最遅と最速-2
ジオラルドはマンションの駐輪場にバイクを止め、ヘルメットを取った。時刻を確認する。
午前七時四十五分。本部からここまでは約十五分だった。一時間もあれば、今も寝ている可能性が高いローディを起こして連れて行くのに充分な時間だろう。不測の事態にも対応できるはずだ。
うむ、とひとつ頷き、ジオラルドはマンションに入った。オートロックドアをクリアし、三階へ。そして突き当たりに目当ての部屋番号を見つけ、足を止める。
(許可を得ているとはいえ、他者のプライベートルームだ。合図もなく入室するのは失礼に当たるだろうか)
考え、インターホンを押した。
一回目。
――反応なし。
二回目。
――応答なし。
完全に寝ているようだ。ジオラルドは預かっている合い鍵で解錠し、ドアを開けた。
「失礼する」
不意に、AIに極度の負荷がかかった。状況を認識できない。データベースで情報の検索をかけるも、エラーの連続だ。
(これは、何だろうか)
いや、『何か』はわかる。ローディの住む家である。わからないのは、現時点で確実に人間が生活しているはずの空間が、ごみと埃と使用済み梱包材でごった返している理由である。――否、理由は簡単だ。住人であるローディが掃除と片付けをしていないからであろう。この場合は、なぜ悪質な状況が放置されているのかを問うのが正解だ。ごみも埃も雑菌の温床である。ローディならばそれを知らないはずがないのに。
(清掃するよう言うべきだろうか)
ようやく結論らしいものを導き出せたが、彼を起こさないことには話にならない。
ジオラルドはいったん情報を保留にすることにした。廊下の壁に沿って山積みにされているごみ類を崩さないよう、気をつけながら奥に進む。
ついたのはリビング兼ダイニングだった。ここも廊下と似たような状態である。キッチンの生ゴミのことを考えると、より劣悪かもしれない。だが、これも保留だ。今はローディを起こすことが最優先である。
一通り見渡してリビング内にローディがいないことを確認するとジオラルドは、ふたつあるドアのうち右側を開けてみた。ベッドルームである。しかし生体反応はない。すぐに反対側の扉に向かい、開ける。
照明器具がついたままの室内は、様々なコンピュータ機器が入っていた。プログラミング系の専門書籍や大判のメモ用紙などが散乱し、本部内に与えられている研究室の比ではない散らかり様である。しかしここに来るまでの間でAIはすでに学習済みだ。混乱することなく周囲を見、机の下で丸まっている人間を見つけることに成功する。長髪で顔が隠れているが、ローディで間違いない。
「ローディ。朝だ。起きろ」
薄茶の髪はぴくりとも動かない。声だけでは無理のようだ。床を埋めている物を踏まないようつま先でかき分けながら進み、彼の横でしゃがんだ。揺すってみる。
「ローディ。……ローディ」
まだ動かない。少し強めに揺する。
「ローディ、起きろ。午前七時五十五分だ」
「――……うー……ん、お母さぁん……あと五分~……」
自分はローディの母親ではない。
どうやら寝ぼけているようだ。いや、まったく目が覚めていない。ジオラルドはさらに強く彼を揺さぶった。
「ローディ、遅刻するぞ。起きろ」
「うぅ? う~ん……?」
長毛種の動物が身じろぎするように、もぞりと動いた。ぼさぼさの髪の毛が割れ、青緑色の双眸が覗く。
「………………ジオぉ? どして僕んちにいるのぉ?」
まだ寝ぼけているらしい。ジオラルドは彼の肩を引っ張り、強引に体を起こさせた。
「リュウに、毎朝ローディを迎えに行くようにと言われたからだ」
ローディはしばし上体を起こしたまま固まっていたが、
「あぁぁ、そういえば、そうだったねぇ~」
息をつきながら前に倒れた。
押し起こす。
「寝るな」
「う~……」
あちらへかくん、こちらへかくん、と頭部が傾くたびに転びそうになっている。いつかどこかに頭をぶつけるのではないだろうか。
ジオラルドは再度彼の肩を叩いた。立つよう促す。
「冷たい水で顔を洗え。そうすれば目が覚める」
「うー……」
ワンテンポずれて立ち上がり、ローディは危なっかしい足取りで部屋を出て行った。
隣はあのごみの山だ。崩したら室内で遭難などという事態になりかねない。しかもそれが本当に起きてもおかしくないほど、今のローディは足元がおぼつかない状態である。無事に洗面所にたどり着ける可能性は低い。心配である。
ジオラルドは大股で紙類を避け、ローディのあとを追った。そして、彼がキッチンで顔を洗っているのを見て危うく自分が転びそうになった。
足がもつれるなど、生まれて初めての経験だ。原因はわかる。AIに負荷がかかったからだ。これが、人間でいうところの驚愕に基づく混乱というものか。
この家の家主はローディであり、しかも一人暮らしをしている。よって、彼がどこで何をしようと勝手だろう。その主張は理解できる。できるのだが、それでは洗面所が何のためにあるのかわからない。もしやこの家にはそんな簡単な設備もないのだろうかと思うも、間取りを計算する限りありえないはずだ。
あれこれと可能性を探っていたら、ローディが近くに干してあった小さめの布で顔を拭き始めた。――どうしても、食事用テーブルならびにシンク周辺を清掃するための布巾にしか見えない。
「……ローディ」
「う~ん?」
まだ完全な覚醒にまでは至っていないらしく、声がかなり間延びしている。しかしこちらを向いた彼の目には明確な意志が見て取れた。とりあえずは起床に成功したらしい。安心して疑問を向ける。
「それは洗面用具ではないと認識している。なぜ専用のタオルでおこなわないのだろうか」
するとローディは首を傾げ、空中を見て、反対側に首を傾け、あぁ、と声を上げた。ジオラルドに顔を戻してへらりと笑う。
「面倒くさくってぇ」
「…………それが理由か?」
「えへへ~」
笑ってごまかそうとされても困る。
だがしかし、これで情報はすべて揃った。
ローディは極度の面倒くさがりが高じて生活環境すべてを自堕落な物へと変えてしまったものと推測する。察するに、寝坊癖も少なからずこの性質のせいだろう。ならば自分のするべきことはひとつだ。バディの健康と人間らしい生活、および円滑な人間関係のために、過ちを指摘するのである。
「出勤時間が迫っているため今すぐにというわけにはいかないが、室内環境を改善すべきだ」
呑気に水を飲んでいたローディが、コップを口から離して振り返る。
「室内環境の改善~?」
「具体的には、掃除をしてごみをすべて処分することを提案する」
簡単な話である。
しかし、ローディは口を尖らせた。
「そりゃあねぇ、したほうがいいんだろうなぁとは思うんだけどねぇ」
「清掃は子供でもできる作業だ。問題ない」
「んー、でもさぁ。僕がやると、余計に散らかっちゃうんだけどぉ。どーしてだろうね~?」
それは、自分のほうが聞きたい。
黙り込んだジオラルドの隙を突いて、ローディは壁掛け時計に目をやった。コップをシンクに入れて、のんびりと隣の部屋に歩き出す。
「そろそろ行く準備を始めたほうがいっか。とりあえず着替えてくるねぇ」
「バイクで来たから、時間は余裕がある。慌てずに支度しろ」
「あ、後ろに乗っけてくれるのぉ? わーい、ラッキーぃ。バイクって、一度乗ってみたかったんだよね~」
ローディは寝間着を脱ぎながらベッドルームに入っていった。当然のごとく、ドアは開けっ放しである。ジオラルドが男性型アンドロイドであるため『同性だから気遣いなし』なのだと思いたいが、九十パーセントは『面倒くさいから』だろう。
(ローディの手間を惜しむ癖はすでに確立されてしまっている模様。意識改善は困難を極めるものと思われる)
難解な問題が発生してしまったものだが、今考えることではないのも事実である。何より重要なのはローディを遅刻させないことだ。
(現段階で自分がサポートできることは……、朝食の準備)
どこかに朝食用の食材があるはずだ。周辺を見、探してみる。が、棚にも、冷蔵庫の中にも、テーブルにも、それらしいものはない。まさかこれから自炊するわけではないだろう。第一、冷蔵庫の中にはパンどころか卵一個なかった。
ただでさえ散らかっている上に、ローディのあの性格である。早々に自力で探し出すことをあきらめ、ジオラルドは隣室に向かって声を上げた。
「ローディ。朝食として摂取するものはどこにある?」
「あぁ、ないよ~。朝はいつも食べないもーん」
――食べない? 三食の中で最も重要な朝食を摂らない?
(それは容認できない)
大きく首肯し、ジオラルドはベッドルームを覗き込んだ。
「ローディ」
「ほえ?」
ジーンズをはく途中で止まった彼に向き直る。
「生活の改善を強く要求する」
「はい~?」
「不衛生な空間で生活を続けていては健康を害することに繋がる。食事の規則正しい摂取も必要不可欠だ。バディとして見過ごすわけにはいかない」
「えぇっとぉ……」
固まっていたローディは、我に返ったように瞬きをするとまずジーンズをはき、ベルトを通しながら苦笑いをした。
「大丈夫だよぉ。セントラルで一人暮らしをしてる間、風邪ひとつ引かなかったもん。平気平気~」
「駄目だ。人間は年齢とともに抵抗力も弱まる。今は良くとも、この先ずっと無事である保証はない。今のうちにこそ改善すべきだ」
「そんなこと言ってもなぁ……。僕、掃除下手だしぃ。料理も苦手だしぃ」
頬を膨らませて不平不満を漏らしたローディは、
「あっ、そうだっ」
不意に破顔してこちらを向いた。
「そんなこと言うんなら、ジオがやってよー。掃除と朝ご飯の準備~」
考えてみる。
この様子からして、ジオラルドの要求をローディがすべて遂行してくれるとは思えない。同時に、発案者である自分が率先して動くのは当然の義務であるとも言える。なるほど。彼の提案はすべての問題点を解決する方法として最善だ。たった数秒で完璧な回答を導き出してしまうとは。さすがはローディである。
「了解した」
「……え?」
「ちょうど明日は休日だ。これを利用して居住空間の清掃をおこなう」
「あれ?」
「同時にごみの撤去もおこないたい。ローディには不必要な物の判断、分別を任せるので、よろしく頼む」
「いっ?」
「だがまずは今日これからだ。……近くに食料品店があったな。支度を続けてくれ。自分は朝食となるものを確保してくる」
ジオラルドは踵を返した。
「五分で戻る」
「えっ、ちょ……っ、マジでぇぇぇーッ!?」
ローディの絶叫理由は不明だが、今は時間が惜しい。
ジオラルドはごみの山脈を抜けて外に走り出た。




