その8 再演の記憶
「ちょっとすみません……」
──翌日、朝から演奏会の会場を訪れたソフィーは、入り口のカウンターの係員の顔を覗きこんだ。
「何ですか?」
なにかの作業を中断されたようで、係員は面倒くさそうに応えた。
「一昨日の夜の演奏会なんですけど……」
ソフィーは、プログラムを顔の高さに掲げた。
「なにか、演奏の途中でハプニングとかありませんでしたか?」
「ハプニング? 何のことですか」
「途中で曲が変わるとか、指揮者が急病で交代するとか……」
「ありませんでしたよ、そんなこと」
「他にも、ステージが崩れちゃうとか……」
「ありませんってば」
「なんでもいいから、予定にない、その場にいないと分からないようなことがありませんでしたか?」
「そんなこと言われてもねえ……」
係員は体を起こして腕を組んだ。
「演奏会の途中で外に出られるんですか?」
「ええ、それはお客様のご自由ですよ。半券さえ持っていればまた入れますし」
「途中で出て行った人、わかります?」
「大勢いるんですから、そんなこと、いちいちチェックしてませんよ」
「アンナ・ガルウッドさんっていう人ですけど」
「ああ……ええと……、その人なら来てましたけど、いつ出て行ったかはわかりませんよ」
──ソフィーは肩をすくめて頭をかいた。そばを若い女性が2人、話をしながら通りがかった。
「……そうね。一昨日の夜の演奏会は最高だったわ」
「ほんと、アンコールの曲がとくによかったわね」
ソフィーは、女性たちが通りすぎるのを眺めていたが、やがてはっとなってカウンターに飛びついた。
「それよ! ねえ、そのアンコールの曲を教えてくださらない」
「さあ? 私はちょっと覚えてないですね。そこの女性に聞いてみては?」
ソフィーは遠ざかる2人の女性を、あわてて追いかけた。
「す、すみません。その、アンコールの曲、教えてください」
「え? セキデ・ルゴッホの交響曲第5番ですけど、それがどうかしましたか?」
「あ……。い、いえ。いいんです。ありがとう」
◇ ◇ ◇
──午後、ビレット邸のロビーには、ソフィーとスコット、それに自警団の団員が集まっている。
執事のブラントがドアを開けると、アンナが姿を現した。ソフィー以外の顔ぶれに驚いたようだった。
「なんなの? ソフィー。用って。あなたが私を呼びだすなんてね。それに、スコット様に団員さんもお揃いで」
「スコット様たちに立ち会っていただいたほうが、何かと都合がいいと思ったんですわ」
「都合? 何の都合がいいっていうの?」
「あなたを、窃盗と偽造、それに父、ロバート・ビレットに対する殺人未遂の罪で捕まえてもらうための都合ですよ」
「な、なんですって? 一体なぜ、そんなことが分かるっていうの?」
「もうとぼけるのはよしましょう、ガルウッドさん。すべての証拠が、あなたを犯人だと言っていますのよ」
「証拠? 何が証拠だって言うの?」
「あなたは、あの夜、合鍵で庭門から入って花壇を通り、テラス窓から部屋に入って、父を後ろからデカンタで殴った。その後、債券と小切手を盗んで出て行ったのでしょう」
「いいえ、そんなことはしていないわ」
「その後、小切手に婚姻届けの文言とあなたのサインを書き込んで、いらない部分は切り取った。父のサインはありますから、法的には有効です。つまり、受理さえされてしまえば、ゆくゆくは父の財産はあなたのものです」
「いいえ、あの婚姻届けは、もともとあの紙に書いたものよ」
「……婚姻届けを手に入れた方法が合法なら、誰にも文句は言えません。でも、あなたの行為は犯罪ですよ」
「わ、私は、あの夜あの部屋には行ってないわ」
「だって、ガルウッドさん。あなたは花壇に入ったことはないと言ったでしょう。どうして花壇に入らないのに、そこにしかない花の種が服に付くんですか? ……となると、なぜうそをつく必要があるのか、ご説明していただけますか?」
「私はうそなんかついてないわ。ソフィー、あなたが種を持って来たんじゃなくって?」
「なるほど。じゃあ別の質問をしましょう。ガルウッドさん、事件の夜、あなたは演奏会に行ってましたね?」
「そうよ」
「途中で抜け出して、父に会いに来たんじゃありませんか?」
「違うわ」
「それじゃ、最後までご覧になりました?」
「ええ」
「確かですね?」
「何度もそう言ってるでしょ!」
「それなら、ガルウッドさん、アンコールの曲がなんだったか、教えていただけますか」
「アンコール……?」
「最後までいたとおっしゃったでしょう。それとも、途中で抜け出したから聞いていないんですか?」
「アンコールは、お、覚えてないわね。考え事をしてたから、つい。直前の曲なら覚えてるけど」
「最後の曲はプログラムに書いてありますからね。そりゃあわかるでしょう。それじゃあ、ガルウッドさん。アンコールはあったが、曲を覚えていないんですか?」
「そ、そう。そういうことよ」
「それは変ですわね」
「何が!?」
アンナは思わず声を荒げた。明らかに動揺しているようだ。しばしの沈黙の後、ソフィーがゆっくりと口を開いた。
「あの日、アンコールはなかったんですよ」
「……なかった?」
「意外でしたか?」
「……そ、それは」
「その場にいたなら、今さら驚くこともないでしょう?」
アンナの視線が泳ぐ。何か思案しているようだった。
「……そ、そうね。確か、あの日はアンコールがなかったわ。思い出したわ」
「なかった? 確かですか?」
「そうよ、ソフィー。あなたの言う通り、アンコールはなかったわ」
「うそです」
「……え?」
「さっきアンコールがなかったと言ったのは、うそなんですよ。ガルウッドさん」
「ソ、ソフィー、あなたうそを?」
「はい、ガルウッドさん。私、うそはつきませんが、悪い人には例外です。神さまもお許しくださいますわ」
アンナはうつむいて視線をそらした。肩が震えている。
「それで、なんのためにアンコールのうそをついたか、説明できますか? ガルウッドさん」
アンナは答えない。
「答えられないんですか? ガルウッドさん」
──その場の全員が沈黙する。
重苦しい空気をスコットが破った。
「……ガルウッドさん! それじゃあ、あなたが犯人なのですか……!?」
スコットの言葉に、自警団の団員たちもざわついた。ソフィーが立て続けに質問する。
「ガルウッドさん、書斎から盗んだ債券はどこにやりました? きっとあなたのことだから、まだ持っているのでしょう。ほとぼりが冷めてから換金するつもりだったのでは? それとも、証拠隠滅のために燃やしてしまいましたか?」
アンナは無言のままだった。
「どちらにせよ、自警団の方々にお宅を調べていただく必要がありますね」
事件に関してうその証言をしていたとなると、自警団はアンナを徹底的に調べることができる。
「……その必要はないわ、ソフィー」
「と、言いますと?」
ソフィーの言葉に、アンナは顔を上げて胸を張った。
「ロバート・ビレットを暴行して書類を盗んだのは、私です」
毅然とした態度でアンナは言い放つと、団員たちの間にどよめきが走った。
「……そうですか。ではスコット様、お願いします」
「はい、ソフィー。……おいっ」
スコットの指示で、団員たちがアンナの手を縛った。それでも彼女は毅然とした態度を崩さない。
団員にうながされ歩き出したアンナは、ソフィーの前で立ち止まった。
「……ね、言った通りでしょう、ソフィー。女の人生は殿方しだいなのよ……」
アンナはわずかに微笑むと、顔を背け、団員に連れ出されていった。その後ろ姿を、ソフィーたちは無言で見送った。
スコットは、ソフィーが震えていることに気づき、そっと肩に手を置いた。
「お見事です、ソフィー。アンコールの曲名で彼女を追い詰めるとは……」
「あれは……賭けだったのですわ」
「賭け?」
「だって、彼女が誰かから聞いてアンコールの曲を知っていたかもしれないでしょう?」
「確かに……」
「だから、賭けでしたの。そして勝った。でも、賭けはいつも勝てるわけじゃありませんわ。……私も、不安だったんです」
それまでの冷静な口調と変わって、声が震えていた。振り向いたソフィーの両眼には、涙があふれていた。
「スコット様……私……」
ソフィーは、スコットにすがりつくと、胸に顔をうずめ涙を流した。
スコットは、そっとソフィーの肩を抱いた。




