第十四部 商人テオと、揺れる荷台の話 ② 商人テオ
夕方、俺たちは薬草商隊と出会った。
道の先に、灰色の幌馬車が五台並んでいた。
車輪は大きく、荷台の横には乾燥薬草の束が吊られている。
風が吹くと、苦い匂いと甘い匂いが混ざって流れてきた。
ブリエン薬草。
マレーナの店で嗅いだものとは少し違う。
もっと乾いていて、もっと旅の匂いがする。
馬車の側面には、簡素な印があった。
杯の中に月桂樹。
その横に、小さく別の印。
羽根のついた天秤。
「ブリエンの薬草商隊です」
リューリックが言った。
「もう分かるのか」
「匂いと荷の縛り方で」
「お前、匂いでも商隊を読むのか」
「殿下のお懐で鍛えられました」
「俺の懐は教材じゃない」
「実地教材でございます」
商隊の先頭にいた男が、こちらへ歩いてきた。
三十代前半。
濃い栗色の髪を後ろに流し、旅用の外套を軽く羽織っている。
商人にしては姿勢がよく、貴族にしては靴が汚れている。
笑顔は柔らかい。
だが、目はまったく柔らかくない。
値段を聞く前から、相手の懐の深さを測っている目だ。
「トルガウからの馬車か」
男は言った。
「はい」
リューリックが答えた。
「南へ向かいます」
「南は広い」
「療養地へ」
男はそこで笑った。
「南方療養地か」
「ご存じで」
「いや。今、気に入った」
男は俺を見た。
寝台代わりの荷台に半分寝ている俺。
左肩の包帯。
脇腹を庇う姿勢。
顔色。
革袋。
リューリック。
彼の目が、全部を一度で見た。
「怪我人だな」
「見れば分かる」
「口は元気だ」
「そこだけな」
「良い。商談に向いている」
「怪我人と商談するな」
「怪我人ほど、移動手段を買う」
男は笑った。
嫌な笑いではない。
ただ、かなり商人だった。
「セオドール・グラント。テオでいい。オーランド出身の商人だ。今はブリエン薬草商隊に混ぜてもらっている」
「オーランド?」
「海の方だ。遠い。だが、薬草と戦争があるところには、だいたい商人が来る」
「戦争で稼ぐ口か」
俺が言うと、テオは笑顔を少しだけ引っ込めた。
「稼ぐ。否定はしない」
軽く言わなかった。
そこが少し意外だった。
「ただ、薬草が届けば助かる奴がいる。届かなければ、死ぬ奴がいる。俺はその間に値段をつけている。褒められる仕事じゃないが、止めるともっと死ぬ」
その言い方に、ニーナの声が重なった。
薬は患者のもの。
商人は患者ではない。
だが、薬を患者のところまで動かす。
その途中で金を取る。
きれいではない。
だが、きれいでないから不要とも言えない。
世界は、最近そういうものばかり見せてくる。
「ロド・カナリだ」
俺は名乗った。
「便宜上は傭兵」
「便宜上?」
「退院証にも近いことが書いてある」
「見せてもらえるか」
「俺の痛みの記録だぞ」
「なら、移動費を考える材料になる」
「本当に商人だな」
「ありがとう」
「褒めてない」
「商人にはだいたい褒め言葉だ」
テオは、退院証を読んだ。
まず公式欄。
次に余白。
そこで、目が少しだけ止まる。
「痛み申告可能。無理をすると悪化」
「読むな」
「良い余白だ」
「お前も余白を読む側か」
「商人は余白で稼ぐ」
テオは退院証をリューリックへ返した。
「この状態で普通の荷馬車は厳しい。薬草商隊の三台目に空きがある。揺れは少ない。薬草を傷めないために車輪の手入れが良いからな」
「料金は」
リューリックが即座に訊いた。
テオは笑った。
「話が早い。南の分岐まで、銀貨八枚」
「高いですね」
「怪我人込みだ」
「怪我人は荷物扱いですか」
「高価な壊れ物扱いだ」
「俺を壊れ物にするな」
リューリックは、俺を見ずに言った。
「壊れ物でございます」
「否定しろ」
「現状、否定材料が不足しております」
テオが声を出して笑った。
「いい従者だ」
「同行管理者でございます」
「では、いい同行管理者だ」
「料金交渉に戻りましょう。銀貨八枚は高い」
「薬草と同じ荷台に乗せる。匂いでよく眠れるぞ」
「医療効果は料金に含まれません」
「では七枚半」
「五枚」
「病人を乗せて五枚はない」
「病人ではなく、退院直後の傭兵です」
「余計に面倒だ」
「その分、護衛にも使えます」
「使えないだろ、その肩」
「口は使えます」
テオが俺を見た。
俺は寝転がったまま言った。
「悪党が来たら、痛い話をしてやる」
「それで逃げるなら、いい悪党だな」
「じゃあ俺が女医に叱られた話を」
「銀貨六枚で乗せよう」
「効いたぞ、リューリック」
「殿下の羞恥談が交渉資源になるとは、想定外でございました」
「使うな」
テオは笑いながら手を差し出した。
リューリックが握る。
商談は成立した。
俺は銀貨六枚の壊れ物として、ブリエン薬草商隊の三台目へ移された。
◇
薬草商隊の荷台は、確かに揺れが少なかった。
木箱の間に干し草が詰められ、薬草袋が壁のように積まれている。
苦い匂い。
甘い匂い。
湿った布。
乾いた葉。
その中に横になると、体が少しだけ薬草袋の一部になった気がした。
「殿下、旅の薬棚から、旅の薬倉庫へ昇格でございます」
「俺は収納家具じゃない」
「現在、かなり収納されております」
リューリックは荷台の端に座っている。
外から見れば、護衛兼従者。
実際は、俺の痛み監視係であり、退院証管理係であり、最近はエルゼ式の痛み受領係でもある。
多忙だ。
その多忙さを、本人はまったく顔に出さない。
腹立たしい。
ありがたい。
腹立たしい。
ありがたい。
最近、この二つが同時に来ることが多い。
人間関係は面倒だ。
「ロド」
荷台の外からテオが顔を出した。
「生きてるか」
「銀貨六枚分は」
「よし。壊れ物表示をつけておく」
「つけるな」
テオは荷台に片足をかけ、するりと中へ入ってきた。
動きが軽い。
商人というより、船乗りみたいな足運びだった。
「オーランド出身と言ったな」
「ああ」
「海の商人か」
「海も陸も。金が流れるところへ行く」
「信用できない言い方だ」
「信用できる商人の方が危ない。信用させるのが商売だからな」
「自分で言うな」
「正直は、量を間違えると信用になる」
テオは薬草袋にもたれた。
遠慮がない。
だが、荷の重心を崩さない場所を選んでいる。
商人の体が、荷の扱いを知っている。
「南方療養地へ行くなら、王国方面か」
テオが言った。
「さあな」
「ブリエンへ抜ける気なら、道が違う。王国東部へ戻るなら、灰柳の分岐で降りろ。リンデン方面へ行ける」
リンデン。
その地名は、まだ遠い。
だが、トルガウの病室よりは現実味があった。
南へ戻る。
王国の東部。
少し静かな村。
療養には向いているかもしれない。
俺が静かにできれば、だが。
「詳しいな」
「商人は道で食ってる。道を知らない商人は、ただのよく喋る迷子だ」
「お前はよく喋る」
「迷子ではない」
「そこは自信があるんだな」
「道と値段にはな」
リューリックが静かに言った。
「グラント商会は、オーランド系でありながら、ブリエン薬草商隊と深く繋がっているのですね」
テオの目が少しだけ細くなった。
「おや。俺はグラントとしか名乗ってないが」
「馬車の側面に羽根のついた天秤。オーランドの商会印と推察しました」
「よく見ている」
「職務です」
「従者にしては、目が商人だな」
「同行管理者でございます」
「便利な肩書きだ」
「便宜上は」
テオは笑った。
「便宜上、か。君たち、その言葉が好きだな」
「便利だからな」
俺が言うと、テオは肩をすくめた。
「便利な言葉ほど、嘘と本当の間に立つ。商人向きだ」
「俺を商人にするな」
「剣が振れない間だけでもどうだ。口は回る」
「俺の口を商品にするな」
「もう何度か商品になってるんじゃないか」
リューリックが言った。
「羞恥談による値引き実績がございます」
「記録するな!」
薬草袋が、俺の声で少し揺れた。
肩が痛い。
でも、笑える。
テオは、俺たちをしばらく見ていた。
笑っているが、目は商人のままだ。
何かを測っている。
俺たちの値段か。
危険度か。
それとも、利用価値か。
「ロド」
「何だ」
「君、ただの傭兵にしては、持ち物が多いな」
「俺の懐を見るな」
「見える。荷台に乗る時、音が多かった」
「音で見るな」
「商人は音でも見る」
「お前とリューリックを同じ荷台に入れると、俺の中身が全部読まれそうだな」
「心配いりません」
リューリックが言った。
「殿下の中身は、読んでもだいたい不良在庫です」
「お前、主君の内面を在庫扱いするな」
「一部、長期滞留品もございます」
「やめろ。わりと刺さる」
テオが大笑いした。
薬草商隊の馬車が、夕暮れの街道を進む。
戦場から少し離れた道で、俺は薬草袋に囲まれ、商人に笑われ、家令に刺されていた。
悪くない。
傷は痛い。
国は戻らない。
名前はまだ語れない。
それでも、この瞬間だけは、少し悪くなかった。




