第百九部 口を封じに来た者へ、名前を叫ばせる話 ③ 一つの名で満ちた街
その日の夕方、街は一つの名で満ちた。
サロメ・ヴァルガ。
灰旗第九位。
子どもの名簿を晒した者。
監察官カミラ・パヴェルを国境証人として動かした者。
医師アンナ・リードの署名を偽造した者。
ミハイル・ドレンの工房活字を使い、ザクセル革命派文書を作った者。
もちろん、すべてが証明されたわけではない。
だが、疑いは名を得た。
名を得た疑いは、もう煙ではない。
掴める。
追える。
責任を問える。
ヴィクトルは羊毛倉庫へ戻るなり、速報の版を組み直した。
見出しは一行。
――灰旗第九位、サロメ・ヴァルガの名が出る。
ミハイルがそれを見て、喉を押さえながら笑った。
「いい見出しだ」
「あなたは喋らないでください」
ニーナが即座に言う。
「笑っただけだ」
「喉が笑ってない」
「喉に人格はない」
「あります。今は私の管理下」
「独裁だ」
「医療です」
リザは端の椅子に座り、足を診られていた。
「私も役に立ちましたか」
ニーナが包帯を巻きながら答える。
「立った。だから次は勝手に屋根へ登らない」
「はい」
「本当に?」
「……たぶん」
「レオンに似なくていい」
レオンは抗議しかけたが、全員の視線が来たので黙った。
「何だ」
ヴィクトルが言う。
「良い黙り方です」
「流行らせるな」
そこへ、ガレスとアンナからの伝令が届いた。
中央市民病院と軍医会が正式に動いた。
アンナ・リードの偽署名について、国家保安局へ照会状。
さらに、灰旗第九位サロメ・ヴァルガの名が市中で出たことを受け、軍医会はカミラ・パヴェルの移送記録の再提出を要求。
イーゴルがそれを聞き、肋骨を押さえながら立ち上がろうとした。
「軍需局へも出せ。今すぐだ」
「座って」
ニーナが言う。
「だが」
「座って指示して」
「……紙を寄こせ」
彼は座ったまま怒鳴った。
「軍需局で、灰旗が軍馬を使った記録を照合する。馬の番号、飼料支給、交換地。全部だ」
オルヴァンも片目で封蝋片を見ながら言う。
「カラドリンへ出す文に、封蝋の成分を書け。灰を混ぜた粗悪品だ。工房組合なら笑う」
「笑うのか」
レオンが尋ねる。
「笑ってから怒る」
「職人は面倒だな」
「誇りがあると言え」
ヴィクトルは、すべてを紙にまとめていく。
点が線になっていく。
線が網になっていく。
サロメが作っていた網に、今度はこちらの網が絡みつき始めていた。




