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Diamond  作者: 神希
Mission03
11/41

最弱者の慢心-2

 戻ってきた科学技術局内の自室は、窓の外が濃いオレンジ色になっていること以外は何も変わっていなかった。作業途中で放り出したままの工具類と部品が机の上に広がり、椅子の上には普段着が脱ぎ散らかしてある。その服を床へ落とすとローディは、代わりに自分の腰をどっさりと椅子に下ろした。


「あー、疲れたぁ~」

「お疲れ」


 そう言って部屋の一角にあるロッカーに向かうジオラルドは、まったく疲れを感じさせない。今回の任務に出向いた者の中で最も激しい戦闘をおこなったはずなのに、疲労度合いは明らかにローディのほうが高く見える。さすがアンドロイドと言うべきか、さすが軍人と言うべきか。

 何にしても、毎回こんなに疲れているようでは身が持たない気がする。ローディは腕を曲げたり伸ばしたりしながら息を落とした。


「明日、絶対筋肉痛になってる気がする……。こうしてみると、体育の授業って大切だったんだなぁ」

「健康維持のためにも、適度な運動を勧める」


 ジオラルドの正論には、苦笑いしか出ない。


「頭ではわかってるんだけどねぇ。でもなんか、典型的な三日坊主になりそうでさぁ」

「ならば、目標を立てるのはどうだろうか」

「ん~……、考えとく」


 曖昧な返事でごまかすとローディは、足元に落とした衣服を見やった。ここは自宅ではない以上、帰宅しなければならない。軍の戦闘服で一般市街をうろつくわけにはいかないから、まずは着替えだ。

 ローディはおもいきり伸びをし、疲労感をごまかしてから立ち上がろうと――した意志に反して、腰はぴくりとも椅子から動かなかった。失笑が漏れてしまうほど、見事な無反応だ。ローディは早々にあきらめて背もたれに体を預けた。着替え終わったジオラルドに声をかける。


「僕はちょっと休憩してから帰るよ。ジオは先に上がって」


 ロッカーを閉めてから振り返った彼はなぜか返事をせず、ローディを眺め始めた。

 ジオラルドは今、何か考えている。状況からして、疲れ果てているローディが無事に帰宅できるか不安視している線が濃厚だろう。もしくはバディの責任として、ローディが帰る前に自分だけ休むわけにはいかないと考えているか。

 真相はどうであれ、気遣ってもらうほどのことではない。ローディは気楽に見えそうな笑顔を作り、手を振った。


「大丈夫だって。作業するつもりはないし。本当に少し休んだら、すぐに帰って寝るからさ」


 言ってもなお判断しあぐんでいるようだったが、


「了解」


 最終的にジオラルドは、会釈をして部屋を出て行ったのだった。

 扉が閉まると、室内は無音となった。空気が、しん、と止まり、水に混ぜた砂のように沈殿を始める。いつものことながら、言葉のなくなった空間は、まるで深海のようだ。静謐で、重くて、暗い。

 重みに流されるがままに、ローディは表情と肩から力を抜いた。机の上に散らばった道具類を腕で押しのけながら突っ伏す。

 疲労困憊だ。試合はもちろん練習でも、連続で何十回、何時間と撃ってきたが、こんなに疲れたのは初めてかもしれない。

 ゆるゆると、腹から息を抜く。

 目蓋が落ちてくる。

 静かに意識が溶けていく。

 暗闇。

 ――その中に浮かぶ、円い窓。


「ッ!」


 体が跳ねた。

 一瞬の硬直のあとで、汗が噴き出してきた。全身から熱という熱が抜け落ちていく。

 寒い。

 震える。

 体が。

 止まらない。


「……なんだよ、もぉ……っ」


 ローディは拳にした両手を、額に強く押し当てた。閉じた目蓋の裏には、あの窓が――照準器越しに見た景色が、こびりついていた。

 何度となく覗いてきたライフルの照準器に、スリルを感じたことはあれど恐怖を覚えたことはなかった。どんなに大きな試合でも、どんなに緊迫したスコアでも、楽しさを忘れたことは一度もなかった。それなのに。


(試合と実戦は違う。わかってるよ、そんなこと)


 銃を敵に向け、引き金を引く。その意味を、頭ではわかっていたつもりだった。


(でも、わかってなかった……。わかったつもりでいたけど、ただの『つもり』だったんだなぁ)


 銃は武器だ。武器とは相手を傷つけるためのものだ。それ以外ではありえない。その意味を、正確に理解していなかった。

 いや、忘れていたのだろう。考えることを放棄していたのだろう。それはきっと、今までずっと、物言わぬただの的を狙っていたから。


(僕、馬鹿だ)


 ヴィクスがせっかく忠告してくれたのに、どうして自分はまったく聞こうとしなかったのだろう。うっとうしく思うだけで、受け止めた振りだけして、払い捨ててしまったのだろう。もう少し真面目に考えれば良かった。ほんの少しだけでも、真剣に受け止めれば良かった。


(ほんとに、馬鹿だ……っ)


 右手の人差し指が引きつって痛い。

 この指を動かしたあのとき、スコープ越しに見た映像が痛い。

 音も立てずに倒れる人の姿が、体中をかきむしりたくなるほど痛い。


(僕、人間を撃ったんだ。人殺しとおんなじことをしたんだ。続けてたら、いつか、人殺しをしちゃうかもしれないんだ)


 麻酔銃とて、銃は銃。当たり所が悪ければ死に至らしめることができる。拳銃より威力の高いライフルならばなおのことだ。しかしだからといって恐がり、ためらえば、味方側に被害が出ることになるだろう。そこまでわかっていても撃てず、仲間を犠牲にしてしまったら、それは見殺しという名の殺人だ。


(銃を持つ以上、僕は撃つしかない。ここにいたかったら、撃つしかないんだ)


 ローディは、己の右手を左手で握りしめた。指に残る震えと痛みを押さえつける。


(僕、これからやっていけるのかなぁ)


 怖い。


(いつか、人殺しをしちゃうのかなぁ)


 震えは止まらない。


(それともどっかで、誰かに殺されるのかなぁ)


 目を閉じる。


(どうしよう……、おばあちゃん)


 ぎゅううと頭を抱え込む。


(僕、ぜんぜん自信ないよっ)


 幼い頃いつも助けてくれた優しい人は、もう傍にはいない。答えは出ない。何も見えない。もう、真っ暗だ。


 ――コン。


 小さな音で、体が派手にびくついた。頭が跳ね上がる。遅れて、それがノックだと思い至るのと、ドアが開くのは同時だった。日が落ちて暗くなった室内と照明がついて明るい廊下のコントラストの中に、先ほど出て行ったはずのアンドロイドが浮かび上がっている。


「ど、どうしたの? 忘れ物?」


 動揺する心臓を押さえて訊くと、ジオラルドは首を横に一振りした。ドアを閉め、脇に抱えている何かを手に持ち替えながら近づいてくる。


「持ってきた」

「え? 何、を――」


 問い返す言葉が、思わず途切れる。

 ジオラルドがローディの肩に掛けた物は、毛布だった。


「すぐに帰るのだとしても、寒いならば温かくしていたほうがいい。風邪を引く」

「へ?」


 室内は暗いが、眼球に暗視スコープ機能を持つジオラルドにはローディの表情がはっきりと見えているだろう。その証拠に、複雑な顔をしているに違いないローディを見て、かすかに首を傾げる様子がぼんやりと浮かんでいる。


「自分は何か間違えただろうか」

「……えぇと……ぉ」


 彼の行動は、時々心底わからない。そもそも、いったいどうして『ローディが寒がっている』と勘違いしたのやら。

 フリーズしかかっている脳を強引に回転させ、考える。


(あ。もしかして僕、ずっと前から震えてた……?)


 震えを自覚したのはついさっきだ。しかし自分自身は無自覚だっただけで、機械の目はそれをずっと前から見抜いていたのだと考えればどうだろう。ならば、先ほど彼が先に帰ること逡巡していたのは、ローディが無事に帰れるかどうかではなく、凍えないかどうかを心配したからだということになる。そしてしばらくここにとどまっていると聞いて、冷えないように毛布を持ってきた、と。そういうことか。

 論理的と言えば論理的だが、ジオラルドの行動はときどき驚きを伴う。要するに、ひどく人間くさいのだ。


(やだなぁもう。急にこんなことして驚かすんだから)


 こみ上げる笑みを我慢できない。ついでに、鼻をつんと刺激するものも。

 ローディは毛布を頭からひっかぶった。自分の体を包み隠す。


「ありがと。あったかいや」

「そうか」

「うん」


 毛布に顔を埋めると、いったいどこから持ってきたのか、とても柔らかい肌触りと香りがした。


(ほんと、ジオは優しいなぁ)


 優しいから、うじうじしている自分が情けなくなってきたではないか。


(……頑張らなくちゃ)


 命は重い。本当に怖いくらいに重い。自分には到底背負えそうにない。ならば、この世から命を消さないようにするしかない。

 そこまで決まれば話は簡単だ。ライフルの腕を磨けばいい。いつでもどこからでも、確実に狙った場所だけを撃てるようになればいい。世界平和のためなどという大それた目的よりも、まずはこんな目標でいいではないか。分相応。自分らしい。


(強くなろう)


 しばらくはライフルに触るだけで押し寄せる恐怖心と戦わなければならないかもしれない。恐怖に打ち勝ち、しかし畏れる気持ちを忘れずに引き金を引けるようになるまで、時間がかかるかもしれない。だが、きっと大丈夫だ。確証などないが、大丈夫。自分は頑張れる。


(もう絶対に無理だなんて思わない。弱音なんて吐かない。……それくらいはしないと、恥ずかしいや)


 ローディは涙をぬぐい、両手を強く握りしめた。

 この拳は、恐怖を押さえつけるためのものではない。逃げるためのものでもない。芽生えた決意を、硬く固めるためのものだ。

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