第百四部 助けに来た男へ、助けるなと言う女の話 ③ 正面礼拝堂から入ったレオン
レオンは灰置き場ではなく、正面礼拝堂から入った。
外の見張り二人をガレスが引いた隙に、残った兵の間を抜け、扉を蹴破り、地下へ続く階段を一気に下った。
途中で一人が立ちはだかる。
左手の剣で刃を弾く。
肩は使わない。
柄で顎を打ち、階段の壁へ叩きつける。
二人目。
槍。
レオンは槍を避けず、柄を踏んで折る。
踏み込みすぎて右肩へ痛みが走る。
「くそ」
痛みごと前へ出る。
三人目が鐘を鳴らそうとした。
その手首へ、上から短剣が飛んだ。
ガレスだった。
「待てと言っただろう」
「待った」
「短い」
「十分だ」
「嘘をつくな」
ガレスは脇腹と肩に包帯を巻いたまま、階段へ降りてきた。
「お前こそ来るな」
「道を読む係だ」
「読んだ結果がここか」
「最悪の道だった」
二人は並んで地下礼拝堂へ飛び込んだ。
最初に見えたのは、カミラだった。
縛られたまま、血の気の薄い顔でこちらを見ている。
目が合う。
長い言葉はなかった。
「来るなと言った覚えはないが」
カミラが言った。
「言われても来た」
「馬鹿か」
「よく言われる」
「少しは考えてから来いとも思っていた」
「考えて来た」
ニーナが横から叫ぶ。
「考えてこれなの!?」
「今は後にしてくれ!」
カミラの視線がニーナへ移る。
「あなたが、ニーナか」
「今それ!?」
「レオンが迷惑を掛けている」
「すごく!」
「後で詳しく聞く」
「後で!?」
サロメが手を叩いた。
「再会の場としては、賑やかですね」
レオンの剣がサロメへ向く。
「お前がサロメか」
「初めまして、レオン・ヴァン・リュカリオン」
「その名を勝手に使うな」
「では、どう呼べば?」
「呼ぶな」
「難しい方ですね」
サロメが指を鳴らす。
地下礼拝堂の奥で、兵が松明を倒した。
床に撒かれていた油へ火が走る。
炎が一気に壁際へ広がった。
ニーナが息を呑む。
「油!」
アンナが叫ぶ。
「患者を動かさないと煙で死にます!」
サロメは祭壇の横へ下がる。
「選択を変えましょう」
火の向こうで、彼女は三枚の死亡診断書を掲げた。
「三人全員を助けようとすれば、全員死にます。一人を選べば、その一人は外へ出られる」
「黙れ」
レオンが踏み出す。
その足元へ、上から矢が突き刺さる。
礼拝堂上部の回廊に、弩兵がいた。
ガレスが舌打ちする。
「上にもいる」
「分かっている」
「突っ込むな」
「分かっている!」
レオンはカミラへ向かう。
ニーナはイーゴルの縄を解きに走る。
アンナはオルヴァンの呼吸を見る。
ガレスは回廊の弩兵へ短剣を投げる。
短剣は一人の腕へ刺さった。
だが、まだ二人いる。
煙が濃くなる。
カミラの縄を切る。
レオンの手が彼女の肩に触れた瞬間、カミラの身体が揺れた。
想像以上に弱っている。
「歩けるか」
「歩けると言えば信じるか」
「信じたい」
「なら歩けない」
「正直だな」
「あなたの周りの女たちが、正直に言えとうるさそうだからな」
「その通り」
レオンはカミラを支えようとする。
カミラはその手を押し返した。
「イーゴルを先に出せ」
「何?」
「あの男は軍需記録を持っている。彼が死ねば、武器流通の線が消える」
「お前を連れていく」
「私一人を出して、二人を殺すつもりか」
言葉が、刃のように刺さった。
レオンは動きを止める。
聞きたくなかった言葉だった。
だが、来る前から分かっていた言葉でもあった。
「カミラ」
「私は、助けられる女ではない」
「それは違う」
「違わない。私は証人だ。監察官だ。ここで私一人だけ逃げれば、敵の物語が完成する」
「俺は」
「あなたが満足するための救出なら、いらない」
レオンの顔が歪む。
ニーナがイーゴルの縄を切りながら叫ぶ。
「レオン!」
イーゴルは肋骨のせいで立てない。
アンナの方では、オルヴァンが煙を吸って激しく咳き込んでいる。
全員は無理だ。
今、この瞬間には。
サロメの声が火の向こうから聞こえた。
「選んでください」
カミラがレオンの胸を押す。
「選ぶな」
「どういう意味だ」
「選ばされるな」
彼女は腫れた左手ではなく、右手でレオンの外套を掴んだ。
そして、低く早口で言った。
「死亡診断書ではなく、移送命令を探せ。誰をどこへ送るか、サロメ自身が書いた紙がある。私たちを選ぶな。紙を取れ」
「お前は」
「私はまだ死なない」
「保証は」
「ない」
「ふざけるな」
「いつものことだ」
カミラはほんの一瞬だけ笑った。
「レオン」
「何だ」
「生きて怒りに来い」
次の瞬間、回廊から煙玉が落ちた。
黒煙が地下礼拝堂を満たす。
視界が消える。
レオンはカミラの腕を掴もうとした。
だが、別の手が彼を押した。
ニーナだった。
「イーゴルが死ぬ!」
イーゴルが倒れかけている。
肋骨の痛みで呼吸が浅く、煙を吸えば終わる。
レオンの手が空を掴む。
カミラが見えない。
火。
煙。
咳。
弩の音。
アンナの叫び。
ガレスの怒鳴り声。
「レオン、決めろ!」
ガレスが叫ぶ。
決めろ。
だが、選ばされるな。
レオンは奥歯を噛み締めた。
「イーゴルを出す!」
言った瞬間、胸の奥が裂けた。
ニーナが頷く。
「手伝って!」
レオンはイーゴルを背負った。
肋骨を潰さないよう、ニーナが布で固定する。
アンナはオルヴァンの腕を肩に回す。
「彼も出します!」
「無理だ!」
ガレスが煙の中から叫ぶ。
「無理でも!」
アンナの声は震えていた。
「生きている患者を置いていけません!」
オルヴァンが呻く。
「医者というのは、どいつも面倒だな」
「喋らないでください」
「嫌だね」
ガレスがアンナとオルヴァンの間へ入り、オルヴァンの体重を引き受けた。
「俺が持つ」
「怪我が」
「後で怒れ」
「怒ります」
「今は走れ」
レオンはカミラの方を見ようとした。
煙の向こうで、彼女の姿が一瞬だけ見えた。
サロメの兵に再び腕を取られている。
目が合った。
カミラは叫ばなかった。
助けてとも、来るなとも言わなかった。
ただ唇だけが動いた。
紙を。
レオンは祭壇へ目を向けた。
そこに、灰色の紐で束ねられた命令書がある。
炎が近づいている。
イーゴルを背負ったままでは届かない。
ニーナが気付いた。
「行って!」
「イーゴルは」
「持ってる!」
「重いぞ」
「知ってる!」
ニーナはイーゴルを支え、歯を食いしばる。
レオンは祭壇へ走った。
矢が飛ぶ。
肩をかすめる。
痛み。
無視する。
炎が命令書の端を舐める。
レオンは左手を伸ばし、束を掴んだ。
その瞬間、サロメの声が耳元でした。
「それを持ち出せば、あなたは完全に反逆者です」
レオンは振り向いた。
煙の向こうに、サロメがいた。
近い。
手には短い刃。
「今さらだ」
レオンは命令書を胸へ押し込んだ。
「俺の名前は、好きに使われすぎた」
「では、自分で燃やしますか?」
「いいや」
レオンは剣を構えた。
「返してもらう」
サロメは刃を振るわなかった。
代わりに、足元の石を蹴った。
床の隙間から、灰が噴き上がる。
目潰し。
レオンの視界が白くなる。
サロメの気配が消えた。
「レオン!」
ニーナの声。
時間切れだ。
レオンは命令書を抱え、煙の中へ戻った。




