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Diamond  作者: 神希
Mission04
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最愛の罪人-4

 リュシエールの事務室に入るなり、ローディはPPCの空中投影型ディスプレイを立ち上げた。表示した文書をリュシエールとグレイに突きつける。


「これ、本当のことなんですかっ?」


 そこに書かれているのは『ムーンマダー事件』についてだ。文面を読むなり、二人の表情が暗く、険しくなる。――充分だ。言葉も頷きもなくとも、充分すぎる肯定だ。ローディは一歩、大きな事務机越しに詰め寄った。


「本当のことなんですねっ! どうして今まで話してくれなかったんですかっ!」


 口を閉ざしたままの二人に苛立ちが募る。我慢できず、ローディは両手で机を叩いた。


「百歩譲って僕に話してくれなかったことはいいですよっ! もうっ! でもなんで悪口言ってる人たちに文句のひとつも返さないんですかっ? いっそのこと訴えるべきですっ! 名誉毀損で裁判ですよーっ!」

「…………、え?」


 美形二人が揃って間抜け面になった。

 意味がわからない。

 ローディはきりきりと眉を吊り上げて両の拳を握る。


「ここに書いてあるの、本当のことなんでしょっ? だったらグレイさんはちゃんと罪を償ってるじゃないですかっ! なのになんでグレイさんたちばっかりが我慢して陰口を許してるのか、ぜんっぜん理解できないって言ってるんですっ! ていうか許しちゃ駄目じゃないですかっ! いいですかっ? ああいうのは度を超すといじめで虐待で迫害って言うんです! ちゃんと正々堂々抵抗しなきゃ駄目なんです! じゃないとエスカレートするばかりなんですからっ! そこんところ、わかってますッ?」


 机を叩きすぎたおかげで手が痛くなってきた。ついでに、叫んで叩いて全力で訴えたおかげで気がおさまってきた。ローディはいったん体を起こすと、口を半開きにして固まっているリュシエールとグレイを交互に見やる。


「大学でお世話になった教授に、息子さんが弁護士さんやってる人がいるから紹介しましょうか? 裁判は大げさにしても、相談するだけで違うと思うんですけど」


 最初に動いたのは、グレイだった。


「まいりましたね」


 彼はローディをまっすぐに見つめたまま、軽く握った拳で己の口を覆う。


「リュシエールがいなかったら、惚れてるとこだったかも」


 ローディは一歩後退。ジオラルドの後ろに隠れた。


「すみません、勘弁してください。僕、男なので」

「心配しなくても、愛した相手の性別なんて気にしませんよ?」

「お願いですから気にしてください」


 言ったあとで、グレイに現在進行形で愛されているリュシエールが無性であることを思い出した。失言だ。

 おそるおそる上司の顔色を窺うと、彼女は気分を害した様子もなく、静かに微笑んでいた。それは、言葉を失うしかないような、何千年も生きていた年月の重さを感じる、深い笑みだった。


「……本当に、人が放つ言霊の強さには、いつも驚かされる……」


 ふんわりと何かを懐かしむように微笑み、そして、


「グレイ。話してもいいかな」


 問いの先で、グレイの表情が陰った。


「ですが、ローディまで俺の家のごたごたに巻き込んでしまうのは……」

「もう巻き込まれてますよ」


 即座に訂正を求めたローディに続いて、


「ローディの言う通りだ。必要がないにも関わらず、ローディはすでに自ら足を突っ込んでいる」


 ジオラルドの容赦ない追い打ちがかかった。

 わずかにへこたれながら、ローディはアンドロイドの意見に同意する。


「そうそう。首も足も突っ込みましたら、いまさら関係ないなんて顔はできませんよー」


 そこで一息置くとローディは、リュシエールとグレイを見やった。苦笑して。


「どうして話してくれなかったんだーなんて言いましたけど、嫌ならもう追求しません。でも、話せるんだったら聞かせてほしいかな。……やっぱり、仲間はずれは、淋しいですもん」


 言いたいことをすべて言い切って、待つ。

 そのまま、しばし。


「最初に、きちんと謝罪させてください」


 グレイが息を吐くように頬を緩めたのは、一分以上はあとのことだった。


「俺たちは自分の意志で、故郷を捨てました。リュシエールは天使長様が許可をくださったおかげで平穏に暮らせてるんですが、俺の家、正確には母と兄と姉が反対してまして。俺は実質、家出人なんです」

「つまり、居場所が見つかっちゃった、ってことですか?」

「たぶんずっと前に見つかってはいたと思います。ですが、飽きるか心細くなって自分から帰ってくるとでも思ってたんでしょうね」

「なのに、ぜんぜん帰る気配がないから……」

「ええ。忍耐の尾が切れて、ついに今日のあの騒動だったんじゃないかと。巻き込んでしまって、本当にすみませんでした」

「それはいいんですけど……」


 一瞬の躊躇がよぎる。しかし振り払って、ローディは問うた。


「ムーンマダー事件でしたっけ。グレイさんがどうして大事になるようなことをしちゃったのか、訊いてもいいですか?」


 美しい男は長い睫毛を伏せ、微笑んだ。


「俺は吸血鬼ですが、人間の血があまり好きではないんです。血が、というよりは、吸血行為が、と言うほうが正確かもしれませんが。生き物の血を欲する吸血鬼の(さが)は持っていても、心が受け付けないんです」

「それって……」

「ええ。吸血鬼としては、異端です」


 まるで抜けていく力を引き留めるように深い呼吸をして、グレイは続けた。


「魔界にいた頃、俺の味方は父だけでした。ほとんどの同胞が、人間を喰うのが怖いのは未熟だからだと決めつけてかかる中で、父様だけが焦るなと言って、笑って見守ってくださってました。でも、やっぱりつらかった。周囲の目が怖くてたまらなかった」


 ローディと目を合わせた彼の笑みは、今までに見たことがない、哀しいものだった。


「だから、魔界から逃げ出しました。その結果が、あの連続殺人事件です。血を飲みたくなんてないのに、我を忘れて人間を襲い、気がついたら失血死した体を抱いている。普段はまだ衝動に耐えることができます。でも、魔の血が活性化する満月の日だけはどうしようもなくて……」

「そっか。だから犠牲者は毎月一人だったんですね」

「はい」


 エイムズの話が脳裏をよぎったのは、不意打ちに似ていた。

『犯人に動機はない。駄目だとわかっているのに酒を飲み過ぎただけ』

 グレイに殺す理由はなかった。それでも血を求めずにはいられず、欲を制御できないがゆえに死なせてしまった。――そういうことだったのか。


「俺は、自分自身に絶望しました。生きてる限りこの苦しみを背負い続けなければならないのかと思うと、死にたいとすら思いましたよ。でも、自殺する勇気もなくて、ただ泣くしかなかった」


 足音を立てずに歩き、リュシエールの傍らに立つ。


「そんなときに出逢ったんです。リュシエールと。月光を背に舞い降りた天使は、信じられないほど美しくて、気高くて、そして俺にとっては、死を運ぶ精霊そのもののようでした」

「天使長様に頼まれて森の様子を見に行ったら、泣きじゃくる魔族がいたから驚いたよ」


 恋人を見上げるリュシエールの表情は、優しい。


「会話をしたのは、ほんの少しだった。それでも充分だったな。こいつは私と同じなのだとわかるのには」

「同じ……?」


 無意識の問いに、リュシエールがこちらに視線を向けないまま、頷いた。


「自分のことなのに自分を制御できない。そんな苦しみを抱えて生きているところがな。私も、(さが)と心が乖離しているんだ」


 寄り添う様はただただ美しく、絵画のようだ。しかし語られる言葉が、二人を美しいだけ世界から切り離していく。それでも彼らの表情に不幸の色はない。穏やかさの中に強い決意を見て取ることができる。

 だからこそ、確信と、声に出す決意が出たのかもしれない。


「リュウさんは、被害者じゃなかったんですね」


 リュシエールはメイドに向かって『純血を捧げた』と言った。一方的に奪われたわけではないのだ。もし純粋な被害者であれば、性行為が逮捕の前後どちらであれ、こんな言い方はきっとできない。

 ローディは、重い口を懸命に動かす。


「事件では十二人の被害者が出てます。つまり、グレイさんの体質が変わったのは逮捕後。グレイさんがリュウさんの血を飲んだのは、逮捕されたそのときが初めてってことになる」


 ゆっくりと振り返ったリュシエールの鮮やかな瞳が、窓からの陽光を含んで宝石のように輝く。そしてその美しさを損なうことなく、彼女の柔らかな微笑みが強くなった。

 美しいとしか言いようがない微笑に、躊躇を覚える。それでも、訊くなら今だ。きっと今だけだ。


「グレイさんが聖属性の人に触れるようになったのは、吸血行為のあとじゃないんですか? それまでは普通の魔属性の人と同じで、近寄るのも難しかったんじゃないんですか?」

「…………」

「グレイさんは、リュウさんの血を飲みたいと、本当にそう思って飲んだんですか?」


 すると、


「はい」


 グレイから返ったのは、力強く、端的な肯定だった。


「お互いに、望んでしたことだ」


 目を潤ませて、リュシエールが微笑んだ。肩に置かれた恋人の手に、己のそれを重ねて。


「私たちは、あのとき……あの森の中で、本当は心中するつもりだったんだ」


 死という言葉を理解し、受け入れるのは、どうしてこんなにも難しいのだろう。どうして命は、こんなにも重いのだろう。

 返事の言葉を絞り出すのには、しばしの時間が必要だった。喉の奥を引きつらせながらローディは、かすれた声で抗議する。


「どうして、そんなこと……っ」

「グレイが殺してほしいと言ったから。そして私は、グレイがいない世界で生きていたくなかったから」

「だからって! ……どうして、いくら好きな人だからって、その人がいないだけで生きたくないなんて……」

「ローディの言いたいことはわかります。その考え方は正しくて、健全です。ですが……俺たちは駄目なんです」


 グレイの拒否を肯定するように、リュシエールの微笑は揺るがない。


「私は一万年以上、グレイは八百年以上生きてきて、初めて出逢えたんだよ。同じ苦しみを味わっている人に……。想像できるか? 誰にも理解してもらえない、独りぼっちの世界で生きる苦しみが。初めて同じ人に出逢えた喜びが」


 理解してもらえない悲しみ。孤独の苦しみ。そんなものはずっと味わってきている。しかし彼女が口にした月日の長さゆえに、己の経験と重ね合わせることを心が拒絶した。自分ですらこんなに歯がゆい思いをしているのだ。数百倍、数千倍も長く耐えてきた彼女たちの気持ちを想像できるわけがない。想像の範囲内だと思うほうが失礼だ。

 心を読めるという天使は、ローディの感情を受け取ったのか、否か。笑みから悲しみの色を消し、深く微笑む。


「本当に嬉しかったんだ。グレイが魔族でも、離れがたく思うのに時間はかからなかったよ。私は、世界のすべてを平等に愛することを義務づけられた天使なのに。恋をしたんだ」


 頬を淡く染めて思い出語りをするリュシエールに、陰りはない。


「だからグレイに死を望まれたとき、一緒に逝きたいと思ったのはとても自然なことだった。最初で最後、恋した男に喰われたいと……愛する男の腕の中で死にたいと願ったのは、とても自然なことだったんだよ。グレイを失ったら、私はまた独りぼっちに戻ってしまうもの。苦しむグレイを見捨てることなど、できなかったもの」


 リュシエールはローディに、心の底からの笑顔を向けていた。


「心中しようとしたことが間違っていたとは、いまだに思えないんだ。だってあの夜があったからこそ、奇跡が起きて、私たちは生きて幸せになれた」


 彼女の言葉に嘘偽りはない。

 言い返せない。自分には反論する資格がない。

 口を固く閉じたローディに、リュシエールは深い慈悲を伝える微笑みで慰めてきた。


「お前は悪く言う者に抵抗しろと言ったが、そもそも無理なんだ。説明したところで、私たちの気持ちを本当の意味で理解できる人は少なすぎる。いや、理解できなくていい。むしろそうであってほしい。感情と理性が食い違う……こんな苦しみは、他の誰にも味わってほしくない。私とグレイだけでたくさんだ」

「ええ」


 二人の微笑み(けつい)は、深すぎる。


「ありがとうございます、ローディ。俺たちのことを心配してくれて」

「でも、大丈夫。私たちは今、幸せだよ。心からな」

「リュウさん……グレイさん……っ」


 男の意地で涙をこぼすことは我慢できたが、声はとんでもなく震えていた。その間抜けな情けなさに、自分で笑ってしまう。

 価値観は人それぞれ。理解できることもできないことも、相手に押しつけるわけにはいかない。それでも伝えるくらいは許される。否、伝えるべきだ。絶対に。だから笑みが出た勢いそのままに、ローディはリュシエールたちへと気持ちを渡す。


「やっぱり死のうとしたことが最善だなんて思えません。周りの人たちが陰口言ってるのをほったらかしてるのもそうです。でも、リュウさんたちが幸せならいいです。味方になります。誰が何と言ったって、僕はリュウさんたちを応援します」

「自分も――」


 それまで無言で立っていたジオラルドが、突然声を発した。


「自分も、リュウとグレイの決断を支持する。ローディが今までに下してきた判断は九十五パーセントの確率で的確だ。問題ない」


 場を支配した硬直ののちに、リュシエールが首を、こてん、と横に倒した。


「それはつまり、ローディの言うことなら間違いないから賛同する、ということか?」


 ジオラルドはためらいもなく頷く。


「自分のAIにおいても、理解はできないが認識が可能であるため問題ないことも補足する」

「いっ、いやいやいや!」


 ようやく我に返り、ローディはジオラルドの腕を引っ張って制止した。振り向いた彼の前で、手をぶんぶんと振る。


「優先順位はきみ自身の判断を上にしてよ! なんで僕の意見を最優先にするのさ! だいたい、僕にだって間違うことくらいいっぱいあってだねっ」

「射撃場で言ったはずだ。ローディの論理的思考は自分にとってひじょうに有意義な指針となる。ローディは良い教師だ。良い教師に学ぶことは自分のAIに高度な学習をもたらすことに繋がる。ローディの優れた思考メカニズムをサポートするにふさわしい能力を得ることができれば、自分の力がOWBstに新たな戦略と戦術を――――」

「あああああ、わかったよ! わかったから、人前でそれ以上の褒め殺しはやーめーてーっ!」

「人間は賞賛では死なないはずだが」

「精神的に悶え死ぬんだよっ!」

「……理解できない」

「しなくていいから覚えとけーッ!」

「了解」


 漫才のようになってしまったローディたちのやりとりを見て、リュシエールとグレイが上品に爆笑している。そこに先ほどまでの重い雰囲気は皆無だ。天然とも呼べる発言によって、ジオラルドがすっかり吹き飛ばしてしまったらしい。

 自殺行為はどう考えても正しくない。それに対する文句も不満も、何ひとつ消えてはいない。それでも、良かったと、なぜか思えるのが不思議だった。

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