃の前兆だ。
「やっ。やめ……、やめ、ろっ、馬鹿女っ」
精一杯の声を振り絞ってうなる。すると馬鹿扱いが癇に障ったのか、メイドの顔がこちらに向いた。
「博士、口を閉じてお待ちください。すぐ楽にして差し上げます」
「冗、談じゃ……ないっ」
あぁそうだ。まったくもって冗談ではない。
体は素人でもわかるほどの重傷だ。いっそ気を失ってしまえば楽になれるのだろう。しかし、駄目だ。だってアスカと約束をしたのだ。友達を大切にすると。その努力をすると。
ローディは歯を食いしばり、体に力を入れた。
痛い。もはや痛いという言葉では片付けられない。人前、しかも敵に涙を見せるのは屈辱以外の何者でもないのに、次から次へと溢れてくる。それでも、やると決めたことを安易な理由で撤回するのは醜態だ。自分から愚かな人間に成り下がるのは最悪の一手だ。冗談ではない。あきらめてたまるか。立ち止まってたまるか。
左腕を伸ばす。前へ。
「博士。無駄な抵抗をしないのが身のためだとお話したはずですが?」
「うるさいっ!」
怒声の勢いで手が届いた。ジオラルドの銃を掴み、引き寄せる。自分が使う物より一回り大きい拳銃をしっかりと握ると、今度は体を起こしにかかる。
痛い。寒い。眩暈のせいで平衡感覚があやしい。さらには睡魔まで来始めた。いつもいつも負けっ放しの相手だ。それでも、今だけは負けられない。あとでいくらでも寝てやるから、引っ込んでろ!
胸中で気勢を上げ、左腕と背後の壁を支えに上体を起こした。そのまま壁にもたれて敵を見上げる。
起き上がったことで頭痛がひどくなってきた。指先もしびれ始めている。それでもこの銃は手放してはならない。正真正銘、最後の賭けだ。
ローディは立てた左膝に腕を乗せた。銃を握る手をまっすぐに伸ばし、肩を壁に押しつけ、固定する。
「ジオを、離せっ」
メイドが体ごとこちらに向き直った。半壊したジオラルドの顔をこちらに向け、銃口と自身の心臓の間に差し出しながら。
「見苦しいですよ、博士」
「ははっ……。首領さんは今頃、大喜びだろうね」
まだ笑う気力が残っていたらしい。自分の図太さには呆れかえる。我ながら頼もしい限りだ。
そんなローディの様子に罠の臭いでも感じたか、メイドの声がわずかばかり低くなった。
「本当に撃つ気ですか?」
「当然じゃないか」
「大切な腕を潰されて自棄にでもなりましたか。悪あがきも、ここまでわかりやすいと滑稽です」
――ふと、思考が冷めた。否、醒めた。
言葉から読み取れた齟齬が、激痛で混沌としている意識に一筋のクリアな光を呼び込む。ここに来て初めて、確かな糸を掴んだ気がした。
口端が、自然と笑みの形に吊り上がるのが心地いい。
「……世間ってさぁ、なんだかんだ言ってても、当たり前のように、マイノリティに厳しいんだよねぇ」
「何の話です?」
半眼になって睨みつけてくるメイドを、乱れる息を懸命に抑えつけながら見返す。
「気にしないとか、口では言っててもさ。珍獣や汚い物を見つけたような目で見るんだよねぇ。ほんと、ムカつくんだよねぇ」
ローディはゆっくりと狙いを定める。
「ムカつくけどさ、ふてくされてる時間がもったいないし、合理的じゃないし。気持ちを理解しろなんて、我が儘、言う気にもならないし。案外こっちが折れてやったほうが、面白かったりすることもあるし」
ターゲットはメイドの右肩。ジオラルドの頭部から約三センチ上方。
「でも、折れっぱなしはもっとムカつくし、不便だし、めんどくさいから、僕は、技術者になったんだ。機械いじりが好きなだけなら、趣味で終わってるんだよ」
「だから、何を……っ?」
初めてメイドの声音が乱れた。わずかに片足が後退する。怯えているようだ。だからといってジオラルドをぐちゃぐちゃにしてくれた奴相手に容赦してやれるほど、自分はお人好しではない。
「まだ、わからないんだ? 馬鹿だね」
そうだ。絶対に許すものか。大型拳銃を撃ったときの反動と、それが引き金となって増すだろう激痛が怖くとも、最大の好機を逃がす手はない。
「僕は、左利きだッ」
トリガーを引いた。
銃声。
衝撃。
手応え。
激痛。
メイドがジオラルドを落として肩を押さえるのと、ローディが崩れ落ちたのはほぼ同時だ。
ローディが受けたダメージは想像以上だった。無事であるはずの左手さえも重力が倍加したかのように動かせない。耳鳴りも始まった。それに引き替え、メイドはまだ再起不能に陥ったわけではない。魔法を唱えればいくらでも殺すことができるのだ。気絶するわけにはいかない。
(駄目だ。まだだっ)
ローディは再び銃を――――
「俺のテリトリーで、よくも好き勝手してくれたな」
第三者の声が聞こえてきたのは、不意打ちに近かった。
一瞬首領が出てきたのかと身構えたが、違う。闇に溶け込むダークスーツ。青く光る黒髪。アイスブルーの目。口調と激怒の表情こそ見慣れないが、彼はグレイだ。メイドの背後に現れた彼が、大きな手で女の頭を鷲掴みにする。
「なるほど。精神支配を受けて、人格が変わってたわけか。道理で父様の話と噛み合わないわけだ。まったく……堕天使のくせにどこの馬の骨ともわからない奴の操り人形になるなんて、情けなさ過ぎるぞ」
そこまでが限界だった。視界が暗い。目蓋が重い。悪寒が急速に足元から駆け上ってくるに従い、意識が遠のいていく。
「ローディッ!」
美しい声とともに、細くて温かいものが触れてきた。
「ローディ、気をしっかり持て!」
優しく揺さぶるそれは、誰かの手か。なぜだろう。遠く、ずっと遠く、そう、幼い頃に感じたものと似ている。
(……おばあちゃん……?)
ただでさえ暗い景色が、さらに黒くなっていく。もう、何も見えない。
(嫌だ)
駄目だ。まだ意識を失うわけにはいかない。まだ死ねない。ジオラルドがいるのだ。敵のすぐ傍に。助けなければ、壊されてしまう。殺されてしまう。
(嫌だ、おばあちゃんっ。ジオがいるんだ! そこに! ジオがっ!)
動かない体を、それでも無理に動かそうとする。
「……ジオ、が……ぁっ」
「ジオは必ず助ける! 助けてみせるとも! だからローディ、落ち着いてくれっ」
抑えてくる手は、細いのに力強い。そして優しい。
家で泣いたり愚痴ったりしたことは一度もなかった。それでも、いじめられて帰るたびに、祖母はずっと傍にいてくれた。いつも何も言わずに頭を撫でてくれた。何年も前に亡くなったはずのあの微笑みが、また髪を撫でてくれたような気がした。大丈夫だよと、甘えてもいいんだよと、言ってくれた気がした。
(おばあちゃん……っ)
何も見えない。音が遠い。寒い。怖い。ローディはぬくもりを指先で探す。
(お願い、助けてっ)
大事な仲間なんだ。初めてできた友達なんだ。
「ジオ……を……助け……」
手が、強く握りしめられた。
「任せておけ!」
優しかった祖母。怒ると怖かった祖母。どんなに難しい問題も、魔法のように解決してしまう頼もしかった祖母。そんな彼女が引き受けてくれた。ジオラルドを助けてくれると。ならば安心だ。大丈夫だ。
ローディは静かに息をつき、意識を手放した。




