最遅と最速-5
道の両端に集まった野次馬は、着実にその数を増していた。姿こそ軍用車両に遮られていて見えないが、ざわめきの大きさで規模を察することはできる。一緒に聞こえてくる警備員の様子から察するに、スクープを取ろうと躍起になっているマスコミも大勢来ているようだ。未成年者が犯人の説得交渉役をする事態は、彼らにとって格好の獲物だろう。あとで情報規制をかけてもらう必要がありそうだ。
考えながらローディは、Tシャツにジーンズという軽装のまま、のんびりと車道の真ん中へと進み出た。狙撃銃を右手一本で担ぎ、五階建てのビルを見上げる。
犯人が潜んでいるはずの窓に人影は見当たらない。奥にいるのだろう。一方、屋上にはダークネイビーブルーの装備に身を固めた大人たちがいる。裏手にも同じように配備されているはずだ。
軍の準備は万端。あとは自分が声を上げるだけ。
ローディは首の後ろでまとめてある髪を軽く払うと、ミルクチョコレートを舌の上で転がし、囁いた。
「call:ジオ」
息だけと言ってもいい声量でも、右耳に付けたイヤフォン型通信機は声を拾う。反応し、発信後、設定した電子音が鳴って接続を伝えてきたのはすぐだ。
「そっちの様子はどう?」
問うと、通常と変わらない声が返ってきた。
《問題ない》
「犯人の様子に変わりは?」
《熱源センサーから把握できる限りでは見受けられない》
「オッケー。じゃあ、始めるよ。作戦はさっき話した通りでよろしく」
《了解》
通信状態はそのままに、ローディはチョコレートを頬と歯の間に入れた。首にかけたハンズフリーマイクを左手で口元に寄せ、高機動車のスピーカーを通じて声を発する。
「あー、あー。立てこもり犯さん、聞こえますかぁ? 朝っぱらから大暴れ、お疲れ様でーすっふわあぁあぁぁ……」
――周囲から、声という声がかき消えた。
しかし気にせず特大のあくびをし終わるとローディは、目の端に浮いた涙を手の甲でぬぐいつつ、わざとのんびり口調で続けた。
「あらかじめ伝えておきますけどぉ、屋上には突入部隊が待機してて、裏口は周囲のビルから腕のいい狙撃手が狙ってますから、逃げようとしないでくださいねー」
いったん声を止めてみるが、ジオラルドからの状況変化報告はない。犯人は冷静にこちらの出方を窺っているようだ。
(やっぱり理性は残ってるな)
気が立っているのが薬のせいかはわからないが、会話にならないほど頭がやられるところまではいっていない。つまりは対話の余地がある。さらには、今回の立てこもり事件を起こした動機が存在する。
(どっちにしても、同じテーブルについてもらわないことにはどうしようもないか)
ローディは少し考え、改めてマイクを構えた。
「えぇ~っとぉ……、こういう場合って、自己紹介ってしたほうがいいんですかねぇ? よくわかんないんですけど。……まぁいっか。僕は公安軍の、少し違う立ち位置になる特殊部隊所属の者なんですけど、なぜかこんなとこで犯人さんの説得をすることになっちゃいましたー。っていうか、ちょっと聞いてくださいよ~。僕、ただの技術者なんですよ? なのに現場に近いから行けなんて出勤途中で言われて、しかも軍の指揮執れとか無茶振りされて、まいっちゃいますよ。むちゃくちゃな上司だと思いませーん?」
《動いた。正面窓際に向かう》
ジオラルドから通信が。
耳の端だけで聞き、顔には出さず、なおもだらだらと勝手な愚痴をたれる。
「僕が朝弱いのわかってるはずなのに、こんな仕事回して、自分は本部でのんびり会議だってー。しかも今はまだ勤務時間前ですよー? もぉ特別手当を要求したい気分ですよ、ほんとに。……ん? それって意外といい案かも? 時間外労働に対する正当な報酬かぁ。ちょっと真面目に要望書を出してみよっかな」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃと、うるせぇッ!」
怒声とともに、窓の向こうに大柄な男の姿が現れた。窓との比率からするに、身長は優に二メートルを超えているだろう。窓が閉まっていてもなお、彼の苛立ちも含めて充分伝わる大声だったが、ローディは素を貫いた。ワンテンポ遅れてから首を横に傾ける。
「えーっと……犯人さんですよね?」
犯人と目が合った。途端、その表情に動揺が走る。恐怖ではなく単純な驚きに見えたその印象が正しければ、説得しようとしている人間が未成年者であること、そして狙撃銃を持っていることに気づいて戸惑ったのに違いない。
その戸惑いが警戒心に移行する前にと、ローディは彼に笑顔を向けた。
「おはようございまーす。すみませんけど、何を言ったかよく聞こえなかったんで、窓を開けてからもう一度言ってもらっていいですかー?」
これは引っかけ問題だ。すぐに窓を開けるか、こちらの粘りに負けて窓を開けるか、窓を開けずに黙って奥へとこもるか暴れ出すか。どういう反応を見せるかによって、今後の対応がある程度限定される。
たっぷり二十を数えてもなお、犯人に動きはない。ローディは再び話しかけた。
「犯人さーん、僕の声は聞こえてますよねぇ? お話したいんで、窓を開けてくださーい」
彼の視線が泳いだ。次いで顔ごと、窓の外、道向かいのビルなどを見渡す。
「あ、狙撃の心配してます? 僕が言っても説得力ないかもしれませんけど、大丈夫ですよ。いきなりそんな乱暴なことしませんってば。僕、平和主義者ですもん。それに『犯人を問答無用で射殺』なんて、外聞悪すぎじゃないですか。めんどくさーい」
完全な本音による笑いで決断ができたのか、犯人が動いた。
近くを振り返り、しばし。彼の横から別の人影が現れた。長い髪に細い肩。不安定な歩き方で、体を小さくしている。女性だ。ということは彼女が人質なのだろう。犯人に何事かを言われながら窓に近寄ってきた女性は、窓に手を伸ばし、ゆっくりと開けた。そして全開になったところで、後ろから腕一本で抱え込まれる。聞こえてきた悲鳴はしかし、犯人が喉元にもう片方の腕を寄せたところで固まった。
ローディは顔をしかめ、我知らずといった様子で下げたマイクの位置はそのままに、通信機へと小声を飛ばす。
「左腕で人質を拘束。右手に大きめの、たぶんカッターナイフを所持」
《了解》
そうして、一息ついてからマイクを元の位置に押し上げた。
「えーと、そのお姉さんがかわいそうだから、もうちょっと優しくしてあげてほしいなぁって」
「うるせぇっ! ガキが何の用だ!」
「……確かに、さっさと用件に入ってくれるのは、僕もありがたいですけどねぇ。眠いし」
こらえきれずあくびをする。と、視界の端に苛立った複数の視線が。
大尉以下、軍人たちのそれは無視して、犯人だけに向かってへらりと笑う。
「そんな怖い顔しないでくださいよ、ちゃんとやりますからー」
こほんと咳払いをひとつ。ポケットから身分証を出し、腕をめいっぱい上に伸ばして犯人に見せる。
「改めまして、おはようございまーす。世界平和連盟公安軍、公安局局長直下特殊部隊所属の、ワイズっていいます。人間種族以外の人権保護っていう部隊の行動理念に基づいて、オーガである犯人さんの身柄を引き受けに来ましたー」
「特殊部隊だか何だか知らねえが、下っ端がのこのこ出てくんじゃねえよ! ガキに用はねえんだよ! 責任者を出せ!」
「う~ん、確かに局長と上司がいるわけだから、下っ端ってとこは否定しませんけど。でも現場の指揮を任された以上、今は僕がその責任者なんですよねぇ」
「はぁっ? 俺を馬鹿にしてんのかっ?」
「あはは、馬鹿にするならもっとわかりやすく小馬鹿にしまーす」
だんだんと犯人の態度が変わってきた。最初は引けていた腰が落ち着きを取り戻しつつある。虚勢だと丸わかりの怒声も、今は余裕のあるそれだ。しかし情報にあった『臆病な人物像』とは噛み合わない点が、疑問と言えば疑問。
(……ま、今は関係ないか)
ローディは違和感を思考の脇に押しのけた。そして改めて声を上げる。
「そういうわけなんで、不満かも知れませんけど僕で我慢してもらえませんか? いちおうは部隊の技術責任者ではあるんで、公安局の局長に直接会って話したりもできますしね。僕が犯人さんの役に立てること、少しくらいはあると思いますよ」
「…………」
「人質までとって立てこもり事件なんて起こしたの、それなりに理由はあるんでしょ? それ、教えてくれませんか? 要求があるなら――――」
「うるせぇッ!」
突然の激昂に驚き、反射的に口が止まる。その隙に、犯人の表情が変わった。
「人間が、何様だっ」
見るからに太い肩が、さらに大きくなった。力が入ったせいだ。
「こんな安い刃物一本で、簡単に死ぬくせにっ。殴ったところで、俺をふらつかせることもできないくせにっ。話を聞かせろ? 要求? 上から目線でものを言いやがってっ!」
かすかに人質の悲鳴が聞こえてくる。
「天使どもが手を出さなけりゃ、今頃は全滅してただろうにな! 弱ェくせに、護ってもらっといてようやく生きてるような連中がでかい顔してんじゃねえよ! 要求っ? 俺の要求は人間が死ぬことだっ! 今すぐ殺し合って死にやがれ!」
――それは、もはや意識下の行動ではなかった。反射に近い。気づいたら、と言ってもいい速さで、ローディは犯人の斜め四十五度下方、窓のわずか下の壁を撃っていた。
残響がビル間に残る中、ローディは銃口を空へ向けた。右肩に銃身を預け、犯人を刺激する奴があるかとうめくカークランドらを尻目に、再びマイクを口元に寄せる。
「先に言っておきますけど」
動揺はない。恐怖心も不安もない。胸にあるのは、冷めた苛立ちだけだ。
「人質ってのは生きてるから人質になるんです。そのお姉さんを殺した時点で即、突入部隊に乗り込んでもらいますから、人質の扱いには気をつけてくださいね」
ローディは鼻から息を噴き、こちらを戸惑いの表情で見下ろしてくる犯人を見据えた。嘲笑と呼ぶべき笑みを口端に漏らす。
「それともうひとつ。犯人さんがお姉さんの首を掻き切るより、僕があなたを撃ち殺すほうが速いので、そこんとこお忘れなく」
「こ……っの、クソガキっ!」
犯人が歯を剥いた。
「調子に乗るなよっ? てめぇには人質が見えねえのかっ?」
「あのねー、お姉さんを盾にしようとしても無駄ですってば。犯人さんの体のほうが倍は大きいのに、隠れきれるわけがないでしょー?」
「うるせぇ! いくら俺の体のほうがでかくても、そこから狙うんなら数センチの隙間にしか見えねえだろ! ちょっと手元が狂っただけでこの女に当たるぞ! ははっ、撃てるもんなら撃ってみやがれ!」
「あ、そう? じゃあ撃とうっかな。そのほうが手っ取り早いし」
ローディは再び銃身を下ろし、マイクの代わりにフォアグリップを左手におさめた。両足を前後に開いて重心を真下に。脇を締めて腕を上げると、銃床尾板を右肩に押し当て、固定する。
一呼吸。
そしてゆっくりと、大きな声でカウントを取る。
「三……、二……、一……、バンッ!」
照準器の向こうで、犯人が目を見開いてのけぞった。全身に電流でも流れたかのような硬直はしかし、すぐに解け、オーガの巨体がふらつきだす。
ローディは銃身を下げた。笑い、マイクに声を流す。
「犯人さーん。いくら動揺してたって、簡単に騙されすぎでしょー。さっき撃った弾の排莢も済ませてない狙撃銃で、二発目が撃てるわけないじゃないですかー」
「て、めぇ……ッ」
「ついでにもうひとつ。馬鹿正直すぎ。会話で犯人さんを引きつけるなんてのは、素人でも取れる、初歩中の初歩の常套手段でしょ?」
刹那、部屋の奥から黒い影が飛び出してきた。見る間に犯人の右手を捕らえ、ひねり、握力の弱まった手からカッターナイフを奪うと、巨体を室内側に引きずり倒した。しばらく物音が聞こえてきていたがそれもすぐ止み、
《犯人の捕縛および人質の救出完了。犯人の無力化に成功したため、これより人質とともに帰還する》
ジオラルドの声が右耳に届いた、三秒後。窓から女性を腕に抱えたジオラルドが姿を見せた。彼は自然な動作で窓枠を越え、飛び降りる。そして膝のクッションをほとんど使わずに軽々と着地した。
ローディは視線を屋上まで上げ、マイク越しに指示を出す。
「犯人を捕まえましたー。屋上で待機中の突入班は、至急現場に向かってくださーい」
そして再度地上へと目を戻すと、隣に戻ってきたアンドロイドを振り返った。
「お疲れ様。データは取れた?」
「問題ない」
女性を地面に下ろしてから、正対して頷く。
「発砲位置から目標までの距離、着弾箇所およびその状態、着弾から効果が出るまでの時間、投薬後の反応。ローディが指示した項目はすべて記録した」
「ありがと。テキストファイルにして共有フォルダに送っといて」
ローディは狙撃銃の安全装置を入れると、目をジオラルドの足元へと移した。人質になっていた女性が、口を半開きにしたままへたり込んでいる。ローディは言葉を探しながら彼女に近づくと、銃を背に隠して膝をついた。
「お姉さん、大丈夫?」
乱れた長い黒髪を手櫛で整えてやる。すると、硬直していた彼女が動いた。錆びたロボットのようなぎこちなさだが、反応があったことにほっとする。ローディは目が合った彼女に、改めて笑いかけた。
「お疲れ様でした。もう心配いらないですからね?」
髪から手を離したそのとき、彼女の首筋に赤いものが見えた。傷だ。深くはなさそうだが、流れた血が服を汚している。きっとカッターナイフを押しつけられたときに切れてしまったのだろう。ローディはポケットを探り、ハンカチを出した。傷口に当て、彼女の右手を取って傷を押さえるよう誘導する。
「少しだけど血が出てるから、治療してもらえるまでこれ使ってください。……あっ、ちょっとしわくちゃだけど、洗濯してるから汚くないですからねっ?」
不意に、ピンク色の唇が震えた。返事が来ると思えたのは一瞬だけだ。見る間に彼女の表情が崩れ、大粒の涙がこぼれ出す。目の前で女の子に泣かれるなど、子供の頃に妹と喧嘩して負かしたとき以来だ。
「い、痛かったですか? 痛いですよねそうですよね怪我してるんですもんねっ、ごめんなさいっ。わあっ?」
なだめるつもりがさらにうつむかれ、ほとんど胸にもたれかかるのに近い格好になり、しかも嗚咽が聞こえてくるに至り、ローディの頭はパンク寸前だ。
「えええと、たぶん痕が残らないくらいちっさい傷だから大丈夫ですよっ。きっと、ちょちょっと消毒したらすぐ治ると思いますしっ……うあぁぁぁどうしよう~泣かないでぇぇ~」
「何を動揺してるんだ、お前は。緊張の糸が切れただけだろ」
疲れ果てたとも呆れかえったとも表現できそうな声が、背後からかけられた。カークランドだ。振り返ると、彼は苦笑顔でローディの肩をぼすぼすと叩き、そうしてから泣いている女性に向き直った。
「お疲れのところ恐縮ですが、お話を聞かせていただきたいのでご同行願えますか」
すると彼女はややあってから泣き声を抑え、ローディに寄せていた顔を離した。うつむいたままだがはっきりと頷き、立ち上がる。歩き出したその足取りはかなり危なっかしいものだったが、大人の男性が横から支えているから大丈夫だろう。
ローディは女性の涙から解放され、体中の空気を吐き出す勢いで息をつく。
「はふぅぅ、助かったぁぁ」
胸を撫で下ろしたところで、急に周囲が騒がしくなってきた。見れば、表玄関から軍人が出てくるところだ。さらに、両脇から捕まえられ、支えられながら、犯人も姿を現す。
撃ち込んだ対象に睡眠効果魔法をかけるドライアード弾を喰らったにも関わらず、意識はしっかりしているようだ。さすがに体の自由はきかないのか強引に歩かされながらも、人間を罵る言葉を吐き続けている。
地上界侵略戦争当時、魔力や魔法は本の中だけのものだと信じ切っていた人間種族は、彼の言う通り天使が現れて護られなければ滅んでいたに違いない。
だが、あれから千年が経つ。人間は魔法とそれを使う他種族の存在を認め、共存の道を選んだ。自然界に眠る魔力を科学的に分析して資源にする方法を開発し、活かすことも覚えた。そうすることで、魔法という生まれつきの能力を持つ者たちと対等になろうと努力したのだ。今まさにしているのだ。自分たち技術者はそのために日々努力しているのだ。彼の言葉は、ローディだけでなく世界中の技術者たちへの侮辱である。
しかし冷静になった今なら認められる。努力が伝わらないのは、努力が足りないからだ。自身の怠惰を棚に上げ、理解してもらえないことを他人のせいにするわけにはいかない。そして、個人の意見を否定する権利は誰にもない。明らかに間違っていても、どんなに認めたくないものでも、思想は自由だ。自戒しなければならない。ジオラルドの前で『理解と認識』について高説をたれた以上、それが己の言葉に対する責任というものだろう。
犯人の罵声はまだ続いている。
この地上界で、人間が経営する会社で社員として働いていたということは、彼は人間種族との共存を選んで生きていたはずである。それなのに、どうして暴力的な感情をぶつけずにはいられないまでになったのだろうか。どこかで止める手段はなかったのだろうか。彼を助けてくれる者はいなかったのだろうか。
魔法の存在を受け入れた人間の世界は、かつてに比べ飛躍的に発展した。しかしどれほど生活水準が上がっても、感情論による偏見は発生している。技術力は、人間の行動の手助けはできても、意志を操作することはできない。いまだに太刀打ちのできない領域だ。何かひとつでも変えられたら、彼のようなマイノリティも、もっと生きやすくなるだろうに。
犯人が護送車に入れられた。やがて車が動き出す。見えなくなるまで見送るとローディは、薄く息をついた。
「……悔しいなぁ」
心の声を漏らしてしまったことに遅れて気づき、アンドロイドから疑問の声が出る前に、踵を返した。




