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第十四部 商人テオと、揺れる荷台の話 ③ 石倉の夜

 夜は、街道脇の古い石倉跡で野営した。


 石壁が半分だけ残り、屋根はない。


 だが、風は避けられる。


 商隊は手慣れていた。


 馬を外す者。


 鍋を出す者。


 水を汲む者。


 薬草袋を雨の当たらない場所へ移す者。


 誰も大声を出さない。


 でも、全員が何をすべきか知っている。


 リューリックは、それを見て少し機嫌がよさそうだった。


 こいつは、段取りの良い集団を見ると表情が整う。


 もともと整っている顔が、さらに整う。


 腹が立つ。


「サンドルさん」


 商隊の年配の女が声をかけた。


 名前はミラと言った。


 ブリエンの薬草商で、テオより年上、商隊の実務を握っている女だった。


「この乾燥棚、少し右へ寄せてもらえるかい」


「承知しました」


 リューリックが棚を動かす。


 ミラはその手つきを見て、すぐに頷いた。


「あんた、荷を触ったことがあるね」


「家令の家系の副業の本義として、荷の重心は重要でございます」


「よく分からないけど、上手いなら何でもいいよ」


「たいへん実務的なお言葉です」


「商隊は実務で走るんだよ」


 ミラは笑った。


 エルゼと少し違う。


 エルゼは柔らかくて軽い。


 ミラは乾いていて軽い。


 乾燥薬草みたいな女だった。


 俺がそう言うと絶対に怒られるので、黙っておいた。


 俺も学習している。


 少しは。


 俺は焚火の近くに座らされた。


 正確には、座らされ、背中に畳んだ毛布を入れられ、左側に誰もぶつからないよう木箱で壁を作られた。


 完全に壊れ物の配置だった。


「俺は荷物か」


「高価な壊れ物だ」


 テオが鍋をかき混ぜながら言った。


「さっき聞いた」


「気に入っている」


「俺は気に入ってない」


「壊れ物は、気に入るかどうかを選べない」


「ひどい商人だ」


「良い商人だ」


 鍋の中身は、豆と干し肉と薬草の茎を煮たものだった。


 苦い。


 だが、うまい。


 体に染みる。


 エルゼの粥より味が濃い。


 ニーナの薬より食べ物に近い。


 マレーナの薬湯より商売の匂いがする。


「うまいな」


「だろう」


 テオは得意そうに言った。


「薬草商隊は飯がまずいと思われがちだが、まずい薬草と食える薬草を分けられない奴は商売にならない」


「そういうものか」


「そういうものだ。薬と毒と飯は、量と使い方で隣同士になる」


 ニーナが聞いたら、たぶん頷くだろう。


 マレーナなら、鼻で笑ってから訂正を入れる。


 ヴェロニカなら、腹を切れば分かると言う。


 俺の周りの医療職は、だいたい怖い。


 そう考えていたら、テオが俺を見た。


「女のことを考えている顔だな」


「なぜ分かる」


「分かりやすすぎる」


「俺の顔、そんなに駄目か」


「顔は良い。出るものが駄目だ」


「顔が良いならいいか」


「よくないでございます」


 リューリックが即座に言った。


「そこは即答するな」


「殿下の顔面に関する自己評価は、常に補正が必要でございます」


「俺は自信を持って生きたい」


「方向をお間違えです」


 テオとミラが笑った。


 焚火の周りに笑いが増える。


 商隊の若い荷役たちも、少しずつこちらを見るようになった。


 最初は警戒されていた。


 退院直後の怪我人と、妙に礼儀正しい同行管理者。


 怪しい。


 自分でもそう思う。


 だが、笑われると、人は少しだけ危険度が下がる。


 俺は昔、それを生き延びるために使っていた。


 今は、少し違う。


 俺自身が、笑われることで楽になっている。


 それを認めるのは、少し悔しい。



 ◇



 夜が深くなると、テオとリューリックが少し離れた場所で話していた。


 俺は焚火のそばで毛布に包まれている。


 寝ていろと言われた。


 寝ていた。


 ただ、目と耳だけ起きていた。


 最近、それが多い。


「サンドル」


 テオの声。


「ロドは、何者だ」


「便宜上は、傭兵でございます」


「その答えは聞いた」


「では、現在は療養中の壊れ物です」


「それも聞いた」


「では、それ以上は商談対象外です」


 少し沈黙。


 テオは笑った。


「上手いな」


「職務です」


「君、商人になれるぞ」


「主君一人の管理で手一杯でございます」


「それは分かる」


「分かっていただけますか」


「見ればな」


 焚火が爆ぜた。


 火の粉が少しだけ上がる。


「ロドは、南へ逃げているのか」


 テオが言った。


「療養です」


「逃げる療養もある」


「否定はいたしません」


「追われている?」


「世界は、だいたい誰かを追っております」


「話が大きい」


「小さく言えば、道を選んでいる最中でございます」


 テオは、しばらく何も言わなかった。


 商人が黙る時は、値段を考えている時だ。


 あるいは、損得以外のものが少し混じった時だ。


「灰柳の分岐で、俺は東へ少し戻る。ブリエン薬草の別口を拾う」


「はい」


「君たちは南西へ行け。リンデン方面の小宿なら、俺の書付が効く」


「対価は」


「今は取らない」


「後で高くつく類でしょうか」


「商人としては、そう言いたい」


「では、人としては」


「面倒な怪我人に恩を売るのも、旅の退屈しのぎだ」


「高くつきそうです」


「少なくとも、安くはない」


 二人は小さく笑った。


 俺は毛布の中で目を閉じた。


 テオは信用できるか。


 分からない。


 だが、今すぐ敵ではない。


 商人というのは、敵にも味方にもなりきらない種類の人間なのかもしれない。


 金で動く。


 道で動く。


 荷で動く。


 だが、時々、人の顔を見て、値段を後回しにする。


 厄介だ。


 俺の周りには、厄介な人間ばかり増える。


 たぶん、俺が厄介だからだ。


 この結論は、気に入らない。



 ◇



 翌朝、商隊は霧の中を出た。


 薬草袋が湿らないよう、幌を二重にしている。


 馬の鼻息が白い。


 季節は、夏の終わりから秋へ少しずつ動いていた。


 俺の傷も、季節みたいに少しずつ動けばいい。


 いきなり治らなくていい。


 七歩が八歩になるくらいでいい。


 そう思えるようになったのは、トルガウの病室のせいだ。


 エルゼのせいでもある。


 リューリックのせいでも、少しある。


 本人には言わない。


 調子に乗るからだ。


「殿下、姿勢を変えます」


 リューリックが荷台の中で言った。


「今でいい」


「二刻同じ姿勢です。肩が固まります」


「お前、完全に病棟の人間になったな」


「申し送りを遵守しております」


「エルゼは恐ろしいな」


「はい」


「即答か」


「柔らかく指示し、確実に残します」


「お前、褒めてるだろ」


「はい」


 リューリックが、何のためらいもなく言った。


 俺は少し驚いた。


 こいつは、他人を褒める時でもたいてい形式の布で包む。


 今のは、かなり素直だった。


「……お前、本当にエルゼを評価してるんだな」


「はい。たいへん優れた記録係です」


「それだけか」


「それだけ、とは」


「いや、何でもない」


 リューリックは俺を見た。


「殿下」


「何だ」


「余計な観察は、傷に障ります」


「お前、今ちょっと動揺したか」


「姿勢を変えます」


「話題も変えたな」


「肩を優先いたします」


 俺は笑った。


 笑った瞬間、リューリックが俺の背中へ毛布を入れ直した。


 手つきは完璧だった。


 顔はいつも通りだった。


 でも、耳のあたりがほんの少しだけ固い。


 俺は見逃さなかった。


 レオン・ヴァン・リュカリオン。


 元王子。


 現傭兵。


 職業、負傷予定者。


 趣味、惚れること。


 そしてたぶん、最近の副業は、家令の微細な動揺を観察することだ。


 かなり楽しい。


 痛いけど。


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