第二部 診療所のニーナと、消える子供たちの話 ① 〜鎮痛剤の代金〜
第2部です。新たなヒロインが登場します。
町のマドンナというのは、たいてい、二種類いる。
ひとつは、町の男たち全員に密かに惚れられている、おっとりした美人。
もうひとつは、町の男たち全員を叱りつけ、走り回っている元気娘。
俺はそれを、三年の傭兵生活で、嫌というほど見てきた。
戦場の側にある町には、たいてい後者のほうが必要だった。
前者は飾れるが、後者は回せる。
飾りより回す方が、戦時には命を救う。
俺の名は、レオン。
便宜上は、ただの傭兵。
二十八歳。元王子。現傭兵。職業、負傷予定者。
趣味、惚れること。
専門、惚れて損をすること。
今回も見事にその専門技能を発揮するはめになる。
リンデン村は、後者の女が回している町だった。
◇
リヴェン領の野戦病院から街道を馬に乗って東に真っ直ぐ進み三日目に、リンデン村が見えた。
春先とは言え、雪解けの泥が街道の左右にまだ黒く残っている。
長い付き合いになる馬の鼻息は、もうそれほど白くない。
あれから三日経つが移動しながらのせいか、肩の傷はまだ完全には閉じていなかった。
歩ける程度にはなっていたが、馬上で半日揺られると、夕方には自分が肩じゃなくて魚の干物みたいな気がしてきた。
「殿下、まだご無事のようで」
リューリックが、げんなりとなっている俺に、この旅程で五回目の安否確認を行った。
「無事に魚になりかけてる」
そのさりげない家臣の気遣いに、俺は冗談で返した。何だかんだ、こうした会話が凝り固まった気持ちをほぐしてくれているのを噛みしめて、気持ちを前に向けた。
「魚は丈夫ですよ」
「お前の励まし方、雑だな」
「私の励まし方の本義は、簡潔さでございます」
「お前の本義、励まし方にまで及ぶのか」
「本義は、現場で更新されるものでございますので」
「ふん」
リューリックが少しだけ笑った気配があった。
顔はいつも通り崩さない。
春先の街道は、まだ風が冷たい。
ただし、頬に当たる風の角度が、少しずつ南寄りに変わってきていた。
季節は確実に進んでいる。
俺たちは丘をひとつ越えた。
その向こうに、村があった。
◇
リンデン村は思ったより小さかった。
二百戸あるかないか。
中央に古い井戸、その周りに広場、教会らしき建物の屋根、それと宿屋が一軒。
村らしい村と言えば、そうだが、しばらく見渡していると、思ったより人が多かったことに気付いた。
道端に荷物を抱えた家族が座り込んでいる。
泣いている子供を母親があやしている。父親の顔は土色で、大分疲弊しているようにみえる。
これはいわゆる難民だ。
リヴェンの戦線から、逃げ延びてきた者たち。
「あの村の住民か?」
結局俺たちが押し返せなかった戦線が、その家族をここまで追いやった。
戦場では、勝者と敗者の他に、もうひとつ別の人種がいる。
逃げ延びた者だ。
戦の数字には入らない。
俺はその家族の脇を、目を合わせずに通り過ぎた。
「殿下、宿は」
「殿下って言うな、人前で」
「いたしかねます」
「お前、本当にいたしかねますの達人だな、全く」
「達人でございます」
「で、宿はどうする?」
「空いていれば泊めていただきましょう」
「空いてなければ?」
「納屋をお借りしましょう」
リューリックは定型文の回答のようにすらすらと言葉を返した。
「まぁそうなるわな」
「宿の主人に確認してきます」
「分かった、頼む」
「戻るまで井戸の前でお待ちください」
リューリックは家令の家系の本業を見せつけるように、美しい所作でお辞儀をすると、一言付け足した。
「殿下、町の娘に安易に声を掛けたりしないで下さいね」
「うるさい、馬鹿なこと言ってないで早く仕事をしてこい!」
リューリックは、ふっと、肩をすくめて宿に向かった。
◇
一人になった俺は、井戸を背に座り込んで、町の様子を眺めていると、俺の目の前をすっと走り去る娘に目を奪われた。この娘、慌ただしい様子で、なぜかすでに俺の前を二回も往復している。
「なんだ一体?」
俺よりも若そうに見える娘の表情は、切羽詰まった感じの真剣な表情をしており、迂闊に声を掛けられそうになかった。
「……気になるな」
そんなことを考えているうちに、リューリックが戻った。
どうやら無事、部屋は空いていたようだ。
俺たちはそのまま、宿屋へ向かった。
◇
宿屋の看板は、半分剥がれていた。
残った半分に「リンデン宿」と書かれていた。
その下に、たぶん値段表があったらしい跡が薄く残っている。
戦時、宿屋の値段は月単位で書き換わる。
書き換わるのが面倒で剥がしたままにしているのだろう。
俺はそんなことを考えながら、その宿屋の戸を押した。
◇
夜半過ぎ。
宿屋の戸が、激しく叩かれた。
俺はまだ半分程度しか眠っていなかった。
階下から、宿屋の親父の困った声が聞こえてくる。
「だから、おらの宿には鎮痛剤の在庫はないって何度も……」
「あんたんとこに、傭兵が泊まってるんでしょ。傭兵なら鎮痛剤くらい持ってるはずよ。貸して」
「いや、あんたねえ、客の薬を勝手に……」
「貸してくれって言ってるだけ。盗らないから」
「いや、それでも、客に夜中に話を持っていくのは」
「じゃあ私が直接行く。階段の上?」
「ちょ、あんた!」
俺はため息をついた。
寝起きからこういう女に絡まれるなんて、人生で何回あるだろうか。
ベッドの脇に置いた革袋から、鎮痛剤の小瓶を二つ取り出した。
俺は顔も名前もまだ知らない女のために、まだ明るさに慣れない目つきで部屋を出て、階段を降りて行った。
◇
階下にいたのは、若い女だった。
ぱっと、振り返った。昼間、俺の前を何度か走り抜けていった娘だった。
よくよく見ると茶色の髪を、肩のあたりで雑に切っている。
背は、俺の胸くらいまで。
目だけが、やけに、大きい。
顔色は悪い。
寝てない顔だ。
目の下に、薄い隈が、二日分くらい乗っている。
ただし、こちらを見る目だけは、寝不足とは無関係に、まっすぐだった。
彼女は、俺の手に握られた小瓶を、ふた呼吸で確認した。
「あなた傭兵でしょ、持ってる!」
俺、まだ、何も言ってない。
「鎮痛剤あるんでしょ、いくらで分けてくれる」
俺の言葉よりも先に重ねて迫ってくる娘に圧され、俺は二本の鎮痛剤を差し出して言った。
「鎮痛剤、いるのか」
「いる」
「金は」
「ない」
「貸しか」
「貸しでお願い」
「いつ返す」
「うちの診療所が儲かったら」
「儲かるのか」
「儲からない」
「……」
「あんた、昼間井戸の前で座っていた人でしょ?」
「ああ、そうだが」
その娘も昼間、俺の存在を確認していたらしい。なかなか目聡い娘だ。良く周りを見ているものだ。そんなことを考えていると、さっと手を伸ばして娘が言った。
「じゃあ貸して」
「……理屈になってない」
「町の様子見てたでしょ、こっちは一気に増えた難民の治療で困っているの。傭兵ならこっちの事情ぐらいお見通しでしょ」
「お前、なかなか鋭いな、大したもんだ」
「そんな言葉はいいから、鎮痛剤を早く」
真剣な眼差しに、俺は頷きながら無言で小瓶を二つ、娘に投げた。
女は、両手でぴたりとキャッチした。
訓練された動きだった。
「ありがと」
「ああ」
「あんた、名前は」
「レオンだ」
「私はニーナ、じゃ」
それだけ言って、女は宿屋の戸を蹴って出て行った。
ばたん、と、ドアが閉まった。
宿屋の親父が、ぽつりと、
「……町医者の娘ですわ。あの嬢ちゃん、一人で診療所やってるんで。気ぃ悪くせんでください」
「悪くは思ってない」
「優しいお客さんだ。今日は宿賃から、銅貨二枚、引いときますで」
「ありがたいが、二枚ぽっちで、薬代の損は埋まらんぞ」
「あの嬢ちゃんに、薬を貸せた、っていう貸しが残りましたで」
「……商売、上手だな」
「田舎の宿屋に商売やる以外にありますかい」
親父はにやりと笑った。商売人の笑い方だった。
「確かにな」
俺は走り去っていった娘の眼差しの余韻に浸りながら、つぶやいた。
◇
二階に戻ると、リューリックが寝台の縁に座って本を読んでいた。
「殿下」
「うん」
「鎮痛剤、お渡しになりましたね」
「聞いてたのか」
「階下の声は、全部聞こえます」
「お前、寝てなかったのか」
「殿下のお部屋の外で誰かが叫ぶ夜は、寝ません」
「家令の家系の副業の本義、夜勤までご出陣か」
「夜勤手当は、頂戴しておりませんが」
「お前、給料もらってないだろ」
「いただけたら、嬉しゅうございます」
「俺も、もらってない……」
「気の毒に存じます」
リューリックは、口角を上げながら本を閉じた。
いつものように、すっと、目を細めた。
「で、また惚れたのですか」
「いや、まだ」
「『まだ』とおっしゃいますか」
「明日、確認する」
「ご丁寧なことで」
「俺は確認が遅い男じゃない。ただ、傷が痛むんだ」
「肩が痛むのと、惚れが遅いのとは、別件かと存じます」
「……うるさい」
俺は、また寝台に倒れた。
天井の梁を見上げた。
リヴェンの集会所の梁と同じような、古い木目だった。
戦時の村の梁は、たぶんどこも似たような顔をしている。
古い木は戦争を何度も見ている。
見ているが、何も言わない。
梁、というのはつくづく家令向きの仕事だ。




