第百四部 助けに来た男へ、助けるなと言う女の話 ② よく響いた地下通路の声
地下の通路では、声がよく響いた。
ニーナは薬箱を胸に抱え、アンナの後ろを進む。
奥から、サロメの声が聞こえた。
「では、もう一度聞きます。誰を残しますか」
カミラの声が返る。
「全員だ」
「それは選択ではありません」
「お前が選択と呼んでいるだけだ」
「監察官らしい言い方ですね」
「人殺しらしい問いだな」
ニーナは息を止めた。
初めて聞くカミラの声。
もっと冷たい人だと思っていた。
もっと遠い人だと思っていた。
だが、その声は疲れていて、怒っていて、それでも折れていなかった。
アンナが小声で言う。
「ここから礼拝堂の地下へ出ます」
「カミラさんたちは?」
「近いです。ただ、兵がいる」
「何人?」
「足音では三人。たぶん上にも」
「レオンを呼ぶ?」
「呼べば、彼は走ります」
「うん」
「まだ呼びません」
「うん」
二人は扉の隙間から中を覗いた。
地下礼拝堂には、古い祭壇があった。
その前に、カミラ、イーゴル、オルヴァンが別々の椅子へ縛られている。
カミラの左手首は赤く腫れ、顔色も悪い。
それでも背筋だけは伸びていた。
イーゴルは肋骨の痛みで息が浅い。
オルヴァンは右目を腫らし、髭の焦げた部分を苛立たしげに動かしている。
祭壇の上には三枚の死亡診断書。
サロメはその横へ立ち、灰色の手袋をはめ直していた。
「一人が証言者として生きる。二人は移送中の事故で死ぬ。簡単です」
「簡単なのは、お前の頭の中だけだ」
オルヴァンが唸る。
「鋼なら欠陥品だな」
「面白い表現です」
「笑うな。腹が立つ」
イーゴルが苦しそうに息を吸う。
「私を残せ」
カミラが即座に言う。
「駄目だ」
「軍需局の記録は、私の頭にある」
「だからこそ駄目だ」
「お前が残れば、監察官の名で全員を共犯にされる」
「それでも私が残る」
オルヴァンが笑う。
「では、俺を残せ。カラドリンの鋳印を読める者は少ない」
「あなたも駄目です」
カミラが言う。
「なら全員駄目ではないか」
「そう言っている」
サロメは楽しそうに三人を見る。
「美しいですね。誰も自分だけ助かろうとしない。だから、選ばせる価値がある」
「悪趣味だ」
カミラが吐き捨てた。
その時、地下礼拝堂の反対側で、小さな石が落ちた。
兵が振り向く。
ニーナの足元から落ちた石だった。
アンナが一瞬だけ目を閉じる。
「誰だ」
兵が近づいてくる。
ニーナは薬箱を握り直した。
扉が開かれる。
兵と目が合う。
「……薬を届けに来た」
ニーナは言った。
兵が一瞬固まる。
「誰だ、お前は」
「死なせない係」
「何?」
ニーナは薬箱を兵の足へ落とした。
重い木箱が足の甲を潰す。
兵が声を上げる前に、アンナが布を口へ押し当てた。
二人で倒す。
だが、音は消しきれなかった。
「侵入者!」
地下礼拝堂が一気に動く。
ニーナは叫んだ。
「レオン!」
その声が届くより早く、上から石扉が砕ける音がした。
レオンは待っていなかった。
いや、待っていた。
待って、ニーナの声を聞いた瞬間、走った。




