最遅と最速-1
笑顔を保つのには限界があった。何せ悪いのは全面的に自分なのだ。
ジオラルドとともに呼び出されたローディは、机の向こうで苦い表情をしているリュシエールの眼光を受け、素直に頭を下げた。
「すみません」
「いちおう自覚はあるようだな」
リュシエールは温和だ。寛大でもある。その彼女をここまで呆れさせてしまったのだ。ローディは昔からの悪癖を、ひさしぶりに自覚して落ち込んだ。
「善処はしてるんですけど……なんていうか……」
「善処している割にはひどいぞ」
言い切るとリュシエールは、ローディから視線を外して手元の書類を眺める。
「たまのことなら気をつけろで済ませてやれるが、毎日遅刻するとはどういうことだ。今日で三週間の連続記録だぞ。しかも、一時間も二時間も、ひどいときは……昼に出勤か。無能な重役たちと同じことをしてどうする」
もう笑顔のえの字も出ない。
「すみません」
「遅刻する代わりに残業をしているのは酌むがな。OWBstに入って、かれこれ四ヶ月だ。いつまでも学生気分でいてもらっては困る。だいたい、時間厳守は学生だろうと守らなければならないルールだろう? もう少し気を引き締めろ」
「本当にすみません」
がっくりと肩を落としたローディを哀れに思ったか、リュシエールの表情が柔らかく変わる。
「それで?」
書類を置いて声音を軽くし、机に両肘をついて身を乗り出すようにしてくる。
「実際のところ、どうしてこんなに毎日毎日遅刻ができるんだ? 最近出動回数が増えているせいで疲れがたまってきたのはわかるが、それだけではないだろう」
ここまでストレートに問われてしまうと、白状するほかない。ローディはいまだに力の入らない頬で無理矢理笑みを作り、頭を掻いた。
「えーと、家に帰ってからも個人的な研究を、少しだけ、と言いつつ長引いちゃって」
金色の眉が上がる。
「つまるところ、熱中するあまり時間を忘れて、就寝時間が遅くなるから朝起きられない、ということか?」
次いで、彼女の傍らに立っているグレイが、くすりと笑った。
「で、遅くまで寝てるから夜に眠くなる時間も遅くなって、悪循環?」
まったくもってその通り、だ。
ローディは言い返す言葉もなく、力なく笑うばかりである。
「時間って、どうしてあっという間に過ぎちゃうんですかねぇ。気づいたら寝ちゃってることもしょっちゅうで」
「?」
視線で疑問を伝えてきたジオラルドに気づき、彼を見上げて補足を加える。
「いつの間にか寝ちゃってるんだよ。キーボードに突っ伏してとか、椅子にもたれたままとか。なんか、途中で力尽きてるみたい。記憶ないもん。そういえばお風呂で体を洗ってる最中にそのまま寝ちゃって、寒くって目が覚めたこともあったっけ。あはは」
「おいおい……」
リュシエールが、手をちょいちょいと動かした。
「よくそんなところで寝られるな。感心するが、いろいろとまずいだろう。いつか風邪を引くぞ」
彼女の呆れをグレイが笑う。
「あなただってすぐ寝てしまうくせに」
会話が止まった。一瞬だが。
微妙に顔を赤くしたリュシエールが、咳払いで会話を戻す。
「わ、私のことはどーでもいい。それよりも、これ以上ローディが遅刻しないよう手段を講じるべきだ」
ふふ、照れ屋さん。とかいうグレイの言葉は全力で聞き流し、ローディはリュシエールだけに顔を向けた。どことなく疲れた表情になった彼女に視線だけで同情を伝えてから、口をもごもごと動かす。
「えぇと、お言葉ですがっていうか申し訳ないんですけどっていうか、僕の寝坊癖、小さいときからずっとだし、一人暮らし始めたら余計にひどくなったから、そう簡単には治らないと思うんですけど」
「それでよく大学を卒業できたな」
「夜間部の授業を中心に受けてましたから。あとは成績でカバー?」
無視されて拗ねていたグレイが、尖らせた唇を元に戻した。
「計画的ですね」
「実家にいるとき母に起こしてもらっててもひどかった寝坊癖が、一人暮らしすれば悪化するのは目に見えてましたしたからね」
リュシエールが、ほぅ、と息をつく。
「改善する気はまったくないのか。ここまで来ると、いっそ潔いな」
「なんか、褒められてる気がしないんですけど」
「褒めているつもりもないからな」
容赦ない。これは本気で怒っているらしい。当然だが。
ぐうの音も出ないローディをまっすぐに見たまま、リュシエールが体を椅子の背に預けた。ゆったりと足と腕を組む。
「目覚ましのアラームはきちんとセットしてから寝ているか?」
「もちろんです。うっかり寝ちゃったら大変だから、家に帰ると真っ先につけてますよ。三個」
「ということは鳴りっぱなしか。三つも鳴ればうるさいだろうに――」
「鳴ってませんよ」
場の空気が固まった。ありえないだろうそんなこと、との非難が無言のうちに伝わってくるが、事実なのだから仕方ない。
「僕はちゃーんとつけて寝てるんですよ? なのにどの時計もぜんぜん鳴ってくれないんです。何回買い換えてもそんなだから、困ってるのは僕のほうですよ」
うんうんと力強く頷いて力説するも、納得の声を上げてくれる人は一人もいなかった。
しきりに首をひねるリュシエールに、少しの間のあとでグレイが顔を向ける。
「もしかして、ですけど。寝ぼけたままアラームを止めて、また寝てるんじゃないでしょうか」
心外だ。
「寝ぼけてませんよーっ。止められるんなら起きてますっ。時計が鳴ってないんですよ絶対にっ!」
が、またも同意してくれる人はいなかった。
「本当に難儀な奴だなぁ」
リュシエールが、結論は出た、とばかりに体から力を抜く。
「多少夜更かしをしても、私は朝寝坊をしたことなど一度もないぞ?」
「リュシエール。天使と人間を一緒にしては駄目ですよ」
「ん? そうか?」
「そうですよ。だってあなた、ほとんど日の出と同時に起きてるでしょう? 毎朝すっきり起きられてしまって、男として自信をなくしかけてる俺のことを少しは気にしてもらいたいくらいです」
またしても会話が止まった。
再び渾身の力で無視しようとしたが、今度はグレイのほうが早い。さらに赤くなったリュシエールの肩に腕を絡ませ、抱きついた。彼女の肩口で首を傾げる仕草はいっそ可愛いと言ってもいいものだったが、声音と言葉がすべてを裏切る。
「ね。今度、壊れるまでしてもいい?」
色気満載のそれを止めたのは、ジオラルド。
「グレイ。破壊行為は慎むべきだ」
話は激しくずれていたが。
もはや何も言えずに固まるしかないローディとリュシエールをよそに、グレイが体を起こした。微笑みを浮かべたままジオラルドへと向き直る。
「これはいいんですよ。望みに対して素直に従ってるだけですから」
「感情のみで動くことを容認しては、法の意味がなくなる。それは無法地帯であるのと同じだ」
「正論ですね。ですが、例外はどこにでもあるでしょう?」
「グレイがおこなおうとしている行為は例外であるというのだろうか?」
「ええ。これは愛ゆえですから」
「その言葉を免罪符にしてはならないという意見もある」
「人の数だけ価値観があるように、愛と悦びを確かめ合う行為にも個人差があるものですよ。もしもこれが一方的であったり周囲を迷惑をかける行動であるならば、卑下されるべき最低の行為でしょう。ですが、愛し合う者たちが二人きりで、ともに願い、求め、与え合う。ならばどのような形であってもけっして罪ではない。崇高な行為です」
グレイの静かな熱弁に、ジオラルドが口元を引き締めた。深く頷く。
「なるほど。理解した」
「わかっていただけて光栄です」
理解も何も、ジオラルドが持ち出したそもそもの議題が盛大にずれまくっていることは間違いないのだ。わかっているくせに訂正しないのだからこの吸血鬼、相当な確信犯である。
がっしと固い握手を交わしている長身の男二人からさりげなく離れ、ローディはリュシエールに顔を向けた。赤いのだか青いのだか、微妙な顔色になった彼女にまたも同情しつつ提案する。
「ええと、ジオが変なこと覚えないうちに、結論に行きたいんですけど」
「そ、そうだなっ」
こくこくこく、と素早く頷くとリュシエールは、
「ともあれ、誰かに起こしてもらえば改善するというのなら話は簡単だ。ジオ」
振り向いたアンドロイドに向かって、これ以上ないほど美しく微笑んだ。
「出勤日は毎朝ローディを迎えに行け。責任持って叩き起こして連れてこい」
「了解」
即答が即座すぎて、話についていけなかった。
(ジオが迎えに来る?)
頭が硬直していて、思考がまとまらない。ローディは首を右に傾けた。
(毎朝?)
今度は左に傾ける。
(叩き起こして…………って、僕をっ?)
「ええぇぇぇっ、なんでーっ?」
思わず声を上げるなり、リュシエールが振り返った。その顔は完全なる呆れ顔だ。
「なんでって、毎日遅刻するからに決まっているだろう?」
「だからって毎朝迎えに来てもらうなんて、子供みたいじゃないですかぁっ」
「ほほぅ? ならば明日から一人でも、せめて月に一回程度の遅刻で済ませられるというんだな?」
「うっ」
起きられる確率はゼロだ。今までの経験から、その答えを導き出すのは簡単にすぎる。そしてそれと同等レベルで、リュシエールを説得できるとも思えなかった。無理である。勝ち目がない。
六月で十九歳になったというのに、この歳になってまで誰かの世話にならなければならないとは。いや、それよりも問題はジオラルドだ。『任務』を遂行すべく、確実に起こしに来るだろう。ローディが何時に就寝したかなどお構いなしにだ。これは今までと同じつもりでいたら、冗談抜きで慢性的な睡眠不足になりかねない。
(生活、変えなきゃ駄目かなぁ)
それは間違いなく良いことなのだろうが――ローディはちょっと遠い目をしたくなった。




