最愛の罪人-2
テーブルの向かい側で料理を頬張るリュシエールの様子をひとことで表現するなら、『とてつもなく幸せそう』だ。
「うーん、これは期待以上だなぁ。向こうにはないメニューもあるし、たまにはこちらで食べるのもいいかもしれん」
パスタに野菜と厚切りベーコンとトマトソースを器用に絡め取って、口に入れる。うむうむと何度も頷きながら咀嚼し、飲み込むと、ふわぁっと笑顔になった。彼女の周りだけ花と星がきらめいているかのようだ。
「あぁ、自然がもたらす雄大な愛と、生産者たちの慈しみの愛。そして料理人が抱く誇りと食材に対する敬愛の味がする。なんて美しいんだろう!」
――リュシエールの言は、たまによくわからない。
しかしひとくちごとに感動しているくらいなのだから、お気に召したのだろう。ローディは適当な愛想笑いをして、ベーコンエッグチーズバーガーを皿に置いた。付け合わせのフライドポテトをつまみつつ、彼女の隣へと話を振る。
「そういえばクリームソース系はまだ食べたことなかったなぁ。どうですか?」
喜ぶリュシエールを眺めて幸せそうにしているグレイが、にこやかな表情で振り返った。
「とてもおいしいですよ」
チキンドリアをすくい、可愛らしく口を開けた恋人に食べさせる。
「ベシャメルソースの固さはちょうどいいですし、何より塩加減が絶妙ですね。玉ねぎの甘みもよく出ていて、クリームの味を引き立てています。鶏肉は弾力があって、でもきちんとジューシーさを残しているところもいい。ここの料理人は本当にいい腕をしてると思いますよ」
――こちらはこちらで、どこの評論家やら。
ともあれ、グレイも料理を気に入ってくれたらしい。ならば昼食に付き合った甲斐があるというものだ。
「確かにおいしそうですねぇ。僕も今度食べてみよっと」
ローディは笑顔で相槌を打つと、ポテトで皿に落ちたソースを拾い、口に放り込んだ。
窓際のテーブルゆえに一望できる食堂内は、昼時ということもあり盛況だ。雑談をしながら食べる者、急いでいるのか一心不乱に食べている者、作業の片手間で食べる者など、様々である。ただ気になるのは、ローディたちを――特にグレイを見て表情を硬くしている人が大勢いることだろうか。『暴走アンドロイド』なるレッテルを貼られているジオラルドは、研究者独特の好奇心が勝ってか、いっそローディよりも受け入れられている。しかし魔族であるグレイは難しいらしい。
(そりゃあ、何にもないところからいきなり凶器を飛ばせるわけだから、魔族っていうか魔法を使える人種に近づきたくない気持ちはわかるけどねぇ)
そもそも魔族とは、今からおよそ千年前、神に反旗を翻して堕天した天使たちと、彼らと手を組んだ種族の総称である。天使の介入と仲裁により終結した地上界侵略戦争以降も、大多数の魔族は人間種族を蔑視している。それは紛れもない事実だ。嫌われているとはっきりわかる相手に、それでも好意的に接することのできる度量の大きさを持つ人は、そういない。仕方ないことだろう。
しかし間違えてはいけない。魔族の中にも友好的な者はいる。そんな、人間との共存を真剣に考えてくれているマイノリティたちをも魔族というだけで忌み嫌う人間が多いこともまた、種族間対立の原因だ。
人間種族の中に根強く残る被害者感情を否定するつもりはない。だが多数派の意見に流されて小さな声をなかったことにするなど、あっていいわけがない。ローディの個人的価値観から言えば不快のひとことである。そして不快な現状を見たらアイディアでもって変えたくなるのが、技術開発者というものだ。
(何かひとつ妥協点でもあれば違うのかなぁ。堅物馬鹿にもわかるように、目に見える形で魔族が危険じゃないとわかるようにする? だったら、魔力に反応して光るとか形状が変わるギミックを身につけてもらうとか。形はおしゃれなアクセサリー風にして……、駄目か。これじゃまるで首輪だよね)
ざっくりとした発案を却下するとローディは、開発研究案件候補として脳内リストにメモした。そうして現実に戻り、周囲の雑音を気にするどころか、少しは気にしてくれと言いたくなるほど甘い雰囲気を醸し出して互いの料理を食べさせあいっこしているリュシエールとグレイを見やる。
「僕としては、ハンバーグがお薦めですね。ここのハンバーグ、粗挽きのお肉を使ってて食べ応えがあるんですよ」
ハンバーガーにかぶりついたローディに向けられるのは、きらりと光る碧眼。
「確かにローディのハンバーガーもおいしそうだな」
「…………」
口の中身を飲み込み、ローディは前の席を見やる。苦笑顔で。
「回し飲みは気にしないタイプですけど、食べかけのパンを女の人にあげるのは、さすがに抵抗ありますからね? やめてくださいね?」
「むぅ」
「なんでそこで残念そうな顔するんですか。ポテトあげますから、これで我慢してください」
「むぅぅ。何だろう、この、幼子にたしなめられているかのような気分は」
「……僕、もうしばらくしたら十九歳なんですけど」
「うん、わかっている。私は約一万五千歳だ」
「…………、妙齢ですね」
「素敵な表現をありがとう」
何やら複雑そうな表情をしていたが、フライドポテト三本で機嫌を直してくれたらしかった。リュシエールは幸せそうな笑顔に戻ると、パスタをフォークに絡め――
――ガシャンッ!
突然の音が食器の立てた音だと気づくのと、スプーンを皿に投げ出したグレイが想像だにしないほどの動揺を見せて立ち上がったのは同時だった。さらに、彼の腕をリュシエールがやんわりと抑えたのはその直後だ。
「落ち着け、グレイ」
「ですがっ」
「落ち着け。慌てたところで、もう遅いよ」
何事かと尋ねようとした口は、それまでローディの右隣で黙って会話に耳を傾けていたジオラルドが急に通路側を振り向いたことで止められた。
「本部外より転移してくる生体反応および魔法エネルギーを感知。出現まで、三秒、二秒、一秒――」
カウントダウンとともに空中からにじみ出るように現れたのは、肩口で切りそろえた黒髪を持つ女性だった。黒いロング丈のワンピースと真っ白なエプロン、そしてフリル付きの布帽子をかぶったその姿は、
(なぜメイドさん?)
違和感きわまりない人物の出現で固まった周囲にかまいもせず、メイドが無表情のままグレイを見上げた。ロングスカートを両手でつまんで美しい布の流れを作り、お辞儀をする。
「奥様の命により、お迎えに参りました。グレイドル坊ちゃま」
脳のシナプスが、腹立たしいほど気持ち良く繋がった。
(グレイさんって、本名はグレイドルって言うんだねぇ。ていうか、ほんとにいいとこのお坊ちゃんだったんだ)
問題は、グレイがこの迎えを不愉快だと感じているということだろう。ヴィクスが相手のときでさえ存在していた微笑が完全に消えている。うっすらと目を細めて睨む様は硬質な顔立ちを際立たせており、彼の持つ色彩と相まって寒気を覚えるほどだ。
「帰れっ。俺は、戻らないっ」
グレイの声は、震えてすらいた。
「何があっても俺はもう戻るつもりはないっ。戻ってたまるかっ」
「なぜでございますか」
対し、メイドの態度はどこまでも平坦だ。
「天使を陵辱して純潔を奪い、天から引きずり落とした功績を、魔界では貴賤を問わず皆が称えておりますのに。手込めになされた天使のことでしたら心配ございません。奥様が美しい鳥かごをご用意なさるそうですわ」
(――――ッ!)
不意に鼻先をよぎった冷気にやられ、ローディはぶるりと体を震わせた。次いで、グレイから聞こえてきた歯ぎしりの音に首をすくめる。これはまずい。体験するのは初めてだが、それでもわかる。メイドは超特大の地雷を踏んだのだ。
グレイが椅子を蹴り動かし、体ごとメイドに向き直った。肩を怒らせ、眉を吊り上げ、歯を剥いて怒声を放つ。
「俺のリュシエールを動物扱いするなッ!」
周囲から悲鳴が上がった。食事を放り出して我先にと壁際や室外へと逃げていく。
が、
「神よ」
その言葉、否、声だけで、暴走しかけた空気は一掃された。
「父なる神よ。我が罪人に、どうか祝福を」
前に出ようとしたグレイは、金色の髪に頬を撫でられ、止まる。
「落ち着け、グレイ」
魔法技なのか、ふんわりと宙に浮かんだリュシエールが、グレイに背中から抱きついていた。彼の首に両腕を絡め、柔らかな表情で頬を寄せる。
「天使も、人間も、魔族も、幻獣も、動物も、植物も。世界に在るものはすべて、尊い命だ。そこに何の違いがある? 怒るほどのことではないよ」
グレイの肩から力が抜けた。眉が下がり、頬の固さも抜けていく。
「……すみません、取り乱したりして」
そんな恋人のこめかみにキスを落とすとリュシエールが、首を回した。
「とはいえ、訂正はしてもらいたいものだな」
凄絶な笑みで見下ろす先は、メイド。
「確かに私は純潔をこの男に捧げたが、墜ちたつもりはない。今もまだ世界を美しく思うし、命をいとおしいと思っている。地上にとどまっているのも、天使長様の許可を得てのことだ。お前たちのような堕天使と一緒にするな」
無表情が過ぎて、メイドが半眼になった。
「グレイドル坊ちゃまに魔力を喰われておいでのくせに、減らず口を」
「ふん、私を誰だと思っている? 失ったのはたかが半分だ。これだけあれば元下級天使程度を圧倒するなど造作もないぞ。こいつを連れ帰ることはあきらめて、おとなしく魔界に戻るんだな。退くならば追いはせん」
気づいてみれば、グレイとメイドだけでなくリュシエールとメイドの対立構図が増えている。リュシエールに争う意志はないようだが、彼女の言葉遣いはどうにも高圧的だ。敵をなだめることはおろか、退かせることができるとも思えない。これはもしかしたら、さらなる大事になってしまったのではなかろうか。
(う~ん、困ったねぇ)
事情はともかく、こんなところで魔法戦争を始められては食事の邪魔だ。しかし三人ともに引く気がなく、周囲に集まったギャラリーは怯えるばかりで役に立たないとなると、自分が首を突っ込むしかなさそうである。
ローディはハンバーガーを皿に置くと、ポケットから携帯端末を出した。己の体の陰でジオラルド宛てにメールを打つ。
《あのメイドさんは受付を通ってきたか調べられる? 返事はメールで》
五秒後、受信が。
《来客者リストに記載なし。不法侵入者であると判断する》
《ありがとう。もし向こうが実力行使に出たら、正当防衛で応戦よろしく》
《了解》
再び端末をポケットに落とし、代わりにオレンジジュースを持った。ストローをくわえてひとくち飲み、口を湿らせるとジオラルド越しに声だけ向ける。
「お取り込み中、申し訳ないんですけどぉ」
リュシエールとグレイが、やや驚いた素振りで振り返った。遅れて、メイドの目が向けられる。どうやら無事に割って入れたらしい。いい調子だ。それらを視界の端で見ながらローディは、もうひとくちジュースをすすった。
「メイドのお姉さん。見ての通り、ここって食堂なんですよねぇ。食事中の人がいっぱいいるとこでどたばたやるのは、ちょーっと遠慮してほしいかなぁ」
「人間ごときが出しゃばらないでいただけませんか。殺しますよ」
「あはは、物騒だなぁ」
グラスを置き、顔を向ける。
「そもそもお姉さん、本館の受付で照会もせずにここまで来てるでしょ。ちゃんと許可取ってから入らないと、思いっきり不法侵入者ですよ?」
にっこりと笑い、提案を口に出す。
「だからいったん中断して、お姉さんは受付で正式に面会手続きをしてきてくださいよ。そしたらグレイさんたちが、都合のいい日時と場所を指定して、話くらいは聞いてくれると思いますし。ね? グレイさん」
すると、
「馬鹿馬鹿しい」
メイドが薄く嘆息をした。
「人間のために魔族であるわたしが手間と時間を浪費しろと? まったくもって馬鹿馬鹿しいことですね。無力な人間は人間らしく、おとなしく引っ込んでおいでなさい」
――ぷつりと、頭のどこかで音がした。
彼女は明らかに不法侵入者で、しかも大勢の食事を中断させている邪魔者である。しかもローディにとっては仲間たちの敵対者だ。そうであるにも関わらず、追い返そうとはせずに交渉の場を仲介してあげようとしているのに、聞く耳がないときた。いや、それどころか譲歩してやっていることにすら気づいていない。間違いない。
(駄目だ。この人、馬鹿だ)
そうとなれば手を変えるに限る。
「お姉さん、礼儀ってものがなってないね」
肩をすくめて、呆れましたのジェスチャー。ついでに敬語も外してやる。
「知らないの? 本当に高貴な人ってね、どんなに身分の低い人に対しても礼儀を尽くすんだよ。与えることを惜しまないものさ。お姉さんが仕えてるお屋敷がどれほどの名家か知らないけど、メイドさんがこんなじゃあ、その教育をしてる奥様とやらも程度が知れるね」
横でグレイとリュシエールが目を剥いた。どうやら今のは魔族を効果的に刺激する言葉だったらしい。それを証明するように、メイドがわかりやすい言葉を口にした。
「奥様を愚弄するなど、死にたいのですか」
「勝手に押しかけてきて、これだけの人の食事を邪魔しといて、さらに一方的に暴力を振るうのかい?」
ローディは彼女から顔ごと目を逸らし、ハンバーガーに手を伸ばす。
「ここまで言ってもするなら、お姉さんはただの雑魚だね。ついでに、お姉さんの主人は低レベルな脳の持ち主に認定するよ」
メイドの動きが止まった。冷静に思考している様が伝わってくる。
彼女がなおも対立行動を取るなら、次は確実に実力行使だろう。ジオラルドは非常事態に備えて警棒を装備しているが、拳銃がないため遠距離攻撃には弱い。ローディは言わずもがなで完全な非武装状態だ。足手まといになるのは否めない。ここで戦うのは、できれば回避したいが――――。
「……いいでしょう。本日はこれで失礼させていただきます」
メイドが結論をこぼした。おおよそ仕える相手に向けるものとは思えない無感情で硬質な表情のまま、グレイを見上げる。
「坊ちゃまに奥様のご意志をお伝えするという役目は果たせました。いずれ改めて、坊ちゃまのお返事をいただきに参ります」
「何度来ても、何を交渉の材料に持ち出そうと、俺の答えは変わらない。母様にはそう伝えておけ」
「かしこまりました」
どうやら話は穏便におさまったようだ。これでようやく安心して昼休みを過ごせる。
肩を軽くしたローディが残りのハンバーガーを口に押し込んでいると、視界の端でメイドがこちらを振り返るのが見えた。咀嚼途中のため視線だけで問いかけると、彼女はわずかに目をすがめ、しかし何も言わないまま顔を背ける。そしてグレイに向かって深くお辞儀をすると、再び何もない空間へと消えていった。
(今の、何だったんだろう?)
彼女が立っていた場所を見つつジュースで口の中身を流し込んでいると、ジオラルドが顔を向けてきた。
「危険人物の消失を確認。連盟敷地内に同生体反応は見られない。よって警戒体勢を解除する」
「うん、ありがと。ご苦労様~」
こくりと頷き、顔を正面に戻したジオラルドに倣って、ローディも同じ方向に向き直る。すると、リュシエールが空中から着地し、どことなく疲れた表情でローディを見下ろしてきた。
「人間が無力だなどとは思っていないが、無茶をしたものだな。本当に怒らせていたら、ただでは済まなかったぞ?」
「そうですか? リュウさんはあのお姉さんより強いみたいなこと言ってたし、グレイさんもいるし、時間稼ぎができれば軍の人が来て援護してくれただろうし、そう無茶だとは思わなかったんですけど」
リュシエールは口を半開きのまま固まっていたが、まぁいいか、とぼやきついでに嘆息した。周囲をぐるりと見やり、再度ため息をついて、横髪をいじる。
「まさか、十三年も経ってから干渉されるとは思わなかったな。あるいは気を抜いたところを狙われたか……。何か思い当たる節はあるか?」
問いかけた先では、グレイが苛立ちを抑え、しかし微笑にはほど遠い表情でメイドが立っていた場所を無言で見ている。いつもにこやかな彼らしくない。何より、リュシエールが話しかけたにも関わらず反応しないなど初めてだ。
「グレイさん、大丈夫ですか?」
思わずローディが声をかけるとようやく、我に返った。息を呑むようにして背筋を伸ばして振り向いた彼は、三人の視線が集まっていることに気づくと、苦笑寄りの微笑を頬に浮かべた。
「すみません、大丈夫です。ありがとうございます」
そんな恋人の腕に触れ、リュシエールが下から顔を覗き込む。
「気になることでもあるのか?」
グレイはリュシエールの言動に少し戸惑ったようだ。やはり、らしくない。しかしそれも、腹から息を大きく吐くまでだった。
「気になるというか……、先ほどの女が、考えてみれば少し予想外で」
触れているリュシエールの手を取り、引き上げて、指先に軽いキスを落とす。それを境に、グレイの様子が見慣れたものに戻った。
「母様は可愛らしくて従順なタイプが好みだと思ってたんですが、先ほどの女はその真逆でしたから。……しばらく見ないうちに、母様の好みが変わったのかな」
「言われてみれば確かに違和感があるな。ディアムが、あんなとげとげしい者を近くで働かせているのは予想外だ」
「あぁ、父様は品のない人が嫌いですからね」
ローディにはかろうじて、リュシエールとグレイの父親に面識があるらしいということだけがわかる会話をすると二人は、
「どちらにせよ、エイムズに早く知らせておいたほうが良さそうだな」
「ええ」
自分たちの分の食器を魔法で返却口へと片付けた。グレイの差し出した腕にリュシエールが手を絡め、そうしてローディたちへと微笑みかけてくる。
「すまないが先に戻るよ。お前たちはゆっくり休憩してくれ」
仲良く連れ立って歩き出した二人を、周囲の人間たちは部屋の端に寄ってあからさまに避け、無遠慮に目で追いながらこそこそと何事かを話している。そんな中を、グレイもリュシエールも美しい姿勢を崩すことなく、歩調を乱すこともなく、胸を張って堂々と出て行った。




