最遅と最速-3
見慣れてきた景色が、見慣れない速度で前から後ろへ流れていく。安全対策で着ている季節外れの長袖デニムシャツや、頭部を覆うヘルメットの固さと重さと圧迫感や、自身の足で走るときより強い風圧や、尻の下から伝わってくるエンジンの鈍い振動も、今までに体感したことのないものばかりである。しかしそれらを面白いと思う気力はない。ローディは前にあるライダースジャケットを着た背中に抱きついたまま、その持ち主である運転手に愚痴った。
「ジオぉ、ねーむーいー」
「寝るな。落ちる。落車すればローディの体が損傷すると同時に、後続車両に被害が出る。現在の交通状況を考えると、その規模は拡大こそすれど確率が低くなることはない」
「うぅ、わかってるよぅ。わかってるけどさぁ。ジオ、どーして車で来なかったんだよぅ。そしたら途中で眠れたのにぃ」
「この道は本部までの最短ルートであると同時に、渋滞が発生する確率が高い。巻き込まれたならば遅刻は免れないと判断する。しかしバイクならば小回りがきくため迂回路を取るのが容易だ」
「うぅぅ、じゃあ電車はぁ?」
「電車は混雑状況が激しい。寝坊するのは疲労の蓄積の結果だと推測すると、これ以上の肉体的負担を減らすためにも避けるのが無難だと判断した。問題があるだろうか?」
「うぅぅ~、ないですぅ」
またもやジオラルドに勝てなかった。どうやら正論では彼に分があるらしい。悔しいことこの上ない。
いや、そもそも、いったいいつの間にここまで口が達者になったのだろう。最初の頃は話しかけない限り口を開かず、言っても、了解やら問題ないやら、ひとことくらいしか喋らなかったのに。気がつけば、見事に言いくるめられて自宅の強制大掃除決定である。
(学習能力が高いのはいいけどっ。ジオが優秀なのは認めるけどっ。なんか納得いかなーいっ)
睡魔と不満とで激しく落ち込んでいた、そのときだった。
急にバイクの速度が落ち、歩道に寄せられた。止まったのは、信号もない中途半端な場所である。顔を乗り出して前方を窺うが、進行方向で問題が起きた気配もない。
「どうしたのぉ?」
尋ねると、しばしの無言。そのあとで、ジオラルドが振り返った。
「リュウから通信が入った。近辺で立てこもり事件発生。このまま現場に急行するようにとの指示だ」
――まさに、見えない金槌で頭を殴られた気分。
「なんだよそれーっ!」
ローディはヘルメットごと頭を抱え、激しく首を振った。
「まだ勤務時間前じゃーん! ねーむーいーのーにー! 犯人の馬鹿ーっ!」
「リュウが直接ローディに話があるらしい。回線を繋げ」
「……ふぁーい」
脱力寸前まで肩を落として、ポケットを探る。出した携帯端末を操作してヘルメット内蔵の通信装置に接続。チャンネルを開く。
「おはようございまーす、ローディでーす」
《おはよう。ジオの迎えは効果的だったようだな》
笑いまじりの美声が涙を誘う。
「効果的どころか、朝から何だか大騒ぎして疲れましたよぅ! しかも事件って! 今日は僕、厄日ですかぁ?」
《何があったのか知らんが、そう言うな。悪いことのあとには良いことがあるものだよ》
天使に言われると本当に良いことが起きそうで、考え直す気にはなる。ローディは意識的に喉仏の位置を下げ、頭に登った血を落ち着けた。
「そうであることを祈りますぅ。で、話って何ですかぁ?」
《あぁ、ローディにとっては朗報だと思うぞ。ドライアード弾の実戦使用許可が出た》
先日完成したばかりの新型麻酔銃弾の名前を出され、しかもその使用許可とは、予想外の展開である。ローディのテンションは一瞬で上がった。眠気が軽く飛んでいく。
「うっそ、もう使っていいんですかっ?」
《OWBstは迅速、柔軟な機動力が売りだ。もたもたしていたのでは価値が半減すると言って、もぎとってやった。そういうわけだから、臨床データを好きなように取ってこい。弾は軍の連中が運んでいるから、銃と一緒に現地で受け取れ》
(ん?)
腑に落ちない何かを感じたものの原因は言葉にならず、ローディはとりあえず頷いた。
「わかりました。身分証見せて、OWBstですって言えば通じますよね」
《多分な。では頼んだぞ》
「はい。…………、はぃ?」
反射的に首肯したあとになったが、今度は聞き逃さなかった。ローディは通信の向こう側に声で詰め寄る。
「頼んだ、って、リュウさんたちは?」
《私たちは朝から会議が入っているから、お休みだ》
ローディの眠気は完全に吹き飛んだ。
「ちょっと待ってくださいよっ! ドライアード弾は大量生産できないから、OWBstが指揮権を持ったときだけ使えるようにするって話になってませんでしたっけっ?」
《それは他の部隊の話。OWBstはいつでも自由に使えるよ》
「でも今回の場合、僕たちが正面に出ないと、そもそも銃を撃つ機会がなくなりますよねっ? ってことは、こっちが指揮権を持たないとどうしようもないじゃないですかっ!」
《そうだな。だから今回の件はすべてローディに任せる。私の代役として頑張ってくれ》
「えええーっ? 無理ですよ、無理無理っ! だいたい、僕が指揮しまーすなんて言ったって、子供が出しゃばるなとか言って後ろに追いやられるに決まってますってば!」
《OWBstの指示に従うようエイムズから連絡が行っている。もしも協力を渋るようなら、局長に報告書を出すと脅してやればいい。滅多にない機会だ。軍の連中をこき使ってやれ。ははははは》
ははははは。
――ではない。
「リュウさん? 僕は、基本的には一般人。軍とか作戦とか指揮とかとは無縁の、ただの技術者ですよ?」
《大丈夫。ローディならできるよ》
「その自信はどこから出てくるんですか」
《ただの勘だが、私の勘は滅多なことでは外れないから安心しろ。おや、そろそろ急がないと会議に間に合わん。ではよろしく》
「うわぁ待ってくださ――……、あぁ」
抗議もむなしく、あっさりと切られてしまった。本当に急いでいるにしても、ここまで問答無用だと気分は面倒ごとを押しつけられたのに近い。おそらくはローディの性格を見抜いた上での暴挙だろう。自分に軍隊の指揮を執れるとは思えないが、だからといって現場放棄する勇気も無責任さも持ち合わせていないのだから。
ローディはおもいきり息を吸い込み、それを全部吐き出した。
「僕が指揮なんて、ぜーったいに無茶だってば~」
背中を丸めて落とした弱気に、
「問題ない」
容赦なくも力強い否定が返ってきたのは即座だった。顔を上げて見れば、ジオラルドが無表情な――疑いなど微塵もない眼差しを、ローディに向けていた。
「ローディには作戦指揮能力がある。よって、リュウの代役として申し分ない人選であると判断する」
半眼になって睨み返す。
「そんな根拠がどこにあるっていうのさ」
すると、ジオラルドはわずかに静止した。瞬きをして、首を傾げる。
「根拠を示せば納得するのだろうか?」
「少なくとも、無理だって決めつけることはやめて、もう一度よく考えるよ」
「理解した。では自分が把握しているデータを開示する。まず、ローディは情報を精査する能力が高い。得た情報を論理的に展開、活用することにも優れている。これらは普段の研究状況および報告書の内容と文章構成、さらに、来訪したグレイの身内とのやりとり、およびフェウドーの森における緊急事態への対処指示から察することが容易だ。また、ローディの思考速度と、無駄の徹底的な排除という価値観は、作戦指揮においてひじょうに重要であり、かつ最適な能力特性になる。リュウに比べ劣っている点は、実戦経験数と、人員を駒として扱う意識だけだ。問題ない」
――あぁ、エンジンの振動がこそばゆい。
ローディは半眼のまま薄笑いをこぼし、脇腹を掻いた。
「きみの褒め言葉って、どうしてこう、体がかゆくなるんだろうねぇ」
「問題があるのだろうか?」
「あるかないかって言われたら、ないんだろうけどねぇ」
「では、納得しただろうか?」
「うっ」
懇切丁寧な解説に続いて追い打ちをかけられ、ローディは思わずうめいた。
完全に逃げ道を潰した上で、この態度と来た。確信犯だろうかと穿った見方をしたくなるが、アンドロイドの思考回路にお世辞も嫌味も誇張も存在し得ない以上、本心以外の何者でもない。かゆくなるのは十中八九そのせいだ。ならば、彼の意見に対抗する場合は、正々堂々と真正面から論破する以外に覆す方法はない。できなければ全面的に受け入れるしかないではないか。
ローディは薄笑いに苦みを混ぜた。
「わかったよ。自分にできるとはまだ思えないけど、やれるだけはやってみるよ」
「では急ごう」
ジオラルドが前に向き直った。わずかに前傾姿勢になるとともにバイクが走り出す。速度はあっという間に上がった。車体を斜めにして角を曲がり、国道から外れて裏道を疾駆する。近辺と言っていたから、現場には間もなく着くのだろう。
いつ横道から人や車が出てくるかわからない恐怖と、それをジオラルドのセンサーが見逃すわけはないという信頼と、この先で待っている軍の指揮官というポジションに対する不安とで、心が渦を巻いている。
ローディは鼻からため息を吐いた。
ただの技術者を目指していたはずが、生物相手に銃を撃つようになり、今度は軍の指揮官役である。現実は物語より奇なりとは、まったくもってよく言ったものだ。




