第百六部 黒松峠で、追いついたと思った話 ③ 黒松の根の下を縫う古い国境道
古い国境道は、黒松の根の下を縫うように続いていた。
リザは先頭。
その後ろにニーナ。
最後にレオン。
馬は途中の沢で置いた。
道は狭く、馬では進めない。
リザの足取りは思ったより確かだった。
「昔、炭焼き小屋まで父に連れていかれました」
「怖くないのか」
レオンが尋ねる。
「怖いです」
「なら戻れ」
「怖くても歩けます」
ニーナが小さく笑った。
「また強い子が増えた」
「増えるのはいいが、危険な子ばかりだ」
「大人が危険だからね」
「返す言葉がない」
しばらく進むと、道の脇に車輪の跡があった。
小型の馬車。
泥に深く沈んでいる。
ここで荷が重かった証拠。
その先で、車輪跡が途切れた。
「ここで捨てた」
レオンが言う。
近くには、壊された車輪と、灰色の布が捨てられていた。
そして、地面に血が落ちている。
少量。
乾きかけ。
ニーナが膝をつく。
「誰の血か分からない」
「カミラかもしれない」
「かもしれない。でも、ここで死ぬ量じゃない」
リザが先を指す。
「この先、道が二つあります。上は国境の古い見張り台へ。下は谷へ」
レオンは足跡を見る。
上へ向かう足跡は多い。
下へ向かう足跡は少ない。
だが、下の足跡だけが深い。
誰かを支えながら歩いた跡。
「下だ」
レオンが言う。
「上は囮?」
「多すぎる」
「また読まれているかも」
「だが、カミラは弱っている。支えが必要な足跡なら、下だ」
ニーナは頷いた。
その時、上の道から声がした。
「いたぞ!」
兵士。
囮ではなかった。
上にも、本物の追手がいる。
矢が飛ぶ。
レオンがリザを庇い、剣で弾く。
右肩が痛む。
構わず前へ出る。
「リザ、下へ!」
ニーナが叫ぶ。
「でも」
「走って!」
リザが走る。
ニーナも続く。
レオンは後ろに残り、狭い道で兵士を止める。
一人目の剣を受ける。
左手。
弾く。
二人目の槍を避ける。
右肩を使わない。
足で柄を踏み、折る。
三人目が弩を構えた。
ニーナが戻ろうとする。
「来るな!」
レオンが叫ぶ。
だが、弩の狙いはレオンではなかった。
下へ走るリザ。
レオンの血が冷える。
間に合わない。
矢が放たれる。
その瞬間、黒松の枝から何かが落ちた。
石ではない。
小さな刃。
弩兵の手へ刺さる。
矢は逸れ、木へ突き刺さった。
レオンは上を見た。
枝の上に、白い布を巻いた男がいた。
青いインクではない。
サレーネ船団の荷印を付けた斥候。
男は短く言った。
「白翼より、借りを返す」
「誰の」
「リヴィア様の」
またか、と言う暇はなかった。
斥候は次の刃を投げ、レオンが前へ出る隙を作った。
レオンは三人の兵を殺さず倒した。
腕。
膝。
顎。
息は上がっている。
肩は熱を持っている。
だが、倒れない。
「リヴィアはどこにいる」
レオンが尋ねる。
斥候は枝から降りない。
「東の海にはいません」
「答えになっていない」
「今は、それだけ」
「なぜ助ける」
「助けたのではありません。船長が、あなたが死ぬと後で面倒だと言いました」
「言いそうだ」
斥候は小さな筒を投げた。
「黒松峠から東へ出た灰色の馬車を、川沿いの者が見ています。国境道の下流、鹿鳴橋へ」
「鹿鳴橋」
「急げば追いつくかもしれません」
「なぜもっと早く渡さない」
「あなたが馬車の罠に引っかかるか見ていました」
「ひどいな」
「船長ほどでは」
斥候は森の中へ消えた。
レオンは筒を握り締め、下の道へ走った。




