タイトル未定2026/10/29 14:23
第百十部 橋の上で、灰色の筋書きを破る話 ② 正午を待たずに人が集まり始めた鹿鳴橋
鹿鳴橋には、正午を待たずに人が集まり始めていた。
イタリカ側には軍の兵。
市警。
国家保安局の監視。
中央市民病院と軍医会の代表。
紙問屋、薬種商、新聞売りの親たち。
ザクセル側には旧体制側の役人と、改革派らしい市民たち。
橋の中央には、三本の旗が立てられていた。
イタリカの軍旗。
ザクセルの旗。
そして、旧グラニアの双頭鹿の小旗。
レオンは、その三本目を見た瞬間、目を細めた。
「まだ出してくるか」
ヴィクトルが隣で言う。
「出してくるでしょう。旗は、見た者の頭へ勝手に物語を作ります」
「なら、折るか」
「今日はまだ」
「いつだ」
「一番目立つ時に」
ヴィクトルの声は淡々としていた。
だが、目は笑っていない。
橋の上には、細工が多すぎた。
欄干の下に不自然な縄。
中央の板だけ新しい釘。
見張り台にいる弩兵。
谷底には、白翼の者が潜んでいる。
こちらの味方もいる。
敵もいる。
誰がどちらか、完全には分からない。
だからこそ、ヴィクトルは人を集めた。
人目こそが、サロメの影を薄める。
正午の鐘が鳴った。
橋の向こうから、灰色の馬車が現れた。
兵に囲まれて、カミラ・パヴェルが降ろされる。
足元が少しふらついた。
左手首は布で隠されている。
顔色は悪い。
だが、背筋だけは、こちらが腹立たしくなるほどまっすぐだった。
レオンは息を止めた。
行くな。
自分に言う。
まだだ。
まだ、橋を渡る時ではない。
カミラの視線が、一瞬だけこちらへ向いた。
人の間。
旗の隙間。
遠すぎる。
それでも目が合った。
カミラはわずかに眉を上げた。
来たか。
そう言っているようだった。
レオンは小さく頷いた。
カミラの口元が、ほんの少しだけ緩む。
はにかむ、というにはあまりに弱い。
笑う、というにはあまりに短い。
それでも、レオンには見えた。
彼女が生きている。
まだ折れていない。
それだけで、膝から力が抜けそうになる。
ニーナが横から小さく言った。
「立って」
「立っている」
「少し崩れた」
「よく見てるな」
「見るよ」
それ以上は言わなかった。




