最小の太陽-5
エイムズの執務室に来るのは、何ヶ月ぶりだろうか。ヴィクスは顔なじみの秘書に挨拶すると、奥に進んで分厚い扉をノックする。
「ちわーっす」
目が合うなり、エイムズが手の書類を机に下ろした。笑顔を見せてくる。
「おう、意外と早かったな」
リュシエールとグレイが関わる過去の一件によって、年齢差に伴う配慮を気にするよりも仲間意識が強くなった間柄だ。ヴィクスは形ばかりの敬語も使わず、気安く笑う。
「ローディとジオが風呂の世話と散髪をやってくれたからな。その間に服を買いに出られたおかげで、かなり助かった」
「そうか。……って、散髪? ローディはそんなことまでできるのか?」
「いや、切ったのはジオ」
「ほぉーっ。あいつは本っ当に、軍用アンドロイドとは思えんオールマイティぶりだなぁ。ありがたい限りだ」
言って、エイムズが立ち上がる。
「で、その坊主が例の子か」
彼の目が、ヴィクスの手の先へと移動した。
視線の先にいるのはもちろんサニーだ。入浴して髪を短く切り、サイズの合った新しい服を着た子供は、それまで興味津々な様子で周囲を眺めていたが、見知らぬ大人の目が向けられたと気づくなり硬直した。そして、おずおずとヴィクスの後ろへと逃げ隠れる。
威勢がいい割りには、結構な人見知りである。最初は見る人間すべてを敵だと判断していたことを考えると、照れよりも警戒心ゆえの行動だろう。
ともあれ、こうしてヴィクスの後ろに隠れるということは、信用されている――いざとなったら助けてくれる人だと思われているのだ。ならば、自分が子供にしてやれることはひとつである。
ヴィクスは陰からエイムズを窺っているサニーを、腕力で引っ張り出した。
「何こそこそしてんだ。ほら、挨拶」
「え~っ?」
盛大に顔をしかめたサニーだったが、エイムズが近づいてくるのを見、表情を強張らせた。ヴィクスにしがみつく。
「このおっちゃん、誰?」
改めて問われると、答えるのが難しい。しかも常識レベルから何も知らない子供に教えるとなるとなおさらだ。ヴィクスは少しだけ考えてから、かなり大雑把な言葉を出した。
「偉い人」
サニーがこちらを見上げてくる。
「偉いって、ヴィクスより?」
「そりゃあな」
ヴィクスの服を掴む手に、力が入る。
「じゃあ、ローディ兄ちゃんとジオ兄ちゃんより偉い?」
「このおっさんの方がずーっと上だ」
頬の強張りが解けた。目が大きくなり、明るい栗色へと変わる。
「じゃあ、じゃあ、じいちゃんはっ?」
エイムズだ、と即答しようとして、止まる。種族の違いや組織体系を考えるとエイムズのほうが権力がありそうだが、なんとなく、両者は比べられるものではないような気がしたのだ。父親と母親ではどちらのほうが偉いか、と問われた気分に近い。
ヴィクスは止まった口を笑みの形にして、再度動かす。
「爺さんとは、同じくらいかな」
「おぉぉぉぉ……」
サニーが、感動と尊敬を余すことなく表情に出してエイムズを振り返った。
どうやらこの子供にとって『偉い』と『強い』は同義であり、『かっこいい』ものであるらしい。さらに、信用する人間が認めた人物だという評価も加わって、エイムズに対する警戒心が一気に砕けた。あっさりとヴィクスから手を離し、エイムズに真正面から向き合う。
「えっと、えっと、こんにちはっ。オレ、サニー!」
目を輝かせる子供に挨拶され、エイムズの相好が崩れた。緩んだ表情のまま、サニーの前で床に膝をつく。
「ちゃんと挨拶できるなんて偉いなぁ。よろしく、サニー。俺はフレッド・エイムズだ。けどまぁ、呼ぶときは『おっちゃん』でいいぞ。ヴィクスもそう呼ぶし、実際、おっちゃんだしな」
「うんっ!」
頭を撫でてくるエイムズの大きく厚い手に驚き、さらに喜ぶサニーは、すっかり打ち解けた様子である。
ここに来るまでの間、人に対する警戒心こそあるが、車や建物などの見たことがない環境への好奇心は強かった。見知らぬ人も、無駄に警戒するのは最初だけで、認めた相手にはすぐ心を開く。今まで生きていた世界とは真逆の場所に連れてきて大丈夫だろうかと心配していたが、この分ならばどこへ行っても順応するのは早そうだ。
サニーはノックに続いて入ってきた秘書を見て再び固まりかけたものの、ヴィクスやエイムズが気安く対応するのを見て敵ではないと判断したのだろう。すぐに彼女が持っている物へと興味を移した。
「それ、何ー?」
彼女も子供が好きなタイプらしい。客用の微笑みではない、優しい笑顔になる。
「オレンジジュースですよ」
「……じゅーす?」
首を傾げる子供に、さらに深く微笑んで、接客用ソファーへと促してきた。ヴィクスはまだ不思議そうにしているサニーの手を引いて、革張りのソファーに向かう。腰を落ち着けたちょうどいいタイミングでグラスを前に置いてくれるあたり、相変わらずの良い秘書ぶりだ。
「どうも」
いい気分で礼を言うのと同時に、向かい側へエイムズが腰を下ろした。そして自分にも出されたグラスを見やり、眉を上げる。
「俺たちもコーヒーじゃなくてジュースか」
空になった盆を軽く胸に抱え、秘書が微笑む。
「同じ物のほうが、安心できるかと思いまして」
どうやらサニーの境遇について、ある程度は聞いているようだ。彼女なりに気を利かせてくれたらしい。エイムズもそれを察したのだろう。たまにはいいか、と納得の頷きをひとつして、グラスに手を伸ばす。
ヴィクスも彼に続いてグラスを取り、ストローをくわえた。数年ぶりに飲んだ気がするオレンジジュースの甘みと酸味を味わってから、隣を見やる。
ちょうどサニーが見よう見まねで、グラスを両手で持ってストローをくわえたところだ。が、いつまで経ってもストローがジュースを通さないのを見、アドバイスをしてやる。
「そのまま吸ってみろ。ゆっくりな」
するとサニーは、ストローをくわえたままヴィクスを見上げ、再びグラスに向き合って、笑いを誘うほど真剣な面持ちで息を吸った。
半透明のストローを、オレンジ色の液体がゆっくりと登っていく。やがて子供の口にたどり着くと、
「っ、おぉぉぉぉ……!」
大げさな感動を、彼にもたらした。
今日いちばんかもしれない勢いで目を輝かせたサニーが、部屋から出て行こうとしている秘書を体ごと振り返る。
「姉ちゃん、姉ちゃんっ!」
突然の声に驚いて足を止めた彼女に向かって、ジュースをこぼさんばかりの勢いでグラスを持ち上げてみせた。
「これ、すっげー甘い! おいしい! ありがとーっ!」
「あらあら……、どういたしまして」
秘書は頬をほんのりと染めて、手を振りながら執務室から出ていった。あの表情は、半分は喜ぶサニーが可愛いと思ってのものだろうが、もう半分は間違いなく、幼い子供から『お姉さん』扱いされたことに喜んでのことだ。
ヴィクスは視線を背後のドアから前に戻すと、視線を中空へと上げた。ぼやく。
「たいして歳は違わねえのに、俺は『おっちゃん』でハンプソンさんは『姉ちゃん』かよ」
「それはしょうがない」
話しかけられ、目をやるとそこには、至極当たり前のことを言い聞かせるような顔をしたエイムズがいた。
「お前さんが老け顔なのが悪い」
「うぐっ」
「いつだったか、ローディにお前さんの年齢は三十五歳だと教えてやったら、頭を抱えて驚いてたぞ。四十歳くらいだと思ってたらしいから、まぁ当然の反応だよな」
「うぅぅ」
昔から実年齢より上に見られてばかりだったため、いまさらではある。それでも、それなりに見た目と年齢が近づいてきていると思っていたのだ。現実は残酷なものである。
もはや何も言えなくなってジュースをすするのみのヴィクスを放置し、エイムズがグラスをテーブルに置いた。気配が変わる。
「で、そのローディから先にメールで任務報告を受けた」
これには、さすがに驚く。
フェウドーの森で合流してから世界平和連盟本部に戻るまで、ローディとはほぼ一緒にいたのだ。別行動を取ったのは、軍本部に戻ってきたあとサニーの入浴と散髪を頼んで二人に預け、近くのショッピングモールへ子供服を買いに出かけたときだけである。
ヴィクスが買い出しに行っている間は、サニーの世話で空いている時間はなかったはずだ。ならばサニーの身支度を終え、彼らを残して脱衣所から出たあとに書いたのだろうか? しかし、疲労のあまり自身の長髪を乾かすことも面倒くさがった結果、ドライヤーをジオラルドに奪われ、されるがままになっていたローディである。あの姿を見る限り、身支度より面倒な文書作成を、ヴィクスたちが軍部からエイムズの執務室に着くまでの短時間でやったとは思えない。
「いったい、いつの間に……」
「驚くだろ? あののほほんとした見た目に騙されそうになるが、あいつは時間の使い方がとんでもなく巧いんだ。百年に一人出るか出ないかの天才だともてはやされてるだけはある。……で、本題に戻すが。まずは、やっぱりサニーのことかな」
それまでオレンジジュースに夢中になっていたサニーが、名前を呼ばれて顔を上げた。ほんの少し不安そうな様子を見せる少年に笑いかけてから、エイムズがこちらに目を戻してくる。
「少しばかり乱暴だが、入国審査は幻獣保護法を適用して通した。今後のことは、こっちで適当に調整するから心配するな」
「あぁ、助かる」
ヴィクスは素直に礼を言って、グラスをテーブルに戻した。ソファーにもたれかかりながらため息まじりに考える。
「森に帰すってのは、さすがにないか。身寄りを探すか、孤児院に入れるかってとこかな。どっかの養子になるのが、いちばん現実的で最良な気もするが……」
不意に、シャツが引っ張られた。しかも冷たい。見ると、サニーの大きな瞳と目が合った。冷たいのは、持ったままのグラスを片手で支えきれず、体に押しつけられているせいだ。
「オレ、ヴィクスと一緒にいる!」
怒るように、泣き出す寸前のように、顔を強張らせた子供が主張してくる。
「じいちゃんが言ったんだ! ヴィクスについてけって言ったんだ! だから、だから……っ!」
『見殺し』にしてしまった患者の、サニー以外には聞き取ることができなかった遺言。それを持ち出されると痛い。罪悪感を人質に取られたようなものだ。
「ローディの報告にもあったが、本当によく懐かれたもんだなぁ」
口を閉ざしてしまったヴィクスを、エイムズが楽しげに笑う。
「それじゃあ、お前さんが養子に取るってことでいいか?」
一瞬の隙間。
そのあとで、ヴィクスは目を見開き、ぐりんと振り返った。
「俺がぁっ!?」
だがしかしエイムズは冷静だ。
「この流れだと、お前さんが引き取る以外の選択肢はないだろ」
一刀両断である。
うめいて頭を抱えたヴィクスを再び無視して、エイムズはさくさくと話を進めていく。
「当面は医療局で預かるように話を通しといたが、お前さん、行って話が通じそうな奴に転院手続きをしてもらえ。元同僚の頼みなら、そう無碍にもされんだろ。転院ってことにすりゃ、家に連れて帰っても問題なしだ。医者で良かったなー」
「……マジか、おっさん」
「大マジだ。明日以降の予定だが、まずサニーは健康診断とDNA鑑定を受けること。あれやらこれやらのチェックをしないと、国籍取得条件が満たせん。例の能力のことも、最初に調べとくのが無難だろう。日程は医療局で確認しとけ。結果が出たら、診断書持ってまた来い。次の手続きを進めてやる」
これは本当に逃げられなさそうだ。
ひとまずサニーからジュースグラスを取り上げてテーブルに置くと、柔らかいソファーに埋もれつつ深々と息をついた。
「俺はまだ未婚だぞ」
「大丈夫、大丈夫。育児は慣れだ。どうにかなる。経験者は語るってやつだな」
「二人育てたっつっても、どーせ頑張ったのはほとんど奥さんだろ」
「それはそれ、これはこれ」
「適当だなぁ」
「それくらいの気持ちでいたほうが、人生うまくいくもんだ」
「あーそーかよ」
抵抗するのは疲れる。実力行使どころか口論ですら、そうそう勝てる相手ではないのだ。これ以上粘ったところで体力も気力も尽きるのがオチである。
ヴィクスはもうひとつ大きな息を吐くと、体を起こした。立ち上がる。
「じゃあ、いろいろ頼むわ。行くぞ、サニー」
「う、うん!」
サニーがぱっと表情を明るくして、ソファーから飛び降りた。大急ぎでこちらの手を握ってくるのを許しつつ、空いた手でアタッシュケースを持つ。
「――ちょっと待った。ひとつ忘れてた」
呼び止められ、振り返ると、エイムズが小難しそうな顔をしていた。
「医者兼薬剤師のお前さんを見込んで訊きたいんだが、薬か何かで、記憶をピンポイントで消す方法なんてのは、あるもんなのか?」
「はぁ?」
素っ頓狂な問いに思わず乱暴な声を出したが、エイムズの表情が予想外なほど真剣であったため、気を取り直した。記憶の棚を素早く漁る。
「いや、薬剤系では聞いたことねえな。できるとしたら催眠療法くらいじゃねえか? それだって、記憶を封じる程度で、消すのはそうとう難しいはずだけどな」
「そうか……」
表情が重い。
「何かあったのか?」
問うと、エイムズは少しばかり逡巡の声を出したあとで、逸れてしまった視線を戻してきた。
「先に逮捕したほうの密猟団の様子が、どうもおかしいらしくてな。そいつら、どうして自分たちがフェウドーの森にいたのか覚えてないらしい。ローディの報告にも、打ち合わせも情報収集もせずに密猟行為をするのはおかしいんじゃないかって指摘がある。……いったいどこからそんな結論にたどり着ける情報を引っ張ってきたのかは知らんが」
よく知っている。十中八九、軍事サーバーから盗んだデータを使って導き出したのだ。
しかしそちらの件にはあえて口を閉ざし――巻き込まれたくないのだ。ハッキング行為を止めた身としては――自分に振られた話の方向へと会話を続ける。
「やっぱ医療方面じゃ、該当するものは思い当たらねえな。魔法関係じゃねえか?」
「そうか……。わかった、ありがとう。リュシエールとグレイから連絡があったとき、話を聞いてみる」
軽く手を上げて終了の旨を伝えてくるエイムズに首肯で応え、ヴィクスはサニーを連れて外へ出た。人通りの少なくない廊下を、ちらちらと向けられる視線を気にしないようにしつつ進む。
OWBstと契約してから初めての、緊急出動要請。エイムズから電話がかかってきたときは、まさか密猟団に傷つけられたドラゴンの治療が仕事になるとは思ってもみなかったが、それ以上に結婚していない自分が子持ちになるなど、かけらも想像していなかった。人生はいつ何が起こるかわからないと言うが、これはいくらなんでも突飛すぎる気がする。
だが。
「なぁなぁ、リュなんとかってのとグレイって、誰?」
子供が手を揺らして、こちらの気を引こうとしてくる。それに対し視線を少しだけを向け、ヴィクスは口を開く。
「爺さんのとこにいたとき、途中で二人いなくなったのは覚えてるか?」
「うん」
「そいつら。仲間だよ」
サニーの笑顔は本当に、カーテンを開けるなり飛び込んでくる朝日に似ている。
「じゃあ、いい奴だ! 強いっ?」
「そうだなぁ。本気を出したら、ローディやジオより強いだろうな」
「へぇぇぇぇっ。すっげーっ」
離すまい、離されまいと、まだまだ小さな手が一生懸命に握ってくる。痛いくらいの信頼は、どう頑張ってもふりほどけなさそうだ。
(まいったなぁ)
ふ、とこぼれた息。
己の口端が緩んでいることに気づいたヴィクスは、あきらめとともにくすぐったさを感じていた。




