第八部 外科医ヴェロニカと、書かれる名前の話 ⑤ 〜坑夫も、国家〜
査問は、翌日の午後に行われた。
場所はカステリオの旧市庁舎。
古い石造りの建物で、天井が高い。
革命前は鉱山ギルドの会館だったらしい。
いまは人民管理局の看板が掛かっている。
看板は新しい。
石壁は古い。
看板と壁の間にある時間のずれが、この国そのもののようだった。
部屋の中央に、長い机。
その向こうにマルキウス・コルヴァヌスが座る。
左右に書記と護衛。
ヴェロニカは医療検分官として端に座っていた。
俺とリューリックは、外国人傭兵という扱いで傍聴席に立たされた。
立たされた、というのは正確ではない。
椅子はあった。
だが、座ると落ち着かないので立っていた。
リューリックは、それを見て低く言った。
「殿下、座らないのですか」
「座ると偉そうに見える」
「元から、そこそこ偉い方です」
「今はただの傭兵だ」
「ただの傭兵は、査問の傍聴席でそわそわしません」
「俺はそわそわしてない」
「先ほどから右足のつま先が、床板を三十二回ほど叩いております」
「数えるな」
「家令の家系の副業の本義として、主君の緊張は把握対象でございます」
「うるさい」
扉が開いた。
カミラが入ってきた。
灰色の上着。
短い黒髪。
左手首の烙印跡。
顔は硬い。
けれど、ガリレオで見た時より、少し疲れていた。
俺と目が合った。
一瞬だけ、指先が止まった。
その一瞬に、あの夜の廊下が少しだけ戻りかけた。
すぐに消えた。
監察官の顔になる。
カミラは部屋の中央に立った。
マルキウスが口を開いた。
「カミラ・パヴェル監察官」
「はい」
「ガリレオ坑道の三日停止について、責任を問う」
「承知しています」
「人民の鉱山を止めた。生産割当を満たさなかった。配給計画に遅れを出した。中央への報告も、事後だった」
「はい」
「あなたは、人民国家の監察官として、自分の決定が人民を苦しめたことを認めるか」
カミラは少しだけ黙った。
部屋の空気が硬くなる。
書記のペン先が紙の上で止まっていた。
「認めます」
カミラは言った。
「三日止めたことで、配給は遅れました。割当も満たせませんでした。町の誰かは、それで空腹になったでしょう。その点について、私は責任を逃れません」
「では、なぜ止めた」
「止めなければ、さらに死んだからです」
「推測か」
「現場判断です」
「監察官は、推測で人民の鉱山を止めてよいのか」
「いいえ」
「ならば」
「ただし、坑道の支柱の亀裂、地下水の流れ、ガリレオの助産婦からの証言、坑夫の妻たちの座り込み、鉱山医療記録、それらを総合して判断しました」
カミラは、机の上に数枚の紙を置いた。
「私は、推測ではなく、現場を見て止めました」
マルキウスは、その紙を見た。
表情は変わらない。
「それでも、割当は止まらない」
「分かっています」
「人民国家は、配給を止められない。配給を止めれば、人民は飢える」
「分かっています」
「飢えた人民は、革命を信じられなくなる」
「それも、分かっています」
「では、なぜ国家ではなく、坑夫を優先した」
カミラは、まっすぐマルキウスを見た。
「坑夫も、国家です」
部屋が静かになった。
カミラの声は低かった。
だが、逃げていなかった。
「人民監察局の職務は、人民を監察することです。生きている人民だけではありません。死んだ人民も、人民です。記録から消される人民も、人民です」
マルキウスの目が、わずかに動いた。
カミラは続けた。
「私は、死んだ坑夫たちの名を記しました。ヘンリク・ヴォダという男の欄も、空白にはしませんでした」
「それは、職務の範疇か」
「私の範疇です」
「あなた個人の判断か」
「ええ。だから、私の名で書きました」
マルキウスはしばらく黙った。
長い沈黙だった。
その沈黙の中に、昔の戦争の音があるように思えた。
カミラが低く言った。
「マルキウス」
「何だ」
「革命戦争を、覚えているか」
マルキウスは、まばたきを一度だけした。
「忘れた者は、ここにはいない」
「なら、私たちが何のために名簿を書いたかも、覚えているはずだ」
「……」
「奴隷番号ではなく、名前で呼ぶために書いた。死んだ者を、死んだ者として残すために書いた。私は、今もそれをしている」
マルキウスの顔は崩れなかった。
しかし、ペンを持つ書記の手が少し止まった。
ヴェロニカは端の席で、カミラを見ていた。
医者の目だった。
出血量を測るように、言葉の出血を見ている。
やがてマルキウスが言った。
「カミラ・パヴェル」
「はい」
「ノヴァ・ローマに出頭せよ。中央で再審査を行う」
「了解」
「監察官権限は、当面停止とする」
「了解」
「ガリレオ坑道の三日停止については、現場判断として暫定保留。死亡記録の再確認は継続する」
カミラの肩が、ほんのわずかに下がった。
負けではない。
勝ちでもない。
潰されなかった。
ただ、使われる場所を変えられた。
彼女は深く頭を下げた。
「承知しました」
退室する時、カミラが一度だけ俺を見た。
俺は何も言えなかった。
声をかける立場ではなかった。
ただ、目だけで言う。
生きていろ、と。
カミラは、何も返さなかった。
けれど、扉を出る直前、その指先がまた一瞬だけ止まった。
それを俺は見ないふりをした。
見ないふりは、時に礼儀であり、時に、相手を監察官として立たせるための小さな協力だった。




