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第百十一部 勝った後で、ようやく名前を呼び合う話 ③ 橋を離れてすぐ倒れたカミラ

 カミラが倒れたのは、橋を離れてすぐだった。


「大丈夫だ」


 と言った三歩後に、膝が抜けた。


 レオンが支えるより早く、ニーナが受け止めた。


「大丈夫じゃない」


「少し、足が滑っただけだ」


「平らな道で?」


「道が悪い」


「道のせいにしない」


 ニーナはカミラを荷馬車へ座らせ、肩の傷を見る。


 矢はかすっただけだった。


 だが問題はそこではない。


 熱。


 脱水。


 左手首の腫れ。


 拘束痕。


 古い打撲。


 そして、眠っていない目。


「ひどい」


 ニーナは小さく言った。


 カミラは苦笑する。


「監察官への評価か」


「患者への評価」


「厳しいな」


「生きてる人には厳しくする」


 カミラはその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。


「それを、レオンにも?」


「いつも」


「そうか」


 カミラは、レオンを見た。


 レオンは少し離れた場所で、ヴィクトルと話していた。


 サロメの身柄。


 橋の証言。


 各方面への通達。


 やることは山ほどある。


 それなのに、彼は何度もこちらを見ている。


 心配で仕方ない顔。


 怒っている顔。


 泣きそうな顔。


 全部混ざっている。


 カミラは視線を逸らした。


「……変わったな」


 ニーナが尋ねる。


「レオンが?」


「ああ」


「どこが?」


「死に急ぐだけではなくなった」


 ニーナは手を止めずに答えた。


「まだ急ぐよ」


「そうか」


「でも、前より止まる」


「あなたが止めたのか」


「私だけじゃない」


 ニーナは包帯を巻いた。


「ガレスも、ヴィクトルも、ミハイルも、アンナさんも。たぶん、カミラさんも」


 カミラは黙った。


 自分が不在の間に、レオンの周りには人が増えた。


 それは少し寂しくもあった。


 けれど、悔しいほど嬉しくもあった。


 レオンが一人で死なずに済んだ理由が、目の前にいる。


 黒髪の若い女。


 医者ではないと言い張りながら、誰よりも患者を見ている女。


 カミラは、ゆっくりと言った。


「あなたが、ニーナか」


「そう」


「ちゃんと名乗るのが遅れた」


「こっちも」


 ニーナは少しだけ背筋を伸ばした。


「ニーナ。リンデンの診療所にいた。医者じゃない。今は、死なせない係」


 カミラは小さく笑った。


「いい肩書きだ」


「そっちは?」


「カミラ・パヴェル。イタリカ共和国監察官」


 少し間を置いて、彼女は付け加えた。


「今は、患者らしい」


「らしい、じゃなくて患者」


「厳しいな」


「何度も言わせないで」


「分かった」


 カミラは、ほんの少しだけはにかむように笑った。


 ニーナはそれを見て、胸の奥がまた少し痛んだ。


 この人は、強いだけじゃない。


 ずっと強がっていただけだ。


 そう分かってしまった。


 嫌いになれない。


 むしろ、尊敬できる。


 だから余計に、手強い。


「カミラさん」


「敬語はいらないと言った」


「まだ言われてない」


「今、言った」


「じゃあ、カミラ」


「何だ」


「痛いなら、痛いって言って」


 カミラは少しだけ目を伏せた。


「痛い」


「よし」


「よし、なのか」


「よし」


 ニーナは包帯を結び、最後に少しだけ強めに固定した。


 カミラが眉を寄せる。


「痛い」


「今のは必要な痛み」


「あなた、容赦がないな」


「よく言われる」


「誰に」


 ニーナはレオンを見た。


 カミラもレオンを見る。


 レオンは二人が同時に見たことに気づき、嫌な予感がした顔をした。


「何だ」


 二人は同時に言った。


「別に」


「何でもない」


 レオンは少しだけ身を引いた。


「怖いな」


 カミラが小さく笑う。


 ニーナも、少しだけ笑った。


 まだ友人ではない。


 まだ恋のライバルですら、はっきり口にしたわけではない。


 でも、何かが始まった。



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