その6 小切手
──ビレット邸に戻ったソフィーは、意気消沈していた。その表情をスコットも察している。
「スコット様……。残念ですけど、あの婚姻届けは有効です」
「となると、彼女の潔白を証明してしまったということですか?」
「はい、スコット様。でも、ガルウッドさんのあの態度で、逆に私は彼女が犯人だと実感しました」
「態度? でも、ガルウッドさんはとくに不審な態度はとっていなかったような?」
「それが不自然なのです」
「え?」
「私が突然たずねて、婚姻届けをじっくりと調べる。あからさまに疑っているのに、ガルウッドさんはほとんど文句も言わずに応じていました。彼女の性格からいって、それはあまりに不自然ですわ」
「……なるほど。彼女は罪を隠したいがために、知らず知らずのうちに協力的になりすぎていたと」
「そうです、でも……」
ソフィーは両手で顔を覆った。
「ああ、これで私は、あの人を義母と呼ばねばならないのね。いったいどうしたら……」
──ソフィーは押し黙ってしまった。スコットもソフィーに同情したが、どうすることもできなかった。慰めの言葉すら見つからない。
財産目当てのアンナが母になったら、いったいこの屋敷でどんな生活が始まるのか。ソフィーは想像もしたくなかった。
──長い沈黙の後、ふいにソフィーが顔を上げた。
「……スコット様! 私、もう一度あの書斎を見てみますわ。……どうも引っかかるんです。なんとなくなんですが……」
──スコットが返事をする間もなく、ソフィーは呼び鈴で執事のブラントを呼ぶと、父の鍵の束を持ってこさせた。
「お嬢さま、この鍵ですが……」
ブラントが不思議そうな顔をした。
「どうしたの?」
「束の中に、庭門の鍵が2つあるんですよ」
ソフィーは手に取って見比べてみた。確かに同じ鍵が2つある。
「この2つのうちの1つは、最近とりつけたようね。リングと鍵に新しい傷がついているわ」
「同じ鍵を2つ着けているのは不自然ですね。どうしてでしょう?」
スコットが聞くと、ブラントも首を傾げた。
「……今はわかりませんわ。ともかく、書斎に行きましょう」
──ソフィーは足早に書斎に向かい、スコットも続く。ドアを開けて入ると、中は事件後のままだった。
「書類はここね」
ソフィーは鍵を取りだすと、金庫を開け、残った書類の束を取りだし1枚1枚めくって確かめた。ブラントの話では書類の半分近くが盗まれたらしい。
「それで何かわかるんですか?」
まるでスコットの声が届いていないかのように、ソフィーは熱心に書類をめくり続けた。
あの婚姻届けを見ていらい、言葉にできない違和感があったのだ。
「……あら? これは、小切手ね? どうしてここにあるのかしら?」
何十枚目かの書類を見終わったあとで、ソフィーは小切手を見つけた。
「それはたぶん、途中で契約を破棄した取り引きでしょう。先に小切手を書いておいて、後からいらなくなったんだと思いますよ」
「この小切手は、ずいぶん余白が多いわ。えっと……『キーヘッド銀行どの。リチャード・ウォルフ氏に金貨200枚を支払われたし。……ロバート・ビレット』。これが、使われなかったのかしら?」
小切手には『支払われたし』という文言のあとに、余白を大きく空けて、『ロバート・ビレット』とサインしてあった。
「はい。小切手は、銀行名と支払い相手、あとは支払い人のサインさえあれば有効ですし。他に書くこともありません。小切手専用の紙もありませんから、他の書類と同じサイズなんです」
小切手がらみの事件もある。スコットは職務上小切手の仕様を知っていた。盗んで金額や名前を改ざんしたり、そのまま換金しようとして捕まる者もいるからだ。
「なるほど。……じゃあ、もし、この部分を切り取ったら……。ああ、そういうことだったのね……」
「何がです? ソフィー」
「あの婚姻届けの父のサインですよ。筆跡が本物だった理由が分かりました」
「ええっ、一体どうやったのです!?」
「逆なの。サインは本物で、それ以外の部分を後から書き足したのよ」
「どういうことです?」
「父のサインが入った小切手の、サイン以外の文字の部分を切り取って、余白に婚姻届けの文言と彼女のサインを書き足したんですわ」
「なるほど……! じゃあ、ガルウッドさんは小切手も盗んだのでしょうか?」
「盗んだか、父から受け取ったかは分かりません。でも、あの婚姻届けはみょうに小さかったし。小切手から切り取ったなら、ちょうどあれくらいのサイズになります」
「なるほど……! しかし、それでも婚姻届けは有効なわけなのですね?」
「そうですわ。結婚する2人の直筆のサインさえあれば受理されますから。文言の筆跡は関係ありません」
「そうなると……もう打つ手はないのですか? ソフィー」
「婚姻届けの件では、ありません」
「と、言いますと?」
「婚姻届けが法律上は有効なら、どうしようもありません。しかし……夜盗や暴行の件でなら追求は出来るかも」
「でも、どうやって?」
「たしか、彼女は債券を盗んでいったんですよね」
「そうですね。もしや、夜盗のしわざに見せかけるために盗んだのでしょうか?」
「その通りです、スコット様。どのみち結婚するなら、債券など盗む必要はありませんから」
「どうりで。だから全部の書類を盗んではいかなかったのですね」
「慌てていたのかもしれませんね。となると、債券はまだ彼女の家にあると思いますわ」
「でも、処分したのかもしれませんよ? そういえば、彼女、暖炉で何かを燃やしていましたよね」
「いいえ、たぶん債権は残っていると思います。暖炉の燃え残りはほんの少しでしたし。たぶん……偽造に使った小切手の残りの部分を燃やしたのではないでしょうか」
「じゃあ、彼女は債権を隠し持っていると?」
「スコット様、あの人の性格から考えて、債券を捨てるのは惜しいと考えるはずです。小切手は破棄しても問題ないですが。ほとぼりが冷めてから債権を換金するつもりでは」
「なるほど。しかし、我われとしては、確たる理由もなしに彼女の家を調べることはできませんよ」
「そうですわね。でも……もし彼女のアリバイなどの証言がうそだったとしたら、どうです?」
「それなら話は別です。うそをつくのは神に背くことですからね。納得のいく説明を聞くまで取り調べすることもできますし、内容次第では家宅捜索もできます」
「そうですわね……。何か手がかりはないかしら……」
ソフィーは書斎の中を行ったり来たりした。スコットが、テラス窓の外の動くものに気づいてそちらに目を向けた。
「おや、庭師でしょうか? 彼は」
スコットの視線の先では、使用人が花壇に入って作業をしていた。
「あ、はい。父の花壇を手入れしてもらっていますわ」
「そういえば、あそこには、めずらしい花が多いんですよね……」
「そうですね。ここらでは見ない花ばかりですわ……あっ!」
ソフィーは、懐から包みを取りだした。中にはアンナの家の玄関で拾った種が入っている。
「婚姻届けのことばかり考えていて、この種のことを忘れていましたわ……。スコット様。私、いくつか思いついたことがあります……」
ソフィーの表情が変わり、その目には光が感じられた。




