↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

540/561

第百八部 灰色の旗を、舞台の上へ引きずり出す話 ① 宿営地の一室で紙を燃やすサロメ

 サロメ・ヴァルガは、宿営地の一室で紙を燃やしていた。


 一枚。


 また一枚。


 青いインクで刷られた紙が、蝋燭の火に触れ、黒く縮み、灰になる。


 ――監察官カミラ・パヴェルを誰が動かしたのか。


 ――灰倉院命令書と北方伝令報告書の矛盾。


 ――医師アンナ・リードの署名偽造疑い。


 ――灰旗第九位。


 最後の言葉が、火の中でひどくゆっくり燃えた。


「よく燃えますね」


 カミラは椅子に縛られたまま言った。


 左手首の腫れは引いていない。


 熱もある。


 それでも、声には薄い刃が残っている。


「紙は燃えます」


 サロメは答えた。


「ええ。だから、お前は紙を怖がっていないふりをしている」


「怖がる?」


「そうだ」


 カミラは、燃え残った紙の端を見た。


 そこには、灰旗、の二文字だけが残っていた。


「人は、知らない怪物より、名前のある怪物を恐れる。お前は、それをよく知っているはずだ」


 サロメは紙を火へ落とした。


「名前があるものは、別の名前で上書きできます」


「やってみろ」


「やっています」


 サロメは机の上の新しい文書を取った。


 そこには、レオン・ヴァン・リュカリオンの名があった。


 その下に、ニーナの特徴。


 ガレスの特徴。


 ミハイルの名。


 ヴィクトルの名。


 アンナの名。


 そして、青いインク関係者の潜伏先候補。


 カミラの目が細くなる。


「街を焼くだけでは足りなくなったか」


「焼くのではありません。乾かすのです」


「何を」


「湿った紙を」


 サロメは微笑んだ。


「濡れた紙は燃えません。だから、青いインクが逃げ込む場所を一つずつ乾かす。宿、薬種商、紙問屋、医師、印刷工、新聞売り、子どもまで」


「子どもに手を出すのか」


「子どもはよく走ります」


「最低だな」


「便利です」


 カミラは一瞬、目を閉じた。


 そして開けた時、声から感情が消えていた。


「レオンは怒るぞ」


「怒っていただきます」


 サロメは静かに言った。


「怒れば、人は急ぎます。急げば、道を選び損なう」


「彼は少し学習した」


「一度橋を渡らなかった程度で?」


「十分だ」


「では、もう少し強い橋を用意しましょう」


 サロメは窓の外へ視線を向けた。


 宿営地の外では、兵が馬を準備している。


「今夜、青いインクが使う羊毛倉庫へ兵が入ります。名目は、疫病疑いの逃亡者保護。実態は押収」


「ミハイルを殺す気か」


「殺すとは言っていません」


「お前が言わない時は、だいたい殺す時だ」


 サロメは返事をしなかった。


 カミラは、椅子の肘を指先で叩いた。


 一度。


 二度。


 三度。


 癖ではない。


 数を数えている。


 時間。


 兵の数。


 窓の外の馬。


 サロメの声の変化。


 そして、あの男がどれだけ怒るか。


「サロメ」


「何でしょう」


「忠告しておく」


「聞きましょう」


「子どもを狙うな」


「なぜ?」


「男は馬鹿だから、女を助けに来る。監察官を助けに来る。友人を助けに来る」


 カミラは、唇の端を上げた。


「だが、子どもを狙われた時だけは、戻らない」


「どこへ行くと?」


「お前の喉元だ」


 サロメは、少しだけ首を傾けた。


「楽しみにしましょう」


 その声に、初めてほんのわずかな硬さが混じった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。